『マルクス經濟學』序説

高畠素之

一 マルクス經濟學説の構成體系

しばしば謂はれる如く、マルクス學説は哲學・社會學・經濟學の三方面に亘つてゐるといふことが出來る。而して、本書に於いて目的とするところは、いふまでもなく、專らその經濟學説の研究にある。が、マルクスの經濟學説は極めて多岐に、極めて多くの附隨的事項にまで亘つて居り、これをその總べてに亘つて餘蘊なく開述し研究するといふ事は――そのいづれも多かれ少かれ特色あるものではあるが――本書の性質上不可能なことに屬する。のみならず、一の學説研究に於いての徒らに多岐枝葉に亘つた説明は、その煩鎖のために動もすれば本質とし體系とするところを蔽はれ易きものであり、讀者としては謂はゆる樹を見るに忙しくして森を見るを逸するの結果に陷り易いやうに思はれる。而して斯かる研究は、いづれの學説研究に於いても當を得たものとは言ひ難いのであるが、殊にマルクス經濟學説の研究に於いて然りである。蓋し、マルクス經濟學説は、他の一般の經濟學説と趣きを異にし、現實のそれぞれの經濟現象を解明せるものなるのみでなく、その理論的展開に依つて一定の社會的推移――資本主義社會の社會主義社會への推移――の必然を論證せんとしたものであり、その本領とするところは説明の背後に横はるところの彼れの社會主義論を基礎付けんとした點に存するからである。隨つて我々の研究も、斯かる觀點に基づいて、その體系とするところに從つて基本的な諸理論を系統的に攻究し、全マルキシズムとの關係に於いてその理論的歸向を明らかにすることに向けられねばならぬ。

で、それには先づ、概念的にマルクス經濟學説の如何なるものであるか、その理論的構造若しくは學説構成體系の如何なるものであるか、を豫め不充分ながらも會得して掛ることが理解上便宜であると思ふ。

マルクスの經濟學説は、これを一言でいふならば、餘剩價値に依る資本制經濟の――資本制經濟の成立、構成、成行の――説明であるといふことが出來る。マルクスの一心同體と見做さるべきエンゲルスはその著『反デューリング論』――詳しくは『オイゲン・デューリング君の科學の變革』(Herrn Eugen Dührings Umwälzung der wissenschaft)――の序説の中に次の如く述べてゐるが、これはマルクス經濟學説の面目を最も適切に語つたものである。曰く、『從來の社會主義は、現存資本制生産方式及びその結果を批評するにはしたが、それを説明することが出來ず、隨つてまたそれを結論することが出來ないで、たゞ單にそれを惡いものとして攻撃し得たに過ぎなかつた。しかしながら、問題とするところは、一方資本制生産をばその歴史的關連及び一定の歴史的時期に對する必然性に於いて、隨つてまたその滅亡の必然なることを説明するにあつたと共に、他方更らに當時尚ほ祕せられてゐたところの――といふのは、從來の批評は事實そのものの指摘よりもその惡結果を指摘するを事としてゐたが故に――資本制生産の内部的性質を開示するにあつたのである。而して、それはたまたま餘剩價値の發見に依つてなされたのであつた。』『この二大發見則ち唯物史觀及び餘剩價値に依る資本制生産の祕密の暴露――我々はこれをマルクスに負ふものである。これに依つて社會主義は一の科學となつたのであつた。』と。實にこの餘剩價値に依る資本制生産乃至資本制經濟の説明こそは、マルクス經濟學説の本質とするところであり、根本内容とするところなのである。

然らば、マルクスはこの餘剩價値に依る資本制經濟の研究隨つて説明をば大體如何に推し進めてゐるであらうか? 換言すれば、その理論的體系を如何に造り上げてゐるであらうか? マルクスのこの餘剩價値に依る資本制經濟の説明は、人の知る如く、主としてかの今日マルキシズムの『聖典』とされてゐる彼れの大著『資本論』〔一〕全三卷の中に展開されてゐるが、今主としてこの『資本論』に展開されてゐるところに從ひ、その構成體系の大要を抉出摘示するならば、大體次の如きものである。

〔一〕『資本論』(Das Kapital)は、マルクスの二十有餘年に亘る勞作であるが、その出版も二十有餘年に亘つてゐる。即ち、第一卷は一八六七年マルクス自身の手に依つて、第二卷は一八八五年(第一卷の出版に後るること正に十八年)エンゲルスの手に依つて、第三卷は一八九四年(第一卷の出版を距ること實に二十七年)同じくエンゲルスの手に依つて出版された。

尚ほ、マルクスの最初の意圖でこの『資本論』の續卷として發行さるべき筈であつたところのものに『餘剩價値學説史』(Theorien uder Mehrwert)――カウツキーの手に依つて一九〇四年(第一卷)、一九〇五年(第二卷)、一九一〇年(第三卷)の三回に亘つて出版された――があるが、これは從來の餘剩價値諸學説に就いての彼れの批判的歴史的研究を収めたものである。

彼れの資本制經濟の研究は、商品の觀察・分析から始まる。『資本制生産方法が專ら行はれる社會の富は尨大なる商品集積として現はれ、個々の商品はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる』とは、『資本論』本文の冒頭を成してゐるところの有名な句である(拙訳『資本論』改造社版第一卷第一册第五頁參照)。彼れは、この商品の分析的考察の結果、商品の價値は、その商品の生産上社會的に必要なる勞働量に依つて決定されることを見出す。斯くして先づ、商品の價値は社會的に必要なる勞働量に依つて決定されるといふ根本原則を立定する。と共に、商品生産社會に於いては、原則として等價値と等價値とが交換さるべきことを論定する。これが即ち彼れの勞働價値説なるものであつて、彼れの餘剩價値に依る資本制經濟の説明は實に此處から展開して行くのである(本書第一部第一篇第一章『商品』はこの間の論究を説明せるものである。マルクスの價値社會的に必要なる勞働量、その他の概念に就いては、本論の中で次第に明らかにして行くこととし、此處には暫らく無説明のまま用ひて行く)。

次に彼れは、一般的價値表章物即ち一般的に通用する價値表章物としての貨幣を發生學的に考察し、貨幣が商品の一般的價値表章物たり交換用具たり得るのは、單なる便宜のためではなく、それ自身の中に人間勞働を體化してゐるからであり、一定の貨幣が一定の商品と交換されるのは互ひにその中に等價値――等量の社會的に必要なる勞働量――を含むが故であることを論究する(本書第一部第一篇第二章『貨幣』はこの間の論究を説明せるものである)。

斯く商品と貨幣とを究明した彼れは、次に、資本制社會に行はれてゐる二つの商品流通形態、即ち〈商品――貨幣――商品〉なる流通形態と〈貨幣――商品――貨幣〉なる流通形態とに、考察を向け、特に資本制社會に支配的に行はれてゐる後者に考察を注ぐ。彼れは、これを前者との關係に於いて考察し、この形態の流通は前者とは異なり、使用價値を目的とするものでなくして、交換價値隨つて價値を目的とするものであり、その初めの貨幣と終りの貨幣とは、共に貨幣たることに相違はないがその量の異なることを、即ちそこには餘剩價値なるものの發生し來たることを見出す。斯くて、資本とは要するにこの餘剩價値を生む價値に外ならぬこと、餘剩價値の獲得こそは資本制生産の終極の目的にして且つ窮竟の原因であり、資本制生産が依つて以つて行はれるところの原動力であることを見る。と共に彼れの考察は、次に、專らこの餘剩價値の源泉の探求に向けられる。而して彼れは其處で、先に價値論(商品論)及び貨幣論に於いて論究し立定せる諸原理を摘要して論理的考察を施し、餘剩價値は交換行程から生ずるものではなく、生産行程から、生産行程上の勞働から生ずるものでなければならぬことを推理し發見する(本書第一部第一篇第三章『資本』はこの間の論究を説明せるものである)。

