盲と眼明

高畠素之


東京驛頭に弔旗を飜して出迎へる者があるとか何とか云ふ騷ぎの中に、徳川全權は米國から歸つて來た。そして東京驛の貨物取扱口から姿を表はし警視廳の自動車に護衞されて歸邸した。

其癖彼れが新聞記者を引見した場合には『成功も失敗も見やうで違ふ。盲千人眼明千人の世の中だから、批評は諸君の自由に任せる』と大きく構ヘた。小笠原島の防備まで制限して來た彼等の成績を成功と見るか、失敗と見るかは今日殆んど一定してゐる樣である。さればこそ弔旗騷ぎも起つたのであらうが、盲千人眼明千人ではなくて、國民の大部分が盲であり、この成績を失敗と見てゐると言ふ事は、徳川公には御氣の毒ながら又せめてもの慰めであり、不幸中の幸とでも言ふ可きであらう。


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