現代の惡制度

高畠素之

緒言

現代の惡制度と題して、今の日本の諸制度が如何に貧乏人をいぢめるやうに仕組まれてゐるかを調べて見る。社會主義のいふやうに、今の社會その者の根底を否定する所まで論を進めることなしに、ただ表面に現はれた儘の個々の制度について言ふのだから、これは必ずしも社會制度の根本に手を觸れないでも改善できぬ筈はないと思ふ。兎に角、それだけの範圍で、現状の眞相を明らかにして置くことは決して無益でないと信ずる。先づ公債を調べて見る。

公債

先年、地震公債が英米で成立した。發行即日賣切れだとか、應募超過額がこれこれだとか云ふ景氣の好い電報で、『それでは日本の信用もまだ落ちんのかな』などとお人好しを嬉しがらせたものだ。政府筋の役人が成功だ成功だと吹聽する一方、實業家とか野黨の財政通とかの連中は、あんな高利を支拂ひながら成功もないものだと息捲いたものだ。一事が喧々轟々で賑かだつたが、この頃は大分下火になつて來た。

『公債六億として、そのコムミツシヨン一分でも大した物だね。我々人民共の貸借りには、往々コムミツシヨンて奴を取られるのだが、日本國民といふ借手と英米國民といふ貸手との間に立つた政府はまさかそんなことはすまいね』『まさかといふと、その裏は、ことに依ると、だね。政府の財務官と銀行屋のモルガンと公債に就いて談判する。財務官は流石に自國民が可愛から、利子を六分にして呉れといふ。するとモルガンが、いや、地震で信用の落ちた貴國公債に六分では承知し兼ねる。七分位にして呉れといふ。その代り、あなたがたの政府で煮て食はうと燒いて食はうと御勝手な金を、募集額の一分だけ進上するといふ。ところで、別に受領證を要しない大金が、甲の手から乙の手へと移動する。乙は功勞によつて恩賞に與る――成る程、こいつはうまい仕事だ。』『ところで、その公債利子を拂ふのは、我々貧乏人だつてね。が、眞逆それ程、惡辣でもあるまいよ』と。これは口さがない京童の漫語だが、政治家と稱する連中が何を遣り出すか分つたものでない、今日この頃の日本では、この位氣を廻すのが、當り前かも知れない。

政府を信頼したいのは、我れ人共に人情だ、何をそんなベラ棒がといふ人があつたら、敢て『これは嚴然たる事實である』などと野暮はいはない。が、『公債利子は一般國民の支拂ふものなり』といふ一事に至つては、誰も文句はあるまい。即ち、公債は我々一般國民が借りるのだ。それなら、公債の金は、國民一般の利益のために費ふのが本筋である。その通り、經濟學の書物には『公債は公共の利福のために國家又は地方自治團體が起す借金である』と書いてある。けれども公共の利福といふ奴がなかなか單純ではないのである。政府の金は總て公共のために用ひらるべきなのだが、例へば、年二割づつも、利益配當を續けてゐる汽船會社に呉れる補助金だの、何處の王樣の宮殿かと思ふ外觀の、しかも中では金持の子供連が結婚資格を作るために『遊』學してゐる學校を建てるためだの、その他諸君が考へるであらう所の多くの事に費はれる金は、あれは一體公共のためなのだらうか。

公債は外國からも募るが、國内の金持からも募集する。公債の利子は、職工や農民や安月給取りが唯一の安全な貯蓄機關と心得てゐる郵便貯金の利子などよりはずつと高い。株券などとちがつて潰れる心配はないし、懷手してゐても年二期毎に五分六分の利息が這入つて來るのだから、物ぐさで而も慾深な金持には公債ほど好いものはない。公債は遊惰階級を作るものなりといつて差閊へない。最近の調査では、内國債三十五億一千九百八十六萬圓、その利廻り年平均六分として二億一千萬圓強の利子だ。これだけの利子を我々國民が寄つてたかつて、公債所有者に獻上してゐるわけである。公債の金は前にいつた樣に、この頃の流行語でいへばブルヂオアのために大部分費はれ、プロレタリアは利子だけ納めてゐる。これ以上に割の惡い點はない。割の惡い話はまだある。即ち戰時中募集された公債だ。金が無くてはいくさは出來ぬ。戰費を國家に提供したのは偉いに違ひない、が、肉彈を提供した大多數の國民は、それより百倍も偉いといはねばなるまい。しかるに、後者は今となつては殆ど棄てて顧みられぬにも拘はらず、前者は割の好い利子を依然として受け取つてゐる。こんなベラ棒な話はない。英國勞働黨は嘗て『金持は金を出したが、國民一般は血税を拂つた。而も金持は戰時中莫大の利益を得た。戰時公債は資本に賦課する租税で始末しろ』と決議したが、これは至極尤もな要求だといはねばなるまい。

郵便貯金

先日、某新聞投書欄に『貯金貧乏』と題して、郵便貯金に對する不平が投書されてゐた。不平の次第を略述すると次の通りである。十八年前に預けた五十圓の金が利を生んで百圓餘になつたのは有難いが、その金はいつの間にか、五分利附の公債に買ひかへられてゐた。先年の大震災に際し、東京の親戚を助けるためにこの貯金を引出さうとすると遞信省が燒けて公債の賣却が出來ない。その後、手續にひま取つて、十二月下旬にやつと申込を受けつけた。それから五十日もたつて、震災翌年の二月上旬に至り、はじめて現金に替へることが出來たが、而も受取つた金は百圓ではなくつて九十圓何十錢だつた。私はその金を前にならべて、十八年以前に元金を預けた昔を回顧した。當時、五十圓あれば四斗俵が十俵も買へたものだが、現在では九十圓で同じ米が六俵しか買へない。

