時代の犠牲

高畠素之


東京の雜誌小賣業者は近來著しく盛になつて來た雜誌回讀會を商賣敵として非常に迫害してゐるやうである。初めは回讀會も雜誌販賣組合の會員であつたものを、二三年前よりこれを除名し、更に彼等には雜誌の卸賣を爲さざる事としたが、組合員の中で規定に背いて雜誌の提供をするものがあつたとて、一と紛擾起し結局卸賣ならずとも、同種の雜誌二册以上を販賣することを嚴禁するに至つた。

雜誌購買の塗を絶たれては、回讀會の仕事も上つたりである。そこで回讀會側と組合側とはそれぞれ辯護士を頼んで裁判沙汰まで起してゐると云ふことである。

雜誌の回讀は讀者側にとつて、相當に便利なものである。今日のごとく雜誌の種類が殖え、定價が高くなつて來ては、この低廉にして多數の雜誌を讀み得る機關が益々發達するのは當然の勢ひである。小賣業者にとつて打撃であればとて、自然の勢ひを阻むことは結局不可能であらう。新らしい機關が表はれるごとに、古いものが犧牲にされることは避け難い所である。

小賣業者があらゆる手段を巡らして、回讀會を迫害せんとしてゐることは、自然の勢ひを阻むものであり、社會進化の傾向に反抗せんとするもので、恰も産業革命による機械工業の出現に對して、手工業者の群れが反抗の舉に出でたのと同一轍である。小賣業者の立場が、如何に苦しからうとも、社會進化の犠牲である以上甘んじて從ふの外はない。それは如何に反抗しても結局徒勞に終るの外はないからである。


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