ムツソリーニズムと國家社會主義

高畠素之

一、彼れの稚氣と衒氣

ムツソリーニといへば反動主義、反動主義といへばムツソリーニズムと響くほど、ムツソリーニの名は反動主義と結んで解けぬものとされてゐる。ところで本文の筆者も、これはほんの拳固一握りほどの人々からではあるが、さながら日本に於ける反動主義のチアンピオンででもあるかの如き、大それた評價を惠まれた。それで自然、ムツソリーニの思想と筆者の思想との間に、一脈相通ずるものがあるかの如く考へる向きも廣い世間に絶無といふわけでなく、現に和製ムツソリーニなどいふ散文的新術語を、結局本文の筆者にでも當てつけるらしく一かど皮肉のつもりで投げ飛ばした一二の和製ブハリン先生もあつた。それやこれやで、先にムツソリーニの思想と風格を論じたから、今度は河岸をかへて彼れの思想と筆者の持論との異同を比較對照して見ることも、時にとつての一興であらうと思ひ、それを種に突然何か書いて見る氣になつた。

嘗て時事新報から、現代世界の人物中誰れが一番好きかといふ往復ハガキの質問を受けたとき、筆者はベニトー・ムツソリーニの名を擧げたことを覺えてゐる。その理由は、かばかり浮世の荒波で叩き上げられた情熱と、強情と、鐵腕の人傑たる彼れが、ときどき稚氣と衒氣を彷彿させる地がねを遠慮なく露出してゆくところが、ひどく氣に入つたといふのであつた。さういつたからとて、何も筆者がムツソリーニの人物を禮讚してゐることにはならぬわけだが、こんな片言隻語を楯にとつて、さながら筆者が、死んだレニンの尻の穴を舐める共産主義者の如き態度で、ムツソリーニを崇拜してでもゐるかのやうに早合點した粗忽者があつたには驚いた。

ムツソリーニの人物の崇拜は兎も角、彼れの思想と筆者の持論との間には、實をいふと共通したところが極めて少なく、反對した點が頗る多い。筆者は久しく國家社會主義の看板を掲げて來たから、これから先は國家社會主義の一語を以て筆者の思想を代表させることにしよう。尤も、この國家社會主義といふ言葉の中身には色々あつて、下はビスマルク流の警察國家的社會政策から上はラツサレ、ロドベルトス等の理想主義的國家觀、甚だしきはマルキシズムの一面をもこれに包括させて考へる人々がある。が、筆者の國家社會主義はこれらの何れとも共通しない特殊性を含むと信じ、かたがたつまらぬことで他人の持場に迷惑をかけたくもないから、この場合國家社會主義といふときには、いつも筆者一流の國家社會主義だけを指すものとして貰はないと困る。

二、彼れのプラグマチズム

ところで、この國家社會主義だが、これとムツソリーニの思想との間に如何なる内容的交渉があるか。實をいふとムツソリーニの思想には思想といふほどの體系も何もない。日本の安達謙藏は無策の策を喋々し、西洋には不死の死といふ言葉があるが、強いてムツソリーニの思想を求めるならば、それは恐らく無思想の思想とでもいふべきものであらう。

彼れ自身の言葉をかりていへば、嘗ても言つた『思想そのものを無視するところの思想』である。彼れは極端な行動讚美論者であつて、『事實は書物よりも、經驗は教養よりも、ヨリ大なる價値を有する』と信じてゐた。『決算を終つて考へれば、最初の論理的豫測に反することが極めて多く、數は理性の反對を示す』といふのが彼れの持論である。始めに行動あり、行動は眞理を創造する。一切の合理主義は虚僞である。隨つて彼れは、歴史の必然性といふものを信じない。『歴史が必然的過程を踏むとは、斷じて考へられぬ』とは、彼れが平素口癖のやうに強調してゐるところである。

この『思想そのものを無視するところの思想』はプラグマチズムから來てゐる。彼れ自身もプラグマチズムの熱心な信奉者であることを認め、豫の信念はプラグマチズムに基礎づけられてゐると言明したことがある。

元來、プラグマチズムといふものは、哲學上、倫理學上の實踐主義であつて、眞理と虚僞との區別を、人生の目的に適合するか否かに依つて判定しようとするものである。宗教も、道徳も、學問も、本來は人類生活のために存すべきものであるに拘らず、動もすればそれが生活そのものを忘れて、論辯や儀禮の末技に走る傾きがある。思想の價値は、その論理的體系の精粗に懸るものでなく、寧ろ事實に於いてそれが人間の行動を喚び起すところの原動力たるか否かに依存するものである。