近頃、新聞を見ると、外債を募つた利子は七分以上に廻るさうだが、零碎な金を預けさせる内國の郵便貯金には、ナゼ四分八厘ばかりの利子しかつけないのか。そして貯金が相當の金額になると、いつの間にか公債に買ひかへられてゐる。その時、額面以下で買ひ得るものをナゼ額面通りに買はねばならぬのか。おまけに、拂戻の時は時價に賣却したといふので元金より一割位は減じてゐる。その上手數料を取り、五日や十日の間に合はない。數年おけばおく程、金高は殖えても實質は減つてしまふ。よく計算して見ると、四分にも廻らない。高利貸を逆にやつてるやうなものだ、と。

不平は大體右の如し。不平子は昔五十圓で十俵買へた米が、當今では九十圓で六俵しか買へぬといつてゐるが、すべてかくの如く騰貴してゐないものはない。五錢玉一つ持つて酒買ひに行けたのは、左程古い話ではないが、今日では大抵一合二十錢はする。十八年前の五十圓と今の百圓と較べると、今の百圓の方がずつと購買力が劣つてゐるのである。今、假りに、五十圓でタンスが一棹買へるとする。そのタンスを買はないで郵便貯金に預け入れるとする。年々四分八厘の利がついて十八年後に元金の倍になつた。そこで、娘にタンスを買つてやらうとして、タンス屋に行つて見ると、以前五十圓のダンスが今は百五十圓に騰貴してゐる。つまり、初めからタンスを買つて置いた方が徳だつたといふことになる。

郵便貯金はいづれも、資産のない人々が着たい物、食ひたい物を節して、ためた血の出るやうな金だ。その金が積り積つて十六億五千五百三十萬圓餘(大正十五年六月現在)。政府はこれを如何に運用してゐるか。

郵便貯金は振替貯金や、その他の預金と共に大藏省の預金部によつて管理されてゐる。預金部の金は總計十四億であるから、郵便貯金はその七割五分を占めてゐる。而も近頃頻々として起る銀行の不始末事件から郵便貯金は増加する一方で、最近パニツクから來た増加の如きを問題外に置くとしても毎半ケ年に千二百萬圓乃至千五百萬圓宛の激増である。この預金部の金は、議會の協贊を經ることを要せず、大藏大臣が自由に處分し得る金である。そこを狙つて、謂はゆる政商輩がいつもダニの如く大藏大臣に取りつく。八百七十三萬圓の純利を擧げ、株主には年一割を配當し、重役や評議員が慰勞金として四十五萬圓を山分けにし、その上、蠶絲業同業組合中央會に五十五萬圓、横濱取引所に二十萬圓、生絲檢査局に百二十萬圓を振りまいた等、實例は限りがない。かの『帝蠶』なども、預金部から約六千萬圓といふ巨額の資金を、五分六厘の低利で融通して貰つたお蔭である。大正九年財界混亂の際には、綿絲商や株式救濟の爲めに時の日銀總裁井上準之助氏が奔走して約四五千萬圓貸したといふ事實もある。先年の火保救濟資金でも、預金部から出してやらうかとの説が出た。世間に知れた事實でも右の外いくらもあるのだから、隱れた事實はどれ程あるか分らない。

また、預金部では、英米の公債を多額に買ひ込んでゐる。その金は在外正貨として、貿易救濟に關する救濟資金や、外國投資に利用されてゐるのだ。即ち、多くのプロレタリアが粒々辛苦して預けた金は、利息の安いを好いことにして會社屋の貿易商に融通され、資本階級をして益々膨張せしむべく利用されてゐるのである。貧乏人は安い利息で資本階級に金を貸して、資本家を繁昌させて物價を騰貴させる。何のことはない、自分で自分の頸を絞めてゐるやうなものだ。

教育政策

學校が足りない。試驗制度が惡い。子供や青年が可愛想だ。いやメンタルテストがどうしたとか、教師の素行がかうしたとか、何かといへば一言なかるべからざる連中が騷がしいこと夥しい。

が、ヨリ大事な重大問題は、ついぞ彼等の口から説かれたことを聽かない。重大問題とは何ぞ。次にその二三を記す。

今の制度では、無料で教育を受けることが出來るのは、公立小學校の一部だけで、尋常小學でも大抵は月謝を納めさせる。長野縣あたりの山の中で無月謝かと思へば、開けた東京の小學校で月謝をとる。

どういふ理由がつけば、月謝をとつても好いことになつてゐるのか知らぬが、本來なら小學校は無月謝であるべき筈だ。何故といふに、小學教育は義務教育で、小僧でも雛妓でも、否でも應でも受けねばならぬ教育である。國民はこの義務を國家から負はされてゐる。謂はゆる三大義務の一つである。

子供を小學校に通はせられぬ程の貧乏人はたんとあるまいが、まるで無い譯ではない。どうやら通はせられるにしても、一苦勞と感じてゐる父兄は到る處にゐる。學用品を整へてやるだけでも骨の折れる所へ、月謝までとられては、子供の多い勞働者の家庭などでは大變な負擔である。

同じ義務でも兵役の義務は、軍事教育を施して呉れたからといつて月謝は取らず、只で食はしてその上小遣ひを呉れてゐる。義務教育だつて、國家有用の民を仕立てるために施すのだ。學用品と晝飯位あてがつてよささうなものである。費用をどうするといふか? 費用は租税で取立てれば好い。その位の費用が國の豫算上何程かかるものでもない。資本所得税でも増せばすぐ出て來る。資本所得税は、資本に使はれる大衆の汗の結晶だ。大衆の勞働能率が上る程、資本所得は増加する。勞働能率の増進には、勿論、勞働者の知識的、肉體的訓練教養がその基礎となつてゐる。して見れば、學校は資本家の恩人である。その恩に酬ゆるため、些少の利益を割いたとて、罰はあたるまい。

