酬はれざる兵士

高畠素之


新たに編纂された國定小學讀本の『一太郎やあい』と言ふ文章は、日露戰爭當時四國の多渡津港で岡田梶太郎と言ふ貧しい農夫が、一人の老母を殘して出征する時の悲痛な、而も壯烈な光景を綴つたもので、其岡田と言ふ兵士が、今は癈兵となつて香川縣中多度津郡の山中に貧しい生活を續けてゐる事が分つた。

何時も斯う云ふ事件がある時の慣例通り、縣知事とか郡視學とか言ふ人々が出て來て、矢鱈に最大級の贊辯を竝べ立てるので、十月初めの新聞は此話で可なりに賑はされた。

梶太郎母子の行爲は勿論賞贊す可きであらう。然し吾々が是に依つて最も多く考へさせられる所は、斯くの如き忠勇な兵士も、卑しき兵卒である限りは可なりの奮鬪をしてゐるにも拘らず、或は銃彈の貫通を受け、或は手指全部の自由を失ふ等の負傷をしてゐるにも拘らず、凱旋の後には貧しい悲慘な生活を送らねばならぬと言ふ事實である。

この話が公表されてから、自責の念に耐え兼ねて、その受くる恩給を全部岡田親子に贈る事とした豫備主計がある。彼れは目下三菱にゐるさうで、陸軍から子飼ひにされながら何等の奉公もせずに豫備役となり、恩給を受けながら一營利會社の使用人となつてゐる事に、近來甚だしい煩悶を持つに至つたのだと言ふ。

士官である事と、兵卒である事との相違に依つて、この二人に與へられた運命は、如何に著しい相違を示してゐる事であらう。多額の恩給を受けながら、營利事業に奔走してゐる士官の多い今日、傷ついた兵士、忠良な兵士の多くが街頭に飢えてゐるのは何と言ふ矛盾であらう。この主計の決心を見て、自ら慚愧に堪えない者も多い筈である。願はくば一將功成つて萬骨枯ると言ふ言葉を、吾等の辭書より抹殺する事にしたい。


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