宗教に高等批評といふものがある。宗教の殿堂を科學の命題に依つて基礎づけようとするのであるが、如何に科學的に纖巧細微な基礎を具備せしめられた宗教であつても、それが人類の宗教的行動を喚び起す力とならぬ限りは、眞實の宗教といふことは出來ぬ。鰯の頭の信心でも、信じる人の心に熱意を與へ行動を喚び起す限りは、その方が遙に眞實の宗教だといひ得る。

だが、問題は鰯の頭の信心ができぬ人はどうするかといふことだ。進んだ頭の人は、進んだ理屈なら信仰できるが、何もかも矢鱈に信心するわけには行かぬ。だから、さういふ人にとつては理屈に深入りすることもこれまた實行功徳の一方便だ。世の中の知識水準が進めば、自然さういふ方面の人も殖えるわけで、この點を考慮に入れないと、プラグマチズムも飛んだ間違ひになる。が、それだけの條件をつけて考へれば、プラグマチズムの理論も一應は贊成できる。これを人生の雜多な方面にこぢつけて應用すると、いろいろ面白い皮肉が編み出せる。

例へば、茲に向軍治といふ先生がある。この先生は語學の達人を以て聽こえ、語學にかけては天下ただ乃公のみだといはんばかりの、善い氣持な萬年小僧で、日本の翻譯はみな誤譯だと氣焔を擧げる。この人、坪内博士や何々博士の翻譯には中學生程度の誤譯が珍しくないといふやうな當るべからざる鼻いきで、小ざかしくも先達て筆者の拙譯『資本論』をも誤譯だらけだとコキおろした。『資本論』だつて、どうせ人間のやつた翻譯だから、誤譯もあらうし、誤植もあらうが、徒らに他人の誤譯呼はりだけに陶醉したからとて、それで日本の翻譯が大して向上するわけのものでない。そんなに他人の誤譯が氣になつて慨はしいなら、一つ乃公自身好翻譯の見本を提供して範を後世に垂れる工風でもしたらよささうなものだが、さういふことは一向にしない。筆者は彼れが筆者に對して言つた通りのことを、彼れに對しても言はうと思つて、彼れの翻譯書なるものを一わたり搜して見たが、薄ツぺらな芋煎餅みたいな教科書二三册以外には何も見當らなかつた。

これで他人の誤譯呼はりも、すさまじいものだが、斯ういふ人間はどれほど語學の達人か知らぬが、事實に於いて日本翻譯界のために何を貢獻したかと揶揄ひたくなる。語學は彼れほど出來ないとしても、事實翻譯上に多量の仕事をしてゐる人間は、矢張りそれだけこの方面の人生に貢獻してゐるわけで、持ち腐れの寶に納まつて一生を棒に振る怠惰で卑怯な日蔭者よりは、南京米でも、人蔘でも、ドンドン生産して賣り出した力行者の方がプラグマチズムの理屈からいへば、遙に眞理の急所を抑へた翻譯者だといひ得るであらう。

三、歴史の必然性無視

餘談は扨て措き、ムツソリーニの『無思想の思想』といふものも、恐らく斯うした理屈を至つて素朴に應用したものに過ぎぬと思はれるが、彼れの生一本なプラグマ的實行論でゆくと、歴史の必然性を穿鑿する如きは愚の骨頂だといふことになる。結果は刹那の行動から創造されるものであり、行動と行動との間には特殊の因果關係がないとするのであるから、歴史の進行に必然の因果合則性といふものはない。ただ、單純な信仰から來る行動の創造を以つて、結果の創造を迫出してゆくの外はない。この點に於いて、ムツソリーニの思想はマルキシズムの好個の對照を成してゐる。

マルキシズムに於いては、歴史の必然性といふことが一切である。『人類は彼等の生活の社會的生産に於いて一定の、必然的の、彼等の意志から獨立した事情に、即ち彼等の物質的生産力の一定の發達段階に相應した生産事情に入るもので』あつて、これが『法律上竝びに政治上の上部構造を作り上げる現實的の基礎』となるものであり、また『これに相應した一定の社會的意識形態を生ぜしめるものである。人類の意識がその生活を決定するのではなく、寧ろ反對に人類の社會的存在がその意識を決定する』といふのが、マルキシズム歴史觀の根柢となつてゐる。この公式は人類の實生活を重要視する點で、ムツソリーニの實行主義と共通するところある如くに見えるが、それは理論構造上の實生活重要視であつて、生産事情の進行に於ける因果必然律が人類の凡ゆる社會的生活、社會的意識形態を決定すると説く理論の樹立に過ぎぬのであるから、結局は一種の合理必然主義に歸してしまふ。

