第一講 唯物史觀

高畠素之

1.緒言

マルキシズムといふ言葉は、廣狹二樣の意味に解することができる。一はマルクスの純學説體系のみを含み、他は更らに近世社會主義運動の直接の基礎となつてゐる運動理論及び實際戰術上のマルクスの思想をも包容する。そこで、同じマルキシズムといふ原語も、前の狹義の場合にはマルクス説(又はマルクス學説)と譯し、後ちの廣義の場合にはマルクス主義とするが至當であらうと思ふ。尤も普通には、後ちの意味に解する場合が多いやうであるが、それは理由のあることである。

元來、マルキシズムは一個の社會思想であつて、社會思想なるものが、純粹な社會科學其他の學問から區別される所以は、それが人類の社會的生活行動を直接に指導し規制するといふ點に存する。科學には理想がない。在るが儘の事物を正直正確に觀察し説明して、その合則性を見出すことが科學の任務である。反對に、社會思想は規範を持つものである。それは單に存在する事物の合則性の發見を以つて滿足することなく、存在する事物に對する正不正を批判し評價して、若しそれが不正なる存在であるならば、これを撲滅し、正しい状態を造り出さうとする願望を抱くものである。この願望が人の行動を導くとき、茲に初めて社會思想なるものの任務が果される。私の講話は斯かる社會思想としてのマルキシズムを絶えず眼界に置き、それに直接關聯して來るマルクスの重要學説のみについて考察を與へ、殊に指定の紙數も至つて制限されてゐるしするから、細目の事項は一切省略することにする。

2.『科學的』社會主義

マルクス主義はみづから『科學的社會主義』と稱へて、マルクス出現以前の『空想的社會主義』と區別する。マルクス以前の社會主義が何故『空想的』であるかといへば、その次第は左の通りである。

マルクス以前の社會思想家は、人間の本性なるものを信じ、東洋思想に所謂『天の道』といふやうな、社會人類を支配する永久不變の自然律があると信じてゐた。天の道に悖る行ひをする人間が不幸と罪惡に陷るごとく、人間の本性に反して邪道に踏み迷つた社會は、窮乏や罪惡の絶え間がない。社會を清い樂園にするには、人間の本性に一致するやうに社會の仕組を造り直さねばならぬ。マルクス以前の社會主義者は、斯やうに考へてゐたのである。

そこで彼等は、何が人間の本性であるか、人間の本性に一致せる社會は如何に組み立てらるべきであるか、と熱心に思索した。そしてその思索の結果として、所謂人間の本性と、これに一致した理想的の社會組織とを考へ出したのである。

社會の人々に人間の本性を知らしめ、理想社會の實現への努力を喚起することが、彼等先覺者の任務であつた。その爲にはあらゆる宣傳方法が採用されたが、その宣傳は勞働階級を中心目標としないで、社會の教養あり才能ある階級を主たる目標とした。なぜならば、教養ある人々の方が一層容易に人間の本性を認識し、才能ある人々の方がヨリ有效に理想社會の實現に盡力し得ると考へられたからである。而して中にはカベーやオーヱンなどの如く、同志を糾合して理想社會を建設し、世人の眼前に實物模範を示さうと企てた者もあつたが、此等の企てはいづれも失敗に終つた。それは失敗するのが當然であつた。なぜならば彼等『空想家』は、現實の社會を認識することが不十分であつたからである。現實の條件を無視して、ただ自分の頭の中で勝手に造り上げた計畫に基づいて、新社會を建設しようとしたからである。これを喩へるならば、土臺を築かず材料を檢べずに、家を建築しようとしたやうなものである。

