人は何故に貧乏するか

高畠素之

一、金が敵の世の中

人を殺すも金、生かすも金、金が敵の世の中ぢやなア……

吉右衞門の扮した梅ノ由兵衞が、肚の底から例の絞り出すやうな名調子を張りあげる。大向ふからは待つてましたとばかり『播磨屋ア』の掛け聲がかかる。ひとしきり動搖めく間に、いまの『殺すも金、生かすも金』を口の中で繰りかへして見た。作者が南北で役者が當代の極め付き、舊主への義理や女房への人情を經緯とした一流の變態資料物だが、歌舞伎劇を單に音響學と色彩學の上から享樂し得る私は、事件の無理や内容の空疎を超越して、この對句に含まれた眞理を、今更のやうに『成程成程』と同感したことである。

金、金、金――生きとし生ける萬人は、晝夜の別なく金の問題で大腦神經を磨滅しつつある。新聞記事を賑はす問題も、硬軟ともに直接か間接かこれに關聯してゐる。川崎造船所を生かすも金なら、失業者夫婦が三人の幼兒を殺したのも金である。下世話の諺は『地獄の沙汰も金次第』といふ。この調子では生前の苦勞を、そのまま死後にまで持ち越すのかも知れない。

人間がこれほど狂亂的に欲しがる金とは、抑もその正體は何んであるのか。金はその始め、交換の便宜のため社會的に考案された道具である。甲に取つては餘分な物だが乙に取つては不足な物を、甲に不足で乙に餘分なそれと交換するとき、物と物とを交換してゐたのでは色んな不便があるところから、物それ自體の價値を共通に表象する金(貨幣)をつくり、彼等の欲するあらゆる物を價値の共通的表象たる金で媒介させるやうにした。これは人間社會の思ひつきな發明である。隨つて金は、人間に依つて支配さるべきものであつたが、人間の追求する價値が悉く金で代象されてゐる事實は、やがて端的に金そのものを追求するに傾かしめ、金は價値の尺度たる意味を轉じてその唯一實體たるかの如き性質が與へられ、いつの間にか人間を却つて支配するやうになつた。マンモンは斯くしてエホバに代り、全智全能の神として人間に君臨し得たのである。

一椀の鶴の羮はもとより、一杯の芋の粥さへ、今や金なくして口にすることは出來ない。金あれば羅物や上布を飾り、金殿玉樓に贅を盡くすも隨意だが、金がなければ手拭地さへ着ることが出來ず、雨漏る四疊半にさへ寢ることが出來ない。衣食住みな金、かういふ時勢であつて見れば、金のために一錢でも二錢でも目の色をかへ、無ければ無いだけ、有れば有るだけ、お互ひに他を凌がうと狂亂するのも、淺猿しなんど愚かなこと、まことに無理からぬ事情が認められるであらう。

さればこそ、古來幾多の聖人傑士は、口先きだけは阿賭物などと汚穢らしく説いてゐるが、如何にして産を治むべきかを頭痛にやみ、努力、奮鬪、機敏等の積極手段はもとより、勤儉、節約、貯蓄等の消極手段に至るまで、いとも懇切に金の有りがた味を裏書して來たのである。勿論彼等とて、必ずしも金そのものを尊貴と教へたわけではない。しかし金のない状態、即ち貧乏の如何に不幸にして不徳なるかを説ける意味で、阿賭物的人生觀の馬脚を露出した部分も少なしとはしない。桃中軒雲右衞門はその『正宗孝子傳』に於いて、喝破して曰く『四百四病のやまひより、貧ほど辛いものはない』と。これこそ古今東西を通じての眞理である。

阿賭物でも黄金佛でも、我々の人生に取つて金の有ることは幸福であり、反對に金の無いことは不幸である。幸福を追求するのが人間の至情なら、何等の恥辱を意識することなくして『金が欲しい』と白状すべく、そのために努力、勤勉、節約等の道徳的要素を發揮し得れば、それに越した話しはない。小學校の修身教材には、これらの道徳的要素をもつて殖産興業を可能ならしめた美談佳話が滿載されてゐる。彼れも人なり、我れも人なり、人と生れて我れ彼れに及ばざるはずやあらん、と緊褌一番するのも時に取つて清凉劑とならう。だが、さういふ助言を俟つまでもなく自分の幸福は誰れでも自分が最も忠實に考へてゐる。それだけ、先人や教師の訓話を遵奉するつもりであると否とを問はず一樣に『濡れ手で粟の四千兩』を夢みたり、『積り積つて塵の山』を描いたり、我れと我が身で道徳的鍛錬を心がけてゐるであらう。

