高畠素之氏を駁す ―ムツソリーニは皇室中心主義―

福士幸次郎


地方主義運動(傳統主義の一系)で郷里津輕にこの四年ゐた間、中央方面を見ると目立つて周圍の群少を駁してゐるやうに私に見えたのは、國家社會主義者高畠素之君もその一人であつた。わたし共の傳統主義といふものはよく誤解されるが、國家主義者ではない。だがこの誤解が取り持つ縁となつて高畠君の思想は以前鳥渡注意して見たことがある。そして同君獨特の毒々しい社會觀念に多少あてられた事がある。そして上杉愼吉博士なぞの愛國主義の一派が、この高畠觀念に大した顧慮も拂はずそのマルクス的國家觀念に吸引されてゆく徴候を見たとき、今の日本の國民運動の當てにならぬものたるを獨り痛嘆した事がある、だが無理もならかう。日本では高畠君をムツソリーニ運動の別家のものに見てゐるものが澤山ある。わたしの田舎の勞農黨員なぞはすつかりさう思ひ込んでゐて、私に好意的にこの勞農黨員がそれを語り、且つ研究してゐると語つた事がある。彼は私が愛國主義者だと知つてゐるので、同時に國家主義だと思つたのらしい、だが國家なんてものは合理主義のヘーゲル思想あたりの抽象世界をマゴついてゐれば澤山だ。わたしなぞは斯んな概念的な言葉では滿足できなくて、傳統社會、民族社會と言つてゐる。

さて高畠君の國家社會主義なぞといふものは、如何に吾々愛國主義者と相背くものかといふことは『社會時評師走の雜感』(十二日本紙月曜附録)のムソリーニ觀を見れば解る。高畠なる彼れ妄斷家はムソリーニを決して皇室中心主義者でないと斷定し

若し『熱烈』の言葉で押し得べくんば、彼れは寧ろ却つて共和主義者であり、唯だ便宜的手段として皇室の存在を肯定すべきことを説明した男であつた。

と説明してゐる。だが事實に於てどうか。彼れムツソリーニはイタリヤ民族、國王ローマ法皇廳を包容する傳統觀念の下に生きて居り働いてゐる。でなかつたら如何して彼が一九二一年、六月廿一日の日付けで〔『〕羅馬のラテン的、また帝國的な傳統は今が特力教によつて代表されてゐる。羅馬に目を注ぐ四億萬人の大衆は、イタリヤ人であるところの吾々にとつては、關心と誇りの一對象を構成する。〔』〕といふ言葉が言へるだらうか。一體今の日本の殆ど全部の新思想家は、傳統といふその社會精神の根幹になつてゐるものには殆ど盲目なので、ムツソリーニの精神なぞは到底解りつこなく、たゞ表面から利いた風の毒舌を吐くのが落ちだ。ムソリーニが皇室中心主義者であると言ひ得るのは、彼れの傳統主義者であることを知つて初めて理解できるのだ。傳統主義に對するこのムソリーニの關心、誇りが單に彼の修辭的な出鱈目なら、高畠君なぞは今更知つたが振りして共和主義者だの何のと言はず、直ちに『大嘘吐き』と言つた方がよい。尚それ以外身の程知らずにも下位春吉氏を暗にブローカア扱ひする等、彼の愚状は余りにひどい〔。〕因にいふ。今の日本人のムソリーニに對する無理解を表すものとしては今日の『婦人公論』で「獨身税と子なし説」(ムソリーニ首相のフアツシスズム)といふものを書いてゐる藤井悌君なぞもさうだ〔。〕この連中は何かといふと反動思想といふ。では正動思想はマルクシスムだといふのか、フン!(十二日、世田ケ谷にて)



初出:『讀賣新聞』昭和二年十二月十四日(朝刊)

注記:

文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。

inserted by FC2 system