ムツソリーニを見る

高畠素之

×

ムツソリーニの人氣は當代隨一である。特に日本に於いては、現に生ける人物として、彼れの如く素晴らしき渇仰者を有つ者は見當らない。先達て某雜誌が、文筆關係者だけの人氣投票を募集した際にも、彼れベニトー・ムツソリーニの名を擧げる者が壓倒的に多數であつた。寧ろ社會主義的な雜誌として知られた『改造』ですら、廉價普及運動の第一着手に彼れの人氣を利用する必要が迫られ、斯くいふ不肖が卷頭に『ムツソリーニの思想と風格』を紹介したことがある。それに機縁してか否か、彼れに關する評論乃至感想の執筆依頼を受けたこと昨年だけで十數回、我れながらムツソリーニの『專門家』らしくなつたのを苦笑してゐる。

ムツソリーニといへば、破落漢の親玉で、反動派の大將で、赤化暴壓の殊勳者で、それだけ資本家本位で、勞働者迫害の張本人だと考へてゐた一般常識に對し、私の如上の執筆は、多少なりとも誤解の拂拭に貢獻したことを自認する。勿論、さうした非難は必ずしも失當でないが、これは初期の破壞時代に加へらるべき批評であつて、現在の建設時代に處するムツソリーニは社會主義的政策の實質を取つて勞働者を階級的專制に走らしめず、資本家も『生産者』といふ意味で重視し、殊に中産知識階級の使命を確認してその社會的地位を高上するなど、一種獨特の新社會を造り上げんために懸命なのである。ボリシエヰーキ・ロシヤが『働かざるもの食ふべからず』を標語とするに對し、フアスシスト・イタリヤは『國民に徒食者を認めず』といふことを標語にしてゐる。文句の表現は違ふが、内容は同一の理想を表示したもの、そんぢよそこらの自稱國士や財閥用心棒などとは、雪と炭よりも遙か以上の間隔がある。

赤色暴威を彈壓するためには、一旦の非常手段も敢て辭さなかつたのであるが、それもこれも、祖國イタリヤの國民的福祉を確保する手段に過ぎない。日傭取り根性の暴力團などがさうした外形的なものばかりを模倣し、ブローカー稼ぎの是認的口吻に逆用するなどは、棄て置きがたきムツソリーニ冒涜といはねばならない。然し實際に於いて、彼れに對する日本人の理解は悲しいかなその程度を出でない。局部的一面だけの理解、盲人が象の耳だけ探り、まるで團扇のやうなものだと思つてゐるに齊しい。

ムツソリーニを『見る』に當り、何故こんなことを前置きするかは、本文の最後まで讀めば、おのづから明瞭とならう。

×

ムツソリーニを『見る』といつても、實は映畫を通しての話である。決して現物を見た譯ではない。

ムツソリーニの映畫は、前後通じて二回これを見たことがある。最初は一昨々年、それも押し迫つた十二月二十三四日頃であつた。所は淺草の東京館、題名は『永遠の都』といふので、チラリと瞥見したに過ぎない。當時の印象は、前にも記したが、念のため抜萃して見よう。

『……朧げな視力を通して瞥見し得た印象は、一言に盡せば妙に怪物染みた感じだつた。普通の人間に比較うると、顏の造作ばかり厭に大きく、蛞蝓を二つ重ねたやうな上下の唇を動かし、面積的にも巾廣で部厚な手を振り、その顏に比較して尚且つ大きい例の白眼を剥かれた時など、どうやら梅幸の四谷怪談を見るやうな無氣味さを覺えた……』

實際その通りであつた。ところが今度、田口商會に依つて輸入された『ムツソリーニ』を見るに及び、どうやら多少の訂正を加へなければならぬやうな氣もしてゐる。尤も今度の映畫に於いても、最初の、新聞を讀んでゐる場面とか、群集に向つて演説してゐる場面とかに於いては、前と同樣な畸形的な無氣味さを印象づけられたが、何がさて英姿爽壯たる觀兵式の連續とて、男振りは數段あがつて見られたことを悅びとする。