しかし、それにしても、世の中が餘りに世智辛くなり過ぎたことに氣づきはしないか。『働らけど働らけど、尚ほわが暮らし樂にならざり、ぢつと手を見る』ところの石川啄木と共に、修身教材はもとより『予は如何にして……』の成功美談が、餘り荒唐無稽の繪そらごとと見えはしないか。骨折つて足勞を儲けないまでも、いつの間にか蟻地獄に陷ちこんだ蟻の運命と同じく、次第に貧乏の深みへはまり込んで行くのを感じられはしないか。

金が世間の敵なら、どうぞ敵にめぐり合ひたい――大阪仁輪加は、頭からさういつて茶化すが、それほど世間の大多數は金に無縁な存在である。朝から晩まで、晩から朝まで、四六時ぢう金の問題ばかりを考へ、如何にして儲くべきかにあらゆる精力を傾注しながら、尚ほ生活が樂になるだけの金が得られない。それのみか、かへつて釣瓶おとしに生活は苦しくなつて行く。考へてみれば、理屈にも何んにも合つた話しでないが、その理屈に合はぬところが現代生活の特徴なのである。

二、貧乏の千姿萬態

金がないといふことと、貧乏といふこととは決して同義異語ではない。例へば金(貨幣)そのものがなくても、信用さへあれば八百屋や魚屋の臺所的取引は素より、支那の鐵鑛や印度の棉花やの商業的取引も可能である。しかし金の意味を廣義に解し、有形無形の財的價値の表象と見れば、やや『金がない』といふ概念と『貧乏』といふ概念は近接する。通俗に貧乏といへば金のない状態、即ち必要だけの金が得られない状態と解釋してゐるのは、その意味で必ずしも間違ひといふわけではない。

そこで今度は『必要』といふ概念を如何に決定するかが問題となる。例へば二千萬圓の財産家が三千萬圓の事業を獨力で經營しようといふ場合、差引一千萬圓は『必要』に對する不足額となるわけだが、しかし世人は彼れの貧乏を承認しないであらう。人間の慾望が無限である以上、その慾望にもとづく必要も無限に増長すべきが當然だから、いはゆる『必要』の概念にも一定の限界がなければならない。その限界は『生活に必要』なことに置かれる。

生活には肉體的生理的なものと、精神的文化的なものとの二方面がある。衣食住の問題は前者で、娯樂教養の問題は後者に屬する。この二方面に於いての『必要』とは、抑もまた何を指すのであるか。生活を肉體の維持存續といふ絶對的意味に解すれば、人間は二千五百カロリーから三千五百カロリーの榮養價を一日に取れば十分なさうである。して見れば、文字どほりの『露命をつなぐ』ことが出來ず、普選法のいはゆる『公私の救恤』を受けなければならぬ程のものは、さう大して多く存在しないであらう。

しかし『公私の救恤』を受けないから、それで貧乏ぢやないといふ解釋も穩當を缺く。世間はよし彼れが救恤を受けなくとも、豚の如くただ肉體的生命を維持してゐるだけの人間を貧乏人と呼ぶに躊躇しない。電氣ブランを呑み、ゴールデン・バツトを喫ひ、新聞の一種や雜誌の一册も讀み、時に劍劇の一幕ものぞく人間でも、これを貧乏人と呼びならしてゐる。單位的絶對的な貧乏人に對しては贅澤きはまりなき貧乏人であるが、そんなら貧乏の標準は、比較的相對的なものと解すべきであるか。

比較的相對的といふ段になると、千萬長者に對して百萬長者は貧乏であり、月収三十圓の雇員に對して月収五十圓の書記は金持ちとならねばならない。劇場の特等席に陣取る貧乏人と、四階に辛うじて立見する金持ち――上みれば限りなし下みれば限りなし、それでは貧乏の概念は浮動してしまふ。隨つてこれを、經濟學的乃至社會學的に嚴密な檢討を下して行くなら、甲論乙駁を無際限に繰りかへすのほかなく、結局は八幡の籔知らずに陷るであらう。

