『マルクス學研究』序

高畠素之


本書は舊稿の蒐集ではあるが、謂ゆる文集ではない。マルクス學に對する私の立場と、『マルクス學研究』といふ本書の看板とに照らして、前後脈絡ある一篇の長論文と見て頂かねば困る。

私は第一章に於て、マルクスの略傳を紹介し、同時に其著述史を一瞥した。之れはマルクス及び其學説を主題とする本書の序幕として當然の順序であらう。次ぎに私は第二章に於て、マルクス説に對する私の立場を明かにした。私はマルクス説を哲學、社會學(歴史觀)及び經濟學の三方面から觀察した。そして哲學及び社會學の兩方面に於ては私はマルクス説を採らず、經濟學に於ては全然マルクス説に心服する旨を斷つた。然らば私は哲學及び社會學に於て、如何なる立場にあるか。第三章は私の哲學的立場を明かにしたものである。此章は拙著『社會主義と進化論』に納めた『唯物論と認識論』と題する一文と大同小異であるが、本書の聯絡上省略を許さない。第四章はマルクスの歴史觀に對する、私の立場の一端を示したものである。私は更らに、第五章以下に於て、マルクス經濟學の紹介及び辯護を試みた。之に比較的多くの頁を費したのは、マルクス經濟學の紹介及び辯護が、同時に又、私の經濟説の紹介及び辯護に當ることを承知してゐるからである。

マルクス學を取扱つた拙稿の中で、聯絡上本文に収容する餘地のないものは總て附録に隔離した。附録の最終篇『収奪者の収奪』は、内容上『資本論』第一卷の結尾を成すもので、曾て堺、河上兩氏に依つて譯出された唯物史觀要領記と竝んでマルクス古典美の雙璧と稱せられる。私は忠實に逐語譯した。

各篇とも、最初から本書を豫期して書いたものでないから、多少の重複は免れない。之は厭なことだが已むを得ない。

大正八年十一月三日

高畠素之

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