國家社會主義も亦、この方面で合理必然主義に從ふものであるから、その限りに於いてマルキシズムと共通し、ムツソリーニズムとは對蹠を成してゐる。マルキシズムと國家社會主義との區別は、この歴史的合理主義の内容にあるのであつて、歴史的合理主義そのものに發足する一點は兩者に共通してゐる。

ところで、その内容がどう違ふかといへば、マルキシズムに於いては、生産事情が法律上竝びに政治上の『上部構造』を決定するのであるが、國家社會主義に於いては、生産事情と法律政治との關係は基礎構造と上部構造との關係ではなく、寧ろ内容と形式、裏と表との同時竝行的關係である。原因と結果との縱列的關係ではない。一定の生産形態には必らず一定の政治法律的形態が伴はれ、一定の政治法律的形態を離れて一定の生産形態を考へることは出來ぬけれども、それは隨伴相照の關係であつて、一方が他方を決定するといふ性質のものではない。

四、人類のエゴイズム

生産が人類生活上の必要から直接に生じた如く、政治も亦社會的生活上の必要から直接に生じたものである。政治の本質は、社會的に必要なる秩序又は統制にある。人間は社會的動物の一種であつて、如何なる人間も社會的結合のもとに生活してゐる。社會的結合のもとに生活する生物個體は、その結合を強大にすることに依つてのみ充分に自己を保存し發展せしめることが出來る。

生物の社會的結合はこの樣に、自己保存の必要上發達して來たものであるが、この結合の發達につれて、社會的本能がますます強くなり、それにつれてまた社會的結合がますます強くなつて來る。然るに生物の本能の中では、自己保存慾といふものが最も原始的な普遍的な要素となつてゐて、社會的本能の如きも、本來は主としてこの自己保存慾から派生して來たものである。

そこで生物の本能の中では、絶えずこの兩要素間の鬪爭が行はれる。この異種本能間の鬪爭は、人類に至つて更に複雜となり深刻化されて來る。蓋し自己保存本能が社會的本能といふ對抗力を生ぜしめた如く、社會的本能は又、猜疑心や優勝慾その他の如き一見反社會的本能と思はれる對抗力を助長して、これが本來の自己保存本能と結合し一種の複雜なエゴイズムを構成することになるからである。そこでエゴイズムなるものは、人類にも他の凡ゆる生物にも共通した最も原始的の強力な本能であるが、人類のエゴイズムは他の生物に比して遙かに複雜であり、總合的であるといふことになる。隨つて、その力の強さ、その影響の及ぶところも亦、他の生物のエゴイズムに比して遙かに強大であり深刻である。

五、支配機能の確立

個々の人類は、程度の差こそあれ、みな斯うした複雜なエゴイズムの持主である。これが絶えず社會的本能と衝突する。斯樣なエゴイズムの發動を若し勢ひの赴く儘に放任して置くならば、人類の社會的結合は遂に破壞されることを免れない。さればといつて、原生的の社會的本能のみを以てこれを統制し調節することは不可能である。そこで第二次の社會的結合要素として、茲に支配といふ政治法律的機能が發動して來る。つまり、各人が勝手のことをしてゐては社會がもち切れない。さればといつて、各人の胸に潛む社會的本能の力だけではこれをどうすることも出來ぬといふところから、何等かの程度で強制を加味した支配の機能が發動して來るわけだ。

この支配統制は、極く單純な形では如何なる社會にも發動してゐる。それは幾人かの個人が團合するとき、必ず其處に何等かの形で規則又は規約といふやうなものが成立するところを見ても解る。秩序の方面から見た社會は、總てこの支配機能の現はれだといふことが出來る。尤も、この機能は同質結合の單純社會にあつては、他の社會的機能から分化獨立することなく、總ての機能が混淆して結合的に作用してゐる。それはちやうど、下等生物の身體諸機能がそれぞれ特殊の器官を有することなく、總てが混合的に作用してゐるのと同じである。然るに、生物の發達段階が進んで、高等な生物となるに從ひ、各種の身體機能が互ひに分化獨立して、それぞれの機能を擔任する特殊の器官ができて來る。消化榮養のためには、特に胃腸ができ、排泄のためには肛門や汗腺ができ、呼吸のためには肺臟ができるといふ如き有樣である。