マルクスの態度はこれと正反對であつた。マルクスも亦、社會の現状を憎み、正しき社會を求める心情に於いては、空想的社會主義者と異なるところはなかつたが、他面に於いては、冷靜なる科學者の眼光を以つて、現實の社會を觀察し、解剖することを忘れなかつた。彼れは現在の資本主義社會の仕組が如何なる具合に出來てゐるか、この社會は如何なる方向に向つて進化の道程を辿つてゐるかを明かにし、その結果として、現在の社會組織は將來必然的に崩壞し、これに代つて新たなる社會が實現さるべきことを豫想したのである。彼れはもはや、永久不變の人間の本性なるものを信じなかつた。彼れにとつては、現在の社會は人間の本性に逆つて、人間が勝手に造り上げたものではなく、社會それ自身の進化過程から、必然的に生れ出たものである。それは空想的社會主義者が考へたやうに不合理な存在ではなく、存在すべき理由があつて出來上つた社會である。けれどもマルクスの見解は、單にこれだけに止まるものではなかつた。現在の社會は進化過程から必然的に生じたものであるけれども、その内部には、更らに新たなる社會形態に進化すべき要素を含んでゐることを彼れは見て取つた。現在の社會は資本主義の經濟組織に依つて立つものであるが、その經濟組織は、自己の内部に或る矛盾を包藏してゐる。この矛盾は、資本主義經濟の發展と共に益々増大するものであつて、結局は資本主義社會の崩壞、社會主義社會の實現を招來せねば止まぬものである。マルクスはこの事實を、資本主義經濟の科學的分析に依つて、實證的に論證したのである。

『空想的社會主義』に於いて理想された社會は、その實現を保證する確實な根據を持たなかつた。しかるに、マルキシズムは、社會主義社會の實現を保證する實證的理論を提出した。マルクスの生涯の友であり、且つ彼れの思想の祖述者であつたエンゲルスは、『一定の數學の方式から、一つの新たなる方式が推論せられると同樣の確實さを以つて、我々は現在の社會事情及び經濟學の原則から社會革命を推論し得る』と言つてゐるが、マルクスの信ずるところも亦、これと異ならない。近世の科學的精神に一致した斯かる保證を、勞働階級の勝利に對して與へたことこそ、マルキシズムが現在我々の見る通りに、深く廣く勞働階級の精神を動かすに至つた一大原因である。

マルキシズムと雖も、一個の社會思想であるから、感情も含めば、理想も抱き、到底星學や物理學のやうな意味での科學的たり得るものではない。然し斯かる感情や理想に、科學的の支持を與へたところに、他の社會主義に見られない強味が存するのである。然らばマルクスの斯かる科學的態度は、何處から出て來たかといふに、それは彼れの唯物史觀に胚胎するものである。唯物史觀は實にマルクスの全思想を貫く導索ともいひ得るものである。資本主義社會はそれ自身の内部に包藏する矛盾に依つて、必然的に崩壞し、これに代つて社會主義の社會が出現するに至るといふ彼れの説は、唯物史觀の直接の應用と見做し得る。そこで我々は先づ第一に、彼れの唯物史觀を知る必要がある。

3.唯物史觀の要領

唯物史觀に關する纏つた記述としては、マルクスがその著『經濟學批判』の序文の中に書いたものと、エンゲルスが其著『空想的及び科學的社會主義』の中に書いたものとがあるが、殊にマルクスが『經濟學批判』の序文の中に書いた唯物史觀の要領記は、直截簡明に要點を記したものとして有名である。今、その全文を譯載して見る。

『人類は彼等の生活の社會的生産に於いて、一定の、必然的の、彼等の意志から獨立した事情に、即ち彼等の物質的生産力の一定の發達段階に相應した生産事情に入るものである。此等の生産事情の總和は社會の經濟的構造を成すものであつて、法律上竝びに政治上の上部構造を作り上げる現實的の基礎であり、又これに相應した一定の社會的意志形態を生ぜしめるものである。物質的生活の生産方法こそ、社會的、政治的、及び精神的の生活行程一般を決定する。人類の意識がその生活を決定するのではなく、寧ろ反對に、人類に社會的存在がその意識を決定するのである。

『然るに社會の物質的生産力は、その發達の或る段階に於いて、現在の生産事情と矛盾することになつて來る。換言すれば、この生産事情の法律的表示に過ぎないところの、而して從來この生産力を自己の内部に活動せしめてゐたところの、財産關係と矛盾することになる。即ちこの生産力の發達形式たる事實から一變して、その障碍物と化して來る。茲に於いて、社會革命の時代が始まる。經濟的基礎が變化すると共に、その巨大なる上部構造もまた、或は徐々に或は急激に革命される。

