觀念と現實

高畠素之


婦人平和協會の幹部である塚本濱子氏は、世界平和の思想を日常生活の上にも徹底させ『日本の狹い道徳を廣くしたい』と云ふ協會の目的の爲めに、平和思想の普遍化を計り度いと新聞記者に語つてゐる。

この目的の爲めには、例へば『子供が机に頭を打つて泣き出した時に「この机が惡いのですよ」と言つて、罪もない机を打つたりして、其子供を慰める』と言ふやうな習慣を改め、日常の道徳をも改良しなければならぬと言ふのが氏の意見である。何故斯かる習慣を廢止しなければならぬかと言へば『それは子供の復讎心を煽る素となり、此精紳が増長すると、矢張り獨逸が憎かつたり、米國が憎かつたり』して來るのだからださうである。

平和思想の徹底も、日常道徳の改良も甚だ結構であらうが、すべての思想や道徳は、社會に於ける事實の示す傾向に從ひ、若しくはそれを代表してゐる場合にのみ實在性を有する。今日の社會に於ける事實が、平和思想や基督教的道徳と全く矛盾してゐる以上、机を打つ習慣を廢止する位の事で、平和的感情が養はれたり、復讎的な道徳感が改められたりするものであらうか。復讎の感情は決して机を打つ習慣などに依つて養はれて來たものではない。よし斯かる習慣の中に成長する事ありとしても、目前に經濟的反目、人種的鬪爭の事實が存在する限り、何うして復讎心を煽られずにゐられるであらう。日本人の道徳觀念が狹いにせよ廣いにせよ、斯かる道徳觀念の存在を必要とする事實が存在してゐる以上、それは決して基督教婦人達の運動に依つて變化せしめられ得るものではない。

平和論者の安住してゐる觀念の世界と現實の世界とは全く異つたものである。觀念の世界で、彼等が如何に躍起となつてゐやうとも、それは毫も事實を動すものとはならないのである。


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