泰平無事の三ケ日

高畠素之


新聞の傳へる處によると、今年の正月は極めて泰平無事に過ぎた。三ケ日の間警察事故など殆んどなく、最も人出の多い淺草公園でさへも喧嘩沙汰一つ無かつたと言ふ事である。

これまでは正月とさへ言ヘば、千鳥足の年賀客か、一杯氣嫌の若い衆などが、至る處の通りを右往左往して居り、酒に付きものの喧嘩騷ぎなどが頻々として持ち上つたものである。然るに近來は、街を行く醉漢の姿も、喧嘩口論の數も減つて來た。そして賑やかな悠長な正月の姿は次第に失はれて來て、今年の樣に恐ろしく泰平無事に過ぎる事さへある樣になつて來たのである。

これは世間でも普通に言つてゐる如く、世の中が世智辛くなつて來たのと、人間が段々利口になつて來た事から生ずる現象である。人間の生活から一切の情熱的部面が失はれ、すべての行爲が理智的になつて行く爲めに生ずるものなのである。斯くして人間生活は科學的となり、機械的となつて行く。――これは吾々人類が當然辿らねばならぬ過程であり、社會進化が生む所の避け難い現象である以上、是非善惡の評價を加へる事は許され得ない事ではあるが、然しあまりに社會が打算的、機械的となつて靜まり返つて行くのを見ると、つひ酒でも飲んで喧嘩の一つもして見たいと云ふ謀反氣が起るのを防ぐ事が出來なくなる。


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