そこで貧乏の定義は、ごく大まかに『人間らしい生活をするに必要な金が得られない状態』とでもして置くのほかはない。ところが『人間らしい』といふ言葉が抑もの曲者で、文藝上のいはゆる『人間的』などと同じく主觀的に解釋するなら、これも一定の限界線がなくなつてしまふ。打水をした庭先きに下り立つて蟲の音を聽く、といふやうな風流韻事はまだしも無難だが、妓樓に登り藝者末社に取り卷かれて大盡遊びをしなければ『人間らしい生活』とは思へない、などと贅をならべる奴が出ないとも限らぬ。しかしこれは、人のふり見てわがふりで、おのづからなる一定の客觀的状態を標準とすべきである。

マルクス末流の善玉惡玉的解釋に從へば、筋肉的たると頭腦的たるとを問はず、自己の勞働力を賣つて生計するものが無産者で、地代利子等の不勞所得によつて生計するものが有産者だとある。無産者即貧乏人、有産者即金持ちとなす常識的解釋を加へれば、退職手當を復興債券にかへた古手官吏が、月額五十圓宛の利子を得て生活することが金持的であつて、頭腦勞働を唯一の収入源泉とする技師が、月額五百圓の俸給を得て生活することが貧乏的といふことになる。甚だ論理的な二元觀ではあるが、惜しいかな、事實が論理に追隨してくれない限り、彼等の人生觀はこの世に適用されない。

それやこれやを見るにつけ、貧乏か否かといふ問題はやはり、収入を中心として一定の客觀的標準線を設け、家族員の多寡や、病弱者の有無等による或る程度の變通自在性を認め、しかるのち『生活に必要とする金』云々の條項を適用すべきである。斷るまでもなく、この場合にいふ『金』とは、文字どほりの貨幣たる意味ではなく、あらゆる財的價値の代象としてのそれを意味する。以上以下ともこれに同じ。

三、民の富は國の富

貧乏の意味をこれまで個人的なそれに限定して來たが、個人の集合體の單位たる國にも、同じく貧乏といふ問題が重大な關係を有たなければならない。富國強兵の理想は、東西古今の國家が例外なく揚げたところである。これはあらゆる個人の場合と同樣に、消極的には如何にして國の貧乏を免かれるかの煩悶を表白してゐる。

國の貧乏は國民各個の貧乏に直接關聯する。逆説的にいへば、國民各個の富裕は國としての富裕をもたらすのである。

スミス流の國富的人生觀によれば、經濟學の目的は、『一國の富と力とを増大する』ことにあるといふ。然らば、國富は如何にして可能ならしめられるか。先刻御承知のごとく、スミスは經濟上の利己心を最も自由に活動せしめることが、社會公共の福利を増進する唯一の手段だと解した。經濟上の利己心とは何であるか。各個人がそれぞれ經濟的利益を追求することである。米屋や酒屋や魚屋が、我々の家庭へ飲食を運んでくれるのは、何にも彼等が慈善心を發揮するからではない。かくすることが彼等の利益になるから、即ち彼等の利己心を滿足させ得るからに過ぎない。我々の側からいへば、必要なものを調へてくれるのは如何にも有りがたいやうだが、それによつて彼等が利益を擧げるのだから、更めて感謝するにも當らない。かうした相互的利害關係の一致は、何等の干渉を必要とせずして社會の調和を導き、國全體としての富の増殖に結果せしめる。而もかかる經濟的利己心は、機械器具の發見發明を奬勵し、加速度に國民的富の増加に貢獻するが故に、單り商工階級のみならず勞働階級の運命をも共に向上せしめ得る。つまりスミスとしては、貨幣を以つて秤量し得べき富の價値が人生的價値の基礎で、一國内で生産される貨物の代價を總計した金額が増大すれば、全體としての國富と同時に國福も増大すると考へたのである。

それに違ひはない。塵が積つて山となるなら、塵が多いだけ山が大きいはずで、各個の富が全體の富を形成するのは、明白なる數學原則をおのづから示してゐる。ただスミスは、利己心の自由なる活動に全部をまかせて、外部の干渉を飽くまで頑強に拒否したが、果してそれが、國富に貢獻する唯一の方法であつたかどうかは疑はしい。が、それは兎にかく、スミスの精神を精神として發達したる近世の資本主義的生産方法が、夥しく國民的富の増殖に貢獻し、國民の物質的生活を驚くばかり豐富ならしめた事實は疑ふべくもない。例へば、これはいつも引き合ひに出される例だが、紡績の仕事は機械の發明以前は、一人が一時に一錘を紡ぐのほかなかつた。然るに今日の進歩せる機械は、一人がよく一時に千二百錘を動かし得るといふ。この數字だけを見ても、從來に比較して千二百倍は富の生産が増加したわけで、またそれだけ、國民の物質的生活は豐富になつたと言ひ得る。『民の富は國の富』といふ重寶な論理も、如上の意味では成立し得るのである。