さうすれば、小學校費を國庫から支辨することは少しも困難でなく、各縣各地方が平等となり、或る所では月謝をとつて教員の給料が安く、或る所では月謝をとらず教員の給料が高いなどといふ、ちぐはぐな話はなくなる。

小學教育は國民全體で誰でも受けるもので、小學教育を受けたから、社會に乘り出すに都合が好いといふやうなことはない。これに反して、中等學校以上の學校は、そこを出た者には、それ相應の特別資格を與へる。出なかつた者に比べると、社會に出て好い地位が得られる。前者は徒歩で歩き、後者は電車なり、自動車なりで歩くやうなものだ。電車級の中等學校、自動車級の大學校で、それぞれ電車賃、自動車賃をとるのは、當り前であるといへる。

月謝を出すのが當り前なばかりでなく、試驗を行ふのも當り前である。登龍門は古來狹いものと極つてゐる。七八年間月謝を拂ふだけで、のこのこと登龍門をくゞらうなどとは蟲の好い了見である。かやうな怠け者を救ふために、莫大な國帑を費して、高等學校などを濫設する必要はない。

國帑は凡て全國民の利福の爲に用ひらるべきだ。大學生の誇りを助長する爲めに、二百萬圓の大講堂を建てたつて一向國民の利益にはならぬ。左樣な無駄金があるなら、全國のバラツク見たいな小學校を建て直して立派にしたが好い。

私立學校を認めるなども、政府の一つの怠慢である。公設市場を商人の手に委せるのと同じ行方だ。私立學校を經營するには營利を考へねばならぬ。營利を考へながら、立派な教育が出來たらお慰みである。生徒に芝居の稽古ばかりさせて、學課を顧みないといふので、當局からお目玉を喰つた女學校があるが、それも生徒を引よせるためである。野球や蹴球が、生徒誘引策に用ひてゐられないと誰れがいひ得るぞ。

アメリカがどうあらうと、日本が私立學校を許さねばならぬ理由を發見するに苦しむ。私立學校出に樣々な點で輕蔑を加へてゐるくせに、何故、政府が私立學校を廢止して、公立にしないか。新しく大學を作る程なら、何故、既設の私立大學を公立として完全なものにしないか。怠慢も甚しいといはねばならぬ。

帝國大學

帝國大學は最高學府といはれてゐるが、必ずしも學問をすることそれ自身が目的ではない。今の帝國大學の眞目的は私立大學と同じく學生の就職資格を製造することにある。ただ、それが官設である點と、ヨリ大規模だといふ點に、區別があるだけだ。即ち、帝國大學とは、學生就職資格の官設大量生産所である。それが全國に六つあつて、現在一萬二千近くの學生のために就職資格を製造しつつある。

で、國家はこれらの生産設備のために、年々巨額の費用を投じてゐる。いま、これを各學生に割當てると、年々一人當り平均一千六七百圓見當にもならう。つまり、帝國大學の學生といふものは、年々國家から一人當り一千六七百圓宛の補助を受けてゐる譯である。この補助を受けるには、物質的にも、知識的にも、或程度の資格を要することは勿論だが、兎に角かうして帝國大學の學生といふものは、國家の補助で就職資格を生産して貰つてゐるのである。

ところで、その國家の補助といふものは、孖(ほうふら)のやうに水から湧いて來たものではなく、國民全體が負擔させられるのである。しかも、それを負擔する國民の大部分は、いはゆるプロレタリアであつて、自分の小供に義務教育を施すことすら容易でない境遇に置かれてゐる人々だ。貧乏な親が可愛い我が子の學費をつくるために、骨身を粉にして稼ぐといふ話は昔から聞いてゐるが、これはまた大小ブルジオアといふ他人樣の倅を帝大で仕上げさせるために、自分の小供には義務教育をさへ碌々與へられないやうな始末で、牛馬の如くに勞役した膏血のうちから國費を負擔させられるといふのだから、殘忍も甚しいと言はざるを得ないではないか。

それも、かうして製造される帝大生なるものが、吹聽通り國家有用の器にでもなつてくれるならまだしも、なかには國家有害の三百的法律屋か、しからずんば不良社會科學主義者か、更にしからずんばバーの地廻りに仕立てられるものが少くないと聽いては、天下のプロレタリアたるもの誰れか唖然たらざらんやである。

これでは貧乏人が國家を恨むのも尤もだ。こんな制度は國家のため、國民のため、一刻も早く廢絶してしまつた方が宜しい。そして、そこから浮いて來る費用で、義務教育設備でも軍備でも國家のためになると思ふことをどんどんやつたら善いだらう。國家有用の學者專門家を養成するといふ意味ならば、今の帝國大學は本質的に見當ちがひなものであるから、これを思ひ切つて壓縮し、その目的に相應しい内容を具備した國立の學院にでも改造すべきである。

官許賭博場

賭博本能は人間以下の動物にはない。人間だけがこの本能を持つてゐるのである。そして同じ人間の中でも、小供よりも大人、野蠻人よりも文明人の方が、いろいろ複雜した大仕掛の賭博方法を知つてゐる。

モナコといふ國には、官許賭博場が設けられてゐて、それから上るテラ錢が國庫の重要な財源になつてゐるさうだ。文明國の人民はそれを野蠻だと嗤ふのであるが、さういふ自分達こそ、却つて更に大仕掛な賭博機關を持つてゐるのだから、これは猿の尻笑ひにも等しいものである。