それと同じやうに、社會が複雜となり、異質結合の度合が進むにつれて、支配統制の機能が次第に他の社會的諸機能から分化獨立する傾きがある。支配機能の分化は、斯樣に社會的必要上から生ずるものであるが、更らに人類のエゴイズムの中にあつて特殊の位置を占むる優勝的の欲望が、一度び現はれた支配機能分化の傾向を助長するところの主觀的因子として作用する。人類の欲望には色々あるが、とりわけこの優勝慾は強い決定力を有つてゐる。マルクスの學説に依れば、生産事情の發達が他の一切の社會的發達を決定するといふのであるが、この説は兎もすれば物質的の生活慾が他の一切の慾望を決定するといふ意味に解され易い。が、人類の生活慾といふものは、決して普遍常住的に決定力を有つものでない。それが決定力を有つのは、人類が餓死の瀬戸際に立つた瞬間か、又は少なくとも生活難の境遇に置かれた場合に限られる。一度び何等かの程度で生活上の餘裕を有つた瞬間から、他の各種の慾望、殊に性慾とこの優勝慾とが決定的に作用して來る。

優勝慾とは、自己の力を社會的に誇示し認識せしめようとする慾望である。この力の表現形態が何であるかといふことは問ふところでない。それは物質的富の形をとることもあれば、學問や、體力や、又は武術の形をとることもある。けれども、その最も直接にして且つ普遍的なものは政治上の支配的位置である。この支配的位置の獲得といふことが、優勝的慾望の最も熾烈なる追求對象となる。而して一度び萌し始めた支配機能分化の傾向は、この慾望の發動に依つてますますその勢を強め、その勢ひが強くなればなるほど、この慾望の發動も更らにますます強くなつて來る。斯くして支配機能分化の勢ひは、ますます促進せしめられることになるのである。

この支配機能分化の傾向は、謂はゆる有史前期的種族社會に於いても、或る段階からは既に可なり著しく進んでゐた。當時既に武將や裁判官の如きものがあつて、一部的にこの機能を擔任するといふ有樣であつた。けれどもこの機能が總括的に分化獨立して、それが特種の社會群に依り擔任されるといふ状態に達するには、或る特殊の社會的出來事を必要とした。

それは種族對種族の衝突である。種族衝突の原因は一樣でない。食物缺乏のために、比較的食物の潤澤な他種族を侵すといふ場合もあるし、又は單なる優勝的戰鬪慾に驅られて衝突を惹き起すといふ場合もある。いづれの動機からにもせよ、一度び種族對種族の衝突が生じて、一方の種族が他方の種族に征服せられたとき、征服せられた方の種族は軍卒又は奴隷として優勝種族のために驅使せられる。茲に始めて、征服的社會群と被征服的社會群との對立を來たす。と同時に、從來種族内部に發動し發達してゐた支配統制の機能が、征服的社會群の手に歸し、茲に征服者は支配階級となり、被征服者は被支配階級となつて、階級對立といふ特殊の社會的關係を生ぜしめる。種族社會が一定の地域に占據して、その支配機能が斯くの如く階級といふ特殊の社會群の擔任に歸したとき、その社會を國家と謂ふ。隨つて、國家の本質的要素は、土地と、社會と、階級支配といふ三つの分子から成る。

社會學者の中には、種族征服といふ原因に依つて階級が成立し、隨つて國家が成立するといふ風に説く人もあるが、如何に種族征服が行はれても、征服以前の種族社會内部に豫め支配統制の機能が働いて居らなければ、征服種族が支配階級となり得る筈はない。征服と共に支配が生ずると見る如きは、支配その者の本質に對する認識不足から來るところの淺見である。征服以前の社會内部にも既に、支配統制の機能が發達してゐたからこそ、征服の事實が階級支配、隨つてまた國家成立の條件となり得たのである。それ故、征服の事實は階級又は國家の成立の原因ではなく、單なる必要條件又は機縁と見るべきであつて、原因は寧ろ支配機能の分化特殊化といふ先行事實にあつたとせねばならぬ。

