經濟學上に於ける主學説

高畠素之

スミス『國富論』

一 スミスの生涯とその思想の發展

『國富論』で通ってゐるアダム・スミスの大著『諸國民の富の性質及びその諸原因の研究』(一七七六年刊)は、當時の經濟學界に異常な刺戟を與へ、他の如何なる著書にも優る關心と賞讚とを喚び起した。スミスの經濟學説全斑を體現したこの書は、彼れの存命中に五版を重ね、殆ど總べてのヨーロッパ諸國語に飜譯されたほど歡迎を博したものである。

アダム・スミスは一七二三年六月、スコットランドのカーカーディに生れた。一七三七年グラスゴー大學に入り、一七四〇年にはオックスフォードのバリオル大學に轉じ、六年の間、數學、自然科學、文學などを學んだ。一七四六年八月、郷里カーカーディに退き、老母の膝下で研究を續けてゐたが、一七四八年エディンバラに移り、同年冬から翌年にかけて、ケームズ卿に勸められるまゝ修辭學及び美文學の公開講演を開いた。

彼れは一七五一年グラスゴー大學の論理學の教授となり、翌年から倫理及び哲學を擔任することになつた。彼れの講義は四部に分れ、第一部は自然神學、第二部は倫理學、第三部は自然法學に關するものであつた。第四部は國家の利益を窮極目的とする政治的規定を檢討し、國家と商業・財政・宗教及び軍事的設備などを論究した。この第四部の講義を發展し完成したものが、即ち後年の『國富論』なのである。

彼れは一七五九年、『道徳情操論』を上梓した。この書によつて、第二部即ち倫理學の講義が可なり補はれることになつたので、爾來その口述教授を短縮し、法學及び國家經濟に關する講義に主力を注いだ。しかし一七六三年、バッグルーグ公爵の外遊に際し、その個人教師となつて、翌年二月パリに赴いたため、グラスゴー大學の教職を辭した。

海外に在る間、彼れは主としてパリ及びツールーに留まつた。彼れがケネー、チュルゴーを初め、當時のフランス經濟學者たるフィジオクラットたちと交つたのはこの頃のことである。彼れが『國富論』を執筆し始めたのも亦、一七六四年ツールー滯在中のことであつた。スミスは一七六七年イギリスに歸り、翌年五月までロンドンに留まつたが、再びカーカーディに退いて『國富論』の勞作に沒頭し始めた。そして、一七七三年には『國富論』の草稿も略ぼ完成したのでロンドンに上り、爾來その訂正推敲に努めてゐたが、一七七六年遂にこれを刊行することが出來た。

一七七七年、スミスはスコットランド税關委員に任命されてエディンバラに居を定めた。一七八七年にはグラスゴー大學總長に推され、一七八九年十一月までその地位に留まつてゐたが、一七九〇年七月十七日卒に永眠した。

スミスの思想生活に著しい影響を與へたのは、グラスゴー大學在學中の教授フランシス・ハッチソン、友人デヴィッド・ヒューム及びフィジオクラット派の人々であつた。

ハッチソンはアントニー・アシュレー・クーパー・シャフツベリーの門下であり、師の倫理哲學を發展し組織化した著名な倫理學者である。シャフツベリーはジョン・ロックの門下で、社會性の本能をば人間の根本的特質であると見做したフランシス・ベーコンやヒューゴー・グロチユースの思想を大成し、道徳意識が人間性に固有なものなることを論證しようとした人である。隨つて、ハッチソンの感化を受けたスミスは、彼れを通じてベーコン、グロチュース、ロックなどの思想を學んだのであつた。そればかりでなく、スミスはまた純粹經濟上の諸觀念、殊に分業、價値、貨幣及び租税等に關する觀念をもハッチソンから傳へられたのであつた。

スミスはまた、一七五二年頃からデヴィッド・ヒュームと親交を結んでゐた。ヒュームは單に、ベーコンやロックの倫理哲學を發展せしめ、それに確乎たる基礎を與へたといふばかりではなかつた。彼れは更に、これをベーコンの望んでゐた通り總べての知識領域に應用したのである。彼れは大著『人性論』(正しくは『道徳問題の攻究上經驗的方法を用ゐる企としての人性論』)の中で、道徳性の根柢が人間の理性ではなく感情に求めらるべきものであることを主張し、特に同情を重要視してゐた。スミスの同情説は、要するに、ヒュームの思想を踏襲して、道徳性に對する心理學的分析を完成したものに過ぎぬ。スミスは道徳性を以て、社會的存在としての人間に内在するところの感性たる同情に存するものとしてゐた。倫理學者としてのスミスは、實にヒュームの最大後繼者であつたと言ひ得る。

イギリスにおける當時の倫理學者は、政治、經濟等の實踐的方面に無關心でなかつた。彼等はいづれも哲學者であると同時に經濟學者でもあつた。隨つてスミスはヒュームからも經濟學に關する幾多の影響を與へられた。ヒュームは何等經濟學上の論著を遺さなかつたが、それは決して經濟學上の造詣が淺かつたからではない。若し彼れがスミス以前に經濟學の體系的論著を公にしたとすれば『國富論』もあれだけの賞讚を博することは出來なかつたであらうと言はれてゐる。ヒュームはマーカンティリズムの影響を受けてはゐたが、しかし外國貿易の必要を認めなかつた譯ではない。彼れはまた勞働を極めて重要視し、一切の富と權力とがその支配し得る勞働量に存することをも説いた。

ハッチソンやヒュームの影響を受けたスミスが、倫理學説の上で利他的觀念を重んじてゐたことは怪しむに足らない。しかし彼れは一方人類の經濟的行爲を以て利己心に基くものとしてゐた。即ち、彼れの經濟學説は、各人の利己的活動が結局社會全體の利益を増進せしめることになるといふ前提の上に打ち樹てられたものである。彼れによると、政府の保護干渉は各人の利己的活動を阻止して、經濟的發展と、隨つてまた社會的利福の増進とを損ふものであつた。

