兩性關係の過去・現在・未來

高畠素之

一 愛憎錯綜の女性觀

最近の文壇的活動において、著しく目につくのは餘技的作家の輩出といふ一事である。殊に女流のそれにあつては、專門作家が一樣に沈默を守つてゐるに反し、映畫女優某嬢の藝術論や、社交婦人某女史の詩歌や、痴情でうたはれた某夫人の告白小説や、すべてさうしたものがヂヤーナリズムの本流に棹さしてゐるかに見うけられる。しかも如上の餘技的作家の提供する作品が、專門的作家に比較してはなはだしく稚拙をきはめたものでありながら、それを遙かに凌いで世間に歡迎されるといふに就いては、單なる實力以外に人氣決定の要素が存在することを語るものでなければならぬ。

男性であらうが女性であらうが、硬派であらうが軟派であらうが、およそ文筆をもつて衣食するほどの稼業は水商賣である。文字の知識が一般に普及されず、小數の人間に占有されてゐた時代にあつては、作文といふ特殊技能により『文章經國』の『布衣宰相』のと、勝手な熱を吹きうる餘地を與へられてゐたのであつたが、けふ日のやうに文字的知識が普及し、玄人と素人との境界線が混亂せる時勢となつては、人氣決定の要素は實力以外の偶然性によることが甚だおほいのである。むしろヂヤーナリズム萬能の現代では、めあき千人に對するめくら千人の比率以上に、彌次馬的勢力がすべてを決定すると言ひうる。

その意味からいへば、男性に比して女性は割合に人氣上の不勞利得がおほい。なぜかなれば、元々女性は文字的教養において男性におとり、隨つて同性の競爭者がすくないといふ關係上、經濟學及心理學上の稀少性の原則が作用し、珍貴なものを尊重するといふ結果を導びくところから、一般的價値たる人氣にも投じうるがためである。現にそのむかし、雜誌『青鞜』や『さふらん』等に據り、恐ろしく素朴な議論や未熟な小説を發表してゐた所謂『新しい女』の一群のごとき、單に『文書が書ける』といふ程度で、時代の興味を十分につなぎ得たのであつた。しかし時勢は推移する。わづか十數年にして『女性の稀少性』は、夥しく社會的に擴大され、男性と女性の對立は次第に狹められるに至つた。即ち男性の範域に對する女性の侵入は、生計手段の職業部門にまで及び、從來は『官營汁粉』と共に落語家のユートピアにのみ存在してゐた『女車掌』をさへ出現せしめた!

女性のかくの如き社會進出は、十年前までは殆ど豫想を許さなかつたところである。同樣に知識的勞働における女性の活動も、十年前のそれとは比較を許さぬほど、量においても質においても格段の進歩を示してゐる。例へば野上、中條、宇野、三宅等の諸家にみても、彼女等の勞作は同時代の男性作家の平均水準に比較し、上位に置かれやうとも下風に位するとは考へられぬ。更に山川菊榮氏や平塚雷鳥氏の論策のごとき、有象無象の右往左往する當今の思想界にあつては、いづれの點からするも男性論客の水準線を突破してゐる。しかも割合に不遇(?)らしく見えるのは、諸家の供給上の怠慢も素より原因するところだらうが、それと別個にして、讀書界一般の需要上の不活溌も原因してゐるらしく思はれる。直言すれば、女流作家乃至女流論客に對する人氣が共通的に下降し、折角の力作もあまり歡迎されなくなつた爲ではないかと考へられる。

しからばその理由は何であらうか――一言につくせば、自己の優勝を保守する男性の傳統的本能、つまり女性に對する嫉妬感が、直接間接に反映してゐるのである。

人間の好奇心乃至好新慾なるものは、變化を趁ふ異常的な興味である。その限りにおいて、玩弄の對象としてのみ考へてゐた女性が、男性と同樣に文筆を驅使することを發見したときは、たしかに異常なる興味を刺激するに十分であつた。即ち『女のくせに』それは『感心だ』といふにほかならない。この場合、男の優勝を完全に意識した上なること言ふまでもない。だが、その優勝意識が多少でも動搖を感ずるやうになれば、同じく『女のくせに』といふ見地からでも、ただちに『生意氣だ』といふ氣分に轉向する。その差違は薄紙の表裏である。かくして後者の場合には、特定的女性に對する一般的男性の面目保持の心理が暗默に作られ、今度はかへつて反對に、實際以上の輕侮感をふるひおこし、惹いて實際以上の不人氣をもつて酬いることも必無とはしない。