六、彼れのオポルチユニズム

以上、些か脱線氣味を承知の上で、國家社會主義政治觀の論據を紹介することに深入りし過ぎたが、これで見ても、國家社會主義とマルキシズムとの論旨の内容に著しき差異の存することが知られるであらう。マルキシズムに於いては、生産事情が基礎構造であつて、政治法律上の形態はその結果的上部構造に過ぎず、階級支配といふ特殊の政治關係についていへば、それは勞働搾取といふ經濟的關係の基礎から生ずるところの法的上部構造なのである。然るに、國家社會主義の見地に於いては、政治的關係は社會的生活の秩序的、形式的方面を構成するものであつて、それ自身、社會的生活の必要上から直接に發展し來たつたものである。社會的生活の秩序的方面は經濟的實質の結果ではなく、實質に對する形式の關係に立つ。外部的に見れば、經濟そのものも一の秩序であつて、一定の經濟的關係は必ず一定の法的秩序を前提するものである。さればといつて、法的秩序が經濟的關係の原因であるとは、勿論いひ得ない。經濟的關係も、法律政治的關係も、それぞれ獨自の立場を守つて互ひに照應しつつ、社會生活の必要から成立し且つ發展し來たつたものと見るべきである。

この見地に於いて、國家社會主義はマルキシズムと根本的に一致し難い立場にあるが、歴史の必然性を認める一點は兩者區別するところがない。然るに、ムツソリーニの立場は單純なる實行創造主義であつて、刹那々々の行動の如何に從ひ歴史の形態は如何樣にも形成せられ得るといふのである。『學者的態度を以て舌鋒鋭くつめ寄せる反對論者は、つねに勇氣なき臆病者である。』百の理論を喋々するよりも、一の威嚇報復的行爲の方が、遙かにヨリ多く歴史的價値を創造し得る。――彼れは斯ういふ立場から旺んに刹那的行動の功徳を絶叫した。(1)

斯かる實行創造主義が、實際政策上極端なるオポルチユニズムに陷ることは、避けられぬところである。ムツソリーニが如何に徹底したオポルチユニストであるかは、過去に於ける彼れの政治的經歴が最も雄辯に論證してゐる。が、なかんづく、君主政治に對する彼れの態度の轉變は素晴らしいものであつた。彼れは一九二二年初葉までは、フアスシスト革命に依つて立憲君主制を顛覆し、これに代ふるに共和の假面を着けたフアスシスト寡頭政治を以てせんとしてゐた。然るに一九二二年四月、イタリヤ皇帝のミラノ行幸以來、彼れの共和論は次第にその鋒鋩を弱め、一轉して君主是認主義の傾向を示すやうになつた。同年九月二十日、ウデイネに於けるフアスシスト革命宣言の發表に際して、彼れは『國體を永久的ならしむべきか否かは、專ら國民の精神的状態と物質的事情との如何に依ることであつて、一概に論斷し得ない』と説き、『王室はフアスシスト革命と關係なきものであるが、萬一王室が過つて我等に反對の態度をとる如きことあらば、我等は斷乎としてこれに備ふるところなければならぬ。けれども我等は決して斯かることがあるべきでないと信ずるから、王室に對しては常に熱心なる擁護者たることを失はない』と述べた。

これで見ると、王室がフアスシストに好意を有たれる限りは、フアスシストも亦王室を擁護すべきであるといふ一種條件づきの尊王範圍を出でなかつたことを知り得るが、その後、フアスシストに加盟せる青年、軍人、勞働者等の大多數が熱心なる帝制謳歌者であることを知るや、ムツソリーニの態度も亦次第に絶對尊王主義に豹變して來た。が、その反面にまた、彼れが絶えずフアスシスト寡頭政治を絶叫してゐたことも事實である。

七、デモクラシーと獨裁主義

ムツソリーニズムの根柢が素朴プラグマチズムの上に立ち、極端なる實行創造主義とオポルチユニズムとに終始してゐることは、以上述べた通りである。が、ムツソリーニズムの有無に拘らず、現實社會の發展は個々人の意識を超越した必然の因果過程を辿つて進むものであるから、一定の固定した主義主張に囚はれないと自稱するムツソリーニズムも、結果に於いては矢張り何等かの主義主張を固定的に確立する傾向を免れることが出來ぬ。斯樣にして政治上の國家集權主義、經濟上の個人分權主義といふ主張傾向が、フアスシズムの特徴となつて來たのである。