スミスの斯かる自由主義的經濟觀と利他的倫理觀とは、一見甚だしき矛盾であるかのやうに觀ぜられる。そこで經濟學者の中には、スミスの自由主義思想が、『道徳情操論』刊行後フィジオクラット派の影響によつて形成されたものであるかの如く説く者が現はれた。しかし、これはスミスにおいては決して矛盾でない。ベーコン以來の倫理思想は、人間の社會性を強調して、各人の自由な行動が社會的幸福に結果すると見做してゐた。ロックやシャフツベリーは、人間の本性を狼の如きものだとして、個人に對する社會的拘束を重んじたトマス・ホッブスに反對してゐたのである。またハッチソンの如きも、個人の本能的行動によつて「最大多數の最大幸福」が招來されると考へてゐた。

斯かる思想の流れを汲んだスミスが、經濟生活において個人の利己的活動を重んじたのは無理もない。彼れはホッブス流に、個人的利益の追求が社會的利益と矛盾すると考へてゐたのでない。社會全體の利益や幸福が、個人の利己的活動によつてのみ、維持され増進されると考へてゐたのである。スミスは社會生活によつて進歩した相互性及び道徳性が、個人の人格を發展せしめることを強調し、自然的道徳律を束縛するところの「神の法則」の如き強制を排斥したのであつた。隨つて、彼れがその經濟學説の根柢たる自由主義思想をフィジオクラット派から獲たと見做すのは妥當でない。彼れがフィジオクラット派と接觸する以前から自由主義思想を抱いてゐたことは、後年發見されたグラスゴー大學教授時代の彼れの講義筆記を見ても窺ひ知られる。

しかし、經濟理論の各部分において、スミスがフィジオクラット派の影響を受けてゐたことは拒まれない。『國富論』は、年々の國富の源泉として勞働が如何に重要であるかといふことから説き起し、勞働の生産力(隨つて國民の富)を増進する手段として分業を論じ、分業によつて喚び起される交換、交換の媒介たる貨幣、并びに價値を考察した上、物價論を試み、價格の構成要素(スミスによれば)たる賃銀、利潤、地代を究めて、マーカンティリズム及びフィジオクラティを批判した後、財政問題に論及したものである。ところで『國富論』の中で彼れが論究しようとした一國民の「年々の富」及び「年々の勞働」なる概念は、フィジオクラティの影響によつて生れたものと推測される。

スミスは勞働を以て、富の源泉たり價値の尺度たるものだとした。この點において、かの生産力を勞働に歸せしめず土地のみを生産的のものとしたフィジオクラット派とは著しい相違を示してゐる。しかし、スミスが重要だと認めたのは、物の效用を生ぜしめる人間勞働の必ずしも總べてではなく、僕婢、官公吏、自由職業者等の「不生産的勞働」を除いた「生産的勞働」のみであるから、この點においてはフィジオクラット派が支持した使用價値と販賣價値との區別を踏襲したものと言へぬことはない。

地代論についても、彼れは多分にフィジオクラット派の影響を受けてゐる。即ち、彼れによれば、地代が發生するに至るのは、土地から生産される食物が、一種の特權を持つてゐるからである。食物が常に強烈な需要を喚び起す結果、食物生産に充てられる土地の所有者は、常に獨占所得として地代を獲得する。が、食物生産に充てられない土地は、必ずしも地代を生ずる譯でない。何故ならば、彼れによると、生産に投下された資本を回収し、更に資本の利潤を償ひ得るところよりも以上の價格で、土地生産物が販賣されぬ限り、地代なるものは發生しないからである。

このやうに、食物の需要特權を強調して、「食物は啻に地代の本來的源泉たるに止まるものでない。後に至つて地代を生ずる他の一切の土地生産物もまた、價値のこの部分をば、土地耕作の進歩に基くところの、食物の産出に向けられた勞働の生産力の増加に負ふものである。」と説いてゐたスミスは、フィジオクラティにおける地代論の主要な構成部分を採用してゐると言はねばならぬ。

二 國富論の構造

「一國の富と力の増加」を目的とするスミスの經濟學は、理論的方面と實際的方面とにおいて二つの偉大なる功績を遺した。即ち、理論的方面においては、彼れの示唆によりリカルド、ミル等の研究を刺激して所謂正統學派の大成に貢獻し、實際的方面にあつては、ピット、ピール、グラッドストーン等の歴代政治家を指導して自由主義政策の施行に邁進せしめた。利己心と自由とは彼れの經濟學説の根幹であると言つても宜い。だから、彼れは獨占を排斥し、自由の干渉束縛に反對する。國内では、同業組合法などが少數の人々に或る特權を與へて、多數者の競爭を妨げることを惡となし、また外國との貿易においては、一國が特に自國内の商工業者を保護するために、外國商品の輸入に制限乃至禁止を加へ、以て國内の特殊商工業者をして國内市場を獨占せしむるのを惡となした。スミスは、外國貿易の目的は各國が他國に不足して自國に有り餘るところの生産物を相互交換するにあるのだから、それは各個人が自己の餘剩生産物を以て他の餘剩生産物と交換するのと同樣な作用に屬するものと考へた。それ故、個人の場合と同樣に、外國貿易においても、自由といふことを根本原則としなければならぬ。そこでスミスは、民間の獨占を排斥すると共にまた政府が人民の經濟行爲に干渉することをも極力排斥した。人民の行爲は、それが社會の安寧秩序を亂し、他人の生命財産の神聖を犯すやうな範圍に亙らぬ限り、自由に放任さるべきだと唱へた。政府の任務としては、國防の處理、犯罪の防止、教育の促進等が主なるものであつて、産業を指導し資本の配置を指揮せんとするが如きは、身の程をも知らぬお節介だと主張した。

スミスは斯くの如く、理論的方面からも、實際的方面からも、相共に近世資本主義の發展を助成したのである。その意味において、若しマルクスの『資本論』を社會主義の經典と言ふならば、スミスの『國富論』は正に資本主義の經典と呼ぶも差支ないであらう。

スミスは經濟學の系統を分類して、これをマーカンティリズムによつて代表される商業制度に關するものとフィジオクラティによつて代表される農業制度に關するものとの二者と見做した。しかも彼れ自身は、富の本質そのものをば貨幣地金と見る前者でもなければ、またこれを農産物と見る後者でもなく、前述の如く勞働に淵源するものと見たのである。