政友會内閣が看板とする産業立國策なるものは、むろん商工業振興策の意味なるべく、國富の増進を商工業によつて達成しようといふのであらう。今どき、國富の増進を商工業に依頼せよといふのはまるで雨の降る日は傘をさせといふのと同じで、愚にもつかないことはこの上もない。要は如何なる商工業を、如何なる方法を以つて盛大ならしめるかに約せられる。いふまでもなく、地域的に限定された一國内は人口學的、風土學的、土壌學的等の雜多な自然條件に制約されてゐる。増大する生産品の販路と原料品の補給とは、かくして國外に向つて開拓されなければならない。例へば英國の如き、鐵と石炭の産出に於いて自然的に惠まれてゐた關係が、製造工業を盛大ならしめる第一の條件とはなつた。しかし、それを今日の盛大に導くためには、アジア、アメリカ、アフリカ、オーストラリア等の諸大陸に植民地乃至保護地を開拓し、この地方から原料品を仰いで加工品を捌いたがためで、製造工業と同時に海外貿易を相扶的に増大したゆゑんである。而も今や(といつたところで六七十年も前からだが)、彼等の商工業の利潤は次第に集積されて資本の洪水を來たし、國内に投資されて尚ほ餘分の資本は海外に投資せられた結果、製品の輸出と共に資本の輸出を旺盛ならしめ、いはゆる『日沒なき帝國』の國富は何十百倍に増加したと見られる。民の富はかくして國の富となり得たわけである。

東方侵略とか、南阿征服とか、濠洲併呑とか、彼等國民の前身には怖毛を振ふ惡辣手段の多數を發見せられる。しかしこれを客觀すれば、彼等の商才の機敏とか、堅忍の精神とか、進取の氣象とか、すべてさうした道徳的要素の發揚に負ふ部分が少なくない。これに由つてこれを見る、國富は素より自然的條件に制約されるが、その一定限以上の増進は、國民の道徳的要素の發揚に俟つところ多大である。勤儉貯蓄を奬勵して殖産興業を圖るといふこと、換言すれば、雨の降る日は傘をさせといふ政友會内閣の産業立國策の如きでも、如何にして國を富ましめるか、如何にして貧から國を救ふかの對策としては、頭ごなしに輕蔑してかかるばかりが能とも言へない節がある。佛國民の貯金政策などもその有力な一例であらう。

四、資本家でも貧乏

國富はかくのとほり、國民の營利活動によつて増加する。しかし國富の増加は、必ずしも國民所得の平均的増加を齎しはしなかつた。スミスの樂天的人生觀によると、商工業さへ盛んになれば當の商工階級は勿論、勞働階級までそのお相伴で裕福になれる筈だつたが、事實は彼れの豫言を遙かに超越して商工階級を富ましめた割合に、勞働階級の方は總體的に大してウダツが上がらなかつたのである。

如何にして然りしか、その説明は明晩のお樂しみとするが、とにかく今日では、資本を有つ人と勞働をする人とが、截然と二つに分別したこと御覽のとほりである。資本を有つ人(資本家)は、勞働する力だけしか有たない人(勞働者)に、一定の賃銀を拂ひ一定の勞働をさせて産業を營む。これは普通の形であるが、もう一つ、自分では資本を有たないが、他の、資本を有つ人から融通を受け、必要とする建物や機械や原料やを求め、且つ勞働者の勞働力に對し一定の賃銀を支拂つて、それで産業を營むといふ人もある。金融資本家と企業家との關係がそれで、企業家は財産を有たなくとも事業を營むことが出來る、といふことも理論上では明らかに言ひ得る。

川崎問題で被告の立場にある松方幸次郎氏は、嘗て『資本家も貧乏だ』と放言したことがある。いふまでもなく、この場合は企業家を意味してゐるが、穴勝ちパラドツクスとばかりも見られない。彼等とて相對的には貧乏人であり得る。