これが即ちマルクスの『餘剩價値の發見』と稱されるところのものであつて、マルクスの經濟學説は此處から本舞臺に入るものといつて差支ない。即ち、彼れはこれよりこの餘剩價値の生涯――その生産、その實現、その配分――を明らかにし、斯くすることに依つて資本制經濟の構成乃至機構(からくり)を解明して行くのである。と共に、その解明の基礎上に立つて、更らに、資本制生産の成行を、その必然的に崩壞せざるべからざる所以を、論證するのである。『餘剩價値の發見』竝びにこれに伴ふ資本制生産の成立乃至素性の暴露は、實に斯かる展開への前驅をなすものであつて、これが彼れの資本制經濟解明の鍵鑰をなしてゐるのである。

ところでしからば、この餘剩價値は生産工程上の勞働から具體的に如何にして生産せられるか? 餘剩價値が生産行程上の勞働から生ぜざるべからざることを推究し發見した彼れの攻究は、當然この點に向けられねばならぬ。斯くして、マルクスは次に、この餘剩價値の生産及びそれに伴つて考察さるべき諸事情の究明に入る。

彼れは先づ、既に立定せる原理を應用しつつ、無償勞働即ち勞働力の搾取こそ餘剩價値の窮極の源泉であること、資本家は勞働者の勞働力をばまさしくその價値通りに買ふが、これを生産行程に於いてその價値以上に消費し以つて餘剩價値を生産することを具體的數字的に論證し、『資本制生産の窮極の祕密を暴露する。』而して次に、尚ほ進んで、この餘剩價値生産の形態、即ち絶對的餘剩價値の生産及び相對的餘剩價値の生産を考察し、これ等の生産に作用しそれを決定するところの諸事情乃至諸要素を、殊に資本制生産に於いて必然的にますます重要な役割を占めつつある相對的餘剩價値の生産に對するそれ(協業・分業・機械)を論究する。と共に更らに、この餘剩價値の生産と關連して當然考慮の中に入り來たるところの餘剩價値の再生産の問題、隨つて餘剩價値の蓄積若しくは資本の蓄積の問題を攻究する(本書第一部第一篇以下即ち第二篇『餘剩價値の生産』、第三篇『分業・協業・機械』、第四篇『資本の蓄積』は、この間の論究を説明せるものである)。

以上は『資本の生産行程』と題する『資本論』第一卷の主要内容とするところであつて、『餘剩價値の生産』と題せる本書第一部は、專ら以上の論究を取扱つたものである。

餘剩價値の發生を見出し、餘剩價値が生産行程に於いて如何にして生産せられるかを究明したマルクスの研究は、次に、しからば資本は如何にして、如何なる過程の下に、その餘剩價値を貨幣に實現するか、竝びにその實現に影響する事情如何、の究明に入る。即ち、一先づ資本の生産の世界を去つて資本の流通の世界へと入るのである。で、このことも亦、彼れとしては當然の推究理路なのである。蓋し彼れに依れば、資本制生産の目的は資本が餘剩價値を獲得することに、即ち餘剩價値を單に商品として生産するのみでなく、また貨幣として實現し配分することに、あつたからである。

彼れは此處で先づ、資本が貨幣資本・生産資本・商品資本なる三轉化形態を採つて循環し、斯く循環しつつある間にその循環の途中既に究明せる如くして生産行程内で孕むところの餘剩價値をば實現することを深く立ち入つて具體的に論究する。次に、一回きりの行程としてではなく反復的な行程として觀察したこの資本の循環即ち資本の回轉に考察を進め、斯かる資本回轉に影響を及ぼすところの諸事情を究明すると共に、更らにこの資本回轉が餘剩價値の實現に及ぼす影響を究明する。資本制流通の構成乃至機構(からくり)は、斯くして本質的に闡明されるのである。

右は、『資本の流通行程』と題する『資本論』第二卷の主要内容をなすものであつて、本書第二部『餘剩價値の實現』は專らこれが研究に當てられたものである。

餘剩價値が如何にして生産行程に於いて生産せられるかを明らかにし、更らにそれが如何にして流通行程に於いて實現せられるかを明らかにしたマルクスの研究は、次に、その流通過程に於いて實現された餘剩價値が現實の資本關係者間に如何に配分せられるかの問題の究明に移る。

彼れは此處で、餘剩價値が商業利潤・利子・企業利得・地代等の形態を採つて資本の關係者間に配分されることを論じ、これらの配分形態に就いてそれぞれ詳細な説明を與へてゐる。が、それに先だつて先づ、餘剩價値が現實の世界に於いては利潤なる形態を採ること、而してこの利潤は資本制社會に於いては需要供給の關係に依つて必然的に平均化すること(平均利潤の法則)を論究する。即ち、商品は現實の世界に於いては必ずしもその價値通りに交換されるものではなく、或る場合にはその價値以上に、或る場合にはまたその價値以下に交換されることを、隨つて餘剩價値も或る場合にはその價値以上に、或る場合にはその價値以下に實現され、更らに他の或る場合にはまた全然實現されずに終ることを、主張するものである。マルクスに依れば、此處までの研究は謂はば抽象の世界に於ける研究であつて、現實の世界に於いては抽象の世界に於いて立定せられた諸法則がそのまま純粹の姿で行はれるものではなく、他の事情の影響を受けるものであり、餘剩價値の商業利潤・利子・企業利得・地代等への配分も斯かる制約の下に行はれるのである。

右は、『資本制生産の總行程』と題する『資本論』第三卷の主要内容をなすものであつて、本書第三部『餘剩價値の配分』は專らこれが研究に當てられたものである。

右に於けるマルクスの平均利潤説は、マルクス價値論の矛盾として批評の焦點とされてゐる。我國では、これに就いて諸家の間に論爭が行はれた。この論爭に就いては、本論中の該當箇所に於いてその要旨を簡單に紹介し讀者の參考に資するであらう。

以上、餘剩價値の生産よりその實現及び配分に至るまでの研究説明は、量的に『資本論』に於けるマルクスの説明の大部分を占めてゐるものであるが、マルクスの資本制經濟の説明は、先にも言つた通り單にこれだけで終つてゐるものではない。以上は要するに、資本制經濟の靜的研究とでもいふべきものであり、體系的に見るときは資本制經濟の説明の第一段的展開とでもいふべきものであつて、マルクスの經濟學説にはこの外に尚その動的研究とでもいふべき第二段的展開が存在する。而してこの第二段的な展開との關係に於いて考へるときは、これまでの説明は假令量的には『資本論』に於ける説明の大部分を占めて居らうとも、要するに後者の展開のための下部構成、基礎的解明に過ぎぬものである。マルクスは更らに進んで、以上の如き成立乃至構成をもつ資本制經濟の必然的に崩壞すべきことを論證してゐるのである。

それは如何にして、何が故に崩壞するか?