二千圓、三千圓といふ割増金をつけて、一攫千金を夢みる連中を巧みに釣りよせる勸業債券、これなども人間の賭博本能をねらつたものだが、むかし流行つた富鬮に稍々毛がはえたぐらゐなもので、現代の賭博心理をうつすものとしては幼稚すぎる。

現代人の賭博本能を滿足せしむる機關として、取引所ほど發達したものはあるまい。チーハーや一六勝負は、見つかると罰を喰ふ危險があるが、取引所の賭博は天下御免、堂々と表看板をかけてやれる。だから、賭博好きにとつては、こんなに面白い場所はない譯である。

米穀取引所、株式取引所、綿絲取引所など樣々な取引所が東京大阪を初めとして日本國中四十何ケ所に散在してゐるが、その一ケ年間の賣買契約高は實に大したものである。

まづ東京米穀取引所の大正十四年度の賣買契約高を見ると、一、九八七、四九五、〇〇〇圓である。それなら、契約された米穀が、實際賣手と買手との間に受渡された額はどれ程かと見ると、僅に四、二〇一、〇〇〇圓に過ぎぬ。

東京株取引所の同年度に於ける賣買契約高は三、一五三、二八七、〇〇〇圓、受渡高は僅々三五一、四九五、〇〇〇圓に過ぎぬ。

新潟、酒田などの米穀取引所は受渡しの一番多い所だが、それでも千石に對して七八十石に過ぎぬ。千石につき十石以上の受渡しをしてゐるのは新潟縣以下五ケ所だけで、あとは皆十石以下、即ち百分の一以下である。ひどいのは姫路の長濱の取引所で、茲では大正六年から十年まで五ケ年間一粒の米も受渡されたことがない。株取引所の方はそれ程でもないが、千株の賣買契約に對して東京が百三十三株、大阪が七十七株、最低の和歌山は二株である。

かやうな奇現象がどうして生じて來るかといへば、それは定期取引といふものが、賭博の手段に供されてゐるからである。

取引所の賣買取引には(一)賣買約定を結んだ者が、必らず受渡しをせねばならぬ賣買取引と(二)賣買約定を取結んだ者が、必ずしも受渡しをするに及ばぬ賣買取引との二種がある。前者は普通の取引であるが、後者の場合があるため取引所といふ特殊な機關が成立するに至つたものである。

いま、これこれの品物を何圓で賣らうと約束する。その受渡期は當月末、來月末、或は翌々月末と極める。さてその期限が來る。最初契約した賣値よりも現在の相場の方が十圓だけ高い。そこで、品物を渡すとすれば十圓だけ損をせねばならぬ。ところが、定期取引で品物など渡す馬鹿はなく、損した分の十圓だけを買手に拂つてそれで濟ませるのが一般である。買方にしても、初めから品物など受取るつもりはない。相場の高下に依り、かうして居乍らにして一株につき十圓也の利益を得ればそれでよいのである。

ありもしない米を賣買したため、空米賭博といつて、田舎などでよく捕まる者がある。ところが、取引所で行はれる空米賭博は白晝大手を振つて行はれる。

元來、取引所といふものは、賣買契約に課する手數料を營業目的としてゐるものであるから、賣買契約の増加は何を措いても望むところである。そこで空買契約を無限に増加せしめる可能が生じて來る。

大正十年に全國取引所の収得した手數料は一六、二九五、〇〇〇圓であつた。政府はこれに對して二、六三九、〇〇〇圓といふ取引所税を課した。つまり、これだけテラ錢の上前をハネて、法律上公然とその賭博場を認めてゐる譯である。相場師の景氣煽りや買占めが、物價に不自然な變動を與へ、國民生活にどれ程の不安を及ぼすか、この弊害は、單純な賭博本能から來る一六勝負どころの騷ぎでない。一方に於いて各種の單純な賭博を禁じながら、他方では大仕掛な、隨つて影響するところもそれだけ甚大な賭博を公認してゐる。天網恢々疎にして漏さずといふが、法律の天網は常に呑舟の魚を逸して、蚤のやうな細鱗を絡め取ることにのみ汲々たる如く見えるのは遺憾である。

租税制度

無い袖を振れといふのは無理である。収入の無い者から、租税を取り立てようたつて、それは出來ない相談である。無理も或程度まではきくだらうが、いつまで押通せるものでない。百姓町人を私財と心得た封建時代ならいざ知らず、今の世の中では、無理の通る餘地は一層少くなつてゐる。

租税は、納税者の負擔能力に應ずべきだ。多く有つ者から少く取り、少く有つ者から多く取るのは不當である。さういふやり方は、常に不安であつて、亂脈に陷り易く、何時かは崩れ去る運命をもつてゐる。

租税負擔能力は、社會の經濟發達の推移につれて國民中の或部分から他の部分へと移つて行く、奴隷經濟の時代には勞働者は租税を負擔しなかつた。武士の次位に農民が据ゑられた封建時代には、百姓が主たる租税負擔者であつた。農業が商工業の下風に立つやうになつた現代では、商工業者が百姓の位置に入れ換つたのである。そして勞働者も、奴隷から賃銀勞働者に進化した今日では、相當の負擔能力をもつてゐる。

負擔能力がその樣に變遷すれば、それにつれて租税制度も變遷するのが當然である。富の懸隔が左程甚しくなかつた昔では、人頭税の如く各人につき一樣の課税をしたことが、少しも不思議ではなかつた。富の懸隔が甚しくなつて、租税を納める者と納めぬ者との區別が生じたのも當然である。が、時代の推移と共に、租税負擔能力の所有者にも變遷がある。それにつれて、租税の種目もまた變つて來るのは避くべからざることである。

