不徳義呼ばり

高畠素之


鳩山母子が鈴木富士彌君を、不具戴天の仇敵のごとく惡罵してゐるのは、鈴木君が嘗つて鳩山家の書生をしてゐた癖に、代議士等になつて主家の若樣をやつけたと言ふ一事にあるさうだが、吾々は書生といふ家庭的勞働者とその使用主との關係を、普通の勞働者と資本家の關係以上に見る事が出來ない。書生と主人とを結ぶ唯一の紐帶は、單なる勞働力の取引に過ぎないのである。小規模の工場程、温情主義的施設が整つてゐる處ほど、勞働者對資本家の關係が密接になつてゐるが、如何に小規模にしろ、温情主義的であるにしろ、工場勞働者が資本家に反抗する場合を恩義に背くものと言ひ得ない以上、鈴木君が如何に一郎君を取つちめたからと言つて、不徳義呼ばはりの出來る筈がない。

書生と言ふものは、昔の食客といふ主從的關係の形式の下に、低廉な賃銀でその勞働力を提供する處の勞働者である。如何に主人と密接であらうとも、それは多くの場合温情主義に終るものであつて、その代償には低廉な賃銀を受けて働いてゐるのである。鈴木君と鳩山家との取引關係は、とうの昔に完了されて了つた筈で、今日彼れ是れ言ひ得るものではない。若し鳩山家がそれを今持ち出すと言ふならば、鈴木君は書生時代の提供して置いた賃銀以上の勞働力に對して、明かに清算して貰ふ權利がある。

こんな啖呵が通用するなら、勞働者の反抗運動が一切不徳義である計りではなく、資本家階級の御曹子連は、プロレタリア出の敵手が現はれる毎に、不徳義よばはりの大見得が切れる事になる。


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