彼れは、既に究明し來たれる理論的基礎の上に二つの法則を展開せしめ、これを資本制經濟の崩壞原因として提示する。即ち彼れは、先づ第一に、資本制生産方法が發展するにつれて必然的に餘剩價値の生産がますます困難となり不可能となるべきことを指摘する。利潤率低下の法則なるものが即ちそれである。第二に、同樣に資本制生産が發展し擴大するにつれて餘剩價値の實現がますます困難となり不可能となるべきことを指摘する。販路缺乏の法則なるものが即ちそれである。マルクスに依れば、この二つの傾向は時の經つにつれてますます深刻化を擴大して行く。然るに、彼れがその研究の初頭に於いて究明したところに依れば、餘剩價値の生産及び實現こそは、資本制生産の終極の目的にして且つ窮竟の原因であり、資本制生産が依つて以つて行はれるところの原動力なのである。隨つて、今それが必然的に困難となり不可能となるといふことは、これ取りも直さず資本制生産がその活動の原動力を失ふことを意味するものであつて、資本制生産は此處でその内在的原因のため必然的に行き詰らざるを得なくなる。而してこの行き詰りは、それから派生するところの意識的な社會的要因(階級鬪爭の尖鋭化)と相俟つて、結局それ自身の崩壞を促すこととなるのである。

この利潤率低下及び販路缺乏の理論は、『資本論』第三卷及び第二卷の中に極めて小さき部分を占めて介在するに過ぎぬが、(因に、販路缺乏説の方は『資本論』よりも寧ろマルクス及びエンゲルスの、殊にエンゲルスの、他の文章の中に力説されてゐる)、質的體系的に見るときはマルクス經濟學説の結論的部分をなすものであり、彼等の『科學的社會主義』の『科學的』たる所以を直接に裏づけるものといひ得る。これ即ち、本書に於いて特にこの問題を第四部『資本制生産の崩壞』として取り扱ふことにした所以である。

以上は、餘剩價値に依る資本制經濟の分析に立つマルクス經濟學説の構成體系の粗像である。本論の説明の進むにつれて、この粗像は次第にその姿を明彩化して行くであらう。

尚ほ最後に、本書に於いてはマルクスの經濟學的研究の導線となつた唯物史觀説(マルクス著『經濟學批判』Zur Kritik der politischen Okonomie 序文參照)をも顧みることにした。マルクスの經濟學説、殊にその資本制經濟崩壞説に對する我々の理解を全からしめるためには、この導線の正體を固く掴んで置くことが必要だと信じたからである。

二 マルクスの研究方法

然らばマルクスは、斯かる體系の研究結果をば如何なる研究方法に依つて達成したであらうか? 本論に入るに先つて、この研究結果を達成するに當り彼れが採用したとしてゐるところの研究方法――謂はゆる唯物辯證法的方法なるもの――を概觀して置くことは、これよりその研究結果を究明し知得せんとする我々にとつて一應必要なことと思はれる。〔二〕

〔二〕尤も、その研究結果(即ちマルクス經濟學説)は、私の見るところでは、この唯物辯證法的方法なるものを理解することなしには理解し得られぬといふ性質のものではない。私に依れば、マルクスが達成せるが如き研究結果は、專ら普通の科學的研究方法即ち歸納的・演繹的方法に依つて達成し得るものであり、マルクス經濟學説は普通の思惟方法即ち形式論理學的思惟方法に依つて充分に理解し得るものである。だが、その方法乃至方法論を豫め知つて置くことは、その研究結果についての理解を比較的容易ならしむるものであり、研究結果をばその思惟的背景に於いて理解せしむることになると信ずる。この意味に於いて、またその限りに於いてのみ、それは必要なのである。マルクスのこの方法論は從來しばしば喧しい論議の對象とされて來たものであつて、これについては殊に一むかし前マルキシズムの本土ドイツを中心に盛んに論議されたものである。今、この問題を歴史的に概觀するならば、先づこれを創唱したマルクス、エンゲルスはその生前に於いて既に可なり根本的な批評を受けた。而してこれが應辯に努めたのは主としてエンゲルスであつて、エンゲルスの『反デューリング論』(前掲)はこの間の事情を明かに物語つてゐる。また、エンゲルスと共に『マルクスを取卷いてゐた二つの衞星』などと言はれてゐるディーツゲン(Josef Dietzgen)の如きは、專らその基礎づけに從事したものと言つて差支へない。而してエンゲルスやディーツゲンの釋明應辯に依つて、この問題は一先づ少なくとも内部的には、落着したものの如く見えた。しかるに、その後、從來カウツキー(Karl Kautsky)と共にマルクス、エンゲルス門下の二碩學とされてゐたベルンシユタイン(Eduard Bernstein) がマルキシズムに對する修正的意見を發表して、結局この辯證法的思惟方法なるものにまでその批判的不信の矛を向けるに及んで、問題は新しい形で謂はゆる正統派マルキシストと修正派マルキシストとの間に蒸し返されることになり、正統派マルキシストの代表的人物たるカウツキー及び同じく正統派マルキシストにして、ロシヤに於ける『マルクス主義の父』などと言はれてゐるプレハノフ(Georgy Valentionvich Plekhanoff)等は、その防戰的主張に努めたものである。殊にプレハノフは、マルキシズムの此方面の解明を事とし、その重要性を力説したのであつた。が、それにも拘はらず、その後マルクス思想界に於ける關心の大勢は『マルキシズムの陣營』の内外共に漸くこの方法論的哲學的方面を去り、專らその科學的方面に向けられて行つた。そこでは、まことに後に『眞正マルキシスト』が嗟嘆してやまない如く、辯證法は『死せる犬』以上のものではない觀があつた。しかるに、その後更らに最近に至つて、『正統派マルキシズム』や『修正派マルキシズム』に對して『眞正マルキシズム』を主張する『眞正マルキシスト』(謂はゆる共産主義者)が興起するに及び、マルキシズム方法論は大小の共産派論客に依つてレーニン(Nikolai Lenin)のマルキシズム國家論と共に『マルキシズムの復興』の名の下に再び強調されることになつた。即ち、問題は再び新しい形で蒸し返されることになつたのである。

マルクスは、『資本論』第二版序文の中で、『「資本論」に應用(アンベンデン)した方法(メトーデ)は、殆んど理解されて居らぬ。それは、これについて幾多の相矛盾した見解が行はれてゐるのを見ても知り得るところである』と前言して、その相矛盾の『研究方法は嚴密に現實主義的である』として、その現實主義的であることを論述してゐるところの、ペテルスブルグの『ヰェストニーク・エゥロープイ』誌の『資本論』原本全二頁に亘る批評を掲げ、さて次の如く語を續けてゐる。

『評者〔即ち、ペテルスブルグの「ヰェストニーク・エゥロープイ」誌のそれを指す――筆者〕は彼れがマルクスの眞の研究方法と呼ぶところのものを斯く剴切に、また――この研究方法に關する私自身の應用についていへば――斯く好意を以つて、描述したのであるが、そこに描述されたものは、そもそも辯證法的研究方法以外の何ものであつたか?