日本で租税制度の確立した明治の初年には、農民が依然として一番有力な經濟要素であつた。それで、地租が最も重要な租税とされた。地租條例は明治十七年三月十五日、太政官布告第七號で發布され、その後、數度にわたつて部分的に改正が加へられただけで、今でもそれに基づいて行はれてゐるのである。

地租問題は多年議會の大問題になつてゐるが、その主なる論據は地租が重すぎるといふのである。直接國税として徴収される外に、その倍額に達する附加税をも徴収されたのでは、土地で飯を食ふ百姓は立ちゆかぬ。地租を輕減して地方税にしろといふのが、この問題の骨子である。

農民は慥に年々やり切れなくなつて行く。農民の収入は商工収入に壓倒される。それにも拘らず、地租だけが昔のままでゐるのは、これは農民にとつて堪へ難い苦痛であるに相違ない。

ところが、一方にはまた、營業税撤廢運動も起つてゐる。現行營業税は明治二十九年三月に制定され、三十二年以降數度の部分的改正が加へられたものに過ぎぬ。物品販賣業に對しては賣上年額二千圓未滿、製造業に對しては資本金千圓未滿の者、その他營業の極めて小規模なものに對しては、課税しないことになつた。しかし、國税營業税の外に尚、道府縣營業税といふものがあつて、これは露店商人や賣卜者の末に至るまで賦課せられてゐる。そして地租と同樣に、本税よりも多い附加税と、道府縣營業税に對する市町村附加税を課されてゐるのである。

營業税撤廢運動は何故起るかといへば、勿論苦しいからである。千圓臺の賣上や資本では、けふ日勞働者と大した變りもない。廣く無産者の部に編入すべき人々である。大商業、大工業、何もかも大規模な企業家に利益は吸収されて、小商人や小製造業者は、僅かにその殘滓にありついてゐるに過ぎぬといふのが今の時代相である。資本主義の發達は、ますますこの勢を助長する。小商人や小製造業者は如何にもがいたところで、もはや二三十年前の如き利益にはありつけない。そこで現行營業税も亦、地租と同じく時勢に後れた惡税だといふことになつて來る。

百姓も小商工業者も、今は昔のやうな租税負擔能力をもつてゐないのである。だから、新規の租税制度が生れて來ねばならぬ。租税制度が始められた時から、營業税とか、酒税とか、織物税とか、家屋税とか、通行税とか、種々雜多な税目を後から後から附け加へ、これらの諸税が互に重なり合ひ、もつれ合つて、一體誰がどの位の租税を支拂ふのかも分らなくなつて仕舞つたのが、今の日本の現状である。

消費税(織物税、酒税等、等)や通行税などは、明かに無産者一般にも掛つて來る。貧乏人は租税を納めないなどいふのは嘘の皮である。また、營業税や地租の如きは、商人や地主の手から政府に納められはするものの、これまた詮じ詰めれば諸物價に轉嫁され得るから、結局一般消費者の上にふり懸つて來る譯である。

尚、また、社會の進歩につれて、職業の上にも大きな變化が起る。舊い職業が廢れ、新しい職業がますます多く起つて來る。今日、醫師、辯護士、などは營業税をとられないが、獨立の營業としてこれと、八百屋、魚屋と何處に相違があらう。營業税を免れてゐる新らしい商賣は、決して少くないのだ。

何故、出鱈目な租税制度といふか、これだけ述べれば大抵頷かれるであらう。この救はれぬ亂雜を整理する道は、地租委讓などいふことよりも、寧ろ所得と財産とに課税の目標を置いて、これに對する税率を現行程度よりも更に甚だしく累進して行くこと以外にない。これが、來たるべき税制整理の本質的骨子となるべきだ。

職業は如何ほど複雜にならうとも、収入の色分は如何に雜多とならうとも、所得と財産との量的測定は困難なくして行はれ得る。上に行くほど思ひ切つた重税を課することは、利用遞減の法則に從ふものであつて、公正の立場から是非とも考慮に入れねばならぬことであると思ふ。

現代の法律

地獄の沙汰も金次第といふが、罰金といふ奴は誰れが發明したものか、なかなかうまく出來てゐると思ふ。罪を犯しても、金さへ出せばそれで濟むといふのだから、金の功徳を宣傳するには、もつて來いの方法であらう。

罰金を仰せつかつて、それを納める能力のない人間は、みぢめなものである。拘留何日に換算されて、牢獄の苦痛を味はねばならぬ。その罰金の換算方法なるものが、また頗る奇體に出來てゐる。或罪人は一日四圓に相當し、或罪人は一日一圓にしか相當せぬといふ風に、いろいろな段階がある。この段階は如何なる標準に從つてつけられたものであるか。法律に定められてゐるのか、それとも内規とか習慣とかいふものであるのか。大體金廻りのよささうな人間には、高い金額を見積り、貧乏人には低い金額を見積つてゐる。當人が娑婆にゐた時の一日分の収入を目安にして、或は一圓、或は四圓に定めるらしい。

同じ二十圓の罰金を課せられても或者は五日の拘留で濟ませ、或者は二十日の苦役に服せねばならぬ。不公平とはかういふことをいふためにつくられた言葉であらう。

警察の留置場にぶち込まれた者でも、一日當り何程かの金を出すと自家へ歸して呉れる。保釋金何程かを納めれば、未決監から出られる。これほど露骨な『地獄の沙汰』はなからう。國家がこれを認めるのであるから、惡制度といはざるを得ない。これが、野蠻人の酋長が財寶と引換へに人質を放還するといふやうな譯だと御愛嬌でもあらうが。

