第三講 中間階級のプロレタリア化とプロレタリアの窮乏増大

高畠素之

1.資本集中の社會的影響

マルクスは、資本主義經濟の發展法則の内に、資本主義經濟そのものを崩壞に導くところの必然的傾向を看取した。資本の蓄積が進行し生産力が増進するに從つて、一方には餘剩價値の生産、他方には餘剩價値の實現が、ますます困難となつて來る。更らに詳しく言へば、生産の發展に伴つて、一資本を組成する不變資本(生産機關)と可變資本(勞働力)との兩部分のうち、不變資本の占むる比率が次第に増大して、可變資本の比率が次第に減少する。然るに餘剩價値なるものは、專ら可變資本のみから生ずるものである故、餘剩價値搾取の率は増進しても、右の如き資本組成の變化に依つて、資本總額に對する餘剩價値の率はますます低下することを免れない。

他方に又、生産力の増進につれて、ますます多量の商品が生産されることになるけれども、國民の購買力の増進がこれに伴はぬため、生産した商品が賣れなくなるといふ、所謂生産過剩の現象を招いて、餘剩價値を貨幣に實現する機會が失はれて來る。斯くして資本家は、生産力が餘りに増大したために利潤を得ることが出來ないといふ、皮肉な立場に陷るのである。

然るに利潤の獲得は、資本制生産の唯一の動機であり目的であるから、生産過剩が慢性的となつた時は、これ取りも直さず、資本制生産が最後の行詰りに到着した時であつて、資本制生産は遠からず自己崩壞を遂げねばならなくなる。これがマルキシズムの資本主義崩壞説の大略であつて、詳細は前講に述べた通りである。(なほ、この問題に就いて立ち入つた説明を求められる諸君は、拙著『マルクス十二講』第五講『マルクスの資本主義崩壞説』及び拙譯『唯物史觀の改造』第六章『資本主義經濟制度の崩壞』を參照せられたい)。

以上の崩壞説は、資本主義經濟が如何にみづから自己の墓穴を堀りつつあるか、如何に自己崩壞への道を急ぎつつあるかを示す。資本主義經濟は誰れの手を藉りなくとも、それ自身の内在的法則に從つて自然に必然に崩壞して行く。人がこれを亡ぼさないでも、經濟上の法則が必然的にその滅亡を實現してくれる。

然しマルクスの見たところは、單にこれだけではない。マルクスは單に、資本主義經濟がそれ自身の内部に作用するところの物質的原因に依つて滅亡への道を辿ることを見たばかりでなく、又この同じ原因が一面には中間階級のプロレタリア化、他面にはプロレタリアの窮乏増大を伴ふことに依つて、プロレタリア階級の擴大と自覺とを刺戟し、以つてプロレタリア階級が資本主義倒壞の意識的戰鬪要素となることをも力説したのである。

マルクスは『共産黨宣言』の中で次の如く述べてゐる。『從來の中間階級の下層に屬する人々、即ち小産業經營者や、小商人や、賃子生活者や、手工職人や、小農民など、これら一切の階級はプロレタリアに落込んで行く。それは一部的には、彼等の小資本が大産業の經營に十分でなく、ヨリ大なる資本家との競爭に負けてしまふことに起因し、一部的には又、彼等の熟練が新たなる生産方法のために無價値とされることに起因するのである。』斯くして資本主義の發達と共に中間階級が漸次に消滅して、『社會は次第に、相對立する二大陣營に、直接相對立する所の二大階級に、即ちブルヂォアとプロレタリアとに分裂する。』

然らばプロレタリア階級の運命は如何にといふに、この階級は從來の被壓伏階級よりも一層惡い運命の下に置かれる。『農奴は農奴制の下に於いても社會の公民に立身することが出來たし、小市民は又、封建的專制政治の軛の下に於いてもブルヂォアに立身することが出來た。然るに近世の勞働者は、産業の進歩と共に向上することなく、却つて彼れ自身の階級の條件よりも以下にますます深く沈んで行く。勞働者は窮民となり、窮民は人口と富の増加に比してヨリ急速に發達する。』斯樣にして、ブルヂォアに對するプロレタリアの階級的反感は増大することになるのである。生活の欲望は、プロレタリアの努力を喚び起す。けれども彼等の欲望は上層階級への立身に依つて充たされるものではない。彼等は自己の頭上に在る一切の階級搾取を空中に吹き飛ばさないでは、みづから獨立した地歩を占め、獨立した自由の人格となることが出來ない。彼等はブルヂォアを壞滅せしめ、隨つて又、ブルヂォアに對立するところのプロレタリア自身をも廢絶してしまはねばならないのである。斯くして社會革命を目的とするところの階級鬪爭が喚び起され、資本主義經濟は自己崩壞を遂げるに先だつて、早くもプロレタリアの階級的意識行動のために崩壞せしめられることになる。

2.小規模生産の衰滅

一つの生産部門に大規模の機械生産が侵入すると、從來その生産部門に繁榮してゐた手工業的の小規模生産は、忽ち地位を奪はれて姿を消してしまふ。この言ひ方は幾分誇張に失する嫌ひがあり、現實的の行程はそれほど單純に端的に進行するものではないであらうが、少なくとも小規模なる手工業的生産の生産者に對する意義が、全く一變してしまふことは事實である。話を解り易くするために、一つの例解と採らう。

