高畠素之
日本では人種平等論が盛である。人種の差別を撤廢せよとか、人種待遇を平等にせよとか云ふ叫びは、日本人が常に口にするところである。そしてかゝる平等無差別の人種觀の上から、加州に於ける排日運動が甚しい無道であると罵られ、加州米人の態度が非人道的であると叫ばれてゐるのである。
これ等の人種平等論を聞いてゐると、日本こそは有色人種の樂園であり、劣等人種にとつて絶好の避難所であるかのやうに感じられる。ところが、平等論全盛の日本は必ずしも有色人種の樂園でない。日本人の人種平等論は、白色人種と日本人種とのみに適用さる可きものであると見えて、避難所のごとく感じられる此の日本に於いても、より劣等なる人種は常に迫害されてゐるのである。
近來に至つて、支那勞働者の日本に渡るものが甚だ多くなつて來た。東京に於いても、既に百七十名以上の支那勞働者が在住して居り、今後益々増加す可き傾向がある。これに對して日本は如何なる待遇をしてゐることであるかと云ふに、それは加州に於いて邦人勞働者が受けつゝある待遇と聊かも異るところがないのである。
即ち日本政府は明治三十二年の外國勞働者入國に關する勅令に基いて、これ等の支那人を退去せしめるに努めてゐるさうである。その實際の理由は、彼等が『何づれも極めて低廉な生活費で衣食し、從つて賃金も安く内地勞働者の失業問題に惱んでゐる際、兩者の間に種々紛擾を來す虞れがある』からだと云ふ。これは加州に於いて邦人が排斥される理由と、聊でも異るものであらうか。三月末に來朝した米國の排日論者テーローは新聞記者に對し『在米の日本人は餘りに勉強で生活程度が無秩序に安價なので』、自國民保護の爲めに餘儀なく排斥するのだと語つてゐる。
文化の程度が劣つてゐる國民は、必ず生活程度が低いものである。從つてその賃銀も低廉でいゝ事となるのである。米國人よりは日本人の賃銀が安く、日本人より支那人の賃銀が安いのは、極めて自然的な事實である。そしてすべての企業家が、能ふ限り賃銀の低廉な勞働者を得ようとしてゐる今日、米國に於いて日本勞働者が米人勞働者の脅威となり、日本に於いて支那勞働者が邦人勞働者の脅威となるに不思議はない。
して見れば、米國に於いて日本勞働者が排斥されるのは、避く可からざる事である。嚴乎たる經濟的理由は、生なかな平等論や人道主義で覆し得るものではない。然るに日本人は、愚にも付かない人種平等論で、この經濟的事情に反抗しようとしてゐるのだ。そこで、日本こそは劣等人種の樂園であるかに見えて來る。支那人排斥は一體何うしたものだ、と云ふ揚げ足もとられることになるのだ。
人種による差別待遇は、是非善惡の外である。止むを得ない事實である。米國の排斥が非人道であるならば日本の支那人排斥も非人道である。日本が正當ならば、米國も亦正當なのである。人種平等論の眞諦がより文化的なる人種に差別の撤廢を求むることにない以上、日本の平等論者が今後米國の不平等を責むることは、斷じて許されざる不合理である。人種平等の樂園は今日に於いて結局夢想である。人種平等論の盛んなる日本に於いてすら、許されなかつた樂園が一體何處に許されるのであらう。
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