中世歐洲では、贖罪符といふものを販賣した。キリスト教の坊主が俗衆に販賣したお札で、これを金何程かで買へば犯かした罪が赦されて天國へ行けるといふのである。白銅一つで家運繁昌無病息災を祈る連中が盡きない世の中だから、中世の贖罪符が罰金刑に化けて、いまだに天下を横行してゐることに不思議はないではないかとも言へやうか。

それにしても、五錢だま一つで無病息災を買はうといふ心掛は、今ではひとり愚婦愚夫だけに殘されてゐる舊習の遺物かと思つたら、堂々たる一國の法律にも、それが公然と行はれてゐると聞いては唖然たらざるを得ない。

問題は思想の新舊といふことだけではない。この制度あるがために、樣々な不都合不公平が世間に行はれてゐるのだ。近頃、無届の脱税自轉車が殖えたので調べて見たら、無届が萬一發見されて罰金をとられても、届を出して税金をとられるよりはマシだといふ不敵な考へから、違反行爲を敢てしてゐる者が多いのを知つたさうだ。刑罰が金で濟むことなら、犯罪によつてうる利得と刑罰とを比較考量して、儲かる方をとるのは現代心理には相應しい打算であらう。

昔は泥棒に酷刑を課した。いや泥棒ばかりでなく、すべての犯罪を通じて刑罰は峻烈であつた。他人の財産を窺ふ寄生蟲は、生産力の幼稚であつた往年の社會にとつては甚しき脅威であつたに相違ない。當時すでに、私有財産の尊嚴を犯すことは可なりな重大犯とされてゐた。資本主義の社會制度となつてからは、それが更に重大な犯罪と見做されるやうになつた。同じ殺人罪でも、それに金錢問題が絡んでゐるか否かによつて刑量の上に大した相違がある。私有財産の尊嚴を犯すといふことは、人殺しの次に重大な犯罪とされてゐる。試みに法律書を開いてみよ。私有財産に關連のない法律は至つて稀であつて、大抵の條項は財産の問題に關聯してゐるではないか。

そこで、財産に關聯のある犯罪には比較的綿密な重い刑罰規則が設けられてゐるに反し、他人の名譽を傷けるとか、公共に迷惑を及ぼすとか、他人を虐待するとかいふ直接金錢に關係のない犯罪行爲に對しては、比較的手輕な刑罰規定が與へられてゐるに過ぎぬ。

現代の法律は個人的復讐を禁じ、これを犯せば却つて處罰せられることになつてゐる。しかるにも拘らず、他人を自殺せしめる程の恥辱を與へた者に對する法律上の制裁は、あるか無きかの不完全な状態にある。だから、今の法律では、他人を侮辱し得る者、虐待し得る者、横暴を振舞ひ得る者など、比較的力の強い人間が勝である。

親の仇、子の仇を勝手に討つことは、徳川時代にも制止の法令が出たが、公に届け出でて討つことは許されてゐた。現代では、これが絶對に禁止されてゐる。それにも拘らず、他人の一人娘を女中に預つて之を凌辱した者に對する法律的制裁は甚だ輕微である。冷酷な家主は、家賃が滯つたといふ理由で、瀕死の病人を街路に追ひ出す。それでも家主は、殺人罪にはならぬ。家主の私有財産權の方が、人間の生存權よりも貴重視されてゐる證據である。

生きるために已むを得ずなすコソ泥などに對する刑罰は重く、野望や強慾などに出發した犯罪に課する刑罰が輕いといふことは、どう考へても不合理のやうに思はれてならない。

古風な仇討を復活しなくとも善い。願くば、弱者にとつて泣寢入、強者にとつて斬捨御免といふやうな不都合だけでも、除いて貰ひたいものだ。

一體、法律は有てる者の權利、強い者の利益ばかりを擁護するのが能ではなからう。財産を盗んだり横領したりすることだけが、罪惡なのではない。人生に最も尊貴な物は財産ではないと、我々の爲政者も、教育者も、くどいほど教へてくれた筈だ。

また、不正品販賣や、脱税などで、たくみに公の利益を害する者、これらの人々に對して、何故法律は寛大でなければならぬか。暴利商人などは、社會の富を横奪する者で、コソ泥などより十倍も罪が深い。白晝横行するこの種の害蟲をこそ、國家は最も峻烈に處罰すべきではないか。

保險會社

震災直後、火災保險の支拂をどうするかといふ問題が沸騰したとき、保險國營論を唱へる者が澤山あつた。相當の地位にある連中でこれを唱へる向も少くなかつた。

それから約八ケ月といふもの、すつた揉んだのゴタゴタがあつた末、遂に漸く政府の責任支出で保險會社に低資を融通し、保險會社から被保險會者に對して五分か一割の見舞金を出すやうに定つたとは、我々の記憶に尚鮮なるところである。見舞金とあれば、貰ふ方からは金額の多寡を愚圖ることは出來ぬ。出す方は恩を施す積りなのである。保險會社は、保險契約の條項によつて、震火災の際などには、保險料を出さなくとも善いことになつてゐる。それを出せと強要されるのは、無法な強奪に會ふのと異ならぬ。その無法に聽從せねばならなかつたのは、自分に弱味があつたからで、無理に法律を楯にとれば、世論を激成して自分の存在を危くするに至るのを知つてゐたからである。

震災が一番問題になつたのは火災保險であるが、保險事業の中で一番盛大なのは生命保險である。統計で見ると、日本人は十九人に一人の割合で生命保險に加入してゐる。既成會社の勸誘員が手を變へ品を變へて加入せしめた會社の契約總高は四十一億圓強に達し、これに對し各社で取立てる生命保險料金は約一億八千萬圓強である。