既に勞働が富の源泉であるとすれば、勞働生産物とこれを消費する人口との割合の大小は、直ちに一國の消長を運命づけることになる。それ故、國富を増進するには、何よりも先づ、勞働生産物を増大して右の割合を大ならしめる必要がある。それがためには、第一に勞働者の熟練、敏捷、判斷等を増進せしめる必要があり、第二に有用な勞働に使用される人々を多くして、然らざる人々を少からしめる必要がある。前者の觀點から、即ち勞働の組織的運用に貢獻するといふ意味で、彼れの有名な分業論が展開され、後者の觀點から、即ち割合に有用であるか否かの相違によつて、生産勞働と不生産勞働との議論が展開されたのである。

スミスの最も異色ある分業觀に對しては、マルクスが「協業による分業」の説を唱へたが、それは一個の補足的修正意見であつて、彼れの分業論は工場的手工業(マニュファクチューア)に基礎を置く分業の究明として依然最高の權威を保持してゐる。生産的勞働、不生産的勞働の概念は、いさゝか非科學的だつたので修正を免れなかつたが、進んで需要供給についての所論、固定資本と流通資本との區別の如きは、今猶ほこれを採用する學者が少くない。

勞働の組織的運用に貢獻するといふ意味で、分業を重要視したスミスは、更に機械の充用をも共に重要視したが、その當然の發展として、物資の交換の必要を説き、これに關聯して價値、價格の研究に到達した。以上が『國富論』の中核と見るべき第一篇の主題、第二篇では貨幣流通の理を説き、價格を構成する分子としての、賃銀、利潤、地代の三者について、それぞれの性質を究明し、且つ資本の本質の研究にこの篇の一大部分を費してゐる。第三篇以下は、謂はば如上二篇の理論を展開した實際問題の研究で、第三篇では各國産業進歩の經過を、また第四篇では經濟政策を説き、河岸をかへて第五篇では財政學に關する餘蘊なき研究を發表してゐる。

三 價値論と分配論

スミスは勞働が國富の源泉であり、勞働の生産力を増進するものが分業であるとした。分業の結果、交換の必要が起り、價値及び價格が交換を律することになる。それで、彼れは價値を分類して、使用價値と交換價値との二つとした。使用價値とは物の效用を言ひ表はし、交換價値とは一定の商品が他の商品と交換され得る力を言ひ表はしたものである。けれどもスミスは、使用價値と交換價値との關係については深く立ち入ることなく、主として交換價値だけを論じてゐた。分業と交換とを相離るべからざる關係であると見做し、交換を規制する法則の究明に沒頭してゐた彼れにとつては、斯うなることは當然の數であつたと言はねばならぬ。

しからば、財貨の交換價値を形成するものは果して何であらうか? スミスは、それを勞働だと答へる。一定の財貨を獲得するに當つて支出せねばならぬ勞働、それが即ち交換價値である。「勞働こそ最初の價格であり、凡ゆる物品に支拂はれた本來の購買貨幣である。世界の富の悉くを最初に購買したものは、即ち勞働である」(『國富論』第一篇、第五章)。

この樣に、凡ゆる財貨の交換價値は、その財貨が購買し又は支配し得るところの、他人の勞働量によつて決定される。しかし、現實の取引に當つては、財貨の價値が必ずしも常に勞働量によつて決定されるといふ譯ではない。普通の勞働一時間と熟練を要する困難な勞働一時間とでは非常な違ひがある。けれども、熟練の程度を決定すべき正確な標準を見出すことは困難である。そこで實際上には、必ずしも正確な勞働量によつてではなく、大體の算定によつて行はれる市場取引が、これを決定することになる。

ところでスミスは、價値と價格との差異を明かにしてゐない。彼れは「それ(勞働)は商品の眞の價格であつて、貨幣は商品の名目價格たるに過ぎぬ」と云ひ、而して永久の借地權を規定する如き場合には、眞の價格即ち勞働上の價格と、名目價格即ち貨幣上の價格とを區別する必要があるけれども、普通の賣買に當つてはその必要がないと説いてゐた。斯くして彼れは、交換價値の一定時における貨幣名がそのまゝ價格であると考へるやうになつた。それ故、彼れが『國富論』第一卷第六章において試みてゐる價格構成要素の分析は、同時にまた交換價値の分析であると言はねばならぬ。

價格の構成要素を分析するに當つて、彼れは價値が純粹に生産上乃至獲得上に費された勞働量によつて決定されるのは、土地の所有や資本の蓄積が行はれてゐない原始社會にのみ見られるところであるとした。彼れによると、一旦資本の蓄積が行はれ、生産に資本が投下されるやうになれば、資本もまた價格構成の要素となる。この場合、勞働者はその勞働によつて、賃銀たるべき價値部分の外更に利潤たるべき價値部分をも生産物に付與する。換言すれば、投下された資本の増大に應じて、勞働者の勞働はヨリ多くの價値を産み出すことになるのである。若し生産物の價格が資本を回収する以上の餘剩を生じないとすれば、資本投下の危險を冒す者は一人もないであらうと彼れは云ふ。

單に資本ばかりではない。一切の土地が所有されてゐるが如き社會では、土地もまた價格構成に參加する。斯かる社會では、地主も必ず土地の利用に對する代償を請求するであらうから、土地生産物の價格は賃銀、利潤以外に尚ほ地代をも包含せねばならぬ。或る一人が勞働者、資本家、地主の三者を兼ねてゐるやうな場合には、その生産物の價格が勞働だけで構成されて居り、彼れの収入は單なる賃銀と見做されるかも知れぬ。しかし、事實上彼れの生産物の價格を構成するものは、賃銀、利潤、地代の三要素である。凡ゆる財貨の價格は、スミスによると、賃銀、利潤、地代の全部、若しくはその一つ乃至二つによつて構成されてゐなければならぬ。

斯くしてスミスは、財貨の「眞の價格」が單に勞働のみでなく、資本及び土地によつても構成されると説く矛盾に陷つた。これは彼れが、財貨の價値をば生産上に費された費用にあると見る觀念(即ち生産費説)に支配されてゐた結果だらうと考へられる。しかし、現實の市場では、必ずしも財貨が賃銀、利潤、地代を償ひ得る價格で販賣されるとは限らぬ。そこでスミスは、自然價格と市場價格とを區別し、市場價格は常に自然價格を中心として浮動すると説いた。

