女子教育と社會

高畠素之


女子教育界の耆宿下田次郎氏は、讀賣新聞紙上に、其意見を述ベて、日本の女子教育が歐米に比し何うしても二十年位遲れてゐると言ふ事を痛嘆された。

氏の言はれる通り『婦人は單に婦人であるといふ事丈けで昔は男子の保護を受けて大體安全に生活して來たが今日は必ずしも男子の保護のみに依頼する事が出來なくなつた。』それ故斯かる社會に處す可き現代の婦人は、男子と同樣に自己の實力を養ひ、生活上の手段を得る爲めに勉強す可きであるにも拘らず、日本に於いては今も尚教育を單なる結婚の方便として居る。從つて女子教育は甚だしく緊張を缺いた間の延びたものとなつて居り『その進歩の跡を見ると、殆んど符節を合せた樣に、歐米女子教育の進んで來た途を進んで來てゐる』にも拘らず、日本の女子教育は歐米のそれに比べて、約二十年程遲れてゐると言ふのである。下田氏の殘念がられるのは即ち此點で『十一年度には父兄も子女も、教育者も大に努力して、此遲れを挽回しなければならない』と言ふ。

實際、婦人が男子の保護に依頼し得る可能性は、年と共に減少して來た。啻に生産組織の進歩が、婦人の勞働機會を多からしめる計りでなく、生活難や、その個人主義的要求に基く男子の晩婚化は、漸次に上流の婦人までを經濟的に獨立せしむる事となつて來たのである。これまでは家庭に閉ぢ籠つて墮眠を貧つてゐた婦人も、冷酷な社會の中に生活の爲め戰はねばならぬと云ふのが、今日の有樣である。斯かる傾向に對應して行くには、婦人も亦男子と同樣生活上の實力を得る爲めに教育を受けなければならない。從來の如く結婚の一資格として形式的な教育を受くるに甘んじてゐる事は出來なくなつたのである。

然し乍ら、斯くの如き社會の傾向は歐米に於いては一層甚だしい。それは歐米に於ける社會の發達程度、即ちその資本主義化が日本よりも一層甚しい爲めである。歐米の女子教育が斯かる社會の傾向に適合したものである以上、日本の女子教育に較べて著しく進歩してゐる事は、當然の現象だと言はなければならない。

元來、教育と言ふものは、其時代の經濟關係を反映し、社會の要求に迎合して變化し發逹するものである。然るに社會の經濟的發達は、常に同樣の經路を踏み同一の法則に支配されて發達するものである。日本の女子教育が『符節を合す樣に』歐米女子教育の發達した跡を辿つてゐるのは、恰も日本に於ける社會の發達が、資本主義の進行が『符節を合す樣に』歐米の跡を辿つてゐる所から生ずる避け難い事柄である。それ故、女子教育が歐米に比べて二十年遲れてゐると言ふ事は、直ちに日本に於ける資本主義の進行が、歐米に比べて二十年以上遲れてゐると言ふ事を明かに證明する事となるのである。

下田氏の痛嘆される此女子教育の差異は、賚本主義の進行程度が異る以上、當然避く可からざるものであり、東西の資本主義が全く同一程度に發達する迄は、決して挽回す可らざるものである。如何に『父兄と子女と教育者』とが努力するにしても、斯かる社會の發達程度の差異を超越する事は出來ぬ筈である。然し乍ら守舊的である事を原則とする教育界に、下田氏の如く女子教育が生活上の手段として、眞劍に行はれなければならぬ事を説く人が表はれた所を見ると、日本の資本主義も次第に歐米の跡を踏んで進んで來た事が肯かれ、從つて日本の女子教育が漸く眞劍になつて來た事が測り知られる。


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