紺屋といふ染色業は、從來我國に久しく榮えてゐた手工業部門である。如何なる村落小邑へ行つても、紺屋の見られぬ所はなかつた。然るに、機械的設備を以つてする大染色工場が起つてからは、紺屋なるものの存在は殆んど忘れられてしまつた。勿論、全然消滅してしまつた譯でない。思ひ掛けない裏町で、數個の藍壺を擁した紺屋の存在を見受けることも往々はある。だが、斯ういふ紺屋の暖簾から我々の受ける感じは、つねに懷古的である。この感じに錯誤はない。實際に、斯種の舊式な紺屋は産業界の現役軍から既に隱退してしまつたのである。從前に於いては、紺屋は製絲業や機織業と竝立するところの重要な一産業であつた。然るに今日では、氣まぐれ的な特殊の趣味を有つた顧客が染直しの反物ぐらゐを對手とするところの微々たる産業に過ぎなくなつてしまつたのである。

更に紺屋の營業が、その經營者にとつて如何なる意味を有つかを考へて見る。いまだ染色會社の出現しない當時に在つては、紺屋の主人は染色工業界の立物であつた。彼れの上方に位ゐする資本家は居らなかつた。然るに今日では、彼れは最早や染色工業界の立物ではない。寧ろ下積みである。収入の點から見ても、彼れの位置と、染色會社の職工の位置とには大した違ひがない。彼れの取る手間賃は、ブルヂォア的生活を營むには到底十分でない。のみならず、一旦不景氣風にでも吹かれた日には、なまじつか屋臺骨を持つ彼れは、一介の職工よりも餘計な苦みをせねばならないといふ有樣である。

斯樣な事は單に紺屋のみでなく、從來存在してゐる如何なる小規模生産についても言ひ得るところである。大量生産に適しないとか、機械を用ゐては引合はないとかいふ特殊の理由に依つて、工場生産の發達が阻まれてゐる産業部門を除いて考へるならば、小規模生産が時々刻々衰滅に向ひつつあることは、何人も深い觀察を費さずして直ちに看取し得るところの事實となつてゐる。これは自由競爭を基礎とする商品生産の結果として、免れ得ないところである。大規模なる機械生産が、如何に價安く物を造り得るかは、取り立てて説明する必要もあるまい。手工業的なる小規模生産の比較的價高い生産物を以つてしては到底此等の機械的生産物と競爭し得るものではない。

茲に別して注意を要することは、資本家は商人として手工業者よりも有利な地位に置かれてゐるといふ一事である。彼れは原料其他の生産機關をば多量に買ひ込むことが出來る。彼れは手工業者よりも完全に市場を觀察し得る。いつ價安く買つて、いつ價高く賣るべきか、此等の時期をよく辨へてゐる。その上彼れはこの時期の來るまで、悠々と待つことの出來る資力を有つてゐる。この最後の一點だけからしても、手工業者は到底、競爭に打勝つ見込みがないのである。

斯樣にして小規模の産業經營は、ますます大規模經營のために壓迫されて、その數を減ずることになる。正統派マルキシズムの公認代表者たるカール・カウツキーは、この傾向を示すため、その著『エルフルト綱領』の中に次の統計を掲げてゐる。

1882年より1895年に至るドイツ工業上の大、中、小經營數の變動

(1882年) (1895年)
小經營 (勞働者1―5人) 2,175,857 1,989,572 8.6%減
中經營 (勞働者6―50人) 85,001 139,459 64.1%増
大經營 (勞働者50人以上) 9,481 17,941 89.3%増

1895年より1907年に至るドイツ工業上の大、中、小經營數の變動

(1895年) (1907年)
小 經 營 1,989,572 1,870,261 6.0%減
中 經 營 139,459 187,074 34.1%増
大 經 營 17,941 29,033 61.8%増

以上は專ら工場に就いて述べたところであるが、小規模生産が最も頑強に根を張つてゐる農業方面いついても、同樣の事が言ひ得るであらうか。マルクスは、小農民も亦資本主義の影響を受けて漸次に衰滅すると主張してゐる。彼れは『資本論』第1卷(新潮社版664頁)の中に述べて曰く、『大工業は舊社會の藩屏たる獨立農民を勦絶し、換ふるに賃銀勞働者を以つてする。この意味に於いて、大工業は農業部面に最も革命的な作用を與へる譯である。農村に於ける社會的變革の要求や階級對立の事實も、かくして都會に於ける此等の事實と同一の水準に歸することとなる』と。蓋しマルクスの豫想によれば、發達した機械が大工業から農業部面に侵入して、舊來の小規模な農耕方法を革命することになる。これは、舊來のマルクス主義者が一般に抱懷してゐたところの信條であるが、其後に於ける農業上の發達傾向は、この信條の通りには進行しなかつた。機械が農業上有效に使用され得る範圍は、餘り廣くないことが明かとなつたのである。

そこで近年、カウツキーの如きは機械に重きを置かないで、別途の見地から小農業の衰滅を力説するやうになつた。カウツキーに依れば、農業生産が自家用品の生産から商品の生産に轉化されるに從ひ、小規模の農業は手工業と同樣な運命に陷つて來る。大農業者は小農民に比して、たとひ、同じ面責の土地からヨリ多量の生産をなし得ないとしても、あらゆる資本家が手工業者の上に占めるところと同樣な、市場をヨリよく觀察し支配し得るといふ有利な地位を占めることが出來る。