『此等の革命を考察するに就いては、科學的に眞實な立證をなし得べき經濟的生活條件の物質的革命と、人類が此矛盾を意識してこれと決戰せんとするところから起る法律的、政治的、宗教的、藝術的、哲學的、これを一言にすれば精神的革命とを、常によく區別する必要がある。我々が或る個人を批判するに決して多く其人の自ら考ふるところに依らざると同じく、我々が或る革命時代を批判するにも、決して多くその時代の意識によることは出來ない。我々は寧ろその物質的生活の矛盾の中からして、この意識を説明せねばならない。

『一定の社會形態は、その内部に包容せる總べての生産力が十分發達した後でなければ、決して亡びるものではない。そしてヨリ進歩した生産事情が出現するには、それを決定すべき物質的條件が既に舊社會の翼の下に孵化されてあらねばならない。故に人類は常に解決し得べき問題のみを提起するものである。ヨリ精密にこれを考察すれば、凡そ問題なるものは、必ずこれを解決すべき物質的條件が既に存在するか、或は少くとも、發生しかけてゐるところにのみ生ずることが知られる。

『我々はアジア諸國、上古諸國、封建時代、及び近世資本制時代の各生産方法を以つて、社會の經濟的進化の列次的大別となすことが出來る。而して今日の資本制生産事情は、社會的生産行程における最後の軋轢形態を成すものである。而してこの軋轢たるや、個人的軋轢の意味ではなくして、各個人の社會的生活條件から生ずる軋轢である。

『然るに、この資本制社會の内部に發達した生産力は、同時にまた、右の軋轢を解決せしむべき物質的條件を作る。故に資本制社會形態と共に、人類の歴史前紀が終りを告げるのである。』

4.物質的生産力と精神文化

唯物史觀の要領は右の一文に示される通りであるが、これを幾分立ち入つて吟味して見ると、そこには劃然區別し得べき二つの思想が盛られてゐる。その一は、人類の經濟生活が精神的文化を決定するといふ思想、その二は、社會組織が物質的生産力に依つて決定されるといふ思想である。『此等の生産事情の總和は社會の經濟的構造を成すものであつて、法律上竝びに政治上の上部構造を造り上げる現實的の基礎であり、又それに相應した一定の社會的意識形態を生ぜしめるものである。物質的生活の生産方法こそ、社會的、政治的、及び精神的の生活行程一般を決定する。人類の意識がその生活を決定するのではなく、寧ろ反對に、人類の社會的存在がその意識を決定する』といふ一句は前者を示し、『人類は彼等の生活の社會的生産に於いて、……彼等の物質的生産力の一定の發達段階に相應した生産事情に入るものである。此等の生産事情の總和は、社會の經濟的構造を成すものであつて云々』は後者を示すものである。而して自餘の文言は皆、この第二の思想、即ち生産力が社會組織を決定するといふ思想に關聯してゐる。

先づ第一の思想について、解釋を與へよう。マルクスのこの思想の根柢に横つてゐるものは、彼れの唯物哲學である。マルクスは青年時代には『觀念が宇宙の本體であつて、物質世界は觀念から派出するものである』といふ、ヘーゲル流の唯心哲學を信奉してゐたが、後にフォイエルバッハの影響を受けて、『觀念から物質が派出するのではなく、むしろ物質から觀念が派出するのである』といふ、唯物哲學を信ずるに至つた。この唯物哲學の要點は、フォイエルバッハの次の言葉によく言ひ現はされてゐる。『人間と自然との外には何物もない。人間よりもヨリ高級なる實在と稱するものは、實は人間の宗教的想像が生んだもので、畢竟するところ、我々の個性の想像的反映に過ぎない。』即ち人間及び自然(人間も亦自然の一部であるが)が主であつて、思想は客である。思想は人間及び自然の原因ではなくて結果であり、ヨリ精密に言へば自然の一屬性である。『我れ』といふ意識が『我れ』を存在せしめるのではなく、『我れ』といふ物質的存在があるから、意識が生れると謂ふのである。

マルクスは斯かる哲學的立場からして、社會における種々なる精神的文化形態は、その社會の物質的生活に依つて決定されると説くやうになつた。物質的生活とは、經濟的生活のことに外ならない。人間は食物を得なければ餓死する。又、衣服と住居とを得なければ、寒暑にあてられ雨露に冒されて死滅する。人間は生きんことを欲する。それ故、人間にとつて最も大切なことは、生活に必要な物質を獲得することである。生活資料を獲得する方法は、生産力の如何に依つて決定され、生産力が變化すれば生産方法もこれに伴つて變化する。而して人間の社會的生活行動、相互間の感情、法律及び習慣、道徳上の觀念等、これら一切のものは、生産方法の變化と共に變化することになるのである。

