高畠素之君に ―ム氏は共和主義か―

福士幸次郎

高畠素之君に ―ム氏は共和主義か―(上)

高畠君の辯明が案外お手柔かで平常の毒氣滿々たる調子がないのに案外を感じ、つぎに私に對し諄々と一千八百六十年の、イタリー獨立の西洋史のお講義があつたのには呆つ氣にとられた。だが問題の起りたる同君の知つたか振り、即ちムツソリーニを同君が目して『共和主義者』であると言つたこと(本紙十二月十二日所載『師走の雜感』)は結局三日續きの辯明にも拘らず、究極の説明がどこにも見えてゐなくて、唯わたしがムツソリーニを皇室中心主義だと言つた事に對する處の、揚げ足取りにだけ終つてゐるのは、『高畠君よ、貴君も今度は沒つたナ』と申さゞるを得ない。

ムツソリーニがそのフアシスト運動のはじめ、同じ黨員竝びに國民に對し、吾々フアシストはイタリーを『統治する』と言ひ放つた傲語は、きつい言葉である事は私も認める。だがそんな事ぐらゐで彼の『共和主義者』□あるといふ事が何處に立證されやう。彼の思想上の特徴はその急變で著しいが如く、多眼的でも著しいので、彼に對する批評の區々はあり得るとしても、彼が最も中心的に心を置き、そして變るものを認めるとすれば、ロマン・カトリツクの奉仕を傳統とするところの、イタリーの民族的發揚を見おろしたらばすべては『象を評する群盲』の笑ひにならう。高畠君よ、揚足取りは止めて福士が君に言ふたこの趣意をたゞ汲めよ。ムツソリーニが共和を讚美した言葉があるとて君こそ『鬼の首』でもつてこれを拾ひあげて――言はゞ象の耳だけ障つて來て――私に逆襲して來たとて何にもならぬ。まして伊太利獨立史の一と鎖を講義して伊太利には『皇室中心の道理』がある筈がないなぞと、イキリ立つが如き事は万に一つも仕給ふなかれ。これは問題の主ではない。問題の從である。主を極めて先づ從をきめよ。ところで私から見れば主はもう決した〔。〕ムツソリーニは斷じて共和主義者□はなく傳統主義者である。その立證は幾らでもある。そしてあの通り疑ふべからざる愛國主義者で民族主義者で、カトリツク教徒で、その民族的傳統を中心として自國の上に、世界の上に呼號してゐる。

ところで主の方は簡單ながら之れ位でいゝとして從の問題に移らう。お互に言ひ足りない處は、この年末の忙しい處、竝びに新聞の目下の忙しい處をも慮つて、來春にでもなつたら、別に貴意を得たい、若し貴君にして尚雅量があるならばだ。ところでこの從の問題に對して、君は私を『例の福士幸次郎』の惡腦惡文といふ名呼稱のもとにムツソリーニは皇室中心主義者でないと、わたしに教へたり、笑つたりしてゐるが、私の抗議文の内容を苟且にも辯解文といふ程のものを書くなら、今少し念入りい御注意あつて欲しい。あの短い文章で無論意をつくせるものでない事は、常識から言つて明白なことで、このため私は抗議文中にムツソリーニの傳統思想の系統をば、方式的に『イタリー民族、國王、ローマ法王廳』と辭句を並べてその歸屬の關係をば示してゐる。高畠君よ、この國王といふ言葉に目をこめられよ。即ち現イタリーのヴイクトルインマニユエル陛下は、王であつて、帝ではない。福士はその區別を立てゝ釘を一本チヤンと刺してゐる。これは日本なら簡單に『日本民族、皇室』の二觀念で濟むところである。それがイタリーでは前述の三觀念で成り立つのである。

高畠素之君に ―ム氏は共和主義か―(中)

これを高畠君が見落としてムツソリーニを一口に私が皇室中心主義者だと言つたのに對して、カサに掛つて揚足取りをしてゐる。一應ソンナ誤解も出來さうだから、わたしも此處では苦笑せざるを得ない。だがムツソリーニの傳統思想の系統を方式的に、伊太利民族、國王法王廳と言つた事に對し、貴君は餘りに留意が無さ過ぎた。日本の皇室が申すも長いことだが、外國のそれと混同すべき謂はれがあるわけがない。殊に況や法王廳と何處を探してその類似が求められるだらう、高畠君にして親切ならば今少し氣を利かせて呉れるがいゝ。文字も知らない未開人に數學の方式を見せたところで仕樣がない。だが文字を知つてゐる人なら數學を知らなくても、これが何ものか内容があるものだと尊重はしてくれる。ところが高畠君はまるで野蕃人でもあるかの樣に、わたしの提出して置いた方式を踏みにじつた。そして私の言つた取るにも足らぬ所を拾ひあげて、これ見よがしに笑つた。これには私も半笑ひせざるを得ない。