自然價格とは、財貨を生産して市場に搬出するに必要な賃銀、利潤及び地代と等額の價格を謂ふのである。この價格を中心とし、市場における財貨の供給と有效需要とによつて決定されるものが即ち市場價格(市場で實際賣買される價格)である。有效需要とは異なり、右の自然價格を喜んで支拂ふところの需要を謂ふ。

市場價格は商品の供給と有效需要とに從つて絶えず變動してゐるとはいへ、また絶えず自然價格に復歸せんとする傾向をも有つものである。若し市場價格が著しく自然價格以下に沈んだとすれば、自然價格の構成要素たる賃銀、利潤、地代の中、いづれかが低下せざるを得なくなる。假りに、利潤が低下したとすれば、資本はその生産部門を去つて、利潤多き他の生産部門へ走るであらう。そこで、利潤低き部門の生産が減少し供給不足となる結果、市場價格は自然に騰貴して來る。勞働、資本、土地の斯かる自由競爭によつて、市場價格もおのづから平均に歸し、自然價格から久しく離れてゐることが出來なくなる。

しかし、獨占的商品は自然價格以上の市場價格を永續的に維持することが出來る。例へば、フランスのボルドー酒の如く特別な土地によつてのみ生産される物や、又は一個人乃至一社會の專賣權によつて供給を制限されてゐる生産物の如き、即ちそれである。

さて、スミスは、賃銀、利潤、地代が價格の構成要素であると共に、また文明社會における所得の三部門でもあると説いた。文明社會の人々は、これらの所得部門に從つて三階級に分れる。一般社會の利害と、これらの三階級の利害とに關して、彼れは價格論の終末に次の如く述べてゐる。――元來、地代取得階級の利害は、社會的利害と分離することの出來ぬ關係に立つものであるから、彼等は立法の指導者となつて差支ないのであるが、事實上懶怠で公職に適しない。賃銀取得階級も、社會的利害と關係を一にするものであるが、社會的必要を理解すべく彼等は餘りに無知である。利潤取得階級は最も慧敏であるけれども、彼等の利害は社會的利害と一致しないから、彼等の提議する商業的立法は注意を要するところであると。この邊にも、フィジオクラティの影響が窺はれる。

四 スミスの資本論

スミスは、資本の蓄積を以て勞働の生産力に先だつべきものと見た。

社會が極めて幼稚であつた時代には、分業は猶ほ未だ行はれず、隨つて交換や交易も行はれない。各人の必要品は各人みづからこれを生産又は獲得せねばならぬ。斯かる時代には、資本の蓄積は必要でない。何人も自己の努力によつてその時々の需要を充す。空腹を覺ゆれば森林に行つて獵し、衣服の必要を感ずれば自分の殺した獸の皮を剥いでこれを衣服に仕立て、家屋のためには附近の樹木と泥土とを以て、みづからこれを修覆するといふ有樣であつた。

が一度、社會に分業が起ると、何人も自己の生産した物だけではその時々の需要の一小部分しか充し得ない。各人は、自己の造つた物、又はそれを賣つて得た物を以て、他人の勞働の結果を購買することによりその需要の大部分を充す外はなくなる。けれども、他人の生産物を購買するには、先づ自己の生産物を販賣してこれを交換の媒具たる貨幣に換へねばならぬ。それには一定の期間を要する。その期間、自己の生活を維持し、且つ生産上の材料と器具とを準備して置かねばならぬ。そのために貯藏の必要が起つて來る。例へば、茲に機織を專業とする人があるとすれば、彼れは豫め何處かに、織物を造り上げて販賣する迄の間自己の生活を維持し、その材料と器具とを供給するための資本を用意せねばならぬ。この資本の蓄積は、彼れがその機織に身を委ねる以前になされてゐることを要する。

で、この豫め蓄積される資本が大となるに從ひ、勞働はますます小さく分割され得る。勞働が小分されるに從つて、同一數の人々が加工し得る材料の分量はますます大きくなる。斯くして、各勞働者の作業はますます單純となり、その單純となつた作業を更に單純化する機械の發明が刺戟される。それ故、同種類の勞働者に仕事を與へる上から言つて、分業が進めば進むほど、ますます多くの食糧と材料と器具とを豫め用意することが必要となる。如何なる産業部門においても、分業が進めばそれに從事する勞働者の數が増加する。

この樣に、分業を促進し、勞働の生産力を増進するためには、豫め資本を蓄積する必要があり、資本が蓄積されるに從つてますます生産力の進歩發達を來す。勞働者を維持するために自己の資本を使用する人々は、それによつて出來得る限り多くの生産を確保しようとする。そこで、彼等はその勞働者たちの間に最も適當した分業を行ひ、最も精巧優良な機械を採用しようとする。この點について彼等の有する實行力は、彼等の所有する資本額と彼等の使用する勞働者數とに先づ比例する。それ故、如何なる國においても資本が増加すれば、それにつれて産業の範圍が擴大されるのは言ふまでもないことだが、單にそれのみでなく、資本増加の結果として同一規模の産業も、從來に比して非常に増加した生産額を齎すことになる。資本の増加が産業及びその生産力の上に及ぼす影響は、實に斯くの如きものである。

しからば、資本は如何にして成立し、如何なる種類に區分されるものであらうか?

自己の蓄積した物が僅かに數日乃至數週間の生活を支へるに足るだけであるならば、何人もこれによつて所得をえようとはしないであらう。彼れは出來得る限り節約してこれを消費し、それが全部消費し盡されぬうちに早くも他の生活資源を得べく勞働するであらう。この場合、彼れの所得を供するものは勞働のみである。

反對に若し、彼れが數月乃至數年間、自己を支へ得る資力を準備してゐるとすれば、彼れはその大部分を所得のために使用し、殘餘の小部分だけを、この所得が入るまでの間、自己の生活を維持するために保留するであらう。それ故、彼れの全貯蓄はこの場合二分されることになる。彼れが所得をうるために使用する部分を稱して資本といふ。他の部分は彼れが直接自己の消費に充てるものであつて、初めからこの目的のために保存された貯蓄部分と、如何なる原因からにせよ、徐々に彼れの手に入る所得と、この兩者を以て前年中に購買した衣服家具類のうちで未だ消費せられざるものと、これらの三分子から成る。