以上の思想を更らに分解して見ると、物質的生産力に相應して、人類の精神的文化が成立するといふ靜的理論と、生産力の變化と共に精神的文化が變化するといふ動的理論との二要素に區別される。而してこの動的理論こそ、マルクスの階級鬪爭説の基礎となるものであつて、最も大切な要素であるが、便宜上これは後ちの説明に讓る。

5.物質的生産力と社會組織

次ぎに第二の、生産力が社會組織を決定するといふ思想の解釋を與へよう。凡そ人類の歴史が始まつて以來、人類は常に大小何等かの社會に於いて、その生活資料を獲得し來たつたものである。家族以上に大きな社會がなかつた時代にも、その小なる家族といふ社會關係の内部に生産が行はれてゐた。即ち生産は常に、一定の社會的性質を帶びてゐたのである。マルクスは既に、1849年『新ライン新聞』に掲げた『賃銀勞働と資本』と題する論文の中にこの事を論究して言つた。『人間が生産上に關係するところのものは、單に自然のみではない。人間は一定の樣式で協力し互ひにその活動を交換して生産を行ふ。人間は物を生産するために、相互に一定の關係及び事情に入る。而してこの社會的なる關係及び事情の内部に於いてのみ、人間對自然の關係が、生産が行はれるのである。』『この生産事情の總和こそ、人の呼んで社會的關係即ち社會と稱するものを構成するのである』と。

曩の要領記に依れば『人類は彼等の生活の社會的生産に於いて、一定の、必然的の、彼等の意志から獨立した事情に』入るとしてある。『彼等の生活の社會的生産』とは即ち、彼等の生活を維持するに必要な物質を、孤立的にではなく、他人との協力に依つて生産するといふ意味である。而してその『社會的生産』をなすのに、『一定の、必然的の、彼等の意志から獨立した事情』に入り込むとは、我々が生活資料の生産のために入り込む社會的關係は、我々自身が任意にこれを決定するものでなく、社會の物質的生産力に依つて決定されるといふ意味である。

例へば、今日の如き工場生産の發達した世の中では、僻村の農夫と雖も昔のやうに自分の被服を自分で織るやうなことはしないで、農産物を賣つた金で都會の生産者からこれを買ふ。これは彼れが好んでするのではなくて、さうしなければ、即ち自ら織物を織るとすれば、その勞働が引合はないことになり、他人よりも高價な衣服を著ることになるからである。また都市の無産者は、好むと好まぬとに拘らず、資本家に勞力を賣つて賃銀を得、それでもつて必要な生活資料を買はねばならない。即ち彼れ自身の意志から獨立した、必然的の、一定の社會的關係に入り込む所以である。

『この生産事情(一定の社會的關係)の總和は、社會の經濟的構造をなすものであつて、法律上竝びに政治上の上部構造を作り上げる現實的の基礎である。』人間が相互に連絡し關係を結んで行動するとき、その行動には何等かの組織が與へられる。法律は各人が爲すべき事と爲すべからざる事とを定め、政治は法律の運用を司る。斯くして一定形態の社會組織が生ずる。例へば封建社會は、その時代の生産事情に相應する法制や政治を持つてゐた。しかし機械の發明、交通の發達等に依り生産事情が變化すると共に、封建社會の社會組織は變化して、大いに面目を異にするところの資本主義社會組織が現はれたのである。

ところで、社會組織の形成實體を成す生産事情なるものは、『物質的生産力の一定の發達段階に相應して』定まるものである。然るに社會の物質的生産力は不斷に進行して止まない。その進歩は、マルクスの見解に從へば、第一に生産機關の進歩に依つて行はれる。マルクスはこの生産機關の進歩といふことを極めて重要視した結果、上記『賃銀勞働と資本』の中では、生産機關と生産力とを同一視するやうな傾きを示した。即ち曰く、

『生産機關の性質に從つて、生産者が相互に入る社會的事情も亦、當然異つて來る。即ち生産者がその活動を交換し、生産上の總行爲に關與する條件も亦、異つて來るのである。新たなる武器銃砲の發明と共に、軍隊の全内部組織は必然的に一變され、個々人が軍隊を組織し、軍隊として作用し得る事情、竝びに各軍隊相互の關係も亦、それと共に變化したのである。

