4 帝國主義の歸趨

高畠素之

帝國主義的衝動

國にして帝國主義的ならざるはなしとムッソリーニはいつた。然し帝國主義をこのやうに廣義に解するならば、單に國家だけでなく、人にして帝國主義的ならざるはなしともいへる。如何なる人にも大小強弱の差こそあれ、優越衝動、名利慾がある。自己の優越を他に誇示し、自己の名利を伸張しようと考へない者はない。この衝動欲望の發動は、自然、他の勢力圈内を侵して自己の勢力範圍を伸張することになるのだから、この意味では如何なる人間も帝國主義的でないものはない。

商人が自己の販路に擴張につとめるのも、學者が他に先立つて新説を發表し獨創を誇示しようと努めるのも、みな帝國主義的本能の發動といひ得る。一國がその國威を發揚し、領土を擴大し權益の増進につとめるのも、やはり帝國主義的衝動の發動といひうるであらう。この意味で、帝國主義は人類と共に古く、歴史と共に現れてゐた。かの古代ローマ、マケドニヤの如きは、みな帝國主義的本能を極度に發露したものであつた。然し、近代、ことに最近時に於ける帝國主義は、同じ衝動から現はれてゐるにしても、又一面に特殊の歴史的意味を帶びてゐる。つまり資本主義經濟の爛熟と表裏してゐるのであつて、今日普通に帝國主義といふ場合には、この後者を指すのである。

利潤實現の困難

近頃、社會主義的論客の間には、しきりに資本主義の行詰り、帝國主義の行詰りといふことが論ぜられてゐる。今日の帝國主義的趨勢は果して行詰りに到達しつゝあるか、又到達しつゝあるとすれば、行詰りの結果はどうなるか。元來、資本主義經濟が爛熟状態に達するにつれて、帝國主義的になるといふのは、何ういふ譯であらう。資本主義の發展といふことは、一面からいふと、資本の蓄積集中を意味する。資本が蓄積集中するにつれて、資本の唯一目的たり指導動機たる利潤の率が低下して來ることは、マルクスの認める如くである。だから、資本主義經濟の發展をそのまゝ放置すれば、利潤の率は次第に低下して來て結局資本主義は自繩自縛に陷ることになる。然し個々商品の販賣によつて實現される利潤の率は低下しても、より多く商品が生産され、其生産物のすべてが賣捌かれるなら、利潤の率の低下は販賣量の増大によつて埋合されるから、結局、資本の得る利潤總量は減少せぬことになる。捌かれる商品の量の増大が、利潤率低下の度合より大きければ、たとへ利潤率は低下しても、資本はその低下をつぐなふて尚餘りある利潤量を得ることが出來る。

ところが、資本の集中が進むといふことは、資本主義經濟の發展の當然の結果であつて、また資本の集中が進めば進むほど、生産は益々大量生産となる。つまり、資本集中が進んで利潤率が低下すると同時に、その低下を埋合はすべき可能たる生産物増加といふことが、當然伴ふ。何故なら、大量生産とはそれ自身、生産物の増大を意味するから。然し、大量生産によつて如何に多くの商品が生産されても、購買者の數の増加がこれに伴はず、または彼等の購買能力の増進が之に伴はぬときは、増大せる生産物は過剩生産物となつて、完全に所期の利潤を實現することが出來ない。

資本の海外販路追求

或程度の人口増加は、各國を通じ大體の傾向であるが、自國内の生産品の購買者數または購買能力の増加が、資本主義の齎す大量生産の増進と相伴はないといふこと、つまり生産過多の可能は、各國を通じて爭はれない現象である。そこで生産品は、何うしても、國外にその販路を擴大しなければならなくなつて來る。販路を擴大するには、その條件として、國威の發揚を要し、自國の勢力圈の擴大を必要とする。つまり帝國主義の國策を必要とするのである。また生産品の販路擴張の半面には、なるべく有利な原料生産地を自己の勢力圈内に抱へ込むことも必要で、それには海外原料地に、鐵道の利權その他種々の權益を握ることを必要とする。斯くして今や列強はみな帝國主義的國策の達成を競ひつゝあるのである。

然るに、海外に生産品の販路を求めることも、初めのうちは差支へないが、時期を經るに從ひ、その販路地には次第に、他から需要品の供給を仰がず自分自身で同一の生産品を作り出す傾向が擡頭して來る。例へば日本綿絲布輸出である。日本綿絲布の最重要な輸出先は支那であるが、その輸出高ははじめ年々非常な増加を示して來た。明治卅五年には總額一千九百五十八萬圓だつたものが、大正六年には一億七千六十萬圓に増加し、大正十一年には更に進んで一億七千九十四萬圓となつた。ところが、この頃から今度は次第に減勢を示し、昭和二年度には一億三千二百六十九萬七千圓に減じた。これは何故かといふに、支那人が次第に産業的に目覺め、徒らに外國製品の供給に頼らず自ら紡績を經營する樣になつたからである。