閨秀諸家の現在の不振が、果してかくの如き原因にのみ由來するかどうか、その詮索はしばらく別問題として、世の常の男ごころが、自己の優勝意識を侵害せざる範圍内でのみ女に寛大であり、反對の場合は加速的に苛酷となる一般的傾向をみれば、屁理屈は屁理屈なりに、異性の專門的作家を排除して餘技的作家を歡迎する心理も、おのづから説明を加へうるであらう。

そこで當面の問題は、かうした愛憎錯綜の矛盾せる女性觀が、いかにして男性に培養されたかに集約されねばならぬ。先ず結論だけを抽出するなら、これは取りもなほさず、有史以來の男性支配といふ事實と關聯してゐるのである。

二 財産としての女性

原始時代の女性は太陽であつた――といふのは、ブルユー・ストツキング一派の最初の宣言であつた。その直譯的移植たる明治末葉の『青鞜』社連の宣言も、同じくこの言葉をもつて發揚せられた。彼女等は嘗て彼女等の同性が獲得せる黄金時代を再現し、現實の地上に女性支配とそれに伴ふ女性文化の建立を企てたのである。意氣や莊とすべし。だが、雌雄關係から男女關係に進化して以來、即ち人類の歴史が展開されて以來、いはゆる婦長制度(マトリアケート)なるものが存在しなかつたといふのは、今や、まつたく學界の定説となつてゐる。もつとも中にはレスター・ウオードのごとく、男性を睾丸の進化したものと見る學者は、一流の女性中心説から女權時代の存在を強硬に主張してゐるが、萬人を首肯せしめるには餘りに詭辯要素が多量である。それに比較すれば、アトキンソンの提説はやや具體的に女權時代の存在を證してゐるが、これとても實は、狩獵や遠征で男子が永く他郷に滯在した折りなど、便宜上年長の婦人が家事を支配し、婦人中心の社會を形成してゐたものに對し、男子が結局それを便利として容認せるところから、一見婦長制度のごときものを出現せしめたにすぎないといはれてゐる。要するに女性は有史以來、嘗て『太陽』たり得たことはなく、かへつて男性の『財産』たる身分から出發したのである。

男女關係の最初の形態は一夫多妻(ポリガミイ)であつた。一部族の酋長が多くの婦人を獨占し、いやしくも競爭者を許さなかつたのである。故に成人した若者がもし女を欲するなら、彼と爭つてこれを奪ふか、さもなければ祕かに盗み出すか、その二つの一つを擇ばなければならなかつた。もちろん當時にあつても、異例としては一妻多夫(ポリアンドリイ)や多夫多妻(プロミスキユミイ)(雜婚)が行はれた。併しそれは、多勢の若者達が酋長を放逐して彼れの妻妾を自由にした時とか、或は多勢の男子を戰爭によつて失つた時とか、または異種族の婦人を捕虜として輸入したときとかに限られてゐた。而もそれが次第に一夫一妻(モノガミイ)の形態に進化したのは、決して人類の道徳的自覺にまつものではなく、偏へに經濟的事情に由來してゐる。即ち狩獵の獲物が少く、嬰兒壓殺等によつても猶かつ多妻制度を維持し得ぬため、やむなく一人の男子と一人の女子との結合を促したにすぎない。現の證據に、一夫一妻の道徳的基礎が確立された後代に至るまで、食糧問題に訴へられぬかぎり多妻制度は維持せられ、今日と雖も明白なる名殘りを留めてゐる。