『斯くの如く、個々人が依つて生産するところの社會的事情、即ち社會的なる生産事情は、生産機關の、即ち生産力の變化發達と共に變化する』と。

右の文意に從へば、マルクスは機械や道具の發明改良のみが生産事情の變化を促すと言つてゐるやうにも受け取れる。然し、これは信じ兼ねる理窟である。何故ならば、單に生産機關ばかりでなく、勞働の熟練程度も、科學や工藝の發達も、道徳も、分業も、協業も、地理も、氣候も、人種的特徴も、此等の要素はみな生産力を變化せしめる原因となり、延いては社會進化を喚び起すところの原因ともなり得るからである。勿論、此等の原因は、常に直接社會進化を喚び起すものとは限らない。此等のものが現實に於いて社會進化を決定するには先づ生産力を動かさなくてはならない。此等の要素は生産力に變化を與へるときに、初めて歴史的變化の原因となり得るのである。隨つて、生産力そのものは原因でなく、寧ろ他の伏能的な原因要素(生産機關はその中の一つに過ぎぬ)を現實的の原因たらしめる、唯一の制限的條件となるものである。そこで『賃銀勞働と資本』よりも後に書いた『經濟學批判』の中では、マルクスが生産力の變化を以つて生産事情の變化を決定せしめてゐるところから推して、生産力は生産事情を變化せしめる唯一の制限的條件であり、生産機關その他のものは生産力に變化を與へる限りに於いてのみ、生産事情を變化せしめる現實的な原因になるといふ風に、マルクスの眞意を解するならば、マルクスの唯物史觀は餘程無理が減つて來る譯である。

我々は今や既に、社會組織の變化といふ問題に踏み込んで來た。これまでのところでは、生産力と社會組織との適應といふ靜的問題を論じたのであるが、今や生産力の變化と共に社會組織が變化するといふ動的問題を論ずる段取りとなつた。『經濟學批判』の要領記には、生産力の變化と共に社會組織の變化する次第が、次のやうに記されてゐる。

社會の物質的生産力はその發達の或る段階に於いて、現在の生産事情と矛盾するやうになる。換言すれば、この生産力の法律的表現に過ぎないところの、而して從來この生産力を自己の内部に活動せしめてゐたところの、財産關係と矛盾することになり、この生産力の發達形式たる事實から一變して、その障碍物と化して來る。茲に於いて、社會革命の時代が始る。經濟的基礎が變化すると共に、その巨大なる上部構造もまた革命されると。

一定の社會組織は、生産力の發達程度に相應して出來上るものであるから、それは或る期間引續いて生産力と良く調和する筈である。けれども社會組織なるものは、一旦出來上つてしまふと、法律や習慣を以つて固められ化石化して來る。ところが、生産力の方は不斷に發達してゐる。それ故、或る期間を經て生産力の發達が或る程度以上に達すると、舊來の儘變らないでゐる社會組織と調和し得なくなる。例へば、中世のギルド制度といふものは、鍛冶屋なら鍛冶屋といふ職業の、獨立した經營者(即ち親方)たる者の數を、一定の地域で何人といふ風に定めて組合を作り、他からこれに割り込むことを禁じてゐた。そして、一人前の職人たる資格を得るには、7年とか10年とかいふ長い期間、年季野郎として一定の親方のもとに只奉公しなければならぬといふ掟を定めた。生産力の幼稚な時代には、斯樣な制度も良く生産力と調和し、産業保護の目的に役立つたのである。然るに、生産力が段々發達して來るに從つて、こんな制度は窮屈でたまらないものとなり、生産力の發達を妨害するやうになつた。そこで、職業選擇の自由といふことや、勞働契約の自由といふことが、近世期に近づくと共に、熱心に唱へられて來たのである。

これは、ほんの部分的な一例であるが、兎に角、社會組織は、或る段階に達するとき生産力と矛盾衝突するやうになる。かの明治維新の革命なども、矢張り斯ういふ社會的必要に動かされたものである。もつとも、この矛盾衝突が生じたからとて、直ちに社會組織の變化が起るといふわけでなく、舊來の社會組織の妨害を受けながらも、生産力は尚ほ發展をつづけるのである。然しその發展と共に、社會組織との矛盾衝突は益々甚だしくなり、つひには社會革命の避くべからざる最後の段階に到達するのである。