しからば、資本の所有者は如何にしてその所得即ち利潤をうるか? その目的のために資本を使用する仕方に二つある。

第一は、財貨を栽培、製造、又は購買し、大なり小なりの利益を得てこれを更に販賣すべく資本を使用すること。この樣に使用される資本は、同じ形を保つて彼れの手にある間は何等の利益を齎さない。商人の手にある物品は、それが販賣されるまでは彼れに何等の利益を齎さず、また彼れの貨幣もそれを物品に再轉化するまでは利益を供しない。彼れの資本は絶えず彼れの手を去り形を變へて彼れの手に復歸するのである。斯かる不斷の循環運動によつてのみ、彼れは利益を與へられる。それ故、この場合の資本は流動資本と呼ぶべきものである。

第二は、土地の改善や、機械器具の購入や、建物の設置やのために、資本を使用して利益を得る場合。この場合には、資本はその所有主を變へて諸方に轉々することがない。隨つて、斯かる資本を固定資本と呼ぶ。

流動資本と固定資本との割合は、職業によつていろいろに違ふ。商業においては、主として流動資本が用ゐられ、近代の大工業においては固定資本の使用範圍が極めて大きい。小作農業者が土地改善のために投ずる資本は固定資本であり、その使用勞働者に支拂ふ賃銀は流動資本である。彼れが耕作用の家畜のために支出する資本は、農具の場合と同樣に固定資本であるが、その家畜の飼養に要する費用は賃銀と同じく流動資本の部類に屬する。しかし、この家畜を販賣して利益を得るといふことになれば、その場合には家畜の買入資金も飼養上の支出も共に流動資本である。

個々人の場合における如く、一國又は一社會の資本も亦、それぞれ相異つた職分を有する三つの部類に分たれる。

第一は、直接消費のために保存される部分であつて、その特徴は何等の所得をも齎さない點にある。消費者たちの購買した食物、衣服、家具等のうち、未だ消費し盡されざるものが即ちそれであつて、一國の或る時代に存在する住家及びその一切の附屬品も亦この部類に屬する。みづから住むために多大の資金を家屋に投じたとしても、斯かる場合の投資は何等の所得を齎さず、隨つて嚴密に言へば資本たる性質を缺如せるものである。が若し、この家屋を他人に貸すならば、そこに賃貸料を生じて資本たる機能を開始する譯だが、社會全體から言へばこれがため何等の収益も與へられない。

第二は、固定資本。一國又は一社會の固定資本は四つの部類から成る。即ち(一)産業上に必要な機械器具。即ち勞働を輕易ならしめ、且つ勞働を節約するもの。(二)店舗、工場、飼養場等の如き、収益を目的とする建物。これは、その所有主のみでなく使用者にも収益を與へる。(三)開墾、排水、灌漑、結柵、施肥等の如き、土地改善上の投資。これらの投資は、農業上の生産力を高め、同一の流動資本を以てヨリ大きな収穫を擧げしめる。(四)一社會を構成する人々の有益な諸技能。これらの技能を習得するには、教育や修練を要し、そのためには相當の費用を要する。この費用は各技能者の一身のうちに固定されてゐる。社會全體から見れば、これらの技能は一個の財産であり、固定資本であつて、勞働を輕易ならしめる機械器具と同一視し得る。

第三は、流動資本であつて、これも四つの部類から成る。(一)貨幣。(二)飼畜業者、屠殺業者、農夫、釀造業者等の手にある食料品にして、販賣して利益を得る目的に供されるもの。(三)家具商、衣類商、建築業者等の手にある家具、衣類、建築用材等。(四)完成品にして猶ほ未だ消費者の手に渡らず、生産者又は商人の手に留まるもの。

以上四種の中、(二)以下の三種は(一)により消費者の手に配分されるものであつて、年々又はその他大なり小なりの期間毎に、必ず固定資本なり直接の消費對象なりとして引き去られる。固定資本は總べて流動資本から出で、また絶えず流動資本によつて支持される。如何なる機械器具も、流動資本によつて材料を供給される。勞働者も流動資本によつて支持される。

固定資本にしろ、流動資本にしろ、その最後の目的とするところは、直接的消費のために保存さるべき資本を維持し、これを増加するにある。人類の貧富とは要するに、これらの兩資本が直接的消費のための資本に與へる供給の大小に他ならぬ。

流動資本は絶えずその著しい部分をば、固定資本と直接的消費のための資本とに供給して行かねばならぬ故、また絶えずそれだけの不足分を他から補充されることを要する。この補充は主として、農業や採鑛業や水産業やによつて與へられる。これらの産業によつて、絶えず食料や材料が供給される。で、この材料は軈て製作品となり、製作品はまた食料や材料と交換される。斯くして流動資本からは、不斷にその一部が引き去られる譯である。また、採鑛業の生産物は、流動資本中の貨幣から成る部分を補充する。貨幣は磨滅を免れず、且つ外國への流出を避け難いから、絶えずその幾分を補充する必要がある。

何人にしろ、普通の理性を具へた人であるならば、自己の所有する資本をば現在の享樂のためか又は將來の利益のためかに使用することを常とする。現在の享樂のために使用する資本は、即ち直接的消費を目的とせる資本である。また、將來の利益のために使用する資本については、みづからそれを所有することによつて利益を得る場合と、それを手放すことによつて利益を得る場合との、二つの方法がある。前者の仕方で利用される資本は固定資本、後者の仕方で利用される資本は流動資本である。

前にも述べた如く、スミスは勞働を以て國富の源泉と見たのであるが、勞働といつてもそれには二つの種類があることを認めなければならぬ。一は價値を増殖する勞働、他は斯かる結果を齎さない勞働である。前者を生産的勞働、後者を不生産的勞働といふ。工業勞働者の勞働は、その原料に自己の生活費と雇主の利潤とに相當しただけの價値を附け加へる。これは生産的勞働である。しかるに、僕婢の勞働は何等の價値を附け加へない。隨つて、それは不生産的勞働といふべきである。工業勞働者は雇主から賃銀を受けるけれども、一方雇主の手に利潤を供給するから、この場合の賃銀は雇主にとつて何等の負擔とならぬ。ところが、僕婢に支拂つた賃銀は、雇主の手に復歸することがない。だから、職工の使用は富を増す所以であるけれども、僕婢の使用は富の減却を意味する。僕婢の勞働は、職工の勞働の如くにはその結果を後に遺さず、勞働それ自身の瞬間に消え去つてしまふ。この種の不生産的勞働に屬するものとしては、文武百官の勞働がある。彼等は公僕であつて、他人の勞働の結果たる生産物により扶養せられる點は、僕婢と異ならぬ。その他、法律家、醫師、文藝家、俳優等の勞働は、他の勞働と交換される價値を有つことは確かであるが、その勞働の結果として、後日他の勞働を購買し得るやうな何物をも齎さず、その場限りで消滅する。