それは兎にかく、次の問題はかうした多妻制度が如何にして生じたかである。ある意味からいへば男子の性慾的好新性といふことも確かに一因をなすに相違ない。けれども、かかる生理的乃至心理的な理由のほかに、他の重大な物理的理由を見のがすことが出來ぬ。元來、人類生活における所有權の發生は、戰勝紀念品を誇示することに直接の端を發するが、婦人の所有もまた同じ意味に出でてゐる。即ち妻妾の多寡は女捕虜の多寡を意味するものであつて、それ自身が所有者の勇猛を表象し、彼れの支配慾と強制力とを滿足せしめるのである。加ふるに、彼女等の勞務が一定の經濟的効用を有する以上、價値の單位となりうること家畜の場合と異るところがない。戰爭による婦人の捕虜は、かくしてますます奬勵せられ、男子を家長とする『家』の發達を促進せしめたのである。

家の發達は次第に、漂浪の生活から定住の生活に變化せしめる。定住生活が久しく續けば、いきほひ掠奪結婚が困難となるので、門閥を傳へるため多數の妻妾の間から『正妻』を選定し、これに位一級を進めて女奴隷以上の待遇を與へ、多く名門の出をむかへて配するやうな慣習を生ぜしめた。しかし、女子そのものに對する待遇には少しも變るところなく、名門の女と雖も父より夫へ移動する男子の財産にすぎなかつた。これ購買結婚の濫觴である。ヘブライ時代は正にそれである。神の選民をもつて自負した彼等は、妻と妾とを嚴重に區別し、はじめて『妻』の身分を確立した。だが、それにも拘らず彼女等が『美しき家畜』たるを出でなかつた證據には、戰勝者から戰勝者に貞操を移動し、賣買贈與は勝手に行はれたのである。やや時代がすすみ、婦人の教養もくはへられたギリシヤ、ローマ時代においても、その事實はすこしも變るところがなかつた。

基督教が普及されるに至り、精神的の男女同權がいささか行はれ、同時に一夫一婦の觀念も道徳的に植ゑつけられるやうになつた。とは云ふものの、元來が基督教は婦人を一個の誘惑物と見なして獨身を理想とし、結婚をやむを得ざる次善の状態として是認したのであるから、依然として舊約聖書の傳説のままに、婦人は男子の『肋骨』として考へられ、むしろ婦人蔑視の理論を注入したといへぬこともない。武士道はなやかなりし十字軍時代は、稗史や詩歌にあらはされた限り、女性の黄金時代であつたかに記されてゐる。形式的にはなるほど、騎士達による女性崇拜は時代の流行たる觀を呈したが、それが果たして傳説どほり行はれてゐたかどうか、換言すれば今日のいはゆるフエミニズムと同じ動機からなされてゐたかどうかは、すこぶる疑はしい事情がおほいのである。實際においては却つて、玩具對象たる位置が變態的に表現されたもので、亂倫の醜態が崇拜の美衣をまとふて公然と行はれたにすぎない。萬物甦生の時代といはれるルネツサンスに至つても、この事實は何らかはる點なく表面の敬意と反比例に内面の蹂躙が行はれてゐた。ボツカチオの『十日物語(デカメロン)』は當時の婦人觀をよく表明してゐる。故に強ひて變化を求めるなら、牛や馬の如く生産上の勞務に服役してゐた身分が、犬や猫のごとき愛玩用の身分に變化したといふ程度に止まり、根本の『家畜』たる事實にはすこしの變化もなかつた。

三 玩具としての女性

勞役用から愛玩用への變化は、大體次のごとき過程によるのである。

野蠻蒙昧の社會においては、男女を問はず齊しく生活上有用な勞働に從事してゐた。原始共産社會においても、個人的所有權が發達してゐないため、男子が狩獵を司り女子がその加工に從ふといふやうな分擔は相違してゐたが、勞働そのものを忌避することはなかつた。しかるに掠奪文化の時代になると、女子は男子の單なる生理的慾望の對象たるばかりでなく、經濟的慾望を充足する手段となり、男子の消費すべきものを生産する仕事を強制されねばならなかつた。隨つて彼女等の消費は、自らの生活の愉樂と充實のためでなく、その勞働を繼續せんがための必要からなされた。かくて上等な食糧品や珍貴な裝飾品の消費は絶對に禁じられ、節慾を美風とする道徳が植ゑつけられたのである。

