6 『プロレタリア國家』の論理的破綻

高畠素之

エンゲルスの要領記

マルクス國家論を論評するには、エンゲルスが其著『反デューリング』の中に與へた有名な國家概説の一節を引き合ひに出すことが便利である。此章句は嘗て石川準十郎、茂木久平の兩君も翻譯されたことがあるが、英譯の臺本がそれぞれ違つてゐたと見え、譯文に些か一致しない點もあるので、私はドイツ原本(第三版第三〇二頁)から譯出して見る。

『プロレタリアは國家權力を奪取して、先づ生産機關を國有にする。然しながら斯くすることに依つて、プロレタリアはプロレタリアとしてのそれ自身を廢絶し、一切の階級差別及び階級對立を廢絶し、隨つて又國家としての國家を廢絶する。從來の社會は階級對立の範圍内に動いてゐたものであるから、隨つて國家を必要とした。國家とは要するに、夫々の時代における搾取階級が其外部的生産條件を維持し、特に又、被搾取階級をば當時存在せる生産方法に依つて與へられた壓伏條件(奴隷度、農奴制又は隷農制、賃銀勞働制)のもとに強制的に抑置せんがための一機關である。國家は全社會の公的代表であつて、社會全體を目に見える一團に總括せるものであつた。けれども之れは、國家が、夫々の時代にみづから全社會を代表せる階級の國家であつた限りに於いてのみ、行はれたことである。即ち古代に於いては、國家は奴隷所有者たる市民の國家であり、中世に於いては封建貴族の國家であり、現代に於てはブルヂォアの國家である。國家は遂に事實上全社會の代表となつた時、それ自身を不用に歸せしめる。壓伏すべき何等の社會階級も最早存在しなくなるや否や、階級支配が廢絶され、從來における生産上の無政府を基礎とした個々の生存競爭が廢絶されると同時に又、これに基ける諸種の衝突や過冗が除去されるや否や、最早特殊の壓伏權力たる國家を必要とする所の、壓伏せらるべき何ものも存在しないことになる。現實に於いて國家を全社會の代表たらしむる最初の行爲、換言すれば社會の名においてする生産機關の占取は、同時に又國家が國家としてする最後の獨自的行爲である。社會事情に對する國家權力の干渉は、一つの部面から他の部面へと次第に不用となり、遂には自然に寢入つてしまふ。人に對する支配に代つて、物の管理と生産行程の指導とが現はれて來る。國家は廢止されるのではなく自滅するのである。』

ブルヂォア國家とプロレタリア國家

以上の叙述を見て、先づ不審に耐へないことは、最初、プロレタリアは國家權力を奪取し生産機關を國有にすることに依つて、『國家を廢絶する』と説いて置きながら、後には『國家は廢止されるのではなく、自滅する』のだと説いてゐる事である。廢絶(アウフヘーベン)と廢止(アプシァッフェン)と言葉は違ふが、意味は同じである。要するに國家は廢止されるものであると同時に、又廢止されるものではなく自滅するものだといふ事になる。これは矛盾ではなからうか。

從來、社會黨内のオポルチュニスト達は、此『國家は廢止されるのではなく、自滅する』のだといふ一句を楯にしてマルクス主義は無政府主義の如く國家を『廢止』せんとするものではなく、徐々の改良に依つて國家の『自滅』を期するに過ぎないといふ非革命的なブルヂォアかぶれの漸進主義を支持して來たが、それは『極めて皮相淺薄な、ブルヂォアにとつてのみ有利な』解釋であり、マルキシズムを『不具化』するものであると、レニンは言つてゐる。レニンに依ると、國家自滅の結論は、國家廢止の序説と相須つて、茲に始めて完全なるマルクス國家論を形成する。即ち廢止されるといふのは、プロレタリア革命に依つてブルヂォア國家が廢止されるといふ意味であり、自滅するといふのは、社會主義的革命の實現後に、當時尚殘存せるプロレタリア國家が自滅するの意味であると言ふ。

レニンの腹

成る程、うまい解釋を與へたものだ。だが斯う解釋すると、眞の國家は革命に依つて廢止されるものであつて、自滅するといふのは實は眞の國家ではなく國家の痕跡、又はホンの國家らしい殘骸だけだといふ事になりはしないか。現にエンゲルス自身も、プロレタリアの國家權力掌握に依つて『國家としての國家』が廢止されると言つてゐる。『國家としての國家』が廢止されたとすれば、あとには國家としての何ものも殘らないことになるではないか。だから『國家としての國家』が廢止された後に、尚ほ『自滅する』といふ國家、即ち『プロレタリア國家』と稱するものは、實は國家ではなく、單に國家らしいといふ程のもの、レニンの言葉を借りていへば『半國家』(ハルプシュタート)に過ぎないのである。