かうした種類の貧乏人は(變なものだが)、資本として借入れたる金に一定の利子を拂ひ尚ほ且つ一定の利潤を上げてそれを生活資料に充當する、といふ意味で一種の頭腦勞働者だといはれないこともない。松方氏の理屈もそんなことだつたと記憶するが、假りにこの頭腦勞働者が一萬圓の融資を受け、これに對する利子を年額一千圓だけ拂ふとする。さうした場合、彼れが一千圓の純益を得るためには、彼れの事業から毎年二千圓宛の利潤を擧げなければならない。もし彼れが、その事業から一文の利潤も上げ得なかつたら、利子として支拂ふべき一千圓が喰ひ込みとなり、零の状態に對しそれだけ負がついてしまふ。また假りにまた一千圓の利潤があつたとしても、それは當然利子として入れなければならないから、依然たる呉下の舊阿蒙、早い話しが足勞を儲けたやうなものである。そこで彼れが幾らでも儲けようとするなら、少なくとも一千圓以上の利潤を上げる必要がある。そのためには機敏なる才氣も必要であらうし、經營の努力も必要であらう。けだしさうした道徳的要素を缺くときは、無より以下の線に陷らなければならないからである。

商才や努力が彼れをして、首尾よく所期の二千圓を利潤に上げ得させたと假定する。しかも利子分を控除した一千圓、これは純益に相違ないから、煮て喰はうが燒いて喰はうが勝手である。といひたいが、もし彼れがこれを手品のタネに貧乏線を突破したいつもりなら、贅澤三昧に費消することは夢にも許されない。そこで一千圓をソツクリ原資本に繰り入れる。一萬一千圓の資本をもつて出發した二年目の終りには、一千圓の利子を控除して二千二百圓が純益となる。三年目にはこれを原資本にまた加へ、同じことを繰りかへす六年目の終末には、最初の資本とほぼ同額に近い利潤を資本として蓄積することが出來る。茲に於いて借入金を償却し、蓄積した利潤をそのまま資本として投下するときは、四年目の終末に原資本を超ゆる利潤を収め得る。かく鼠算的に増加すれば、百萬長者たること必ずしも困難でない。などと、高柳淳之助の堤灯をもつやうだが、これは若し彼れが節慾を怠つたら、といふ場合の逆を説明したもので、資本家にして尚ほ貧乏を免れんとすれば道徳的の努力の必要なことかくのとほり、まして勞働者に於いておや、を諷したことなきにしも非ずである。

何故に貧乏するかといふ當面の問題に對し、如何にして金を儲くべきかの問題を提供するは、いささか場所錯誤の嫌ひもあらう。が、かかる加速的なる富の集中的傾向に反比例して、如何に加速的なる社會的貧乏が相關的に作用しつつあるか、實はそれを探ねる伏線的意味を兼ねしめん老婆心に外ならない。

五、當代の勞働貴族

自分の手に産業を經營する資力がないため、資本を有つものに對して、持ち合はせの勞働力を賣つて生活するところの勞働者は、相對的に見て資本家より裕福なるべき筈はない。しかし、資本制生産方法のお蔭は、資本家ばかりが頂戴して勞働者がお裾わけに與からなかつた譯でもない。即ちヨリ少數の資本家の懷へばかり金が轉げこみ、ヨリ多數なる勞働者の懷から金が逃げ出したといふのではない。ただ前者の莫大なる利潤獲得にもかかはらず、後者へはその恩惠が同率に行き渡らなかつたといふに止まる。

資本制生産方法は勞働の生産率を高める。このことは、言ふまでもなく、勞働者の賃銀を高めさせる有力な條件となり得る。けだし、勞働者によつて造り出され生産物の總量が増大した以上、その分配に於いても、資本家の側に増大すると同時に、勞働者の側にも増大すべきが當然だからである。スミスが國富の増大につれ、當の資本家は素より勞働者の福祉が増大すると説いたのは、その意味から見れば單なる唐人の寢言ともいへない。ただ彼れの誤つてゐたのは、自然天然に放り出しておいても福祉が増大すると見た點である。