保險料金は即ち會社の収入であるが、その一億八千萬圓に對し死亡や解約によつて支拂をする金額は一年僅かに五千萬圓程度で、その差額は實に一億三千萬圓である。事業員、株主配當等を差引いても、會社の純益となるところ莫大であることは論を俟たぬ。保險事業は儲かる。だから年々長足の進歩を遂げてゐる。大正六年に於ける生命保險會社の總資産は二億四千四百四十一萬六千圓、それが大正十年には四億七千五百二十萬四千圓に増加した。即ち四年間に約二倍の増加を來たした譯である。

會社はこれらの資産を如何に運用してゐるか。保險會社の背後には、それぞれ黒幕があつて絲を引いてゐる。例へば、明治生命は三菱の事業に特殊關係があり、帝國生命は古川商事に、日本生命は大阪の山口に、太陽生命は西脇銀行に、大正生命は鈴木商店に、共濟生命は安田系に、愛國生命は菊地長四郎系に、共保生命は久原商事に、有隣生命は飯田延太郎に、東洋生命は第一銀行に、皆それぞれ特殊關係をもつてゐる。

會社はこれらの特殊關係銀行へ、預金をする。舊いところで、大正十年に於けるこの預金總額は、一億一千三百四十六萬七千圓であつた。銀行はこの預金を更に他に融通して利益を得る。保險會社は謂はば安田、古川などいふ資本家のために、預金をかき集める機關のやうなものである。會社の資産としては、ほかに貸付金なるものがある。これは現金を團體や個人に貸付けるのであるが、その利息は大概一割二分か一割五分位で、八分位なのは寧ろ例外となつてゐる。この點、保險會社は高利貸も同然である。その高利貸金が總計一億二三千萬圓に上つてゐるのだ。

被保險者が年々支拂ふ保險料に對して、會社が支拂ふことになる利息は四分か五分で、郵便貯金の利子と略々同程度である。被保險者は、萬一の場合を豫想し安い利息に甘んじて加入するのであるが、會社の目にはその萬一の場合が一向萬一の場合ではない。一年の死亡率は、統計の力を藉りれば直に分る。スペイン風邪の流行した際には生命保險界に脅威を與へたが、それも大したことはなかつた。流行病などいふものは、今日の如き發達した衞生設備の下では、決して保險會社を潰す程に猛威を揮ひ得るものでない。

會社は加入者さへつくれば、あとは寢てゐても利益が轉がり込んで來るのであるから、加入者勸誘は會社の最も力コブを入れるところである。この點、貯蓄銀行と似てゐる。だから、保險會社では勸誘員をいくらでも雇用する。會社は競爭的に勸誘員を雇用して、これに多額の報酬を支拂ふ。勸誘員は俸給でなく、保險契約高に對する歩合を貰ふのであるから、保險勸誘員といへば眞夏の蠅よりもうるさいものと思はれて來る。

數年前、或富豪が多額の金圓を生命保險に掛けて、うまうまと脱税を企ててゐたといふ問題が曝露された。何でも、その金額は普通のものの千人分にも當つてゐたとのことだつた。富豪にとつては、本來、生命保險など餘り用がない筈であるから、脱税の目的でこれに多額の掛金をしたといふことは、さもありなんと頷かれる。

死亡保險とか、養老保險とか、傷害保險とかいふものは、これも金持には餘り用がなく、寧ろ貧乏人のためにこそ必要なものといふべきである。先年、政府では簡易生命保險なるものを起して、資産のない人民の間に生命保險を普及せしめようとしたが、その成績は一向に香ばしくなかつたやうである。それといふのも、政府が私營保險會社に氣兼したり、又は、十分にやらうといふ熱心がなかつたり、隨つて組織や經營の上に不備なる點ばかり多かつたりした結果である。國民生活に安定を與へることは、政府として人民に盡すべき最大の責務ではないか。しかるに、政府は保險會社の利益に氣兼して、一般國民の利益を圖ることに勇斷でなかつた。震災を機會に勃興した、保險官營論をもみけすために、やれ責任支出の低資融通のと騷ぎ廻つたのは愚の骨頂であつた。こんな心掛だから、今の政府は資本家の政府だなどと、社會主義の下廻連に揶揄はれて恐縮してしまふのだ。

請願巡査

博奕打の用心棒といふのがあつた。劍術は達者だが身持が惡く、主家をお拂ひ箱になつたといふやうな、腕ツ節の強い人間を喰はして置いて、いざといふ場合の役に立たせようといふのである。羽振りの善い博突打になると、この種の用心棒が入り代り立ち代り尋ねて來て、そこばくの日數滯在しては報酬を受ける。

單に博突打ばかりでなく、料理店、貸座敷、芝居小屋など水商賣の中にも、かういふ用心棒を雇ふのがある。腕力はあつても金や智慧のない者、金や智慧は廻つても腕力のない者、この兩者が有無相通じて相互に秩序を實行するといふ巧い仕組で、官憲の力ばかり依頼して居られぬ水商賣にとつては、當今の文明社會でも、これが一種有力な自己防禦手段となつてゐる。金のある者が報酬を支拂つて腕力家を利用することは、主人が女中を雇ふのと同樣な私的取引であつて、雙方に不服の無い限り正當に約束される雇傭關係だといひ得る。

ところが、茲に述べやうとする請願巡査なるものは、用心棒は用心棒でも、右にいふやうな用心棒とは大分事情を異にしたところがある。富豪の邸宅、工場などで、ユスリ、泥棒、亂暴者などに備へるために置くのが、この請願巡査である。若しこの請願巡査なるものが、博奕打や料理屋の用心棒と同樣な單なる市井の腕力家であるとすれば、取りたてて文句はない。