資本家的大農經營者は、小農民に比すれば、ヨリ優秀な道具及び機械、ヨリ優良な種畜及び耕畜、ヨリ優良な肥料、ヨリ優良な種苗を使用することが出來る。農民の商品生産を助長する原因のうちで、最も有利な作用をなしたものは、鐵道と租税制度との發達である。鐵道に依つて、農民は廣大な市場との連絡を與へられる。租税は彼等をして、市場の追求に腐心せしめる。なぜならば、彼等は生産物を販賣しなければ租税を納めることが出來ないからである。租税が高くなればなるほど、農民はますます市場で生産物を販賣することが必要となり、ますます大規模の農業と競爭することを餘儀なくされる。斯くして彼等は次第に沒落して行くのである。

3.非消費説及びそれに對する駁論

正統派マルキシズムの中間階級消滅説は以上の如くであるが、これに對しては社會主義者の内部から先づ反對論が提起された。エドワード・ベルンシュタインの修正説はその最も著名なものである。

ベルンシュタインに依れば、資本主義は決してマルクスの主張する如く階級を單純化せしめるものではない。ブルヂォアとプロレタリアとの間には、複雜な中間階級が存在してゐて、それがますます複雜に再分化されて行く。小規模の商工業は大抵みな大なる商工業のために蹂躙され吸収されて消滅に歸する。が、同時に又、資本主義そのものに依つて新たなる小職業が造り出される。一例を擧ぐれば、資本主義の發達と共に、獨立した鑄物師の存在は影を潛めた。鍋や釜は最早、鑄物師に依つては作られない。此等のものは、今では工場で作られ、鑄物師はその販賣に携はるぐらゐが關の山となつた。が、鑄物師は消滅しても、その代りに、例へば電氣に關する大小樣々の職業が現はれて來た。斯くの如く、大工業の地盤にも、形こそ違へ種々なる小經營が新たに簇生して來るのである。同樣のことは、他の種々なる工業部門についても認められるところである。

更らに農業方面に關しては、ベルンシュタインはヨリ強硬に、小經營消滅説に反對する。マルクスは農業上の小規模經營の衰滅を豫言したとはいへ、これはマルクスの當時に於けるイギリスの特別な事情から推斷したものであつて、その後の一般的事實はこの豫言が虚妄であつたことを論證してゐる。これにつき、ベルンシュタインは自説を證明するため、1907年ドイツ國内に行はれた調査の結果を擧げてゐる。それに依れば、プロイセンに於ける小中經營の數は1割以上も増加したが、大規模經營の數は反對に、漸次減少の傾向を示してゐる。

(1895年) (1907年)
過小規模の經營 (半ヘクタール) 1,238,190 1,325,845 9.26%増
最小規模の經營 (半―2ヘクタール) 809,923 748,132 7.63%増
小規模の經營 (2―5ヘクタール) 522,780 520,914 0.36%増
中規模の經營 (5―20ヘクタール) 528,729 583,160 10.29%増
大規模の經營 (20―100ヘクタール) 188,114 175,976 6.45%減
大農法經營 (100ヘクタール以上) 20,390 19,117 6.24%減
 

斯種の統計は、單にベルンシュタインのみでなく、同じ修正派中の他の人々や、マルキシズム否認論者に依つても、數多く提出されてゐる。事實に於いても、ベルンシュタインの言ふ如く、プロレタリアでもなくブルヂォアでもない中間的の小製造業者や小商人が到る處に繁榮して居り、小自作農民も亦決して衰滅に向つて居らない傾向を看取し得る。

然らばマルキシズムの中間階級消滅説は全く僞りであらうか。我々は再びカウツキーの説を聽かう。カウツキーは此等の反對説を駁撃して言ふ。マルクスは、小經營が必ずしも消滅するとは考へなかつた。彼れは寧ろ、個々の生産部門に於ける小經營の存續のみでなく、その増加でさへも、資本の集積集中と矛盾するところなく行はれること、且つ又、この傾向は單に農業のみでなく、商工業に於いても同樣であることを認めた。これは一見矛盾した見解であるかのやうに考へられるけれども、マルクスの辯證法的立場から解釋すれば、決して矛盾でもなければ不合理でもない。

今、これを簡單に説明すれば、次の如くになる。如何なる傾向も、必らずその反對の傾向を發生せしめる。然し反對の傾向が本來の傾向に打克つた後に於いても、それは決して本來の傾向が存在しなかつた當時の状態に復歸するものではなく、本質的に全く新たなるものを産み出すのである。資本の集中傾向に對する反對傾向に依つて、小經營が發生したとしても、新たに發生した小經營は舊來のものとは全く別個のものであつて、外觀は如何に相共通する所があつても、その經濟上竝びに政治上の役目は全く異つてゐる。