峻別されたる二つの社會的存在として、資本家はその利潤を増殖するため、勞働者の勞働力が絶對に必要である。これに反して、勞働者は自分とその家族の生活を維持するため、その勞働力を賃銀と交換に資本家へ提供することが絶對に必要である。必要同士の鉢合はせである以上、いづれの一つを缺いても困るわけだが、しかし『損をしない』ための必要と『餓死しない』ための必要とは、同じ必要の意味内容が甚だちがふ。一方が心理的なるに對して一方が生理的、一方が相對的なるに對して一方が絶對的、これで一匹どつかへの喧嘩は出來ようはずがない。強者と弱者とはかくして先天的に運命づけられ、一方の征服に對する他方の服從は、餘儀ない關係として自然に形づくられるに至つた。故にもし、利己心の發動を勝手に許すとなれば、勞働生産率の騰貴によつて齎らされた全利益は、悉く強者たる資本家の手に占有され、弱者たる勞働者は、指を咬へて餓死をまつのほかなかつたであらう。ところが勞働者には、窮鼠かへつて猫を噛むところの戰術が考案された。それは彼等の團結運動である。彼等の團結は、直接に資本家を罷業の黒手で威嚇するのみならず、諸種の勞働方法を制定せしめ、一方また消費組合等の協同組織を設立するなど、内外いろんな方法で賃銀の増収を可能ならしめ、地位の改善を可能ならしめたのである。即ちスミスの豫言した方法ではなかつたが、國民的富の増加は勞働階級の福祉にも、多少ならぬ貢獻をなし得たわけである。

マルクスの絶對的貧窮説に從へば、生産と資本の蓄積による國富の増加は、夥少數の資本貴族の手に富を集中させて、夥大數の國民を次第なる赤貧者に陷れるとのことであつた。なるほど隨所に大富豪は出現した。けれどもそれと同時に、相對的な數と所得からいつて中流階級も増加し赤貧者はむしろ却つて減少しつつある。ただ中流階級に屬する集團が、從來は小資本乃至小金持ちを以つて代表されてゐたに對し、近來はヨリ多く酬いられる勞働者によつて代表される觀があり、その社會的性質は注目すべき價値がある。資本貴族に對するこれら勞働貴族は、所得からいつてブルヂオアの最低部層と少しも變るところがない。

この事實は端的に、自分の勞働力を賣つて生活する勞働者と雖も、必ずしも貧乏であらねばならぬ理屈がないことを反證する。それは恰も、資本家と雖も、貧乏であり得ることの理屈と表裏してゐる。

かうした勞働貴族は如何にして出現したか。主として彼等の技術上の熟練である。しからば如何にして技術を熟練したか。生れつきの利鈍もあらうが、これも主として彼等の努力、獻身、忍耐等、お定まりの道徳的要素に負ふものである。彼等にしてもし、更に勤儉、節約、貯蓄等の道徳力を發揮し得れば貧乏を免るべきは理の當然として、金持ちたることもまたさして困難としないであらう。

六、免かれ難い貧乏

貧富の問題を中心として現代の社會事實を見れば、スミスもマルクスも、當るも當らぬも八卦なみで、嚴密に彼等の豫言が適中したといふことは出來ない。大富豪の頭數とその所得の急増、底部赤貧者の徐々なる減少、勞働貴族の漸次なる増加等、これらは彼等の豫言の當り外れを等分に表明してゐる。

しかし、かうした局部的現象と別個に、或ひはそれと同時に、資本貴族と一般國民との所得は次第に開きを大にし、富豪と貧乏人との社會的運命は明瞭に分別されつつある。その意味でマルクスは、スミスに比較してヨリ正確な社會的認識を把握したといへやう。少くとも、彼れの社會的貧窮説を、一の積極的事實の表現と解釋せず、即ち勞働階級の經濟的福祉の絶對的遞下の傾向と解釋せず、資本家のそれに對する彼等の地位の相對的惡化の傾向と修正して解釋する時は、働けど働けど尚ほ樂にならざる一般國民の生活が、一個の必然的運命に支配されてゐることが明らかとなるであらう。マルクスはその意味で、現代に於ける貧乏の特質を摘抉したばかりでなく、その救濟に積極的な意圖を披瀝した勇者と祭り上げてよい。