映畫『ムツソリーニ』の前受けは素晴らしかつた。新聞では田中首相へ獻贈したものだと書き立てたし、有意か無意か、ムツソリーニの一代記であるかに宣傳したので、彈壓宰相の公的生活は素より私的生活まで、詳さに寫し撮つたのだらうとの期待を懸けさせるに充分であつた。御多分に洩れぬ筆者なども、上映の日をもどかしく待つてゐたのであるが、どうした手違ひか、來週また來週と豫定の變化があり、たうとふ封切は東京でも大阪でもされず、神戸でなされたといふ評判であつた。巷談の途説は遽に信ずる譯には行かぬが、何でも『田中首相へ獻贈』といふのが商會側の宣傳で、政友會院外團が事實無根を指摘してネヂ込んだ結果、東京でも大阪でも豫定變更を餘儀なくされたのだといふ。眞僞は知らず、實際に『ムツソリーニ』を見るに及び、如何さま有り得べき事件だと想像された。それ程この映畫は、宣傳と實際との距離が遠く、單に記念的に撮影した實寫をツギハギ的に編輯したものに過ぎなかつた。

×

實寫であるだけ、ムツソリーニその人の風貌を見んとする人に取つては、或は却つて便利だつたかも知れない。けれども、七卷を通じて悉く兵員と黨員との檢閲式ばかり、退屈きわまりしことを遺憾とせねばならない。尤も部分的には、映畫としての効果を収め得た場面も少くはなく、巧まざる中に群集の使ひ方など、商品映畫には見られざる眞率さと嚴肅さをおのづからに看取せられた。殊に故郷プレダツピオの村で、ムツソリーニ自身が鋤を取り鎌を入れてゐる部分に於いて、最初は如何にも荒廢に歸したらしい北部イタリヤの田園を偲ばせ、次の情景で、豐饒に實つた見渡す限りの小麥畑を大寫して見せたところなど、寧ろ『藝術』的でさへあつた。

これはムツソリーニ一流の政策、即ち國産奬勵の宣傳的効果に副はしめんとしたものであつた。だが、戰債問題に絡んで如何にイギリスが小麥の輸出禁止を以て威嚇したか、イタリヤ人はこれに對して、如何に彼等の常食を彼等の國内で生産しなければならぬ必要を痛感したか、總てさうした主題的効果に於いてよりも、却つて藝術的効果に於いて成功してゐたのである。然し、それらは謂はば砂中の金であり、爾餘の大部分は、繰り返し蒸し返し、同じやうな觀兵式的場面を連續するに過ぎず、義理にも『面白かつた』とは言ひがたい。

その第一の理由は、筋といふ筋がなかつたことに原因する。勿論、斯うした斷片的な實寫を繼ぎ合はせたのだから、これに『筋』を要求するのは、最初から誤りといふことも出來るであらう。然し、米國製活劇や、日本劍劇に養育された一般フアンに取つては、木戸錢を拂つた上にこんな退屈な映畫を見せられてはの後悔もあつたことと思ふ。筆者もその一人だし同行の一友も同じ不平を滾してゐた。觀客吸収に眼のなき興業者が、如何にも興業價値的に宣傳したのを眞に受けた當人に罪ありとはいへ、こんな調子では、院外團に暴れ込まれてもよささうな羊頭狗肉であつたらうことも首肯させられた。

だが、それよりも遙かに増して不愉快だつたのは、字幕の文字と辯士の説明とがヨタすぎた點である。その段も、今更らしく責め立てるには及ばぬ話しかも知れないが、それなりにムツソリーニイズムとかフアスシオ運動とかに對し、如何に日本的理解が淺薄であるかの證據を見せつけられたやうで、少なくとも私一個に取つては餘り愉快な感じがしなかつた。

×

元來、この映畫は最初十一卷物だつたさうである。それを活辯界の新知識藤波夢鳴君が七卷に縮め、日本文のタイトルを附して市場に出したのだとか。割愛した部分がどんなものだつたか、恐らく餘りの退屈さを心配して壓縮したものと思ふが、それにしても尚この退屈さはどうしたと反問したくなる。尤もこれは、編輯者夢鳴君の責任とばかりもいへないのみならず、頭も尻もない實寫の羅列を兎に角もあれだけに纏めた手腕は敬服すべきであり、字幕の如きも、他の何人かの手に依つて書かれるよりは、確かに低能的でなかつたに違ひないと思ふ。が、それにしても尚、救はれざる臭味と無理解は否むべくもない。