資本の集中は、單に舊來の獨立した小經營を消滅せしめるのみでなく、また勞働豫備軍の人員を増加せしめる。資本集中の結果、職を見出し得ない多數の勞働者が造り出される。然しこの産業豫備軍の全體が、失業者から成立つてゐると思つたら大間違ひである。失業者は、豫備軍中の僅少部分を代表するものであつて、その最上層と最下層とを占めるに過ぎない。最下層を代表するものは、謂はゆる被救恤的窮乏者、のらくら者の類であつて、失業のために痛痒を感じない人々である。また最上層を代表するものは、組織を有する勞働貴族であつて、その組織が鞏固であるため失業者が出ても、暫くの間はこれを扶養して行くことが出來るのである。然し大多數を占める中間層に屬する人々は、賃銀勞働を求めてはゐるが、自己の能力に適當した就職口を見出し得ないで、他の方面に生活を求めることを餘儀なくされるといふ位置に在る。然らば、彼等は賃銀勞働以外如何なる方法に生活を求めるかといふに、例へば小規模の農業とか、行商とか、大道商ひとか、家内勞働とかいふ如き、自己の勞働を以つてする小經營の外にはない。それ故、資本の集中が迅速に進めば進むほど、また集中の結果、本來の小經營が衰滅して産業豫備軍が増大すれば増大するほど、小經營を造出し維持しようとする、職を失つた勞働者の欲求が、ますます強くなつて行くのである。

資本の集積集中に依つて造り出された新たなる小經營は、資本の集積集中に依つて滅亡せしめられた舊來の小經營とは全く性質を異にしてゐる。後者は、經營者自身が生産機關を私有する事を基礎としてゐた。然るに新たなる小經營に於いては、その主要な生産機關は、他人の所有又は支配に屬するものであつて、これがため、小經營は他人に奉仕するの義務を負はねばならなくなる。例へば、小農民の耕す土地は、地主から賃借したものであるか、然らずんば自己所有の土地であつても既に借金の抵當に入れられたものかである。また家内勞働者の用ふる原料は、御店から委託されたものであり、居酒屋は問屋の受託者に過ぎず、行商人や大道商人の販賣する商品は、卸屋から信用借りしたものに過ぎない。

舊來の小經營は中間的の立場に在つた。その經營者は半ばは資本家、半ばは勞働者といふ水陸兩棲動物の如き中間的位置を占めてゐた。然るに新たなる小經營者は、賃銀勞働者の下風に立つてゐる。彼等は賃銀勞働者に比較すれば、ヨリ無力であつて、その生活水準もヨリ低位にあり、勞働時間はヨリ長く、妻子は遙かに甚だしく搾取されてゐる。要するに、新たなる小經營は、賃銀勞働者が昇進して行くところの標的となるものではなく、寧ろ低落して行くところのヨリ悲慘な運命を代表するものである。

舊來の小經營は資本の競爭者であつたが、新たなる小經營は資本の搾取對象であり、産業豫備軍の屯營となるものである。資本家の成敗は、好景氣の時期の利用の如何に懸つてゐるのであるが、この重大なる時期に際して、一足飛びの生産大擴張に必要な勞働力を供給するものは、失業者群よりも寧ろプロレタリア化した小經營者である。如何なる生産部門にしろ、長期間に亘つて失業者群を維持して行けるものでない。また久しく失業状態に置かれた勞働者は、頽廢して勞働の習慣を失ひ、資本家の搾取對象としては十分に利用し得ないものとなつてしまふ。

然るにプロレタリア化した小經營者や、その下に働く勞働者は、苟くも賃銀を提供する所でありさへすれば如何なる産業にも競つて雇傭されることを欲するのみでなく、また自己の經營上の所産たる勤勉、熟練、從順などのありたけを盡して働かうとする。斯樣にして小經營なるものは、資本のために新たなる勞働者を造り出すところの温室たり、過剩勞働者を維持するところの貯藏所たる新機能を負擔することになるのである。

今日では、賃銀勞働者の方が小農民や親方よりも良い生活をしてゐる。それだから、勞働者は不平を言ふ權利はない、などと主張する人々もある。けれども勞働者の鬪爭的運動に對する斯樣な攻撃の矢は、却つて私有制度そのものの存在に的中されるのである。若し無産勞働者が果して有産勞働者よりも良い生活をしてゐるとすれば、有産勞働者にとつて彼等の私有財産は價値のないものとなつてしまふ譯である。それは最早、彼等の利益となることなく寧ろ害毒となる。彼等はなまじつか財産を有つてゐるため、却つて窮乏に縛りつけられるといふ皮肉な運命に陷るのである。

4.プロレタリアの地位

次ぎに、本講の第二の主題たるプロレタリアの窮乏増大に就いて概略を述べる。先づ便宜のために、再び『共産黨宣言』を採用する。マルクスは同書の中に次の如く述べてゐる。

『從來の一切社會は曩にも述べた如く、壓伏階級と被壓伏階級との對立の上に立つてゐる。けれども、一つの階級を壓伏するためには、その階級が少なくとも奴隷的状態を續け得るだけの條件が保證されてあらねばならぬ。農奴は農奴制の下に於いても、社會の公民に立身することが出來たし、小市民は又、封建的專制政治の軛の下に於いても、ブルヂォアに立身することが出來た。然るに近世の勞働者は、産業の進歩と共に向上することなく、却つて彼れ自身の階級の條件よりも以下にますます深く沈んで行く。勞働者は窮民となり、窮民は人口と富の増加に比してヨリ急速に發達する。そこでブルヂォアは最早これ以上社會の支配階級たる位置を保つて、彼等の階級の生活條件をば規制律として社會に強制するには適しないことが明かとなつて來る。彼等が支配階級たるに適しない所以は、奴隷制度の内部に於いてさへ彼等はその奴隷に生存を確保する力がないといふことに、彼等は奴隷から養はれるのではなく、寧ろ奴隷を養はねばならぬ程の状態に奴隷を沈淪せしめるの止むなきに至つたといふことに在る。社會はもはや、ブルヂォアの下に生活することは出來ない。換言すれば、ブルヂォアの生存は社會と兩立しなくなつたのである。』

