家庭より社會へ

高畠素之


女子高等師範では、近來家政科の入學志願者が激減し、その代り文科、理科の志願者は、從來の十倍位に増加して來たと言ふ。これは恐らく、卒業後獨立して生活する爲めに、單に學校の教師として丈けではなく、廣く社會に職業を求め得る便宜の爲めに應用の利く學科を修めようとする要求の然らしむる所であらう。從來は彼等もすべて家庭の人となる事のみを目的としてゐたのであらうが、男子の保護に依つて生活を營むと言ふ事は次第に望み少なくなつて來たので、斯かる中流の少女までが、獨立の職業を得んとするに至つたものであらう。

婦人には一體に容易を求むる心から計りでなく、社會に對する自誇を保つて行かうとする要求から、好んで家庭的城砦の中に閉ぢ籠らうとする傾向がある。それ故近世に至るまで、婦人が出でて職業に從ふと言ふ事は、甚だ例外的な現象であつた。然るに産業革命が行はれ、新らたなる生産業が續々として起るに從つて生産勞働は單純化され、且つ男子勞働者の賃銀は一體に低下して來たので、家庭内に安住してゐた無産階級婦人は續々として工場内に流れ込む事となつたのである。

然し乍ら婦人が家庭より出でて職業に就く事は、初めは勞働階級のみに特有の事であつた。然るに斯くの如き新生産組織に附隨して起つた資本主義が、極めて主我的、個人的なものであつた結果、社會はかゝる主我的、個人的思想の支配に委せられる事となつた。婦人も亦かゝる潮流から免かれる事は出來ず、時と共に個人主義的感情を植えつけられて來たのである。斯くして婦人の個人主義的精神の要求は、資本主義社會の發達に伴つて生じ來たる男子の晩婚化と對峙して、家庭より社會へ――の勢を助長する事となつた。即ち婦人が職業に從事する事は、單に勞働階級のみの特殊な現象ではなく、漸次に上流の階級へと普遍し來つたのである。

日本に於いては、歐米に比べて資本主義の發達が甚だ遲れてゐた。從つて婦人が職業に就く事も、また歐米の如く普遍化してゐなかつたのである。中流婦人の大部分は、結婚し得る望みを持ち、且つ結婚することに依つて男子の扶養を受ける可能性を有してゐた。女子教育の大部分は、斯かる婦人の爲めに行はれるものであつた。故に女子教育は結婚の方便として行はれてゐたのである。女子高等師範の如きも、行く行くは男子の扶養を受ける希望を持つ生徒に滿たされてゐた譯である。さればこそ家政科なるものが、多くの少女を引き付ける事が出來たのであつた。然るに社會の進歩は漸次に婦人をして斯かる希望より遠ざからしめた。家政科よりも、文科、理科の希望者が多いと言ふ現象は、即ち斯くして生じ來つたのである。


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