筋肉的なると頭腦的なるとを問はず、勞働者(多數國民)の社會的地位の惡化は現代の資本制蓄積の傾向がもたらす當然の結果である。機械の發明による生産技術の進歩は、資本のヨリ小なる部分を勞銀に轉化せしめ、そのヨリ大なる部分を生産手段に轉化せしめる。勞働者の所得たる賃銀俸給は、かくして全社會的資本に對し次第にヨリ小なる部分を構成するが故に、たとひ勞働所得の相對的増加はあつたとしても、ヨリ大なる資本所得の増加に對する開きは、所詮かせぐに追ひつく貧乏たらざるを得ない。大廈の倒れんとするや一木を以つて支へがたし、勤勉努力等の道徳的偉功もさることながら、この明白なる社會的傾向に對しては手の下しやうもない。兎と龜の競爭なら、兎の晝寢に萬一の僥倖を期待されぬこともないが、汽車に乘つて寢てゐる兎には勝つべき目算を立て得ない。それほど資本家の利潤は、懷手をしてゐても轉がり込んでくるものなのである。

卑近な一例として、さつき引き合ひに出した『貧乏な企業家』の登場を望みたい。彼れは六年にして最初に借り入れた一萬圓を償却し、更に、六年間で蓄積し得た一萬圓を以つて同じ事業を開始したところ、四年にして原資本と同額以上の利潤を蓄積することが出來た。更に尚ほ十年、二十年と繼續して行く時は、原資本に對する何十百倍の利潤を得るのである。そこで問題は、かうした利潤が如何にして生れたかに向けられねばならない。

資本には元來、建物や機械や原料などの如き物的條件に投ぜられるものと、賃銀として勞働者に支拂はれるものとの二部分がある。前者は暫く別問題として、後者の資本は、それ自身に於いて價値を増殖する。なるほど資本家は一日分の勞働力の代金として、一日分の賃銀を勞働者に支拂ふ。しかし勞働者の受けとる賃銀は、彼れが一日の勞働によつて増殖した價値に等しいものではない。勞働者の一日分の賃銀は、大小いろんな條件によつて左右されるが、結局のところ、勞働者が一日分の勞働力を造り出す費用、即ち勞働者の一日分の生活費によつて決定される。資本家はそれだけの賃銀で勞働者を一定時間『買ひ切り』にし、その勞働力を生産上に發揮せしめる。勞働力の發揮は價値の生産であるから、或る一定時間内に支拂つた賃銀を回収するに恰度相當した價値限點に達する。これマルクスのいはゆる『必要勞働』の概念であつて、資本家が投下賃銀を回収し、勞働者が生活費を造り出すに『必要』な『勞働』だといふのでこの名がある。若しこの限點で生産を打ち切つたら、資本家も勞働者も五分と五分、損にもならなければ得にもならない。が、根が『買ひ切り』であつてみれば、資本家としては更に勞働者の勞働を繼續せしめるであらう。假りに全一日の勞働時間を十二時間とし、必要勞働の限點を六時間とすれば、差引六時間は資本家のための餘剩勞働であり、この時間内に造られる價値は『餘剩價値』である。資本家の収得する利潤とは、かかる餘剩價値が具象化されたものに外ならない。

ところで社會の生産は、今もいふとほり不斷に進歩發達して一瞬も停止することがない。それにつれてヨリ宏大な建物、ヨリ精密な機械、ヨリ多量な原料、ヨリ多數の勞働力を必要とする。外部との競爭に負けまいとすれば、ヨリ高大なる資本を用意しなければならない。斯くて資本家は、絶えず収得した利潤を資本として蓄積することに腐心し、反面にそれだけ、勞働者に向けらるべき賃銀部分を削減せんと苦心してゐる。一日分として必要な勞働者の生活費が、かうした『餘儀なき事情』から『必要』の程度を遞下し、次第に貧乏の暗影を濃厚にすることは否定すべくもない。

現代の貧乏は正に、働かんとする意志はあつても働くべき仕事がなく、働くべき仕事があつても、必要なだけの賃銀が得られない状態から導かれる。勤勉努力は素より、彼れの貧乏を緩和するであらう。しかし、勤勉努力が資本家の利潤には確實には貢獻するとしても、それが彼れの所得の増収を…………………………………………………………………………。節慾貯蓄にしても然り、せつかくの臍繰りが朦朧會社の救濟などに流用され、再び我が身に對する…………………………ると聞いては、天に向つて唾でもしてゐた方が未だしも無難であらう。これ『稼ぐに追ひつく貧乏』でなくて何ぞや、などと憤慨しても始まらないほど、現代の大多數的貧乏は不可抗的な社會的必然を反映してゐるのである。

然らば貧乏は如何にして退治去るべきであるか――これは野暮に駄足をつける必要もあるまい。

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