要するに、資本制生産が發達すればする程、プロレタリアはますます窮乏の境涯に陷り、プロレタリアの搾取に依つて立つブルヂォア的の社會組織はますます維持し難くなるといふのである。而して茲には明文を以つて言ひ現はされては居らないけれども、社會組織が維持し切れなくなるといふ主張の半面には、多數者にとつて社會組織がますます堪え難いものになるといふ主張が含まれてゐることは言ふ迄もない。

農奴は農奴制の下に於いても社會の公民に立身することができ、小市民は封建政治の下に於いてもブルヂォアに出世することができた。然るにプロレタリアは、産業の進歩と共にますます悲慘な境遇に落込んで行く。それは何故であるか。我々は先づ中世の職人と、近世のプロレタリアとを比較對照して見る必要がある。

中世の職人は親方の家族に屬してゐて、彼れ自身いつかは親方になれる見込があつた。然るにプロレタリアは全くの一本立ちで、永久にプロレタリアたることを運命づけられてゐる。この二つの點に、職人とプロレタリアとの區別が存してゐる。

職人は親方の家に起臥し、親方の米櫃の飯を食つた。貨幣の形で彼れに與へられる賃銀は、賃銀中の一部分に過ぎず、それは生活資料を購ふためといふよりも、寧ろ他の享樂を得るためか、又は貯蓄のために(即ち招來親方となる資金の蓄積のために)役立つものであつた。然るに今日の賃銀勞働者は決して、資本家の家族に屬するものでない。資本家は賃銀を支拂ひさへすれば、それで勞働者に對する全部の義務を果たしたことになる。勞働者は與へられた賃銀を以つて、自己に關する一切の始末をして行かねばならない。その賃銀が、たとひ勞働者自身の生命をつなぐにさへ足りないとしても、それは資本家の知つたことではないのである。

次に、中世手工業の親方は職人と共に勞働したのであるから、親方が勞働時間を延長すれば、單に職人の勞働のみではなく、自分自身の勞働も亦増加した譯である。親方が勞働を愉快なものにしようと思へば、その結果は職人の利益にもなるといふ有樣であつた。然るに資本家は、勞働者と共に勞働するものでない。勞働時間が如何に延長され、勞働の能率が如何に高められ、勞働の苦痛が如何に増大しやうとも、それは資本家にとつて何等の痛痒ともなることでないのである。職人と親方との間には、人情の連繋があつた。然るに近世の賃銀勞働者と資本家の間には、冷酷な取引關係の外には何等の結合もないのである。資本家はこの取引關係から、出來得る限り多くの利潤を搾り出さうとする。隨つて、資本家は中世の親方に比すれば、勞働者の身體生命に對しては極度に冷淡であり冷酷である。

最後に、親方の必要とする生産機關は、手工道具といひ、材料といひ、いづれも大したものではなかつたから、隨つて職人が親方となるにも、格別大した財産を要することがなかつた。されば親方の地位はすべての職人が望みをかけてゐたところであり、事實また職人が親方となり得る可能は十分にあつたのである。然るに、近世の資本家となるには、先づ第一の條件として莫大の財産を要する。産業が發達すればする程、一つの生産經營に要する機械や原料の總價値はますます巨大となつて來る。賃銀勞働者が一生食はずに働いたところで、また數代に亘つて極端な勤儉を重ねたところで、到底資本家となり得る望みはない。それ故、彼等は餘程の空想家でもない限り、將來資本家とならうなどといふ望みを抱くことはなく、永久にプロレタリアとしてその境遇に忍從する外はないのである。

5.プロレタリアの窮乏増大

プロレタリアとしての賃銀勞働者の地位は、以上述べた如くである。そこで次ぎには、近世生産方法の特徴をなしてゐるところの機械なるものが、賃銀勞働者の上に果して如何なる影響を及ぼすかを見なければならない。

機械が出現するまでは、生産は全く勞働者の人格に倚存してゐた。一人前の仕事をするには、一定の肉體上の力や、道具の使用に要する一定の技術及び熟練や、原料その他の物の取扱に要する一定の知識やが必要であつた。此等の資格を得るには、長期間の修業が必要であり、隨つてまた相當の年功を積むことが必要であつた。

然るに機械の採用は、此等の條件を不用に歸せしめた。作業上の凡ゆる纖巧や、物理的抵抗に對する征服は、もはや勞働する人間の力に屬しないで、鐵の作業機に屬することとなつた。勞働者はただ、機械の見張や、簡單な操縱を受持つだけとなつた。これがため、成年男子の代りに、女子や兒童を使用することが可能となつて來た。資本家はこの可能を實現することに躊躇するところがなかつた。なぜならば、女子や兒童は單に成年男子よりも安い賃銀で使用し得るばかりでなく、また彼等を雇傭することに依つて男子の賃銀を低下せしめることが出來たからである。成年男子は今や、己れ一人の力で家族全體を養ふ必要なく、家族の者は妻も子供も、それぞれみな資本家の下に雇傭されて生活資料の一部を稼ぐことになつた。然るに、ヨリ小なる賃銀は他の條件に變化なき限り、ヨリ大なる利潤の獲得を意味する。資本家が女子供の大群を工場に追ひ立てて、一般の賃銀を低下せしめることに熱中する所以は、茲に存してゐるのである。