『勿論表現方法は、形式の上からいへば研究方法と異つたものでなければならぬ。研究方法に於いては材料を細大洩れなく採り集め、その樣々の發達形態を分析し、これらの形態の内部的紐帶を探求すべきである。而して、この仕事が完了した後、初めて現實の發達運動を適當に表現することが出來るのである。これがなし遂げられて、材料の生命が觀念上に反射するとき、問題は宛らアプリオリ的に組み立てられたかの如く見えるかも知れぬ。

『私の辯證法的方法は、單に根本に於いてヘーゲル流のそれとは異るのみでなく、また正反對のものでもある。ヘーゲルにとつては思惟行程――彼れは更らにこの行程を觀念(イデー)と呼んで獨立の主體たらしめたのであるが――は現實世界の創造主であつて、現實はただ思惟行程の外部表現たるに過ぎぬ。これに反して、私の立場から見れば、觀念世界なるものは畢竟するところ、人類の頭腦の内で變更され翻訳された物質世界に外ならぬものである。

『ヘーゲル式辯證法の神祕的方向については、今を距ること殆んど三十年前、即ちヘーゲル辯證法が尚隆興してゐた時代に、私はこれを批判した。然るに、私が「資本論」第一卷を書いて居た當時、今日教化されたドイツに於いて幅を利かしてゐるところの、氣六づかしい、横柄な、凡庸な口眞似學者たちは、嘗つてレッシングの時代に勇敢なるモゼス・メンデルスゾーンがスピノザを取扱つたのと同じ樣に、「死んだ犬」としてヘーゲルを待遇することに滿足を感じてゐた。私が大思想家ヘーゲルの門人なりとみづから公言し、おまけに價値説を取り扱つた章の此處彼處で、わざと彼れ獨特の口吻を弄んだ所以は茲にある。辯證法は、ヘーゲルの手で神祕化されたとはいへ、この事實は決してヘーゲルが辯證法の作用する一般的形態を、包括的に且つ意識的に表現した最初の學者であることを妨げるものではない。辯證法は、ヘーゲルに於いては逆立ちしてゐる。我々は神祕の外殻の内に合理的の核心を見出すため、この逆立ちした辯證法を更らに顛倒せしめなければならぬ。

『辯證法は神祕化された形態を以つてドイツの流行となつた。それは現在の事態に光明あらしむるものの如く見えたからである。反對に合理的の姿に於ける辯證法は、ブルヂォア及びその偏理的代辯者たちにとつて苦惱となり恐怖となるものである。なぜならば辯證法なるものは、現存事態に對する肯定的理解の中に、現存事態に對する否定的の理解をも、必然的消滅の理解をも含めてゐるからである。それは歴史的に生長した一切の形態をば、不斷流動しつつあるものとして、經過的の方面から觀察し、何ものにも怖れることなく、本質に於いて批判的、革命的たるが故である。』(拙訳『資本論』改造社版第一卷序文第一四頁――第一五頁。傍點は便宜上筆者の附せるもの)。

右は、『資本論』に應用せる方法についてのマルクスの最も重要な、直接『資本論』に關して與へたものとしては殆んど唯一のまとまつた説明であつて、彼れの辯證法的方法(dialektische Methode)なるものは以上の言説の中に要約されてゐるものといふことが出來る。が、たゞこれだけの説明では、論理的方法論的に嚴密にそれが如何なるものであり、如何に應用さるべきものであるかはわからない。我々は尚これを、他のマルクス、エンゲルスの説明に依つて――といつても實際には、後年この方面の開述に當つたのは主としてエンゲルスであつた關係上、殆んど專らエンゲルスの説明に依らざるを得ないのであるが――出來るだけ充分に究明せねばならぬ。で、それには先づ、ヘーゲル及びマルクスの辯證法それ自身が如何なるものであるかを明かにして掛らなければならぬ。

ヘーゲルに依れば、自然及び人事を通じて世界を悉く絶對者(das Absolute)としての『觀念』若しくは『ロゴス』なるもの――エンゲルスの批評に依れば『何處かに永遠の昔から、世界から獨立して且つ世界以前から、存在し來たれるところのもの』――の發展の現はれである。即ちマルクス流にいへば、『思惟行程〔觀念〕は現實世界の創造主であつて、現實はたゞ思惟行程〔觀念〕の外部現象たるに過ぎぬ。』而してこの發展は、あらゆる場合に於いて次の如き三段階を採つて(但し論理的超時間的に)行はれるものである。第一は、未だそれ自身(アン・ジヒ)の状態に在る段階であつて、それ自身の中に既に發展の素質即ち矛盾の要素を含んではゐるが、然しそれが未だ發展するに至らずして尚ほ自己同一を保てる状態の段階である。これを『アン・ジヒ(an sich)』の段階と稱し、普通『正(These)』なる語を以つて言ひ表はされ、また『肯定(Bejahung)』なる表現を以つても指示される。第二は、その發展の素質即ち矛盾の要素が發展し來たり、第一の段階に對して對立の状態となる段階である。これを『フューア・ジヒ(für sich)』の段階と稱し、普通『反(Antithese)』若しくは『否定(Negation)』なる語を以つて言ひ表はされる。第三は、これが更らに展開して、その對立が綜合せられ、第一のものでもなく第二のものでもないところの、然し第一のものも第二のものもその中に要素として包有され保存されるところの一のヨリ高き新たなるものとなる段階である(この、第一のものでも第二のものでもなく、然し第一のものも第二のものもその中に要素として包有され保存されるところの、一のヨリ高き新たなるものなることを称して、ヘーゲル哲學では『止揚(アウフヘーベン)(auftheben)される』といふ)。而してこれを『アン・ウント・フューア・ジヒ(an und für sich)』の段階と稱し、普通『合(Synthese)』若しくは『否定の否定(Negation der Negation)』なる語を以つて言ひ表はされる。ヘーゲルに依れば、世界の萬有は――思惟も實在も――斯くの如き三つの段階を採つて發展するものであつて、一度び達せられた綜合即ち『合』は再び『正』として『反』に展開し、『反』はまた更らに『合』に展開して、その最高の綜合に達するまで斯かる過程を反覆して止まない。而して、この世界發展の理法即ち思惟竝びに現實の低きより高きに到る進展の方法を稱して一般的總括的に辯證法(デアレクテイク)といひ、斯かる發展の進行形態を指して辯證法の『作用する一般形態』若しくは――直訳的にいふならば――『一般的運動形態』と稱する。(ヘーゲル著『論理學』Hegel,Wissenschaft der Logik參照)〔三〕。

〔三〕ヘーゲルに依れば、世界は斯くの如き運動の中に在るが故に、人間の認識の最高任務とするところは、思惟の辯證法を以つて世界の辯證法的發展を追察(ナツハデンケン)するに在る。即ち辯證法なるものは、萬物發展の理法であり、樣式(ヴアイゼ)である許りでなく、またそれを把握し認識する方法(メトーデ)なのである。

そこで今、このヘーゲルの辯證法に關聯させて、前掲のマルクス自身の辯證法觀を考察し要約するならば、結局次の二項に歸着する。

一、ヘーゲルの辯證法は、觀念(イデー)即ち思惟行程を以つて『現實世界の創造主』たらしめてゐるが、これは誤りである。反對に現實世界こそ、觀念世界の創造主たるものである。即ち、現實世界〔現實又は實在といふも同じ〕が主體(ズブイエクト)であつて、觀念世界〔觀念又は思惟といふも同じ〕はその屬體(プレデカート)に過ぎぬのである。

二、しかしこのことは、『決してヘーゲルが辯證法の作用する一般的形態〔一般的運動形態〕を包括的に且つ意識的に表現した最初の學者であることを妨げるものではない。』即ち、ヘーゲルは辯證法の一般的運動形態をば正しく把握してゐるのであつて、世界のあらゆる事物は、自然も人事も、まさしくヘーゲルのいふ如く『正』(肯定)、『反』(否定)、『合』(否定の否定)なる三段階に展開し、この三段階を採つて發展して行くものである(但し、マルクスの場合は、ヘーゲルの場合と違ひ、それが時間的に發展して行く)。

ヘーゲルの辯證法を修正したところの、即ちエンゲルスの言葉を以つていへば『從來頭で立つて居たものを足で立たせるに至つた』(エンゲルス著『フォイエルバッハ論』ディーツ版第三頁)ところの、マルクス辯證法の一般的抽象的特色は以上に依つて大體看取し得られたと思ふ。が、さて然らば、それは現實的具體的には如何なるものであるか?