新たなる社會組織は、斯くして舊社會に取つて代ることとなるのであるが、然しそれは舊社會と何等の連絡もなく起るものではない。マルクスの言ふごとく『一定の社會形態は、その内部に包容せる總べての生産力が十分發達した後でなければ、決して亡びるものではない。そしてヨリ進歩した生産事情(社會關係)が出現するには、それを決定すべき物質的條件が既に舊社會の翼の下に孵化されてあらねばならない』のである。例へば、鷄の雛は、忽然として卵の中から飛び出すものではない。卵の殻の中で、十分に成長して、殻から外へ出ても差支ない状態に達したとき、初めて殻を破つて出て來るのである。新社會が舊社會から出て來るのも、これと同樣であつて、物質的條件が舊社會の内部で既に十分成長したとき、茲に初めて新社會が完全に出現して來るのである。

以上の論究を概括すると、初めに一定の社會組織は生産力と調和するが、生産力が段々發達して來ると兩者の間に矛盾を來たし、この矛盾が益々増大するに從ひ、新たなる社會を成立せしむべき物質的條件が成長して、遂には新たなる社會を出現せしめ、かくして社會的の矛盾が一先づ解き去られることになるといふのである。この思想は、マルクスの單なる思ひつきから生れたものではない。その背後には、マルクスが若いころ傾倒したところのヘーゲル哲學が横はつてゐるのである。ヘーゲルは、宇宙の發展は觀念の發展から生ずると説いた。然らば、觀念は如何にして發展するかといふに、一の觀念は必らずその反對の觀念を伏藏するものであつて、この伏藏的の觀念が成長して顯在的となるに至ると、茲に矛盾した兩觀念の對立を來たす。而してこれらの兩觀念はやがて、更らに高級なる一觀念に綜合せられ、かくして右の矛盾は解決せられる。然るに此第三の觀念は又、その正反對の觀念をば自己の内部より生み出して新たなる綜合を促し、かくして更らに高級なる觀念へと上進して行くのである。即ち觀念の發展は『正―反―合』の行程を經て進み、次第に低級より高級へと上進する、と謂ふのである。これはヘーゲルの『辯證法』と稱へられるものであつて、マルクスはヘーゲルの唯心哲學は捨てたが、辯證法は固く保持して、これをフォイエルバッハ流の唯物哲學に結びつけ、これを以つて彼れの唯物史觀の基石となしたのである。

6.階級鬪爭

社會は上來論じ來つた通りの行程を經て進化するものであるが、この進化は動植物の進化に於ける如く、所謂自然的に行はれるものではない。社會を組織してゐるのは生きた人間である。人間を除いて社會は無いのであるから、社會の變革は人間を通して行はれるのである。人間は生活上の種々なる欲望を持つてゐる。欲望を充足するには、物質的の生産をしなければならない。然るに人間の數とその欲望とは益々増大して行くのであるから、益々多くの物質を生産しなければならなくなつて來る。そこで生産力の不斷の發達が必要になる。ところが生産力の發達と共に、一定の社會組織が障碍物となるのであるから、人間は次ぎ次ぎに舊い社會組織を捨てて、新らしい社會組織を建設して行かねばならない。然らば過去の社會的進化は果して、社會全員の一致協力を以つてなされたかと言ふに、決してさうではない。マルクスは『共産黨宣言』の冒頭に『從來の一切社會の歴史は階級鬪爭の歴史である』と書いてゐる。何故さうであるか。

過去に於ける一切の社會(現在の社會もさうであるが)は、經濟的に他人の勞働を搾取する階級と、他人に搾取される階級とに分裂してゐた。一定の社會組織が出來上つたとき、その社會組織なみに、搾取階級と被搾取階級とが出來上るのである。或る一定の社會組織のもとで、搾取者の地位を占める社會階級は、自分達の地位を保護してくれるところの社會組織をば、永久に保存せしめようと努める。搾取階級は富と力とを有するから、政治上の權力をその掌中に収め、これを運用して既存社會組織の基礎を動搖せしめるところの全行動を禁壓する。更らに又、彼等は生活に餘裕があるから知識的であり、この知識を以つて既存の社會組織は良いものであるといふ觀念を社會に流布する。即ち上記の要領記に謂ふ『社會の經濟的構造』の上に保守的肯定的なる『社會的意識形態』が成立して來るのである。