これに反して男性の消費は、それ自身が消費のためになされたことは疑ふべくもない。即ち彼等にとつては、財の不生産的消費といふことが、取りも直さず彼等の勇猛を表象するものであり、同時に一般の名譽も購ひ得るゆゑんであつた。掠奪的功名の紀念物たりし財産は、かくして名譽のために蓄積せられる傾向を助長し、産業的活動がすすんで社會の日常生活と思想感情から掠奪的活動を拒否する時代となつても、尚、因襲的に所持者の優勢と成功を計量する尺度となり、轉じては權力の標識とせられるやうにもなつたのである。

この時代になると、主人たる男子彼れ自身が生産勞働から免れようとするのみでなく、彼れの社會的名譽を誇示する間接の手段として、彼れの子女にまで消費のための消費をなす特權を分與し、もつて家長としての名聞を擴大せんとするやうになる。歴史に見るローマの貴婦人が、美しい毛皮の長外套をつけ、銀の金具でちりばめた長靴をはき、黄金の耳環と眞珠の首飾りに贅を競つたといふ挿話も實は彼女等の飼主たる武將の虚榮心を滿足させる手段にほかならなかつた。更に下つて、饗宴と舞踏と演劇の花が絢爛と咲きほこつた十七世紀の貴婦人が、天鵞絨や金襴の美服をまとひ、手袋の上に十五個から二十個も指輪をはめ、頭髪に金網をかけたデコレートな風姿も、同じく男性虚榮の反映にほかならない。夫の苦役者兼動産であつた妻は、かくして彼れの聲望に寄與する道具として利用され、同時にその享樂の機關に轉化したのであるが、それ以外の方面においては何ら消費上の自由も與へられず、直接に夫の財産増殖の手段として利用されぬ代り、間接にこれを誇示する道具として利用されてゐるに過ぎない。

もつとも以上は、主として上流社會の事柄にかぎられてゐるが、しかも上流のかうした風習は全般の社會に模倣せしめる力がある。何となれば、ヨリ高い階級で流行する生活樣式を受けいれ、これを形式だけでも模倣することは、自己をヨリ高い階級に擬するとともに、それだけ虚榮心を滿足せしめうるからである。唯だしかし、この階級にあつては、自分に財産を所有せず、隨つて夫妻ともども上流の生活を眞似ることは絶對にできない憾みがある。そこで今度は、妻が夫の代理として消費的部面の生活をなし、夫がかはつて生産的部面の生活に從事するといふ奇妙な現象を出現せしめる。例へば今日の中流階級である。この階級の男子は、いづれも會社なり銀行なりに營々として働き、たまの日曜を郊外散歩か活動見物でお茶を濁してゐるに拘らず、彼等の妻女は美服をまとつて『今日は、帝劇、明日は三越』の贅をきそふ實例は甚だおほい。一見したところでは、如何にも哀れな夫の存在を慨嘆したくなるが、それもこれも家長たる彼れの力倆を誇示する手段なることに思ひやれば、形態的にどれほど奴隷的な生活であつたにしても、實質的にはかへつて玩具として女子を遇してゐるのである。そこに自覺せる女性の煩悶がなければならない。イプセンの『人形の家』はかうした煩悶を取り扱つた作品として有名であるが、根本的に考へる段になれば、女性の外部的生活が幸福であればあるほど、それは彼女等に取つての侮辱を意味する。夫と子との愛情を痛切にかんじながら、つひに『家』をすてなければならなかつたノラの心理は、決して誇張とばかり見ることは許されない。

四 抗兒としての女性

財産から玩具への變遷は、女性美の時代的標準の變化において明らかに反映されてゐる。即ち古代にあつては、四肢の發達した女が美人の典型であつた。これは生産勞働に適應するがゆゑに財産として有用だつたから、かかる男性の要求を反映したものである。しかるに中世紀以來、女性が玩具として待遇されるに至るや、次第にその標準も變化し、手足がなるべく小さく、腰部ができるだけ纖やかな、風にもたへぬ風姿を美人にかぞへる第一の資格となつた。言ふまでもない、かかる體格は、失費的で勞働的には役にたたぬところから、所有者の手で如何に怠惰に暮してゐるか、その金錢的勢力を反證する必要から生れてゐる。支那婦人の纏足や歐洲婦人の壓腰は、まつたく人爲的に考案された美人製造の方法である。立居振舞にできるだけ不便なやうに造られた衣裝も、これと理屈は同じい。