一九二七年度の調べによれば、支那における綿絲布紡績工場の總數百十九、紡錘數三百六十八萬四千六百八十六、織機臺數二萬九千七百八十八、職工數二十三萬四千五百人、綿花消費高七百六十八萬二十七ピクルである。其中支那人の經營に屬する工場數は七十三、紡錘數二百九萬九千百五十八、織機臺一萬三千四百五十九、職工數十三萬八千六百十三人、綿花消費高四百五十萬四千五百八十六ピクルに及んでゐる。

帝國主義の行詰り

斯ういふ風に、支那人自身の綿紡工場經營が發達して來れば、自然、日本の輸出高は減じて來るわけである。そこで、日本の紡績業者は當然、支那から更に他方面へ販路を擴張する必要に迫られて來る。其目ぼしい販路は英領印度、蘭領印度、アフリカ等であつて、對支輸出高の減少と殆んど同じ程度でこの方面への輸出高が増大してゐる。前記昭和二年の調でも、これ等の方面への輸出高は輸出總額の四割五分を占めてゐる(支那への輸出高は三割一分、それに香港、廣東州を加へても四割三分に過ぎぬ)。

かやうに、或る一定の販路に獨自の産業が起つて、外來品の販路を収縮することになれば、更に新方面に向つて販路を開拓しなければならない。然るに、同じことはやがてその新販路にも繰返されることになり、英領印度にしろ、蘭領印度にしろ、アフリカにしろ、夫々獨自の綿紡經營の起る可能性がある。さうなれば、日本の紡績業は更に地方面へ販路を開拓しなければならなくなる。かくして、結局、資本の海外販路追求は、或る行詰りに達することも必無と云へない。近代帝國主義行詰りの論據はこゝにある。つまり帝國主義はそれ自身の中に行詰まりの胚子をふくむといふのである。然し、この傾向は、社會主義者の主張する如く、さう急速單純に、直線的に進むものではない。何故であるか。

各國資本の競爭

支那人自身の紡績經營が發展して來れば、日本の紡績生産品の支那輸出は減縮するが、それと同時に日本の資本は、投資形態で支那に發展する可能がある。また日本人の經營に屬する支那國内の紡績工場も増加する。前記の一九二七年度の調べによつても支那に於ける日本人の紡績經營は工場數四十二、紡錘數二百八萬三百六、織機臺數一萬五千九百八十一、職工數七萬九千四百廿七人、棉花消費高二百七十八萬五千四百四十一ピクルに達し、日本内地の紡績經營に比較して約二割といふ規模に達してゐる。

斯やうな状態で、若し假りに紡績生産品の新販路が絶對になくなつたとしても、資本そのものゝ輸出が行はれて、上記の如く支那人經營の紡績業と競爭することになる。同一産業部門における資本競爭は内地に於いても、結局實力によつて勝敗を決する。つまり大資本が小資本を壓倒するのである。小資本壓倒の目的を達するまでには大資本は多大の損失を忍び、大々的のダンピングを行ふこともある。海外に輸出される資本も同樣の徑路をたどつて、結局、日支資本の爭ひとなる。この場合日本の資本がヨリ優勢であれば、支那の資本を壓倒して日本の資本の販路を確保することが出來る。だから生産品の販路行詰りから來る帝國主義行詰りは仲々さう直線的に單純に進むものと思はれぬ。

帝國主義的世界統一

結局、世界の大資本國は次第にその數を減じ、ごく小數の國が産業界に覇を唱へ、他の小國は何れかの勢力範圍に隷屬することにならう。それは恰も、内地に於ける小販賣業者が三越その他の大規模の百貨店に牛耳られるが如くであらう。小規模の獨立販賣業は外形だけは從來通りに保存し得ても、實質上は到底大規模營業と對立することが出來ず、結局大規模營業の何れかの勢力範圍に隷屬して餘生を保つに過ぎない。販賣業のみならず、金融業にしても安田、三井、住友などが大部分の勢力を吸収して、他の小金融業者は事實上何れも其どれかに隷屬してゐる状態である。將來世界の形勢も、歸するところ、大資本を擁する、實力を具へた、二三大國の勢力範圍に歸し、他の小國はその何れかに隷屬することになるのではないか。

斯くして世界は、二三大國の勢力均衡によつて帝國主義的に結合され、この意味に於いての世界統一に進むのではないかと考へられる。自由主義的平和論者の考へる如き、各國自立的單位となつての世界聯邦は我々には考へられぬ。尤も上述の如き帝國主義行詰まりが存外早く到達し、資本の自己破滅が急速に實現するなら、或はさういふ状態も、或程度まで現はれないこともなからう。然し、果して斯かる急速な行詰り、自己破滅が來るか何うか。此點はさう簡單に片附けられるべき問題ではないと信ずるのである。

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