觀念現實を創造し決定するのではなく、反對に現實が觀念を創造し決定するといふこと、即ち現實が辯證法的運動の主體であつて、觀念はその屬體たるに過ぎぬといふこと、これについては別に立ち入つた例説を必要としないであらう。『人類は、彼等の生活の社會的生産に於いて、一定の、必然的な、彼等の意志から獨立した事情に、即ち彼等の物質的生産力の一定の發展段階に相應した生産事情に入る。これらの生産事情の總和は、社會の經濟的構造を成すものであつて、法律的竝びに政治的の上部構造を作り擧げる現實的の基礎であり、またこれに相應した一定の社會的意識形態を生ぜしむるものである。物質的生活の生産方法こそ、社會的、政治的、及び精神的の生活行程一般を決定する。人類の意識が人類の生活を決定するのではなくして、反對に人類の社會的存在が人類の意識を決定する』といふ、隨つてこの『現實的の基礎』が變化すれば、その上部構造たる『法律的・政治的・宗教的・芸術的・哲學的・約言すれば觀念的の諸形態』も亦變化するといふ、彼れの唯物史觀に於ける提説は、右の見解を總括したものといひ得る(マルクス著『經濟學批判』ディーツ版前付第五五頁――五六頁、安倍浩氏邦訳春秋社版第四〇頁――第四二頁參照)。問題は、辯證法の一般的運動形態とは如何なるものであるかである。それは、現實的具體的には如何なるものであるか?

マルクスは、『資本論』第一卷の『謂はゆる本來的蓄積』なる章の終りで、資本制以前の所有(生産者自身の勞働を基礎とする私有)は資本制的所有(搾取の上に立つ私有)に依つて取つて代はられたこと、而して今や又資本制的所有は新たなる形態の所有(共有)に依つて取つて代はられなければならない運命に立ち到つてゐることを述べた後、この過程は辯證法的展開を示してゐるものとして次の如く言つてゐる。曰く、『資本制生産方法から生じた資本制占有方法、隨つて資本制的私有は、生産者自身の勞働を基礎とする個人的私有に對する第一の否定である。が、資本制生産〔隨つて資本制私有〕は、一つの自然行程の必然性を以つて己れ自身の否定を造り出す。これ即ち、否定の否定である。』と(拙訳『資本論』改造社版第一版第二册第七五七頁)〔四〕。

〔四〕同樣の例説は彼れの初期の著作たる『哲學の窮乏(Das Elend der Philosophie)』の中にも見られる。彼れは、獨占は競爭の必然的結果であり、競爭の否定として生じたものである、といふプルドーン(Joseph Proudhon)の『ヘーゲルまがひ』の説を批評して次の如く言つてゐる。『プルドーン君は少なくとも一度だけは、彼れの措定及び反措定〔反〕公式の應用を誤まらなかつたことは同慶の至りである。近世の獨占が競爭それ自身に依つて造り出されたものだといふことは、萬人の知るところである』『〔がこの場合〕プルドーン君は、競爭に依つて造り出される近世的獨占のことを言つてゐるに過ぎない。けれども、競爭が封建的獨占から生じ來たつたものであることは、我々のすべてが知るところである。即ち本來をいふと、競爭の方が獨占の反對なのであつて、獨占が競爭の反對なのではない。それ故、近世的獨占なるものは一の單純なる反措定ではなく、寧ろ反對に、眞の綜合〔合〕たるものである。否定〔正〕――競爭の先行者たる封建的獨占。反措定〔反〕――競爭。綜合〔合〕――近世的獨占。この獨占は、それが競爭の支配を前提する限りでは封建的獨占の否定たるものであり、またそれが獨占たる限りに於ては競爭の否定たるものである。それ故、近世的獨占たるブルヂォア的獨占は、綜合的獨占であり、否定の否定であり、對蹠間の合一であるといふことになる』。(同書ディーツ版第一三七頁、拙訳同書新潮社版第一九三頁――第一九四頁參照)。

更らにエンゲルスは、その著『反デューリング論』の中にこれを直接例説して次の如く言つてゐる(因に同書は、マルクス、エンゲルスの文章中、その辯證法乃至辯證法的方法なるものを比較的最も立ち入つて説明してゐるところの書である)。

『さて然らば、デューリング君をして左樣に人生を不愉快ならしむる、キリスト教に於ける聖靈に對する罪にも似たる赦し難き犯罪の役割を彼れに對して演ずるところの、この恐ろしき否定の否定とは〔筆者附言――從つて否定とは〕、そもそも如何なるものであるか?――そは、極めて簡單な、到る處に日々行はれつつあるところの行順(Prozedur)であつて、……〔中略〕……如何なる子供でも理解し得るところのものである。今一粒の大麥を例に採つて見よう。幾萬億かの斯かる大麥粒は、搗き碎かれ、煮盡され、釀造され、而して後に消費される。が今一粒の大麥が、彼れにとつて順當な條件に會し、適當な地上に落つるものとする。然る時は、その大麥粒は、温熟及び濕氣の影響の下に、その特有の變化を起し、發芽する。その大麥粒は大麥粒としては消滅し、即ち否定せられ、その代はりにそれから生ずる食物即ちその大麥粒の否定が起る。然らば、この植物の順當なる經歴は如何なるものであるか? そは、生長し、開花し、結實し、最後に再び大麥粒を生産し、而してその熟するや否や、その幹は枯死し、食物としてはそこで否定される。この否定の否定の結果として我々は再び最初の大麥粒を、しかし唯一粒のではなく、十倍、二十倍、三十倍の多數を得るのである。穀物類は極めて緩慢に變化するものであつて、今日の大麥は百年前の大麥と殆んど同樣である。だが我々は、造形し易い装飾植物、例へばダリア若しくは繭を例に採り、その種子及びそれから生ずるところの植物を栽培者の技術に從つて取り扱つて見よう。然る時は我々は、この否定の否定の結果として單に多くの種子をではなしに、實により美しき花を咲かせるところの質的に改良された種子の生ずるのを、而してこの過程の反覆即ち各新たなる否定の否定は益々その完全化を高めて行くのを見る。』

『大麥粒に於けると同樣に、この過程は大部分の昆蟲例へば蝶に於ても行はれる。蝶は卵の否定に依つて卵から生れ、春機發動期に達するまでにその轉化を完了して、交尾し、更らに再び否定される。即ち彼等は、その交尾過程を了へて雄が無數の卵を生むや否や死亡するのである。』と。

斯くて彼れは次に尚、この理法は斯樣に動植物界に行はれるのみならず、更に地質界や數學の上にも行はれることを論じた後、更に歴史界に於ても然るものとして次の如く言つてゐる。