わたしはムツソリーニを傳統主義者であると言つたところで、傳統なる言葉の觀念が今の日本人の大多分に理解されないと信じ、映畫のムツソリーニが皇室中心主義に宣傳される事情を利し敢て彼を皇室中心主義者と言つた迄の事である。雪といふものを見た事のない暖國の人には、雪は綿のやうなものだと説明するのは、或る程度までの成巧である。これによつて説明される當人は『綿』といふ事の聯想から、却つて暑くるしいものだと思ふかも知れないが、これを土臺にして來る點までの説明が出來る。實際また今の日本人の大部分たとへばムツソリーニ運動を單に反動運動だと見てしまひ、其宗教にまで突き進んでの精神なぞにテンデ同感が出來ぬ今の日本人の大多分には、斯うでも言つて或る點までの説明上の成功を計るよりも仕樣がない。

高畠素之君に ―ム氏は共和主義か―(下)

しかし論はこれ位にして傍に逸れるが、高畠君の私に對する今回の逆撃のうちわたしの痛切に同感を表したいのは、今の新進階級といふものが無智で、同君の眞の立ち場などに無理解であるに對し、堪え切れぬ憤懣を洩らされてゐることである。わたしなぞにしても同君がよく鎗玉にあげる人々、たとへばマルクス御用批評家たる山川均、猪股都南雄、その他何とか彼とかいふ人が、いつまでも日本で壽命をもつて法螺を吹いたり、物々しい事を言つてゐるのを見ると、氣がムシヤクシヤとしてくる〔。〕今月の改造(十二月號)を見終つたときなぞ、つくづくそれを感じた〔。〕『まてりありすむす。みりたんす』といふ表題で、マルクス反對者の土方成美教授を散々コキ下してゐる大森某といふ人の論文を見たら〔、〕その引用の『唯物史觀』中での有名な言葉、即ち例の上層及び下層建築(infrastructure)が誤譯だらけの文章で、しかもこんなものを振りまはして相手方の土方教授の『唯物史觀』攻撃を、言葉もあろうに、『虚構も甚だしい』と叱りつけてゐる。例をあげて其の誤譯を説明すると、この六行程の短い引用文句の中に適應といふ言葉が二つあり、しかも原語にはソンナ意味がない!但し私のは佛譯〔。〕しかもこの大森某は同じ雜誌中の樽崎といふ人の書いたものを見ると、東大の助教授ださうだ〔。〕大學は學問の自由の府だといふが〔、〕こんな學者の分も心得ない者を飼ふ大學なら、非自由な方がもつと立派だ。つまり現代の日本の状態は凡そこうまでも劣惡だ。こんな事は高畠君も同感だと思ふ。

世の中が兎角斯んな状態だと、わたしの樣な感情家はつひ毒氣のある事を言つてしまふ。高畠君にもその書いたものに毒氣が多かつたのは、或はこんな事情でないのだらうか。今回の論端も同君がムツソリーニや、下位氏等に對する暴言めいた言葉に、私の虫が納まりかね抗議した事から起つた。だが今度の同君の辯駁文で、同君の皇室尊重論や愛國の告白が出たのには、同君の尊重も感じたから、こんな毒氣なしに他日も少し堂々と論じ合ひたい〔。〕高畠君は何か彼と私を見下したことを言つてゐるが〔、〕そんな獨りエラガリして他人をきめつけるから今度のやうに僕に突つ込まれるんだ。愛國主義や傳統主義には僕は君より苦勞もし、勉強もしてゐます。

尚辯證論や正動思想なぞと言つた事は、わたしは高畠君に對し言つた事であり、今の世の中一般に對し言つた事だ。私は同君が最近の日本の辯證論流行を冷笑した事を讀んで、あれには特に氣持よく思つたくらゐだ。正動思想は婦人公論の藤井悌君の言ひ方が癪に障つて〔、〕そのまた言ひ方が今の日本の流行――何かといふと反動思想、反動思想と言ふ、マルクス主義をそんなにも必然と信じて――に癪に障つて筆端が彼處まで飛んだのに過ぎぬ。以上僕の方も隨分妄言多罪されたが、わたしからも妄言多罪の謝の下に高畠君の或る妄斷の指摘と、自己の辯明を簡單に果して置く

(十二月廿三日)



初出:

(上):『讀賣新聞』昭和二年十二月二十五日(朝刊)
(中):『讀賣新聞』昭和二年十二月二十七日(朝刊)
(下):『讀賣新聞』昭和二年十二月二十八日(朝刊)

注記(初出論文との異同)

※文字を増補した場合は〔 〕内に入れた。
※不鮮明文字は□を補った。

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