造られた生産物は、先づ二つの部分に區別される。一は資本の補充に豫定されるもの、他は資本の利潤たるべきものである。前者は生産的勞働者を支持する外、直接他の目的に使用されることがない。これに反して、後者は生産的勞働者の支持に使用されると同時に、また不生産的な諸目的のためにも使用される。

自己の財貨を資本として使用するに當つては、何人もその回収以外に尚ほ利潤を得ようとする。そこで、これを生産的勞働者の支持のためのみに使用することになる。で、一度資本たる機能を盡した財貨は、その所有者のために所得を形成する。反對に若し、所有者がこれを不生産的な目的のために使用したとすれば、その瞬間から財貨は資本たる性質を失つて、直接的消費のための財貨となる。

富國と貧國とを比較すれば、富國においては年々の生産中から資本の補充に豫定される部分の割合が遙かに大きい。即ち生産的勞働の維持に充てられる資本の割合は、富國においての方が遙かに大きいのである。資本の幾許が生産的に利用され、幾許が不生産的に消費されるか、その割合の如何こそ國民の勤怠程度を示すものであつて、今日のイギリス國民が數世紀前のイギリス國民に比して遙かに勤勉だと言はれるのは、要するに彼等がその資本のヨリ大きな部分を産業の維持發展に利用しつゝあるが故であつて、遊惰享樂のために消費される彼等の資本部分はそれだけますます相對的に縮小しつゝある。

それ故、如何なる國においても、國民の勤怠の程度は、資本と所得との割合に繋ると言ひ得る。資本は勤儉によつて増加し、浪費によつて減損せしめられる。人はその所得中から節約したものを資本に加へて、みづからこれを生産に充用するか、又は他人をして生産的にこれを利用せしめ、その生産物中から利子として一割の分前を取る。個々人の資本が、年々の所得中から節約し得た部分を以て増加せしめられる如く、一國、一社會の資本も亦、同じ仕方で増大する。

資本増大の直接の原因は、節約であつて勤勉ではない。勿論節約といふからには、節約さるべき物の存在を前提する。それを造るのは勤勉即ち生産的勞働である。しかし、いくら造つてもそれを節約し貯蓄しない限り、資本は決して増加しない。だから、資本を増加せしめる直接の原因は、寧ろ節約にあると言はねばならぬ。

節約によつて蓄積されるものも、それが年々規則正しく消費される點においては、個人的支出に充てられる所得部分と異なるところがない。唯、それを消費する人が違ふだけであつて、このことが結果の上に本質的の區別を齎す。例へば、富者が最初から自己の個人的支出に豫定してゐる所得部分は、主として交際費とか僕婢の使用費とかは消費される。で、それを消費したあとには何も殘らない。反對に、彼れが年々節約して蓄積する部分は資本として使用される。直接これが消費に當る人は勞働者や職人であつて、その消費したものは後日利潤を添へて回収される。つまり、年々自己の所得の幾分を蓄積する人は、生産的勞働者を支持すべき基金を造り出してゐる譯である。

しかし、節約をなさしめるものは法律や契約の力ではない。人は唯、利己心に刺戟されて、節約によつて與へられるところの利益に刺戟されて節約を行ふのである。ところが世には、自己の所得の全部を浪費しても猶ほ足らず、その資本までを食ひ込んでしまふ人々がある。彼等は祖先によつて蓄積された資本を不生産的に消費するものであつて、これがために生産的勞働の活動範圍は縮小され、斯くしてその國の土地及び勞働が年々に齎すところの生産物の價値と國民の現實的富とは減少することになる。そこで若し、斯かる浪費が他の人々の節約によつて補はれることがないとすれば、浪費者は結局、勤勉な人々のパンによつて生活する乞食に等しいものとなり、その國全體の貧困はこれによつて助長せしめられる。

浪費と同じ結果を招くものに、營業上の失敗がある。農、工、商のいづれを問はず、營業上の未熟な計畫とか、思慮なき方策とかは、總べて資本を減損する結果に到らしめるものである。しかし、個々人の間に若干の浪費や營業上の失敗が行はれたとしても、大國民においてはこれがためその國勢上に著しい影響を及ぼすことがない。蓋し大國民においては、一方の人々の節約や思慮深い行爲は他方の人々の浪費や失敗を償つて尚ほ餘りあることを常とするからである。個々人の節約や思慮深い行爲は、單に彼等自身の浪費や失敗を埋合はすのみでなく、またしばしば一國全體の浪費や失敗を埋合はすものであつて、彼等が自己の地位境遇を向上せしめんとする不斷の努力は、彼等自身の境遇改善と同時にまた國家の向上進歩をも齎すものである。

政府の浪費によつて、國民の經濟的進歩が阻害されたことは少くない。けれども政府の浪費は、國民經濟の自然的進歩を中止せしめることは出來なかつた。政府が常に誅求を逞しうするにも拘らず、國民は各自その境遇を改善せんとする動機によつて、節約と思慮ある行爲とによつて、徐々に資本を蓄積し、今日見る如き諸多の大資本國を形成するに至つたのである。これをイギリスについて言ふならば、過去において同國の經濟的進歩を促したものは、國民各自の境遇改善的努力が法律によつて保證せられ、各人が自由にその力を發揮し得たからであつて、國民各自の利己心と努力勤勉とが今日のイギリスを築き上げたといふも過言でない。

以上は資本一般に關するスミスの見解を略述したものであるが、然らばこれらの資本は如何にして充用されるか、即ち資本の用途は如何といふ問題が、スミスの考察に入る。これについてスミスの考ふるところは左の通りである。