だが、巡査は言ふまでもなく公の機關である。國家の使用人であつて、國家から生活費を支給される。國家全體の用心棒であつて、一富豪、一工場の用心棒たるべきものではない。巡査は公職である。その背後に國權を控へ國家の名によつてその職務を執行するものだ。

市井の用心棒は單なる私人である。彼れが腕力を用ひるときは私人としてこれを用ひるのであつて、そのために刑罰を受くる可能のあることを覺悟せねばならぬ。しかるに、請願巡査なるものは、貸座敷の用心棒と同樣な役目をつとめながら、自分は官吏であつて、官吏としての職權を毫も掣肘されない。公然と武器を携へるところの用心棒である。

現代の富豪や有力者が體裁のよくない用心棒のかはりに、體裁がよくて而もヨリ有効な請願巡査を用ひるのは、彼等としては賢明なやり方である。請願巡査一人を置く費用は、彼等富める者にとつては些々たるものであらう。この些々たる費用を以つて、國權を具象化した巡査を利用することが出來るとは、何と都合の好い仕組ではないか。

が、それは富者にとつては好都合ではあらうが、我々一般國民にとつては、少しも有難くない。警察費は國庫から支出され、國庫の金は國民全體の懷から出たものである。國民全體が扶持してゐる巡査の利用を、一部少數の人々に多少でも專有されることは不愉快の極みではないか。

こけ脅しの門構へだけでもいい加減氣持のよくないところへ、請願巡査などを置かれては、小便でもヒツ掛けたくなる。これは單純に起る反感だが、この單純な反感の底には當然な理由があると思ふ。

警官は國權を代表し、國權には必ず強制が伴ふ。強制に對する反撥は、やがて警官に對する反感又は嫌惡となつて、一般民心の奧底に潛在してゐる。その警官が、つねに財力を以つて傍若無人の振舞をしてゐる富者と結託して世人を威嚇するといふのであるから、これに對して反感が起るのも當然ではないか。

富豪の邸宅だけが、特に警察力を要するとはどういふ譯であるか。富豪の門を衞る前に警官のなすべきヨリ大切な仕事がないといふのであるか。それとも、警察力は有り餘つて仕方がないとでもいふのであるか。

ほかになすべき多くの仕事がある警察官をば、盗賊を防ぐためであらうと、外見を飾るためであらうと、兎に角、一私人のために利用し得せしむるやうな制度は、國民一般を愚にした制度といふほかはない。

巡査自身にしても、苟も己れの職務が何であるかを知る程の人であるならば、請願巡査なるものの位置を疑はずには居られないであらう。社會公共のための職務を考へればこそ、安月給生活にも聊か慰むるところがあらうが、一富豪の安眠を保證するために生きてゐるのだと考へたら、我れと我身を蔑まずには居れなくなるだらう。

庭の奧からは不義の快樂に耽けるさんざめきの聲が洩れて來る。或時はまた、大仕掛な賭博が奧座敷で行はれる。この罪惡を見す見す知りながら、その門に立つて彼等の快樂を妨ぐる者を防がねばならぬとは、これも職務とはいひ條なさけないことである――と、或巡査は事實を語つた。如何にも、ありさうなことである。

警察力の微弱を信じて、特別にみづからを衞る必要があると考へるのなら、無頼漢でも雇つて用心棒にするがよい。市井に流浪する無頼漢の數が減るだけでも、少しは社會のためになるといふものだ。公の名を以つて存在する警察官を一人でも、私に專有するといふことは、それだけ警察力を減殺させるものであつて、國民はこれがため餘計な警察費を負擔せねばならぬ。

請願巡査なるものの不都合なる所以は、右に述べた通りであるが、更に請願巡査を略式に行く警官利用法もあるのだから世は樣々である。大きな屋敷の内に家を與へ警官を同居させることがそれである。請願巡査を置くには、官廳に對して一通りの手續きと費用とがいる。然るに、巡査を邸内に住まはせるのは自由である。自動車小屋や馬丁部屋を設けるつもりで、巡査用の小屋をつくつてやれば、安月給で家賃に苦む巡査のことだから、喜んで住み込んで呉れる。その代り家賃は取らない。その上、時には多少のつけ届けぐらゐする。

これは制度でなく單なる習慣であるが、習慣にしてもそれを見逃がしてゐる制度が宜しくない。かういふ巡査がその職權を濫用して、同居主のために三百代言や無頼漢のしさうなことをするとは、よく耳にするところである。それに警察官といふものを、何となく金持の家來、富豪の寄生者ででもあるかの如く思はせるだけでも、國家の威信上面白くないことだ。尤も、み入りの少い巡査としては、こんなことで家賃の省けるだけでも一得かも知れないが、それはそれとして國家的に面白くないことは面白くないことに相違ない。

以上竝べ立てた諸項目は、漫然と頭に浮んで來た儘を片ツ端から書き下したものに過ぎない。現代の惡制度がこれだけだといふのなら、日本は地上の理想國であらう。まだ穿鑿すれば限りなくあることは承知だが、餘り長くなるのも退窟だから、この邊で打ち切る。

ただ、もう一つ、是非加へたかつたのは、徴兵猶豫及び一年志願の特典である。かういふ特典を特殊の學校教育を受け得る身分の人々だけに與へることは非常に惡い。これは徴兵義務に對する一種の特權是認を證據立てるもので、軍事教育に反對するやうな社會主義かぶれの學生共は、先づかういふ階級特權的制度にこそ反對すべきであると思ふのに、彼等は徒に軍事教育の『軍國主義的進出』を喋々するだけで、特權的恩典の方は知らぬ顏でこれを擁護する結果に陷つてゐる。盗人猛々しいにも程があるといふものだ。

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