先づ第一に、フアスシズムの萬國的適用を高飛車に戒告した冒頭の一句である。あれで見ると、甚だデモクラ的理想の渇仰者らしく想像されるが、續いて出る文句は、悉く黒襯衣的彈壓政策の讚美ならぬものがない。それも惡くはない。唯だ『京洛の巷は今や……』式の劍劇的明文が、餘りに作品的で且つ和製的であり過ぎた爲め、恰も彼れムツソリーニが我が維新的尊王攘夷論者でもあるかの如く劇畫化されてゐるには困つた。

維新の尊王攘夷的英雄も、素より偉いにはちがひない。然し、ムツソリーニの『偉さ』は、時代的にも國情的にも、根本的に違つた本質に立脚する偉さである。斯うした『偉さ』の本質に對する無理解が、滔々として暴力團的看板に利用されたり、職業的國家主義者のマスコツトに擔ぎ上げられた所以であるが、幸か不幸か、説明界の新知識藤波夢鳴君の理解も、それらの暴力團員や愛國業者の頭腦を一歩も出で得なかつた。演説の場面に於いて、ムツソリーニの警句を引照したことは思ひつきだつた。恐らく彼れは、ムツソリーニに關する幾多の參考書を繙き、これはと思ふ名句を、抜粹したのであらう。然しどうせの思ひつきなら、『祖國と共に榮あらずんば我等の幸福も平和もなし』とか、或は『我等は義務ありて權利なし』とかの類句ばかりでなく、他の一面も二面もある演説的名句を、何故にこれと一緒に抜粹して呉れなかつたのだらう。

前にもいへる如く、ムツソリーニは謂はば象である。耳ばかり探つて團扇のやうだといはず、他の特色たる鼻も足も牙も、更に皮も尾も共に探つて貰ひたかつたのである。商賣ちがひの夢鳴君を相手に、こんなダメを出しても始まらぬと思ふが、字幕の文句を自慢に吹聽してゐたらしいだけ、言はずもがなの憎まれ口を叩いて見たくなるではないか。

×

字幕はまだしも無難である。辯士君と來ては、字幕にありもしない蛇足ばかり加へ、愈ムツソリーニを漫畫化することに貢獻してゐた。私の見たのは十二月一日夜の帝國館だつたが、下位春吉がダヌンチオと『兄弟分』になつたり、ムツソリーニの『皇室中心主義』的熱誠を幾十度となく押し賣りしたり、時代と場面を錯誤するに急がしさうであつた。甚だしきは、前記の最も藝術的な場面の説明に『これが有名な小麥戰爭の話しである』などと脱線し、イヤハヤ目も當てられぬヨタ振りである。

さうかと思へば、プロには麗々しく『下位春吉氏監修』などと書いてある。フアスシオのローマ進軍から、第三回記念大會までの實寫に、日本人下位春吉が何んのための監修ぞ! 下位氏は勿論、最も熱心なムツソリーニとフアスシズムの紹介者であらうが、忌憚なくいへば、氏は如何にも職業的紹介者である代りには、その團扇的紹介に依つて我國人の理解を偏破ならしめ、愛國業者の看板的利用を助長した傾きもなしとしない。素より、それとこれとは別問題だが、明白なウソ『下位春吉氏監修』などを書く度胸なら、必ずしも『田中首相への獻贈』などと宣傳し兼ねざるべく、下司の智慧と罵倒されても文句がないであらう。人を甘く見るにも程がある。