國家集權主義といつても、ムツソリーニズムの場合には、それが強烈なる寡頭獨裁主義に依つて彩られてゐることは言ふ迄もない。ムツソリーニは曰く『議會政治は、歴史の創造的因子たる個性を窒息せしめて、國家の制度を機械化せんとするものである』と。然らば彼れは、斯くの如き機械化的議會政治に代ふるに如何なる政治形態を以てせんとするか。曰く『フアスシスト革命の重大なる意義は、國家メカニズムから國民を脱却せしめ、個性尊重主義に立つ偉大なる人格者をして、國家に活力を附與し得るところの政體を樹立するにある。』つまり、英雄獨裁主義の樹立、これがフアスシスト革命の目的とするところである。議會政治は個性壓殺の機械主義に墮するからいけない。眞に威望あり、手腕あり、實行力ある人傑の獨裁政治は、創造と果斷決行との閃きに動くものであるから、たとひ專制主義、集權主義であつても、それは決して個性の發動を殺すやうなことがない。

この見地は、國家社會主義の立場からも一應は是認し得る。政治の本質が支配統制に在ることは、上述の通りである。支配の目的からいへば、專制獨裁政治が一番有効であるから、隨つてそれが一番望ましい政治形態だといふことになる。支配の主體は、少數の手腕家ほど能率を擧げ易い。國家以外の團體統制に於いてもさうであるが、國家の政治に於いては殊に然りとせられる。

茲に若し一人の優秀な英傑があつて、國家の結合維持に必要な一切の支配機能を直接に擔任行使するといふことであれば、それが支配機能發揮の上から見て、一番單純でもあり有效でもある。

が、茲に問題となることは、さういふ英傑は求めてつねに得られるわけのものでない。そこで若し、さういふ英傑が居らないとすれば、その場合には英傑的祖先に對する國民の傳統的禮讚を以て、支配者の現實的資格に代用せしめることも出來るが、文明が進んで國民のエゴイズムが深刻化し、個人意識が發達すると、それだけではなかなか一國の政治を行ひ得なくなる。何等かの形、何等かの程度で、支配上に國民の意志を採用又は斟酌せねばならなくなつて來る。即ち、政治のデモクラシー化なるものが行はれる所以である。議會政治なるものは、斯かる政治デモクラシー化の一の現はれに過ぎぬ。その意味に於いて、議會政治も亦、政治發達上の必然的産物といひ得るのである。

けれども、政治の本質は支配にあつて、支配は少數支配ほど能率を擧げ易いのであるから、多數支配の別稱の如く見られてゐる議會政治の樹立後に於いても、事實に於いては矢張り少數支配が行はれることを避けられぬ。議會政治の下に於ける國民意志の代表團體たる政黨の内部を見ると、其處には名目の如何に拘らず、例外なしに幹部政治が行はれてゐる。幹部は少數であるから幹部政治は少數政治と異ならぬ。そこで若し、議會政治は政黨政治でなければならぬとするデモクラシーの定則に從ふとすれば、議會政治も亦、實質上は少數政治だといふことになる。

これで見ても、議會政治は少數政治の否定又は對蹠を意味するものでなく、寧ろ少數政治の變形に過ぎぬことが知られる。つまり實質は少數政治だが、表面は多數政治であるかのやうに見せかける。羊頭狗肉、言ひ換へれば羊の皮を着た狼である。その限りで、議會政治は存在の理由を充分に有つてゐる。が、若し、この羊頭狗肉の實を示すことが出來ず、羊頭を掲げて羊肉を賣り、狼の實質を羊に轉化せしめようとするまでデモクラシーが素朴放縱化されたとき、政治の本體は尻をまくる。國家社會主義の立場からすれば、議會政治も、獨裁政治も、共に少數支配の表現形態たる意味に於いて存在の理由を有つものであるが、放縱デモクラシー跋扈の反動としてのフアスシオ的超議會主義にも、一應の道理があることを拒むわけには行かぬ。

八、産業上の自由主義

ムツソリーニズムは、この國家集權主義と相竝んで、産業上には寧ろ極端なる分權主義を採用するものである。この産業上の分權主義は、資本私有と個人企業とに立脚するところの自由主義を意味するものであつて、政治上に極力自由主義を否定するムツソリーニズムが、一面産業上に斯かる自由主義原理を採用せんとすることは、注目すべき錯誤現象といはねばならぬ。ムツソリーニズムが或る時は反動主義と謂はれ、或る時はまた資本主義の走狗の如く謂はれる所以は茲にある。ムツソリーニズムを以て反動主義とすることには、本質上の無理があると思はれるが、少なくとも資本主義とムツソリーニズムとの間に緊密な類縁關係があることは拒まれぬ。國家集權主義なるが故に反動的だといふならば、國家社會主義はムツソリーニズムよりも更らに徹底した反動主義なることを自任する。 (2)