資本の充用される方面は、大體四種に區別される。即ち一、年々社會の使用又は消費に供される天産物の獲得、二、直接使用又は消費し得るやうに天産物に加工すること、三、これらの天産物并びに加工産物をば潤澤な地方から缺乏せる地方に移しかへること、四、需要者の使用又は消費に便利なるやうにこれを適當な分量に小分すること。即ち具體的に言ふならば、農、鑛、漁業等は右の第一部類に屬し、製造業は第二部類、卸賣業は第三部類、小賣業は第四部類に屬する。

以上四種の資本充用方面において、直接資本充用の任に當るものは生産的勞働者たちである。彼等の勞働は生産物の上に實現される。彼等は少くとも、自己の生活維持に要した價格を生産物の價格中に加へ込むのである。一方における、農、鑛、漁業及び製造業と、他方における卸賣業及び小賣業と、この兩方面の利益は、前者が生産し後者が販賣する物品の價格から生ずる。しかし、これら四種の用途にそれぞれ等額の資本を充用したとしても、それを活用する生産的勞働の量には非常な相違がある。

小賣商人はその資本によつて一定の利得を占めると同時に、また自己に商品を供給した卸賣商人の資本を返還してその營業を繼續し得しめる。生産的勞働者として直接に自己の資本を以て働くものは、小賣商人のみである。それ故、彼れの利得は、自己の勞働が年々供給された生産物に付け加へるところの全價格を含む。

卸賣商人はその資本によつて一定の利得を獲ると同時に、自己に商品を供給した農夫及び製造業者の資本を返還してその營業を繼續し得しめる。卸賣商人はこの方法によつて、間接に生産的勞働者を支持し、その年々の生産物の價格を増加せしめる。彼等の資本はまた、商品を一方の場所から他方の場所に運搬する人々をも勞働せしめる。これによつて、單に彼等自身の利得だけでなく、また斯かる運輸勞働者の賃銀に相當した部分だけ、商品の價格を増加せしめることになる。運輸勞働は、彼等の資本が直接に働かしめる生産的勞働の一切であり、且つ彼等の資本が年々の生産に直接加へるところの總價値である。

製造業者の資本の一部は機械の形で固定資本として充用され、一定の利得を齎すと同時に、これを供給せる機械製造業者の資本を返還する。また、流動資本たる部分は、原料の購入に充てられ、一定の利得を齎すと同時に、この原料の供給者たる農夫及び採鑛業者の資本を返還する。右も、この形で充用されるのは流動資本の一部に過ぎず、その大部分は、賃銀として使用勞働者たちの手に配分される。で、この賃銀と、雇主の利得とに相當した額だけ、原料の價値を増大せしめる。それ故、製造業者の資本は、これを卸賣商人の資本に比すれば、生産的勞働を働かしむること遙かに多く、それが年々の生産に附け加へる價値も亦遙かに多い。

農業資本に至つては、生産的勞働を働かしむること最も多い。農夫にとつては、單に僕婢のみでなく家畜でさへも生産的勞働者なのである。加ふるに、農業においては、自然も亦人と共に働く。しかも、これに對しては一錢の賃銀を拂ふことを要しないとはいへ、生産物の價値を大ならしめる點においては最高級の勞働者の勞働にも尚ほ優るのである。農業上最も重要なのは、自然の地味をして人間に最も有用な財貨を生産せしめるやうに指導することである。土地は人力を加へられるとはいへ、或る程度まで加へられてからは、全く自然の手に放任する外はない。農業においては自然の參加する範圍がこの樣に廣大であるから、農業上に使用される勞働者及び家畜は、製造業における勞働者とは異なり、單に自己の生活費に相當した價値を生産物に附け加へるだけではなく、それよりも遙かに大きな價値を附け加へるのである。その中には、農業上の資本と利得との外、更に地主に支拂ふべき全地代が含まれてゐる。地代を産むのは自然力であつて、これを農夫に貸與した代償として地主は農夫から一定の地代を要求する。

製造業は自然力にたよること殆どなく、專ら人力によつてのみ生産を行ふといふ有樣であるから、同一量の勞働を以てしても得るところの生産は到底農業におけるほど大ではない。されば、農業上に充用される資本は、製造業に充用される等額の資本に比して單にヨリ多くの生産的勞働を働かせるといふのみで〔な〕く、尚ほまた生産的勞働の割合に一層多額の價値を年々の生産に附け加へる。要するに、一國の富と収入とを増加する點においては農業上の資本に如くものはない。この資本こそ正に、國利民福増進上の最大動力なのである。

五 スミス經濟學の歴史的位置

スミスの『國富論』は曩に述べた五篇を以て完了してゐるが、この書について何よりも先づ驚かされることは、その研究對象の極めて廣汎な點である。スミスは、經濟學を以て「政治家及び立法者の科學の一分科」となしてゐた。經濟學研究の目的についても、人民に豐富なる収入と衣服とを供給すると共に、また國家及び公共團體に對しその公共職務をなすに十分な収入を與へることを眼目とすべきだと主張した。それで勢ひ、彼れの研究も多岐に亙らざるを得なかつたのであらうが、經濟學に對して、彼れが斯く人生の利用厚生を直接の研究目的とするに至つたのは、彼れが倫理學者であつたことと密接な關係があるやうに思はれる。

曩にも述べた如く、彼れは人間の利己心を是認し、この觀點から人間の經濟的活動を解釋しようとした。彼れは『國富論』の中でも言明してゐるやうに「自然の法則」を信じてゐた。人間は利己の性情を有つてゐる。で、各人がその利己心を正當に働かせるならば、それによつて社會の最大幸福は自然に與へられると考へた。此處までは倫理學の範圍であるが、彼れはこの考察から次第に倫理學の埒を越え、經濟學の成立に全幅の努力を致すことになつた。つまり、人はめいめい利己本位の立場から自己に最も都合の好い物を生産し、これを同樣にして生産された他の物と交換する。各人の自由が完全に認められ、各人が正當に働くことを妨げられさへしなければ、各人はその得意の仕事に努力出精してますます多くの生産物を得、これを相互に交換するから、人々が獲得し消費し得る財貨の量は極めて豐富になる。即ち社會の物質的幸福が増進する――といふことになるのであつて、この考へ方が彼れの全經濟學の謂はば礎石を成してゐる。利己心の是認と最大多數の最大幸福といふ倫理的命題とが常に彼れの經濟學について廻つたのも故なしとしない。

しかるに、『國富論』の公刊後既に百五十年、スミスの豫言を遙かに突破して分業は奬勵され機械は充用され、以て驚嘆すべき程度に富の生産を増大したに拘らず、最大多數者は期待に反して幸福の代りに相對的に不幸を増し、勞働の結果は一部少數者の手に獨占される傾向を助長した。これ何故に然りしか?