『亦別な例を擧げるならば、古代哲學なるものは原生的自然的唯物論であつた。それは、唯物論として物質に對する思惟の關係を明らかにし得なかった。しかるにこの點を明かにせんとする必然は、身體から分離することの出來る靈魂説を生じ、更らに靈魂不滅の主張を生じ、遂に一神教を生ずるに至つた。斯くて舊唯物論は觀念論に依つて否定されるに至つたのである。然し乍ら哲學が更に發展するに及んで觀念論も亦支持し能はざるものとなり、近世唯物論に依つて否定されるに至つた。この事即ち否定の否定は、舊唯物論の單なる再建ではなくして、その殘生してゐる根柢に、哲學及び科學の二千年の發展の、竝びにこの二千年の歴史そのものの、全思想内容を附け加へるのである。それは、畢竟するに最早哲學ではなくして、ある一の特殊な科學の科學(Wissenschafts-wissenschaft)の中にではなく現實の諸科學の中に確證され實證されなければならないところの、一の單純な世界觀である。故に、哲學は此處で「止揚(アウフヘーベン)」されるのである。即ち、「克服(ユーバーヴインデン)されると共に保存(アウフベワーレン)される」のであつて、その形式から言へば克服され、その現實的内容から言へば保存されるのである。』と(エンゲルス著『反デューリング論』ディーツ版第一三七頁――第一四一頁)〔五〕

〔五〕辯證法には尚、斯かる運動に伴ふ一の特性として、事物の量的變化は一定點に達すれば質的變化を來たすといふ提説が存在するが、此處にはその基本的な體制を見るに止め、この問題には説明の複雜化を避けるため論及しないことにする。

以上に依つて我々は、マルクスの唯物辯證法なるものの如何なるものであるかを凡そ明かにすることが出來たと思ふ。畢竟するにそれは、現實世界及び觀念世界の兩方面に行はれてゐるところの、而して現實世界に行はれるが故に觀念世界にも行はれるところの、發展の理法であり、實在及び思惟がその低きより高きに向つて自己を發展せしめて行くところの一般的方法なのである。

さて我々は、漸く所期の問題點にまで達した。然らば次に、その謂ふところの辯證法的研究法(dialektische Forshungsmethode)とは如何なるものであるか?

マルクス、エンゲルスに依れば、この理法乃至方法は『自然に於ては、又今迄のところでは人間の歴史の大部分に於ても、無意識的に、外的必然性の形態で以つて、似而非なる偶然の一の無限の連續の中に遂行されて居るが、人間にあつてはこれをば意識的に應用することが出來る』ものである(エンゲルス『フォイエルバッハ論』ディーツ版第三八頁參照)。即ち辯證法は、思惟の一の意識的な思惟方法(デンクヴアイゼ)(考へ方)たり得るのである。而して辯證法的研究方法とは、この辯證法なる思惟方法若しくは考へ方を把握の方法(メトーデ)としてその研究に當つて應用(アンベンデン)することに他ならないものである。即ちエンゲルスは、その著『反デューリング論』の中に、『我々は此處には尚マルクスの經濟學上の研究結果が正しいか否かをば全く問題とせずに、單にマルクスに依つて應用された辯證法的方法のみを問題とするであらう。だが次のことだけは確かである。それは、「資本論」の大多數の讀者は、今デューリング君のお蔭で始めて、その實際に讀んだところのものを眞に知るに至るであらうといふことである。而して實にデューリング君も亦その一人である』と言つて、デューリングの種々の誤解乃至曲解を反駁した後、次の如く言つてゐる。曰く、『若しデューリング君が辯證法を單なる證明の道具と考へるならば――人々が或は形式論理又は初等數學を狹くその樣に解するかもしれない樣に――それは既に辯證法の本性に對する看取を全く缺けるものである。形式論理でさへも先づ第一に、新たなる結果を見出さんが爲の、既知から未知への進行の爲の、方法なのである。辯證法も同樣であつて――但しより遙かに勝れたる意味に於いて――、それは加ふるに形式論理の狹隘な視界を破つて進むが故に、より廣大な世界觀の萌芽を含んでゐるのである。同樣の關係は數學にも存在する。初等數學、不變量の數學は、少くとも大體に於いて形式論理の範圍内に動いてゐるものである。可變量の數學――その最も重要な部分をば微積分學が占めてゐるところの――は、その本質に於いて辯證法を數學的關係に應用せるものに他ならない。單なる證明は、新たなる研究領域へのこの方法の多樣な應用に比する時は、明かに問題とならないものである。』と(エンゲルス『反デューリング論』ディーツ版第一三六頁――第一三七頁)。即ち辯證法は、形式論理と同じ意味で――尤も『より勝れたる』働きをなすものであつて、その點は異なるが――即ち把握の方法として研究に當つて應用さるべきものであり、而して斯く辯證法を把握の方法として應用せる研究方法を稱して辯證法的研究方法といふのである〔六〕。

〔六〕辯證法論者に依れば、この研究方法は、高等數學が初等數學の達成し得ないところの結果を達成すると同樣に、形式論理學的方法即ち歸納的・演繹的方法を以つてしては到底達成し得ないところの結果を達成するものである。蓋し、かの『AはAなり』(自同律)、『Aは非Aに非ず』(矛盾律)、『AはBなるか若しくは非Bなるかなり』(排中律)なる三大原理をその根本原理とするところの形式論理學にあつては、同一事物について肯定すると共に否定するを得ず、否定すると共に肯定することは出來ない。即ち『事物は存在するか或は存在しないかであり』、『一事物はそれ自身であると同時に他のものであることは出來ない。』『然るに世界事物なるものは、不斷の辯證法的運動の中に在るものであり』、『各あらゆる瞬間に於いてそれ自身であり且つそれ自身でないのである。』隨つて我々は、形式論理學的思惟方法を以つてしては到底事物の眞實を把握することは出來ない。これを把握することは、あらゆる事物をば肯定すると共に否定し、否定すると共により高き綜合の中にこれを肯定するところの、即ち形式論理學の『然り、然り、否、否』なる思惟形式に對して『然り、否、否、然り』なる思惟形式を採るところの、辯證法の思惟方法に依つてのみ可能である。即ち、辯證法的思惟方法のみがよく事物を『その關連、その運動、その生滅に於いて把握する』ことが出來、事物の眞實を認識することが出來るものである(エンゲルス『反デューリング論』序説一參照)。因に、マルクス、エンゲルス自身は、形式論理學についてはこれ程明瞭に言つてゐないが、ディーツゲンやプレハノフは立ち入つて斯樣に論じてゐる。(例へば、ディーツゲンの『哲學の成果 Das Akquisit der Philosophie』、プレハノフの『マルキシズムの根本問題 Die Grundprobleme des Marxismus』參照)。

右の如く、辯證法的研究方法とは、辯證法なる考へ方若しくは思惟方法を方法(メトーデ)として應用(アンベンデン)する――普通の科學的研究に於いて形式論理を應用すると同樣に――ことであるが、然らばその場合辯證法は論理的方法論的に如何に應用さるべきであるか? これが、次に我々の當然尋究しなければならないところの肝腎な問題點でなければならぬ。しかるにマルクス、エンゲルスは、これに對する解答の一種と見做さるべきものとしては、單に次の如く言つてゐるに過ぎない。曰く、『だが此處で人或ひは反對して言ふかも知れない。此處に行はれたる否定なるものは決して眞の否定ではない、即ち私は大麥を搗み潰す時に眞に大麥を否定するものであり、昆蟲を踏み潰す時に眞に昆蟲を否定するものであり、正數aを抹殺する時に眞に正數aを否定するものである、云々と。又は、私はこの薔薇は薔薇ではないと言ふ時に、この薔薇は薔薇であるといふ命題を否定するのであつて、若し私がこの否定を更らに否定して、この薔薇は矢張り薔薇であると言ふならば、一體どういふことになるか、と。これらの反對論こそは實に、辯證法に對する主なる反對論であつて、全くその思惟の偏狹固陋を示すに相應しいものである。辯證法に於ける否定なるものは、單に否といふことを意味するものでは、若しくは或る事物が存在しないといふことでは、若しくはそれを任意に破壞するといふことではないのである。既にスピノザが言つてゐる。「Omnis determinatio est negatio(凡て限定は否定である)」、即ち各あらゆる制限若しくは限定なるものは同時に一の否定である、と。而して更らに、此處に於ける否定の方法(アルト)なるものは、第一に過程の一般的性質に依つて、第二に過程の特殊の性質に依つて、決定されるのである。私は、單に否定せずに、その否定を又更らに止揚しなければならぬ。故に私は、第一の否定をば第二の否定が可能な樣に乃至可能となる樣に行(や)らなければならない。如何にしてであるか? 實に、各それぞれの場合の特殊の性質に從つてである。私は大麥を搗き潰し、昆蟲を踏み潰す時、私は成る程第一の所爲(ルビ、アクト)を行つたことになるが、然しそれでは第二の所爲を不可能にして了ふのである。隨つて各あらゆる種類の事物は、その際發展が生ずる樣に否定さるべきその特有の方法(アルト)を有してゐるものである。而してこのことは、いづれの種類の觀念若しくは概念にあつても同樣である。』と(エンゲルス『反デューリング論』ディーツ版第一四四頁――第一四五頁)。