從來、イタリアの政界では社會黨が有力な地歩を占め、政府を強要して着々國家主義的經濟政策を採用せしめてゐた。この傾向は勿論、資本家階級の喜ばざるところであつた。彼等は機會ある毎に、これを防遏して自由主義的企業を恢復しようと策謀してゐた。政府の社會主義的産業方策は、事實上にも餘り好結果を示さなかつた。これ一にはイタリヤの政局が不斷安定を缺き、政權の移動が頻繁であつたため、一度び採用した社會主義的政策もこれを充分に遂行する遑がなかつたことにも依るが、兎に角斯ういふ形勢の下にあつて、イタリヤの資本家階級は頻りに社會主義的産業政策の打破を主張してゐた。ムツソリーニの産業分權主義は、斯かる資本主義的要求に呼應して成り立つたものといふことが出來る。

國家社會主義の見地からすれば、集權的獨裁國家の確立は集中的産業制度の確立に絶好の政治的地盤を提供するものであるから、この機に乘じて一擧に産業社會化の實現を徹底せしむべき筈であつたが、ムツソリーニはその逆を行つて、獨裁國家主義の樹立に表裏して、産業自由主義を恢復しようとしてゐる。彼れは私有制度を謳歌して曰く『財産の私有は、個人の活動力と、企業精神と、産業發達とを誘致するに最も必要な條件の一となるものである。國家と雖も、この個人の自由なる活動性に干渉することを得ず、政府の吏僚を以てこの私營事業家に代置する如きは到底許されぬところであるから、財産の私有と個人企業とは絶對にこれを維持し保護することを要する』と。宛としてこれ、我が武藤山治先生の口吻ではないか。(3)

彼れはこの立場から、社會黨提案の急進的遺産相續税に反對した。彼れが奢侈税廢止を主張した論據も亦、茲にあつた。ヂオリツチ内閣は社會黨の強要に依つて極端なる奢侈税を制定したが、斯くの如き施設は徒らに課税負擔を富者にのみ轉嫁すべしとの觀念を助長するが故に不可であるとの見地から、ムツソリーニは一九二二年一二月以來その大半を廢止してしまつた。

また一九二〇年、ヂオリツチ内閣は有價證券の強制登記を制定して、投機熱の防止を圖つたけれども、斯かる施設も百害あつて一利なしとの見地から、ムツソリーニは一九二二年十一月の勅令を以て、これを全廢した。更らに、同じ政治の下に設置された物價公定委員會についても、斯樣な官僚的施設は國民の商取引を妨害すること甚だしきものだとの理由で、一九二四年一月の勅令に依りこれを全廢してしまつた。それから、ヂオリツチ政府の下で社會黨の強要に依つて制定された強制管理法は、家屋の明渡及び課税について專ら借家人を保護せんとしたものであるが、斯かる施設は却つて建築事業の發達を妨げ、都市の土地私有者をして賃貸料を取得し難き境地に陷らしむる虞れあるが故に不可であるとして、ムツソリーニは一九二二年一月の勅令を以てこれを『一定の猶豫期間を置いて自由契約をなし得る』といふ形に變更し、更らに一九二三年三月の勅令を以て『一九二二年六月三十日より一九二五年六月三十日に至る期間に起工して完成したる建築物に對しては、二十五年間にわたり國税、州税又は市町村税を免除する』との補足を加へた。

最後に、鐵道經營については、形式上これを國家の手から分離して、鐵道高等委員の下に管理せしめ、從業員は擧つてこれをフアスシスト鐵道團體に加盟せしめるといふ、折衷的政策を採用することになつた。

九、ムッソリーニズムの將來

要するに、ムツソリーニの産業政策は資本的企業主義の根柢に立つものであつて、資本主義經濟に必然隨伴すべき幾多の社會的弊害に對しては、別に各種の社會政策的施設を以てこれを救治しようとする。近頃流行の新自由主義とやらと瓜二つの行き方である。國家社會主義は、政治上の國家主義を産業上にまで徹底せしめんとするものであるから、この點ムツソリーニズムとは全く對蹠的の位置に立つ。