スミスの樂天的人生觀に拘らず、自由放任の經濟制度は成るほど全體としての富の生産を増大するにはしたが、その分配において甚だしき不平等を酬した。これに對する社會の痛撃は、今日においては、最早や一個の常識と化してゐるので、この觀點からスミス經濟學に對して細評を試みることは寧ろ蛇足に類するであらう。が、兎に角、獨立した一個の學的體系として經濟學を組織立て、資本制生産の考察に向つて革命的貢獻をなしたアダム・スミスの名は、永久に地上から拂拭されることがないであらう。同時に彼れの名著『國富論』も、正統派經濟學の最大典籍として、永遠にその價値を銘記されるに違ひない。


マルサスの『人口論』

一 人口論の由來及び構造

人口論の元祖はマルサスで、彼れが『人口法則』の著者であることを知らぬ人は少いが、その人口論の内容は案外世間に知られてゐないらしい。新マルサス主義者が、産兒の制限を唱導するから、マルサスの人口論も多分そんなことを主張するのだらうと考へてゐる人々もあるやうだ。

これは甚だしい無知で、マルサスの人口論は決してそんなものではない。成るほど産兒制限といふ方策はマルサスの人口論から引き出せるけれども、それは澤山ある方策の中の一つに過ぎず、しかもマルサスの意向とは寧ろ反對の方向にあるものである。その理由は後に述べるが、何にしろマルサスの人口論の眞價は、この樣な方策の方面にあるのではなく、それらのものの由つて來る根本原理に存するのである。で、茲にその根本原理の大略を簡單に解説しようとするのだが、この仕事はマルクスの『資本論』を解説する場合のやうに困難ではない。といふのは、マルサスの人口原理そのものが、非常に單純明瞭だからである。

しかし、本題に入るに先だつて、マルサスの人口論の生れ來つた由來と、その論文の構造とを一寸述べて置かう。

マルサスは人口論初版の序文の中で、この論文はもとゴッドヰン氏の論文の主題即ち氏が『研究録』の中に述べてゐる貪慾と浪費とについて、私が一友と交換した會話に由來するものだと云つてゐる。その一友とは、彼の父ダニエル・マルサスのことである。この人は金もありハイカラな思想の持主でもある申分のない紳士で、生前ルソーと親交があり、フランス大革命の種を蒔いた改革思想の共鳴者であつた。ところが、息子のマルサスはフランス流の革命思想には大反對で、殊に一七九三年一月におけるフランス革命黨の國王死刑の暴擧及びその後に引續いた恐怖政治を見て、一しほ革命に對する反感を深めたのであつた。この父子の論爭を惹起したウィリアム・ゴッドヰンといふ人は、イギリスにおける無政府主義の開祖とも見做される人物で、一七九三年に『政治的正義』を、一七九七年に『研究録』を著し、當時の思想界に非常な反響を喚び起した。ゴッドヰンはロックやヒュームやルソーなどと同樣に、人間の道念といふものは外部からの印象の産物に他ならないといふ前提に立つてゐた。人性は本來白紙の如きものであつて、境遇次第でどうにでも變る。だから、社會的環境と制度とを改善すれば、罪惡と不幸とは世界から跡を絶ち、人間は完全の域に達する、と彼れは考へたのである。マルサスの父はこのゴッドヰンの思想を受け容れたが、マルサスはこれに反對で、父との論爭から、彼れはその主張を文章に表はして世に問はんと思ひ立ち、遂に一七九八年に匿名を以て人口論の第一版を公にした。

この人口論第一版は、その目的からして當然論爭的な調子が濃く、性急と偏頗とを免れなかつた。マルサス自身も後にこの缺點を認め、一八〇三年に出した第二版では、これを修正し、その上に尚ほ新しい内容を豐富に加へて、第一版とは全然面目を異にするに至つた。その後マルサスの生前に『人口論』は第六版まで出たが、いづれも第二版の内容と大差なく、各版毎に多少の増補修正を重ねただけであつた。そして現今世間に行はれてゐるのは、その第六版である。

ところで人口論の構造だが、この書物は全四篇より成り、第一篇では人口の一般原理を述べて、過去現在における諸種の社會の人口制限の觀察に及び、最低段階の人間社會から始つて、アメリカ・インディアン、南洋諸島土人、北歐古代住民、近世の牧畜民、アフリカ諸地方、南北シベリア、トルコ諸領及びペルシア、インド及びチベット、支那及び日本、古代ギリシヤ、古代ローマ等の住民間における人口制限の實例を面白く述べてゐる。第二篇では第一篇を承けて近世ヨーロッパの諸國民の人口制限について觀察を下し、幾多の統計を援用してゐる。第三篇ではゴッドヰン及びコンドルセーの平等主義を反駁し、移民政策及び救貧法を論じ、重農主義、重商主義、農商竝行主義などを論じ、穀物法を論じ、社會の富の増加と貧民状態との關係に論及してゐる。そして第四篇では道徳的抑制の義務を力説して、貧民の状態を改善せんとする諸種の提案に批評を下し、自己の改善案を提出してゐる。


注意書き

  • 本「経済学上に於ける主学説」は『大思想エンサイクロペヂア』第16卷(經濟學B。春秋社,昭和四年一月十五日印刷,昭和四年一月二十日發行)を底本とした。
  • 本論文は単行本ではないが、小冊子程度の分量があったため、便宜上単行本として扱ったものである。
  • 明白な誤字は訂正し、一々校記に出さなかった。
  • 文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。
  • 括弧を補った場合は直ちに増補し、煩瑣を避けて一々〔 〕内に入れなかった。
  • 底本のルビは、ドットを落として( )内に入れた。
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