これがマルクス、エンゲルスのその辯證法的方法乃至辯證法的研究方法についての説明の窮極である。要するにそれは、辯證法は形式論理と竝立的若しくは對立的な意味で――〔といふのは、マルキシズムは形式論理をば全然無用なものとして排棄し去るものではない。マルキシズムに依ればたゞそれは『その御自分の平凡な範圍では尊敬すべき代物(しろもの)であるが、一度び廣大な研究の世界に入るや否や』『常に早かれ遲かれ或る界限に行き當る』ものであり、『解く可からざる矛盾に迷ひ込んで了ふ』ものである〕――形式論理と同樣に把握の方法として應用さるべきものであり、而してその如何に應用さるべきかはその對象の如何に依る、といふに止まる。而してこれは一應尤もなことである。然し問題は、これだけでは明らかにされたものと言ふことが出來ない。我々は尚これを、その許されてゐる限り、他の方面から攻究する必要がある。〔七〕

〔七〕マルクスのディーツゲンに宛てた私信や其他に依れば、カント的マルキシストの一人たるカール・フォルレンダーが其著『カントとマルクス』の中に言つてゐるが如く、マルクスは長い間『辯證法』について本を著はそうと企ててゐたものの如くである。彼れはディーツゲンに送つた一書信の中に次の如く言つてゐる。『私は、經濟學上の重荷を下(おろ)したならば、「辯證法」について書くであらう。辯證法の正しい法則は既にヘーゲルの中に含まれてゐる。しかしそれは神祕的形態に於いてゞある。この形態を剥ぎ去ることが必要である。』と。これがマルクスに依つて成されてゐたならば、問題はもつと明らかにされてゐたであらう。しかるに彼れは、周知の如く、如何にも遂にこれを實現し得ずして長逝したのである(カール・フォルレンダー Karl Vorlander『カントとマルクス Kant und Marx』第六五頁參照)。

そもそも辯證法を把握の方法として應用するとは如何なることであるか? 即ち辯證法は、その場合、研究の觀察構成乃至認識構成の上に論理的方法論的に如何なる作用を演ずるのであるか?

既に明らかなるが如く辯證法は、一の思惟方法乃至思惟法則であるのみならず、世界全實在發展の方法乃至法則(理法)である。それは、單なる思考の原理乃至法則ではなくして、それ自身既に一の世界觀たる性質のものである(マルクス、エンゲルス自身又これを世界觀(ヴエルト・アンシアウング)と呼んでゐる)。ところで今、辯證法を方法(メトーデ)として應用(アンベンデン)するとは、斯かるものとしての辯證法なる一般法則を論理的認識論的意味で應用し、それに依つて、從つてその上に、觀察を組み立て認識を構成して行くことであるか? 若し然りとすれば、その研究なるものは、これを結果的に一の論證として見る時は、一の循環論證であり、一の非科學的論證であることを免れない譯である。何故ならば、マルクスの論證せんとしたところのものは結局に於いて辯證法的法則であつて、隨つてそれは、辯證法的法則を論證せんが爲に辯證法なる一般法則を用ひたことになり、論證さるべきものと同性質のものをその前提としたことになるからである。しかるにこれこそは、かのベルリン大學の一私講師であつたオイゲン・デューリング(Eugem Dühring)の論難したところであり(尤も正密にこの樣な論難形態を採つてはゐないが、結局に於いて彼れの論難なるものは此處に歸するものといふことが出來る)、而してマルクス、エンゲルスの力を極めて否定したところのものであつたのである。

デューリングは次の如く論難したのであつた。『この(英國に於ける謂はゆる本來的資本蓄積の發生史の)歴史的抄記(スケツチ)は、マルクスの同書〔『資本論』を指す〕に於いて比較的最も優れたものである。而して若しそれが、專ら學問的支柱(クリユツケ)に依據し、その上に辯證法的支柱に依據しなかつたならば、更らに一層優れたものであつたであらう。といふのは、ヘーゲルの否定の否定は此處で、より優れたる而してより明白なる手段(ミツテル)が無い爲に、産婆の役を勤めなければならないのである。而してそれに依つて、未來が過去の胎内から引き出されるのである。十六世紀以來それとなく行はれて來たところの私有の廢止(アウフヘーベン)〔止揚〕は、第一の否定である。これに次いで、否定の否定たる特色を有するところの、從つて「私有」の復活――尤もそれは、土地及び勞働要具の共有の上に立脚せる一のより高き形態に於いてではあるが――たる特色を有するところの、第二の否定が來るであらう。この新たなる「私有」がマルクス君に依つて同時にまた「社會的所有」とも呼ばれるならば、其處には實にヘーゲルのより高き統一が現はれてゐるのであつて、其處で矛盾が止揚(アウフヘーベン)される譯なのである。即ち言葉の遊戲に從つて克服されると共に保存される譯なのである。……これに依れば、収奪者の収奪なるものは、その物質的外部的關係に於ける歴史的現實の言はば自動的な産物なのである。……ヘーゲル的詐計――否定の否定はその一つである――の信用の上に、考へ深き人間が土地及び資本の共有の必然を信ずることは難かしいであらう。……』(エンゲルス『反デューリング論』ディーツ版第一三〇頁――第一三一頁)。『マルクスの方法なるものは、要するに彼れの信者達の爲に辯證法的不可思議を拵へ上げるに在るのである。』(同第一二三頁)と。これは明かに、マルクスの問題の説即ち資本制所有の崩壞説なるものは、方法的に意識的に、辯證法の理法若しくは法則の上に作り上げられたものであることを論難せるものであり、結局に於いて前に述べた樣な意味に於いて非科學的論證たることを難じてゐるものである〔八〕。

〔八〕因に、この場合、デューリングがマルクスの辯證法とヘーゲルの辯證法とを同一視してゐるものと見らるべきではない。何故ならば、其處には明らかに、『これに依れば、収奪者の収奪なるものは……歴史的現實の言はば自動的産物なのである』と言つてゐるからである。

しからばこれに對してエンゲルスは如何に答へてゐるか? 彼れは實に、マルクスの『資本論』に於ける問題の箇所の説明を引用した後、次の如く言つてゐるのである(拙譯『資本論』改造社版第一卷第二册第七五五頁――第五七五頁參照)。