機械の採用が齎らす第二の結果は、勞働時間の極度の延長といふことである。手工業に使用された道具は價が安く、且つ發明や改良に依つて絶えず不要に歸せしめられるといふ危險が尠なかつた。然るに機械はさうでない。機械は極めて價高きものであるから、少しでも時間の利用を怠れば、それは資本家にとつて莫大な損害を釀すことになるのである。農夫が半日仕事を休めば、僅か十數圓に價する鋤がその間無駄に寢かされるだけであるが、紡績職工が半日勞働を休めば、その間、數十萬圓に價する紡績機が無駄に寢かされることになる。

而も機械は使用に依つて磨滅するのみでなく、また使用しないためにも磨滅する。即ち使用しなければ、錆び朽ちるのである。また機械には絶えず改良や發明が行はれてゐるため、一つの機械が十分使用し盡されないうちに無價値となつてしまふといふ現象は、しばしば見られるところである。此等の理由に依つて、資本家は、一日の勞働時間を出來得る限り延長し、且つ各時間をば出來得る限り無駄なく利用しようと努めるやうになる。

資本家のこの欲望は、機械の發達につれてますます強くなり、且つますます確實に實現されるやうになる。なぜならば、勞働が單純化されて、不從順な勞働者の代りに從順な勞働者を採用することがますます容易となるからである。單にそればかりでなく、機械はまた勞働の生産力を増進して、一定量の生産物を造り出すに必要な勞働者の數を減少せしめる。これがため、就職口を求めて得られない人々の數が、ますます増大するといふ結果を生ぜしめる。

茲に於いて、マルクスの謂はゆる産業豫備軍なるものが成立して來る。マルサスの人口論は、食物生産の増加よりも人口の増殖の方がヨリ急速であるから、社會には罪惡と貧困が絶えないと主張するのであるが、マルクスに依れば、現社會に罪惡と貧困が絶えないのは、生活資料の生産が不十分なる結果ではなく、寧ろ人々に生活費を獲得せしめるところの勞働口が不足してゐる結果である。資本が蓄積されるに從つて、生活資料の生産力は増進する。が、他方には又、生産力が増進するに從つて、生産に必要とされるところの勞働力が減少して來るのである。勞働者は、資本の蓄積を増進せしむることなくして勞働し得るものではない。けれども蓄積の増進は生産力の増進を意味するのであるから、隨つて又、生産に必要な勞働力の減少を、過剩勞働者人口の増大を意味することになる。要するに、勞働者階級は熱心に働けば働くほど、結果に於いて自分自身の咽首を絞める形となるのである。

マルクスが過剩の勞働者人口を産業豫備軍と名づけたことは、極めて當を得てゐる。近世の産業は、好景氣と不景氣と中位的景氣との不斷連續的な循環途上に置かれてゐる。資本家は斯樣な景氣の轉變に應じて、或時は生産を伸張し、或時はこれを収縮せしめる。その度び毎に、雇傭勞働者を増加したり、減少したりすることが必要となつて來る。これは如何にして行はれ得るか。

元來、好景氣の期間は短小であつて、大抵は數ヶ月、長くても一年以上に及ぶことは滅多にない。それ故、雇傭勞働者の増加を人間の自然的増殖に俟つことの出來ない所以は明白である。一人の勞働者を造り出すには、どうしても十數年乃至二十年を要する。そこで、この缺を補ふ意味からしても、不斷に勞働者の豫備軍を存在せしめて置くことが必要となつて來る。資本家は生産力の増進に依つて、この豫備軍を造り出すのである。而して生産の擴張をなす必要が起る毎に、豫備軍の中から必要なだけの人員を召集し、反對に生産を収縮せしめる必要が生ずる毎に、不用となつた人員を豫備軍の中に返還して行く。

斯樣な豫備軍が存在して居ればこそ、資本家は生産を急速に擴張する必要に迫まられた時にも、勞銀の甚だしき値上げを喰ひ止めることが出來るのである。これを勞働者の側から見れば、現役勞働者は平素間斷なく競爭者たる豫備軍から脅威を受けてゐることは勿論であるが、好景氣の時にも亦、賃銀の著しき値上げを喰ひ止められることになるのであるから、どのみち、浮ぶ瀬がない譯である。