だが、斯う解釋すると、又一つの疑問が湧いて來る。エンゲルスは右の叙述の中で、先づプロレタリア革命を論じ、次に國家本質論に移つて、國家とは要するに搾取階級が『被搾取階級をば、當時存在せる生産方法に依つて與へられた壓伏條件のもとに強制的に抑置せんがための一機關である』と斷じ、最後に斯かる本質を有する國家は、國家が事實上全社會を代表するに至つた時、息を引きとつて自滅すると結論してゐる。して見ると、自滅するのは矢張り本質的の國家、被搾取階級壓伏機關としての國家、換言すれば『國家としての國家』だといふことになる。然るに曩の説明に依れば、國家としての國家は、プロレタリアが政權を奪取したとき、すでに廢止された筈であつて、それから後に息を引きとる譯はないのである。

要するにエンゲルスの言ふことは、隨つて又レニンの言ふことも、何が何だか薩張り呂律の廻らない話しになる。

だが、少くともレニンの腹を割つて見れば、結局かういふ事になるのではないか。即ち眞の國家はプロレタリア革命に依つて廢止されるものだ(此點、無政府主義と同じ)。然し廢止されるといふのは單なる議論に過ぎず、實際には國家なくして何事も纏まらない。纏まる纏まらないは兎もかくとして、實際にプロレタリア黨が執權して、ブルヂォアを壓へつけて見たら、厭應なしに又國家が出來てしまつたのだ。此新たに出來た國家は現實に出來てしまつたものだから、議論で以つて何うすることも出來ない。ただ、これに何とか理窟をくつつけてヂァステファイするだけのことはして置かなければならない。そこで『プロレタリア國家』といふ幽靈を擔ぎ出したのだらう。尤も此邊の心理は、マルクスの胸裡にも巴里コンミューン以後殊に著しく働いてゐたらしいが、要するに『プロレタリア國家』といふ概念はエタイの知れないオバケである。國家なるが如く、國家ならざるが如く、國家ならざらんとすれば、又國家ともなるといふ調子で、まことにハヤ困つたシロ物であるが、それも無理はない。問題は用語と用語の混亂ではなくて、搾取は消えても國家は無くならないといふ非マルクス的現實と、國家は搾取支配の體現だといふマルクス的學説それ自身との間の大きな矛盾である。

階級分業觀

そこで飽くまでマルクスにコビリつかんとする限り、マルクス自身に立脚して『國家と搾取との可分性』を求めんとした石川準十郎君の目のつけ所は最も正しい。マルクス國家論を苦迷のドン底から救ひ出さうとするには、此道を進むの外に救路はないのである。然らずんば『プロレタリア國家』なる概念を抛擲して、プロレタリアに依る革命が、同時に又社會革命(生産機關の公有)であつて、それと同時に國家は廢絶されると見る無政府共産主義の標榜に降服するの外はない。

ところが石川君の指示に從つて進んでも、結局は浮ばれない。マルクスの國家觀は、飽くまで搾取國家觀である。それは彼れの唯物史觀から割り出された必然の歸結であつて、問題は唯物史觀そのものに在ることを石川君は忘れてゐる。又もしマルクス及エンゲルスが一面、國家を以つて階級搾取維持のために生じた機關であると限定して置きながら、他の一面に於いて、石川君のいふ如く、階級分裂の原因が『分業の法則』に在ることをエンゲルスが認めてゐるから國家は單なる搾取維持機關でないとすれば、それは石川君が問題としてゐる階級搾取維持の機關としての國家と、階級搾取廢絶の機關としての國家とのヂレンマ以上の大矛盾ではあるまいか。矛盾を以つて矛盾を救ふことは出來ない。

又もし石川君の擧げてゐる階級分業觀が、マルクス國家論にとつて左程本質的なものであるとすれば、何故マルクスなりエンゲルスなりは此見地から出發して端的に國家論を進めなかつたかゞ怪しまれる。要するにエンゲルスの分業階級觀は、マルクス國家論にとつては氣まぐれ的の岐論であつて、マルクス國家論の本質が搾取支配に存することは疑を容れない。

これで本文に言はんとする事は、大方言ひ盡くしたつもりであるが、他を否定するだけで自分の立場を言はないのもヘンなものだから、毎度のことで知つた人は聊かウンザリするだらうが、簡單に述べて置きたい。

國家の本質

國家の本質は統制(支配)にある。統制は搾取に先行する。如何なる社會にも、統制の機能が發動する。社會を一つの秩序として見れば、統制は即ち法的秩序であつて、社會生活の形式的方面を構成する。一つの地域結合社會の發達が進んで、此統制機能及び法的秩序が分化自立したとき、茲に始めて國家が成立する。國家の成立は、社會的統制機能の分化した結果である。

此本質的國家の成立後に、搾取被搾取對立の事實が出現する。搾取階級は既存國家の機能及機關を利用して搾取の維持と被搾取階級の壓伏とに役立たせる。かくして搾取は統制と結合し、茲に特殊の國家形態が生じて來る。

プロレタリアの政權掌握は、生産機關を國有たらしむることに依つて、搾取被搾取對立の事實を廢絶する。それと同時に搾取と結合せる國家形態も廢絶され、國家は本來の統制國家に復歸する。

ブルヂォアを倒せば、マルクス主義の所謂『ブルヂォア國家』なる國家形態は倒れる。然しながら、それは『國家としての國家』が廢絶されるのではなく、寧ろ『國家としての國家』の再確立を意味するのである。此過程の間に、『プロレタリア國家』なる概念を容るべき餘地は寸毫もない。

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