『さて私は讀者に問ふ。何處に辯證法的に歪み縮んだ錯綜や觀念模樣があるか?……何處に辯證法的不可思議乃至ヘーゲルのロゴス説に準據せる錯綜――デューリング君に依れば、それなしにはマルクスは彼れの發展を成し得ないところの――があるか? マルクスは、曾つて小規模經營がそれ自身の發達に依つてその破壞の、即ち小所有者収奪の、條件を必然的に作り出したと同樣に、今や資本制生産も亦それが爲に滅亡せねばならないところの物質的條件を作り出したといふことを歴史的に簡單に立證し、此處に簡單にまとめて述べてゐるのである。その過程は歴史的なものである。而してそれが同時に又辯證法的なものでもあるならば、それはマルクスの罪ではなくして、それはデューリング君に對して致命的なものであり得るのである。

『マルクスは彼れの歴史的・經濟的論證を了へた後に始めて、「資本制生産方法及び所有方法は、隨つて資本制的私有は、個人的な自己の勞働に基づく私有の第一の否定である。資本制生産の否定は、自然的過程の必然性を以つて、それ自身に依つて作り出される。これ即ち否定の否定である。」云々と言ひ續けてゐるのである。〔因に、本章句の中に、前に辯證法の一般的運動形態例説の際に直接拙譯『資本論』より引用せるところと多少の相違の見えるのは、引用せる『資本論』原本の版の相違に因るものである。〕

『從つてマルクスは、その事象を否定の否定として言ひ表はしてゐる時、その事象をそれに依つて一の歴史的な必然的なものとして論證しようと考へてゐるのではない。反對に彼れは、その事象は實に一部分既に起つて居り、一部分はこれから起らねばならないことを歴史的に論證した後に、その上でそれをある一定の辯證法的法則に從つて行はれるところの一の事象として言ひ表はしてゐるのである。それだけのことである。隨つて若しデューリング君が、否定の否定は此處で産婆の役――それに依つて未來が過去の胎内から引き出されるところの――を勤めなければならないと、若しくはマルクスは人々をして否定の否定の信用の上に土地及び資本の共有を得信せしめんとしてゐると、主張するならば、それは又もやデューリング君の全くの虚構なのである。』と(『反デューリング論』第一三五頁――第一三六頁)。

更らに彼れは、同書序文二の中に次の如く言つてゐる。『而して最後に、私にとつて問題とするところは、自然の中に辯證法的法則を作り入れることにではなくして、自然の中に辯證法的法則を發見し、自然の中からそれを解き示すことにあつた。』と(同書序文第一六頁)。

即ちこれに依れば、辯證法的研究方法とは、辯證法を方法として應用することではあるが、しかしそれは、辯證法なる世界發展の一般的法則を一の認識構成の原理として應用し、その特有の發展形式の上に觀察を組み立てて行くことではない譯である。何故ならば、若し辯證法的研究方法とはその樣なものであるとすれば、それは『自然〔又は社會〕の中に辯證法的法則を作り入れる』ことを事とするものであり、その研究結果を一の論證として見る時は結局『その事象を否定の否定として言ひ表はしてゐる時、その事象をばそれに依つて一の歴史的な必然的なものとして論證しようと考へてゐる』ことになり、『人々をして否定の否定の信用の上に土地及び資本の共有を得信せしめんとする』ことになるからである。

しからば、辯證法を把握の方法として應用するとは結局如何なることであるか? マルクス、エンゲルスは辯證法を把握の方法として應用すると言つた時、彼等は何を考へ、何を考へなかつたであらうか? 前にも言へるが如く、彼等はこれについて別に直接立ち入つた説明を我々に殘してゐない。又、後世のマルキシストもこれぞと思はれる明らかな説明を與へてゐない。が、今これを種々の方面より綜合して考へて見るならば、それは恐らく次の如き意味のものであらうと若しくは次の如き意味のものでなければならないと思はれる。即ち、辯證法を把握の方法として應用するとは、辯證法を研究の一の規範的原理(指導的原理)として採り、その教へる若しくは統制するところに從つて觀察乃至考察を働らかせることである。換言すれば、辯證法的に思惟を働らかせるのである。

例へば今、AならAなる事物若しくは事象をその内的研究理由に依つて對象に採り、これに觀察乃至考察を向けるものとする。その場合、辯證法は我々に、あらゆる事物乃至事象は發展關係の中に存在するものであり、その發展は――――なる三段階を採つて行はれるものであることを教へてゐる。と共にそれは、これを研究の一の規範として採る限り、あらゆる事物乃至事象は斯かる關係乃至關連に於いて研究さるべきことを要求する。故に思惟は、斯かる辯證法の教導若しくは統制に從ふ時は、その場合先づ、その對象の内部的性質を究明し、これをその發展關係に於いて認識することに向けられなければならない。即ち彼れは此處で、その對象の内部的性質をば發展關係に於いて究明し、それが假りに第一段階()の性質のものたる時は斯かるものとして即ちAならAとしてこれを認識する。換言すれば、Aとしてこれを一旦肯定するのである。が彼れは此處に休止することは出來ない。彼れは既に、その内部的性質を究明することに依つて其處に、矛盾の要素即ち發展の因素を見出してゐる。次に彼れは、この發展の因素を導きの糸としてそのの認識に到達しなければならない。斯くて彼は次に、この發展の糸をたどつてAの否定としての非Aの認識に到達するのである。と共に、それ自身又先の肯定を此處で否定することになる。次に彼れは如何にすべきか?辯證法は更らにこの兩者の綜合を求むべきことを命じてゐる。そこで彼れは、更にこの非Aの内部的性質を究明することに依つてその綜合への發展の内在的理由を見出さなければならない。而して彼れは、今や又、これを見出すことに依つて否定の否定)としてのの認識に到達するに至るのである。と共に、それ自身又先の否定を更に否定することになるのである。この肯定は何を意味するか? それは思惟の辯證法を以つて實在(外界)の辯證法的發展を把握することを意味するものに他ならないものである。(この行程は、最初たまたま非A若しくはたるべき性質のものを對象とする場合に於いても、結局行はれ得るものである。その内在的理由の指示するところに從つて考究を遡らせれば宜いからである)。

何が故に斯かる方法は、形式論理學的方法と竝立的な若しくは對立的な性質のものであり、形式論理學的方法に遙かに勝るのであるか、又それは、果してかの『否定の否定の上に土地及び資本の共有を得信せしめんとする』若しくは『アプリオリ的に組み立てる』ところの方法とあらゆる場合本質的に區別さるべきものであるか、その他等々の問題は、此處には別問題である。それは、マルクス批判者の問題とすべきものである。マルクス經濟學説の一般的研究者としての我々の、マルクスの研究方法に就いての攻究は、大體以上を以つて終りとすべきであらう。エンゲルスに依れば、『人間は、散文なる語の生ずるずつと以前から散文を話して來た樣に、辯證法とは如何なるものであるかを知るずつと以前から辯證法的に考へて來たものものである。』而して『それは、ヘーゲルに依つて單に始めて明らかに公式化されて示されたに過ぎないものである。』(『反デューリング論』第一四六頁)。『然し、事實の辯證法的性質に辯證法的思惟の法則の意識を向けるならば、我々は一層容易に』その正しき認識に『到達する』といふ(『反デューリング論』序文第一九頁)。同樣に我々のこの概觀も、比較的容易に、また比較的批判的に、マルクス經濟學説を理解するに至る一のよすがとなることを失はないであらう。

inserted by FC2 system