國家サンヂカリズム

高畠素之

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フアスシズムといふからには、フアスシオの捧示するイズムを指すことにならうが、嚴密にいふと、體系化された理論は彼等の間から發見することが出來ない。現に、御ン大のムツソリーニは『思想を無視するところの思想』を看板にしてゐるし、彼れに追隨する一味徒黨も、親分の揮ふ一本の指揮棒に統轄された大管弦樂團だから、何にも彼にも行動第一が主義である。殊にはまた、フアスシオといふ言葉はイタリヤ語で『束』を意味し、薩州鹿兒島は健兒社の『社』に該當するとあれば、コムミユニズムのアナーキズムのといつた場合とは根本的に話しが違ふ。

そこで若し強て彼等から主義らしい理論特色を抽き出さうとすれば、彼等の行動の跡を辿つて『かうもあらうか』と鑑定してやる外はない。さうした親切者の一人が、フアスシズムを定義して『國家サンヂカリズム』と呼んだ。なるほど巧いことを言つたと感心してゐる。

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國家主義とサンヂカリズムとは、氷と炭よりも相容れない兩極の概念を指示するものとされてゐる。一方が集中主義で他方が分散主義、また一方が保護主義で他方が自由主義、どつちから見ても『同居お斷り』の代物であるが、ムツソリーニは平氣でこの呉客と越客を同居させてゐる。面白いといへば面白いやうなものの危ツかしいといへば危ツかしくもある。

何故にフアスシズムは國家サンヂカリズムであるか。政治上には極度な集權主義を採るに反し、經濟上にはまた極度な分權主義を主張するからである。

政治上の集權主義については、フアスシオの運動それ自體が、國難の救濟を叫んで起つた限り當然であらうし、圓錐塔の頂點に自己の位置を確保するムツソリーニが存在する限り、當然斯くなるべきが歸結である。新聞電報の謂はゆる『彈壓』が彼等の行動の全部を特色づけてゐる。然るに、政治上では斯くの如く反自由主義の態度を濃厚たらしめたにも拘らず、資本私有と個人企業に立脚する自由主義を高唱し些かならず首鼠兩端の傾きが發見される。そこに本質的な矛盾がありはしないかと思ふが、兩端には兩端だけの理由があつたことも認めてやらねばならない。それはどんな理由であつたか?

元來、イタリヤといふ國は小黨亂立の旗頭で、内閣の首座は猫の目の如く變轉し、政局の安定はつひぞ望まれさうもなかつた。多感熱情のムツソリーニは、嘗て社會黨一方の領袖として議席にも就いてゐたが、議會政治の弊害を芯の底から痛感したものらしい。『議會政治は、歴史の創造的因子たる個性を窒息せしめて、國家の制度を機械化せんとするものである』と稱し、やがて『フアスシスト革命の意義は、國家メカニズムから國民を脱却せしめ、個性尊重主義に立つ偉大なる人格者をして、國家に活力を附與し得るところの政體を樹立するにある』と唱へ、英雄獨裁主義の確立に我れと我れ自らを傾注したのである。

メカニズムを斯くの如く呪詛する他の一面は、青年時代に受けたサンヂカリズムの思想に蒙る影響も多い。サンヂカリズムは行動の理論であり、情意主義の哲學を奉ずるものであつて、マルキシズムの歴史的必然論と、また隨つてその理智主義とから背反した社會主義の一派である。彼等はその意味で、個人的努力の有力性を認めると同時に、前者の集中主義に對し無政府的分散主義を強調する。ムツソリーニに培はれたこの思想が、凝つては政治上の獨裁主義となり、發しては經濟上の分散主義となつたのであるが、異端なりにも三ツ兒の面影を見るに難くない。いみじくも『國家サンヂカリズム』とは評しけるぞ。

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