新編『批判マルクス主義』附記

凡例

  • 底本の選定は以下の編集説明を参照されたし。
  • 底本の漢字は、jis第二水準以内の漢字は一律に旧字に改めた。
  • 底本に新字体(当時の略字)が用いられている場合も、jis第二水準以内の漢字は一律に旧字に改めた。
  • 仮名遣いは底本に依った。
  • 二字の踊り字は、一々注記せず、一律に文字に置きかえた。但し「ゝ」「ゞ」「々」はそのままとした。
  • 原文に見られる明かな誤植・誤字は、注記せずに直した。但し意味として通じる場合、或いは高畠氏自身の用字と思われるものはそのままとした。

底本

  • 著 者:高畠素之
  • 發行者:鈴木利貞
  • 印刷者:竹内喜太郎
  • 印刷所:日清印刷株式会社
  • 發行所:株式會社日本評論社
  • 定 價:壹圓八拾錢
  • 昭和四年九月五日印刷
  • 昭和四年九月十三日發行

編集説明

ここにテキスト化するものは、現行本『批判マルクス主義』そのものでないことを、先ずもって明らかにしておく必要がある。テキスト化において書名に新編の二字を附加した所以はここにある。

本テキスト化に際し、わざわざ新編と題して新たに編成替えを行ったのは、それほど深い理由があってのことではない。端的に高畠素之の旧稿に返して見たいという、ごく平凡な動機からである。ならば旧稿に返すとは何を意味するのか。ここに現行本『批判マルクス主義』の成立経緯を少しく説明しておく必要がある。

現行本『批判マルクス主義』は、その編者である小栗慶太郎氏の記す所の序文に従へば以下の通りである。先ず大正十四年の中頃に、高畠素之が『批判マルクス主義』と題する草稿を完成させた。これは序文・目次の外、活字指定も為された、謂はば完成された所の書物であった。この旧稿は批判・主張・飜訳の全三篇よりなり、彼の国家社会主義の理論を比較的体系的に論じたものであった。而るに高畠素之はこれを出版せず、昭和三年年末に自身が長逝するまで、眠ったままになっていた。ところが高畠素之の没後、門下がこの書を見つけ、時宜に適うものと判断し、日本評論社より昭和四年に刊行することになった。然るに門人は出版に際して、諸般の事情により幾つかの改訂を施したのであった。

改定点は次の如きものであったという。第一に、旧稿第三篇「飜訳」を全然破棄した。この中には「カウツキーの『デモクラシー論』其他の飜訳が収められてゐた。」削除の理由は「先生の編成後可なり時日が経過してゐる。飜譯篇を存するよりは、寧ろ其後の論策を加へた方が有意義であらう」と考えたからで、「出版者側からも飜譯篇削除の申出があつた」故に削除したのであると。

第二に、旧稿第二篇「主張」中の「日米問題批判」を削除した。これはもともと『週刊日本』第六号に収録された「日米問題批判―デモ非国民の罪を鳴らせ―」を指すと考えられるが、削除の理由は「聊か喧嘩過ぎての棒ちぎりに墮する憂」もあるからだという。

そして第三の改訂点は、第一篇「批判」と第二篇「主張」に高畠素之の「其後の論策」を加えたことである。即ち第一篇「批判」に、現行本の第九章として知られる、「資本主義と営利」なる章を加えた。次に第二篇「主張」に、現行本第三章「国家社会主義の必然性」と、第九章「軍国主義」以下第十六章に至るまでの全九章が増補された。小栗氏の言に従うと、「新たに添加したのは、第一部の九節、第二部の三節及びその九節以下である」と。こうして現行本『批判マルクス主義』は出版された。

さて、私は何も小栗氏の編集にケチを付けたいわけではないし、高畠の思想が断絶的に前後分かたれていたとも思わない。ただ現行本を通読するに、どうしても第二部増補部分に違和感があった。これは高畠自身に思想的変化があったと見做すべきかどうかという大袈裟な問題ではなく、端的に増補部分の文章の主張がきつい感じがするのである。この所感がわざわざ新編を編纂する理由なのである。以下、新編の編集方針を明らかにしておく。

先ず現行本編者序に埋もれている高畠の序文を抜き出して冒頭に掲げる。次に現行本編者序に従い、旧稿『批判マルクス主義』該当部分を抜き出し、章番号などを振り直した上で、第一編第二篇として配列する。次に旧稿所収の削除論文及び飜訳を増補第三編として配置する。最後に現行本増補部分を、現行本目録を含めて、第四編として附加するというものであった。しかしこの作業には幾つかの問題点にぶち当たった。

先ず第一編の処理について。小栗氏の編者序とその中の高畠自身の付記に依ると、現行の完成は大正14年6月24日であるという。現行本第二篇の旧稿部分は何の問題もない。所が第一編の旧稿部分には――出典未確認の一論文を除いて――、三つの論文が大正14年6月以後に書かれたことになっている。この内、『急進』所収論文は、私が確認出来ていないので、何等かの誤りという可能性もある。そこで問題なのが、現行本第一編第十章の「地代論と農民問題」なる一章である。これは『農政研究』と『文藝春秋』との二書にほぼ同内容の文章があるが、何れにせよ昭和二年である。編成替えに於いて、そのまま第九章を第三篇に廻すことも可能であるけれども、今回は武断に次の空想の下に編成をおこなった。即ち年代的に問題のない第九章「資本主義と営利」を旧稿と見做し、第十章の「地代論と農民問題」を増補とし、現行本第十章を新編の第三篇に移すことにした。

次に問題なのが第三編の旧稿削除部分である。先ず小栗氏の序文に見える日米問題批判は、『週刊日本』所収論文であろうから問題ない。またカウツキーのデモクラシー論などの飜訳部分の「デモクラシー論」は、恐らく『解放』誌上に飜訳掲載した「社会主義とデモクラシー」(『解放』第四巻第二号)を指すと思われる。しかし小栗序文には、「「カウツキーの『デモクラシー論』其他の飜訳」とあり、一篇の飜訳ではなかったことが分る。もしかすると「デモクラシー論」と同時期に翻訳されたカウツキーの「階級独裁と政党独裁」(『解放』第四巻第三号)及び「労働者とは誰か?―普通選挙と労働者選挙―」(同第四巻第六号)かもしれず、あるいは全く別のものやもしれず、現時点では不明とせざるを得ない。したがって第三編の旧稿部分については、「日米問題批判」とカウツキーの「社会主義とデモクラシー」の二篇のみを補足することにした。

最後に現行本改訂時に増補された部分の処遇である。本来ならば、旧稿にもどすべく削除すべきであろうけれども、私の経験上、そういうことをすると大変不便になる場合が多い。そのため今回はこれもテキスト化して増補することにした。テキスト化に際して、初出論文と綿密な校勘を付すのが妥当であるが、私の力及ばず、大半の論文が初出不明であったため、今回は初出論文の確認できた現行本第十章のみを校勘することとした。なお新編に際し、現行本の目録を附加したため、現行本の章番号は一切破棄し、新たにふり直した。

以上が今回テキスト化した『批判マルクス主義』の編集方法である。

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