此子、此母

高畠素之


鳩山一郎君は議會の食堂で、其柔道二段の腕を振つて鈴木富士彌君を撲った。吾々田夫野人なら兎に角、人物が人物であり、場所が場所柄だけに騷ぎは一層大きくなり、檢事局が起訴するか否かと云ふ事が、しきりに問題となつた。

彼は亡父の威光で政友會内部に相當の地位を占めてゐる計りでなく、賢母良妻二つながら備へた幸福者であるが、女子教育界の大立物である道徳堅固の賢母の教養にも似合はず、瓦斯、滿鐵等の疑獄が起る毎に兎角の噂を生む上に、選擧運動の陣頭にまで立つて侍いて呉れる『良妻』を持ち乍ら、品行頗る不良だとの事で有名になつてゐる人物である。

此不肖の我儘息子が、議會で不意打ちの腕力を振つたと云ふ丈けでも聞き捨てにならない事だのに、賢明なる可き『賢母』が一緒になつて憤慨し『女でもあたしや撲つてやり度い位です』と傳法肌の啖呵を切つて居るに至つては、愈々以つて聞捨てならない事件である。亡夫と吾子の自慢に沒頭し自分等だけが修身の教科書ででもあるかの樣な顏をしてゐる癖に、我子が不法な暴行沙太に及んで歸つて來たと言ふのに、別室に招じて戒るかと思ひきや――春子刀自は亡夫が女遊びをして歸つて來た時には、別室に招じて懇々と忠言を述べるのを常としてゐた事を平生自慢話の種にしてゐるのである。――よくも敵を打つて來たと言はん計りの顏をして居る處を見ると、成程此母にして此子あり、一郎の日頃の行爲も、不肖の一言で片づける譯に行かぬと云ふ事を感じさせられる。


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