勞働階級の名

高畠素之


上陸禁止命令を出したり、警保局長が威勢のいゝ啖呵を切つたりした、問題の産兒制限論者サンガー夫人も愈々來朝した。

理屈の上から考へれば、産兒の制限は勿論現在の資本主義と合致する事の出來ぬものである。政府が周章狼狽するのも、警保局長が怒るのも全く無理のない話で、實際夫人の主張が普及しては、資本主義の發展もバツタリ止らねばならぬ事になる。さうなつては政府や資本家が困る計りではない。勞働階級自身もやがて避姙によつて救はれる當面の苦痛以上の間接の苦痛を負擔しなければならないことになる。即ち資本主義社會が無限に續くからである。

處が安心な事には、サンガー夫人の理屈などと言ふものは、決して勞働階級に普及する見込のないものである。それは丁度世帶の會の活動や、國立榮養研究所の研究が、慌しく且つ不安な勞働階級の生活に何の交渉も無いやうに。

然しサンガー夫人やそのお弟子さん達は、しきりに勞働者の爲めにと云ふ事を叫んでゐられる。一寸聞くと如何にも勞働階級の實用に適しさうな話しだが、巡査を材料に榮養の研究を計り、安價食物の調理法を發表しようと云ふ榮養研究所の仕事と同樣、それは結局有閑階級の飯事にしか役立たないのである。日傭勞働者の女房が、外に用のない奧樣と伍して、榮養研究所ヘ日參する譯にも行くまいし、避姙法の研究に浮身をやつしてゐる譯にも行くまい。

して見ればサンガー夫人の來朝は、政府にとつても勞働階級にとつても、何等の脅威となるものでないが、不思議なのは金もあり暇もある人々が、滔々として勞働階級の爲めと稱する運動を始めて來る社會的傾向である。世帶の會、榮養研究所、産兒制限運動、文壇プロレタリア運動等の全部が、勞働階級とは全く縁の無い人々によつて行はれてゐると云ふ現象である。

これ等の運動には固より夫々異つた處の個別的原因もあらう。然し其全部に共通してゐる原因は、有閑階級が安閑として徒食してゐる事に對する、若しくは勞働階級とは隔絶した優越な生活を營んでゐる事に對する良心の苛責にあるのではなからうか。勞働階級の爲めに、何等かの貢獻をしようとしてゐると云ふ、温情主義的安心を求めんが爲めではなからうか。

果してさうだとすれば、勞働階級こそ善い面の皮である。吾人は近時流行するやうなプロレタリア崇拜狂ではないが、有閑階級の氣休め的遊戲を濫用す可く、勞働階級の名は餘りに神聖過ぎる事を思はずにはゐられない。


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