財産から玩具への變化は、健全より不健全へと次第に女性美の標準を變遷せしめたが、最も近代に至るやまたもその標準が浮動し、肉體上の健康を表示することが資格の第一にかぞへられんとしてゐる。容貌のごときも靜的なものよりも動的なものが歡迎され、何よりも表情的な顏がよろこばれてゐる。これ婦人の社會的待遇に關し、何らかの變遷があつたことを語るもので、言ひうべくんば人形より人間への變遷を豫示するものである。

幸福な人形よりも不幸な人間を欲する傾向は、一言にして『婦人の自覺』と呼ばれてゐる。婦人問題の歴史を説くものは、近世の婦人解放運動の契機を、婦人それ自身の教育的普及に歸する如くである。事實それに違ひはない。併しそれにしても、婦人の教育をかく普及せしめるやうになつたのは、やはり經濟的理由を根本にしてゐる。

從來の女性觀に從へば、婦人に教育を授けることは、單に不必要なばかりでなく學問の尊嚴を傷つけるものとされてゐた。しかるに中流階級が擡頭するや、彼等の自由主義は女子の教育參加權を認め一部の門戸を物好きに開放した。最初は美衣美服を纏はせると同じ意味から、即ち父兄の虚榮心滿足の手段としてなされたのであるが、やがて教育資格が身分表象の一條件として持參金なみの性質が附與されるやうになつては、子女買却(?)の當面的必要から女子教育を流行的に旺んならしめた觀を見うけられる。しかし女子教育は、男子に取つてつひに『禁斷の果實』であつた。彼女等は事物の眞相を究めるにつれ、同性の從屬的境遇が純然たる經濟的理由に出づることを知り、從來の寄食的生活を棄て獨立生活を希望し、進んで職業に身を投ずるやうになつた。それがため婦人の職業部門は次第に擴大され、同時にその需要に應ずるため女子教育は更に奬勵され、相互關聯的にいはゆる『自覺』を高揚して、男性支配に對する解放運動を盛んならしめたと言ひうる。

解放運動の最初の形態は、政治的平等を目的として開始された。この運動の内部には、謂はば女權主義と母權主義の二派が包括されてゐて、前者は主として英米に後者は北歐に發達したが、兎にかく一八九三年、米國コロラド州の議會選擧權を獲得したのを皮切りに、今では日本とイタリアを除いた文明國といふ文明國では、ほとんど男子と同樣な選擧權を得ることが出來たのである。ここに至るまでには、サフラヂエツト一派の執拗な暴行運動をも繰りかへさなければならなかつたが、十九世紀末葉から今世紀へかけての女性史は、優勢階級たる男性への反抗運動の歴史だつたといふを得るであらう。

知識婦人が理論から自覺を導いたに反し、勞働婦人の自覺は實行がこれに先行してゐる。産業革命によりプロレタリアートに墜落した彼女達は、父または夫の収入をもつて代理的消費をなし得ないのみか、自分の口は自分の手で糊してゆかなければならず、好むと好まぬとに拘らず、經濟的に獨立すべき必要を餘儀なく背負はされたのである。さうした結果として、家庭内においては事實的に男女同權が齎され、妻はすでに夫の財産でも玩具でもなく、一個の人間として對等の地位に立つことができた。この時代の代表的婦人を文學に求めるなら、それはシヨウの『ウオレン夫人の職業』に於けるヴイヴイーである。