ムツソリーニの『皇室中心主義』にしても然り。彼れは決して、現王室を尊敬する念慮に於いて爾餘のイタリヤ人に劣るまいが、さればとて日本國民が皇室に對し奉る信仰的念慮などとは根本的な相違がある。ムツソリーニを完全無缺の偶像に造り上げるのはよいが、それがため我が國人の、萬古海外に比類を見ざる『皇室中心主義』を濫用するに至つては、贔屓の引き倒しである。ムツソリーニは七年前までは、最も熱心な共和主義者であつた。フアスシオ革命を斷行してからも、さうした『三ツ兒の魂』は隨處に見られる。けれどもこれはムツソリーニがイタリヤ人なればこそ。日本人の常識で是非善惡を批判することは許されない。けだしイタリヤの現王室は、僅か六十七年前にサルヂニヤの一小王たる身で海内を統一したビクトリオ・エンマヌエルの子孫、隨つて王室に對するイタリヤ人は、君臣一如にして三千年我が皇室に對し奉る關係と感情とに比し、根本的な相違があることを知つて掛からねばならぬ。故にムツソリーニが、假りに王室を中心とする行動に終始しなかつたとて、少しも不名譽とすべきでないのみならず、我々日本人としては、これを是正して始めて全幅的理解に到達し得るのである。

私が斯くムツソリーニを、決して『皇室中心主義者』と呼ぶべきでないと主張したに對し、物の道理に空間的時間的相違があることを辨へぬ福士某君は、激越的口吻を以て『傳統主義者なるが故に皇室中心主義者だ』と反駁してゐた。戲談ぢやない。ローマ建國の昔に還つたら、そこに横はるのは明白な共和政治ぢやないか。興亡盛衰十百度、王室を代へること幾度か知らなかつたイタリヤ人が、傳統主義であればあるだけ、現在のサルヂニヤ王家を中心としなければならぬ理窟がなくなつてしまふではないか。

ムツソリーニに對する福士君の如きは、ミソもクソもアバタもエクボも一緒くたに禮拜する意味で、引き倒しに陷りし贔屓の代表的な一人である。

×

ムツソリーニを『見る』に當り、第一回目と第二回目とに於て、印象を訂正する必要があることを斷りながら、肝腎の問題となつて與へられし餘白の少くなつたことを遺憾とする。簡單に片つけてしまはう。

怪物染みた印象は、單なる程度の相違で二回とも變るところがない。然し馬子にも衣裳、執政官の制服を着けて肥馬に跨がり威風堂々と四邊を壓倒し得れば、男前が數段上がつて見えるのも當然であらう。殊にムツソリーニは、有名な『將棋駒』のアダ名を所有してゐるだけ、底部が左右の顴骨突起によつて廣く、次第に上部へ向つて狹められると共に、額部のハゲが中間の半島形を殘して抱状の灣形をなしてゐるので、金ピカの帽子を冠つた方が立派である。加ふるに無帽で後向きになると、明けて四十五歳の壯年に拘らず、後頭部もまた次第に擴大する楕圓形として禿げつつあるため、どうやら後部にも『小さな顏』があるらしく思はれる。『太郎次郎聯隊旗』の童謠が喝破せる如く、まつたく『帽子かぶれば良い男』となつてしまふ。

脊は餘り高い方でない。肉附も大して肥滿せずガツチリした堅肉らしく、肩幅と胸幅は顏面と共に、その體躯に對して比例的大を特に感ぜしめる。眼も普通の場合は常人と變らないが、事務に精勵する時とか黨員に演説する時などは、文字通り『眼を剥く』といふ形容に相應はしいほど大きく見開き、同時に眼光も爛々として威壓的であつた。演説といへば、彼れの演説はジエスチユーアが大きく、口唇は筒状に突起して、ヴオーカリストが腹一杯の聲を發する時と變りがない。聽衆は一言一句に拍手喝采を惜しまぬ熱狂漢、音に聞えた雄辯は彌が上に雄辯性を増大するであらう。

その他部分的に色んな特徴を見出したが、これは他日の機會に讓らう。唯一つ氣附いた點は、彼れが如何にも『稚氣愛すべき英雄』といふ印象である。哄笑は愚か微笑だにせず佛頂面に収まり返つてはゐるものの、おのづからなる愛嬌は受け取れる。この愛嬌こそ稚氣の發揚である。飛行機に乘つたり、乘馬で障害物を飛び越えたり、高等百姓をやつて見せたり、その他、等、等、天の作せる愛嬌はナポレオン的稚氣をさへ想像せしめるものがある。この稚氣あればこそ、今日の人氣を博し得たのであつた。映畫『ムツソリーニ』に於いて、彼れ特有の稚氣を發見し得ただけでも収穫、以て瞑すべきであるかも知れない。

inserted by FC2 system