資本主義經濟の進行は、一面に於いて各資本家の手に集積される資本の單位量を大ならしめると同時に、一面また單位資本の併合集中を助長する。マルクスの謂ふ如く、資本主義生産の下に於いては、『つねに一人の資本家が多くの資本家を殺すのである。』この資本集中の勢ひが、若し何等の障碍にも出會ふことなく自由に進行してゆくとすれば、終局に於いて資本家の數は次第に少なくなり、遂には一産業に投ぜられる一切の資本が結合されて、單一なる資本家の指揮の下に置かれる時が來る。これが、一の産業部面に於いて達し得る極度の資本集中形態である。また、一の社會についていへば、單一なる個人資本家又は資本家會社の手に、社會的資本の全部が合一される瞬間に到達し得るであらう。これが、一社會の内部に於いて達し得る極度の資本集中形態である。國家社會主義は斯かる資本集中の必然的傾向を視野に置き、天の未だ雨降らざる間に社會的必然の進行を先鞭して、國家を資本の所有經營主體たらしめんとするものであるから、その主張の根柢は現實主義的に首尾一貫してゐるものといひ得る。國家社會主義は政治上にも國家主義、經濟上にも國家主義である。これが現實に於いて國家を生かす唯一の道であり、これが近き將來に於いて社會的必然の到達すべき唯一の歸結であると信ずる。政治上の國家主義をして、ムツソリーニズムの如き寡頭獨裁主義の形態を採らしめるか、それとも民衆的議會主義の姿容を採らしめるかといふことは、便宜上の問題であつて、本質的には何等關係するところがない。

國家社會主義の見地からすれば、ムツソリーニズムが政治上の國家集權主義に立つて、産業上の分權自由主義に溺沒したことは、論理上の破綻を意味すると同時に、また事實上の苦境を豫兆するものでもある。尤も、この點は、マルキシズムの流派たる社會民主主義に於いても同一轍である。社會民主主義は、政治上の自由主義、産業上の國家主義を辿らんとするものであるから、ムツソリーニの兩刀を反對に置きかへただけの違ひで、矛盾の本體に區別はない。社會民主主義は、政治上の民主主義を産業上にまで徹底せしめんとするものだとの主張もあるが、謂ふところの政治上の民主主義とは政權分散の自由主義を意味するものらしいから、この意味に解するときは社會民主主義も亦、産業上の武藤山治先生と異ならぬことになつてしまふ。いづれにしても、その主張的立脚點の錯綜は、ムツソリーニズムと五十歩百歩である。

が、如何なる主義主張も人を得ての問題であり、人を得れば無理も道理に引つ込む慣ひであるから、ムツソリーニといふ超凡的人傑の存在を中心に保存し得る限り、ムツソリーニズムも當分は現状を維持して、甚だしき破綻を示すことなしに進み得るであらう。けれども個人は有限、必然は絶對であるから、ムツソリーニなる人物の存在を永久に期待し得ないことは勿論、假りにその可なり久しきに亘る存續を假定し得るにしたところで、社會的事情の必然は、早晩彼れの主張的立脚點をいづれの方向にか徹底せしめずしては已まない。即ちその獨裁的國家集權主義の苛烈さを民主的に緩和させて産業自由主義を救濟するか、然らずんばその産業自由主義を放擲して、經濟上にも、政治上にも、國家的集權主義を徹底的に一貫せしめるか、ムツソリーニズムの進むべき將來の方向はこの二つしかない。後者に進めば國家社會主義に落ちつくが、前者に進めばブルヂオア自由主義の完成となる。種々なる事情から推して、ムツソリーニズムは結局、後者に落ち着くのではないかと信ぜしめる可能が比較的多いやうでもある。

何は兎もあれ、ムツソリーニといふ野郎の人物には、その現物は幸にしてまだ見たこともないが、蔭ながら惚れ込まぬわけにはゆかない。その強情、その出足の速さ、そのネバリ、その敏感さ、その馬力の強さは兎も角、ライオンとふざけたり、ピストルにかすられた鼻の頭を撫で廻して英雄ぶつたりする稚氣滿々さは、一面に於ける彼れの無頼漢的善良さを表白して餘りある。レニンのやうに、木乃伊になつて迄ものズルさ僞善さが鼻につかぬだけでも助かるといふもの。上杉博士は彼れを輕蔑して、市井一介の無頼漢に過ぎぬといはれた。無頼漢や鍛冶屋の大將なればこそ、我々ごときガサツ者にさへ、何かにつけてちやほやされる所以であらう。(4)



注記(初出論文との異同)

(1)以下、論文では「七」。本文の「七」は「八」、「八」は「九」。
(2)「國家集權主義なるが」~「自任する」まで論文無し。
(3)以下、論文では「十」。本文の「九」は「十一」。
(4)以上の一段落、論文に無し。

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