そこでマルクスは曰く『社會的勞働の生産力が増進する結果、ますます少量の人間力支出を以つてますます多量の生産機關を運轉することを得せしめる法則――この法則は、勞働者が勞働要具を充用するのではなく、寧ろ勞働要具が勞働者を充用することを特徴とする資本主義的の基礎上に於いては、次の形に言ひ現はされる。即ち勞働生産力が大なれば大なるほど、勞働者たちが彼等の雇傭手段の上に加へる壓迫はますます大となり、隨つて又、他人の富を増殖するため、換言すれば資本の自己増殖を行はしめるために、彼等自身の勞働力を販賣するといふ、彼等の生存條件は、ますます不安になる。……資本制度の内部に於いては、勞働の社會的生産力を増進すべき一切の方法は個々の勞働者を犠牲として行はれる。……更らに生産發展上の凡ゆる手段は、生産者(即ち勞働者)を支配し搾取するところの手段と化して、勞働者を一の部分人に不具化せしめ、彼れを機械の附屬物たる位置に引き下げてしまふ。斯くして彼れの勞働は一切の内容を奪はれて、單なる苦痛に轉化せられ……勞働行程の進行中彼れは卑陋極まる惡むべき專制に服從せしめられ、彼れの終生は勞働時間に轉化せられ、彼れの妻子は資本の轢殺車の下に投ぜられることとなる。……だが餘剩價値生産上の凡ゆる方法は又、同時に蓄積の方法であり、蓄積の擴大は又、餘剩價値生産上の方法を發展せしめる所の手段となるのである。そこで次の結論が生じて來る。即ち資本の蓄積が進むに比例して、勞働者の位置は――彼れが如何なる支拂を受けてゐるかを問はず、善き支拂を受けてゐるにしろ、惡しき支拂を受けてゐるにしろ――ますます惡化せねばならないといふ事がそれである。最後に、産業豫備軍たる相對的過剩人口を蓄積の範圍及び勢力と均衡せしめる法則は、火神ヘフェートスの楔が巨神プロメシュースを巖に打著けたよりもヨリ堅く勞働者を資本に打著けるものであつて、それは資本の蓄積に照應した窮乏の蓄積を生ぜしめるのである。斯くて一方の極に於ける富の蓄積は、同時に又、その對極たる、己れ自身の生産物を資本として造り出す階級の側に於ける窮乏、勞働苦、奴隷状態、無知、野獸化、道徳的墮落等の蓄積となるのである。』(新潮版『資本論』第1卷857―859頁)

6.生理的窮乏と社會的窮乏

以上の窮乏増大説も亦、曩に述べた中間階級消滅説と同樣に、修正派社會主義者やマルクス主義反對論者の側から鋭き駁撃を受けた。

或る反對論者は次ぎの如く主張する。――マルクスの窮乏増大説は、マルクスがこの主張を作成しつつあつた當時の社會事情には或は一致したかも知れない。蓋し當時は、産業革命の惡影響が猖獗を極めてゐた頃であつて、マルクスの故國たるドイツの織物勞働者の如きは、飢餓一揆を起したほど悲慘な境遇に陷つてゐた。同樣の現象は、産業革命の渦中に捲込まれた他の如何なる國にも見られたところである。けれども爾後次第に、工場立法が完成され、諸種の國家的勞働保護が開始されて、勞働者の自助的組合組織も亦ますます完備して來た。マルクスも現に『資本論』の中で、此等の新らしく發生した傾向が、勞働者の地位を改善するに尠からず貢獻するところあつたことを認めてゐる。マルクスの死後、此等の傾向は急速に發達して、その結果、勞働者の地位は著しく改善されるやうになつた。彼等は窮乏の増大に苦しめられるどころか、寧ろますます裕福となつて來たのである。資本主義の發達と共に、勞働者の生活状態が不斷に惡化し、階級的反感がますます強烈に赴くといふ説は、今や全く根據を奪はれてしまつた。現に、資本主義の發達した國の勞働者ほど高い賃銀を受けてゐる。これは種々なる統計が明かに證明するところであると。

曩に引抄した『共産黨宣言』の文言に依れば、マルクスは、勞働者がますます絶對的の窮乏に落ち込んで行くと説いてゐるやうにも受け取れる。『近世の勞働者は、産業の進歩と共に向上することなく、却つて彼れ自身の階級の條件よりも以下にますます深く沈んで行く。勞働者は窮民となり、窮乏は人口と富の増加に比してヨリ急速に發達する。』マルクスは斯樣に述べてゐるのであるが、マルクス主義者が若し、この文言から皮相的に受取れるだけの意味で窮乏増大説を主張したものとすれば、この點マルクスの主張に無理があるとの謗りは、どうしても免れない。それだけの意味で、反對論者の主張に根據があると言ひ得る。

然しマルクス主義者は、この邊で降參するほど單純ではない。暫くカウツキーの駁論に耳を傾けよう。カウツキーはその著『エルフルト綱領』第5版の序文中に述べて曰く、プロレタリアの解放は窮乏の増進に依つて實現されるものでなく、寧ろ次第に顯著となりつつある階級對立と、それから發生して來るところの階級鬪爭とに依つて成就せられるものである。民衆の窮乏といふことは寧ろマルクス前の社會主義者の常套語であつて、マルキシズムが此等の先行社會主義者に對して確實に勝利を占めた所以は、專ら階級鬪爭を強調した點に存すると。

要するに、カウツキーの謂はんとするところは、窮乏の絶對的増大がプロレタリアの解放を促進するのではなく、寧ろ貧富の懸隔の増大に依り、階級對立の増進に依つて、プロレタリアの解放が助長されるといふ一點に存してゐるのである。

元來、窮乏には二つの種類がある。一つは生理的の窮乏、他は社會的の窮乏である。生理的窮乏とは、人間の生理的欲望の充足されない状態を謂ふ。人間の生理的欲望は決して、固定不動のものではない。時と所との如何に從つて、絶えず變化する。けれどもその變化は、社會的欲望の變化ほど著しいものでない。而してこの社會的欲望の滿たされない状態が、即ち社會的窮乏と稱するものである。

ところで、マルクスの主張が若し、資本主義の發達と共に勞働者の生理的窮乏がますます増大するといふ論旨にあつたとすれば、それは確かにマルクス主義の虚妄を裏書したことになる。なぜならば、今日進歩した資本主義の下に立つ如何なる國に於いても、勞働者の生理的窮乏が増大するといふ傾向は認められないからである。寧ろ斯樣な窮乏は、文明の進歩と共に、次第に減退しつつある。