然るに他方に於いて、被搾取階級は初めの間は搾取階級に對して從順である。社會組織と生産力とが調和してゐるため、彼等は大なる苦痛を感じないからである。苦痛は感ずるとしても、搾取階級に對して反抗し得べき力を感じないからである。ところが、生産力が次第に發達し、社會組織との矛盾が甚しくなると共に、彼等の意識に變化が生じて來る。新たなる社會組織が、それに適應すべき物質的條件たる新たなる生産機關や、新たなる勞働方法と直接の交渉を持ち、これを運轉せしめる者は彼等であるから、彼等はその實生活の上から、次第に新たなる精神を獲得して來る。

更らに他面に於いては、斯ういふことも起つて來る。即ち生産力は既に十分以上に發達してゐるのであるが、當面の社會組織が存在してゐるため、その能力が發揮されない。生産力を十分發揮せしめたならば、今よりも豐富に物質が生産されて生活が豐かになる筈であるから、何とかして當面の社會組織を變へねばならぬといふ考が生じ、斯くして、當面の社會組織を變へねばならぬといふ進歩的思想と、新たなる物質的條件に育まれた理想とが、被搾取階級の意識に上つて來る。

茲に於いて、搾取階級の保守的肯定的な精神と、被搾取階級の進歩的否定的精神との間に、一つの鬪爭が生じ、それが行く所まで行つて、遂に革命時代を開始せしめるのである。この戰ひに於いて、被搾取階級は必らず勝利を得、而して政治的、法律的、宗教的、藝術的、哲學的――これを一言すれば、社會の全上部的構造を一變せしめる。若しさうならないとすれば、その社會の生産力の發達は止まつて、社會は衰退し滅亡することになるのである。

マルクスがエンゲルスと共に執筆して1848年に公けにした『共産黨宣言』といふ小册子は、主として現代の社會に對し上述の如き階級鬪爭説を力説したものであるが、その叙述に依れば『一切社會の歴史は階級鬪爭の歴史』であつて、自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と職人、即ち壓制する者と壓制される者とは、古來常に相反目して、或は隱然、或は公然たる不斷の鬪爭を續けて來た。昔の社會は幾つもの身分階級に分裂してゐた。古代羅馬の社會には、貴族、騎士、平民、奴隷等があり、中世社會には、封建諸侯、家臣、ギルドの親方職人、農奴等があり、且つ此等の者の殆んど總べてを通じて、又それぞれの等級があつた。封建社會の沒落から生れ出でた近世の資本制社會も亦、階級の對立を廢絶した譯ではない。それは古き階級の代りに、新たなる階級と、新たなる革命の條件と、新たなる鬪爭の形態とを齎らしたのみである。近世の資本制社會は、その階級對立を單純化したといふ特徴を持つてゐる。全社會は今や、有産者(生産機關の所有者)と無産者(生産機關を持たぬ勞働者)との直接相對峙した二個の階級に分裂されることになつた。今や此等の兩階級は、決死的の××をなさうとしてゐる。無産者がこの××××××××時は、即ち社會から階級對立が廢除される時となるのである。何故ならば有産階級あつての無産階級であつて、有産階級が亡びれば、必然に無産階級もなくなり、社會は平等の状態に歸するからである。

そこでマルクスは曰く、『資本制社會の内部に發達したる生産力は、同時にまた、右の軋轢を解決せしむべき物質的條件を作る。故に資本制社會形態と共に人類の歴史前紀が終りを告げるのである』と。

右に述べたごとく、無産者と有産者との軋轢は、彼等の社會的生活條件から生ずるものであり、而して資本制社會の内部に發達した生産力はこの軋轢を解決せしむべき、即ち無産者の勝利に導くべき物質的條件を作るのであるが、然らばその『社會的生活條件』とは如何なるものであり、軋轢を解決すべき『物質的條件』とは如何にして作られるものであるかといふ問題が起つて來る。これは、資本制經濟の分析に依り初めて知られる所のものであつて、次講以下の話題の主要部分を構成すべきものとなる。

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