社會的窮乏に在つては、さうでない。勞働者の社會的窮乏は資本主義の發達と竝行して進む。資本主義の發達は勞働生産力の増進を意味し、生産力の増進は富の増大を意味する。富の増大と共に、勞働者の實質的収入も亦、幾分かは増大して來る。然しそれは決して、富の増大と同一の比例を以つて増大するものでない。富の増加率は、勞働者の生活程度の向上率よりも遙かに大である。

そこで資本主義の發達と共に、勞働者の生活程度は徐々に向上するとはいへ、それと共に又、勞働者對資本家間の富の懸隔はますます甚だしくなつて來る。資本主義が發達して社會の富が増大すれば、勞働者の社會的欲望も亦ますます多樣になり強烈を加へる。新しい流行が次から次へと押しよせて來る。壯麗な建物が軒を竝べる。樣々な交通機關が發達する。交通機關の發達しない時代には、テクで歩くことも左程辛らくない。然し今日のやうに汽車や電車自動車が縱横に走るやうな時代になると、テクで歩くことが如何にも苦痛である。絹物づくめの社會にゐて、自分獨りみすぼらしい木綿服を纏ふてゐることは、誰れにしても苦痛であらう。つまり社會の富が増大し、文明が進めば進むほど、人間の欲望も亦ますます廣く深く複雜になる。勞働者も亦人間である以上、この例に洩れる譯がない。かくして勞働者の社會的欲望はますます増大するが、それを充たす収入は欲望の殖える程には増加しない。マルクスが窮乏の増大を主張した時には、專らこの充されざる社會的欲望の増大を念頭に置いたのである。彼れは必ずしも生理的、絶對的な窮乏の増大を主張したものでない。

この點は、マルクスと協力して『共産黨宣言』の起稿に携はつたフリードリヒ・エンゲルスも亦、固く念頭に置いてゐた。彼れは1891年、マルクスの著『賃銀勞働と資本』に加へた序文の中で、勞資對立の増進を次ぎの事實に歸した。社會の富の増大と共に、資本家階級の有に歸する富の部分はますます大となるが、これに反して、勞働階級の受ける部分は(頭わけにすると)極めて徐々と且つホンの僅かばかりしか増加するに過ぎない。或は全く増加しないこともある。否、場合に依つては、寧ろ減少することすら見られるのである。要するに、エンゲルスは、勞資兩階級對立の増進を以つて、貧富の懸隔の擴大に、即ち勞働者階級の社會的窮乏の増大に歸してゐるのである。

マルキシズム反對論者の主張する如く、マルクスが『資本論』の中で工場法や勞働組合の效果を認めたことは事實である。しかし、それはマルクス説の矛盾を指摘する所以とはならない。マルクスともあらうものが、同じ著書の中で、一方には、工場法や勞働組合に依る勞働者の生理的向上を唱へながら、他方に於いて勞働者の生理的窮乏の増大を主張するほど、頓馬であり得やうとは考へられないことである。前節の終末に掲げた『資本論』引抄句の中でマルクスは何と言つてゐるか。『資本の蓄積が進むに比例して、勞働者の位置は――彼れが如何なる支拂を受けてゐるかを問はず、善き支拂を受けてゐるにしろ、惡しき支拂を受けてゐるにしろ――ますます惡化しなければならない』と、彼れは論じてゐるのである。勞働者の賃銀や、食物消費量が幾分か増大してゐるといふ事實を捉へて、マルクスの矛盾を喋々する如きは、見當はづれも甚しいと言はねばならない。(カウツキー著『ベルンシュタインと社會民主黨綱領』1899年版114―127頁)

以上、カウツキーの所論に從つて、マルクス主義窮乏増大説の辯護論を概述した。プロレタリアの窮乏増大は、資本家對勞働者間の階級鬪爭を激成する重要な客觀的因子となるものである。階級鬪爭に依つてプロレタリアの解放を期するマルキシズムから、窮乏増大説を削除することは到底許し得ないところである。而してこの窮乏増大説を支持するには、以上の如きカウツキーの論據に從ふことが、恐らく最も安全な道であらう。マルクス及びエンゲルスが、カウツキーの謂ふ如き社會的相對的の窮乏増大を絶えず念頭に置いてゐたとすることは、決して偏頗な辯護論ではない。けれども彼等が、この窮乏増大を餘りに強調し過ぎたため、一見絶對的窮乏の増大を主張したかの如く感ぜしむる嫌ひのあつたことは爭はれない。これは曩に引抄した『共産黨宣言』中の文言についても感ぜられる所であるが、『資本論』の中に述べられた『窮乏、勞働苦、奴隷状態、無知、野獸化、道徳的墮落等の蓄積』云々(新潮社版859頁)の一句や、『窮乏や、壓迫や、奴隷状態や、壞頽や、搾取などの量は、益々増大する』(新潮版1024頁)といふ一句の如きも、いま少し何うにかならなかつたものかと惜まれてならない。せめて、絶對的窮乏の増大を主張してゐるのでないと信ぜしめるだけの用意はして欲しかつた。尤も宣傳上の目的からいへば、文章のアヤとしても、そんな豫防線などを張らない方が却つて面白いのであるが、『資本論』は、宣傳のために書いたものでないとは、カウツキーその他一般マルクス辯護學者の力を罩めて主張してゐるところである。

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