五 人間としての女性

婦人の經濟的獨立によつて齎す男女關係は、從來の夫婦關係なるものの破壞である。即ち征服者と被征服者とに對立してゐた關係が、根本的に革命されるのである。この事實は言ひ得べくんば、中流以下の男子が自己の手により、彼等の妻子に代理的消費者としての閑暇を與へ得なくなつたことに歸因する。しかもこの事實は、男子そのものの手腕力倆が低下したからではなく、偏へに外部的な經濟事情に由來してゐる。現在の社會組織は、富の一方的蓄積の反面に他方的貧窮を豫定し、富める者ますます少くして貧しき者ますます多く、兩者の間隔を次第に遠大ならしめるやうに出來てゐる。このことは從來の寄食階級たる婦人の運命に直接の形響を及ぼし、彼女等も嫌怠なしに職業婦人たるべく強制されるであらう。而もそれは、物好き半分の男性に對する反逆からではなく、一つのプロレタリアとしての立場からである。

今やその傾向は次第に濃厚さを加へつつある。婦人の職業部門の漸次的開拓は、取りもなほさず右の社會的事情を反映してゐるが、特別に過激な勞働を必要とする職業でない限り、あらゆる部門は婦人のために解放されてゐる。かくして同じプロレタリアたる男性と職業を爭奪し、世界大戰直後のヨーロッパ諸國のごとき、相對峙する二大陣營として角逐したものである。もちろん結果は、戰時において獲得した女性の地位を男性に讓らなければならなかつたが、形勢もここまで進轉すると、玩弄對象としての女性觀は根本的に覆へされるのである。

併し當分のところでは、頭腦的にも肉體的にも、婦人勞働者は所詮不熟練工たるを免れない。それが爲め男性は、當面の競爭者として女性を考慮してゐないが、まれに熟練的能才を發揮するものがあると、同性の優勝意識を傷けざらんとして、理が非でも異性の無力を誇張せんとするに傾く。前述の閨秀作家に對する態度の一面には、確かにかくの如き男性の共通心理が作用してゐることを見逃すことが出來ない。だが、これも當分の現象である。もし女性の有力が次第に實證され、それが異例でないことを如實にすれば、女なるが故に特に尊敬されたり輕蔑されたりすることはないであらう。今日の米國婦人はややその域に近づいてゐる。かく一切のハンデイキヤツプが撤去され、始めて對等な人間として男女關係が展開されるのである。

未來の女性は餘儀なき現實の必要から、男性の覊絆から經濟的に獨立する。經濟的に獨立せる以上彼女は屈辱を忍んでまで父または夫の支配に甘んじないであらうから、家族制度は勢ひ破壞されることになるべく、同時に夫婦關係も當然暫定的な男女結合に止まるべく、謂はば性的生活を中心とする寄合世帶の觀を呈するであらう。舊來の觀念に從へば事實上の獨身化である。

家長たる男子が多妻制度を維持し得なくなつて、始めて一夫一婦の制度が發生したと同じやうに、一夫がその一婦を維持し得ない時代となつて、最後の家族制度の形態たるこの制度も滅亡するのである。何れも根本を經濟的理由に發する限り、是非善惡の批評圈外に立つといはなければならぬ。むしろ反對に、經濟的理由によつて餘儀なく出現した一夫一婦制度に對して道徳的是正が加へられた如く、同じく經濟的理由から齎された家庭破壞に對しても、やがては道徳的是正が加へられるであらう。自由戀愛はその時代に於ける男女關係の道徳的基礎である。

未來の社會生活を描ける社會主義者のユトーピアは、トマス・モーアの昔しからウイリアム・モリスのそれに至るまで、いづれも自由戀愛を一個の『美』として扱つてゐる。果して美であるか醜であるかは知らない。しかし美醜は問はず、善惡を論ぜず、經濟的に相互獨立せる男女關係であつて見れば、いきほひ結合が暫定的となることはやむを得ない。何となれば、妻に對する夫の扶持がなく、夫に對する妻の寄食がない以上、從來の經濟的代償たる貞操の價値は著しく低下するからである。この傾向はすでに現在においても芽生え、貞操の浮動を慨嘆する聲を耳にするが、交換條件の生活がすでに浮動である限り、代償たる貞操が浮動するのも當然と見られる節もある。

要するに道徳的粉飾をぬきにすれば、男性の財産として、玩具として有用だつた時代には家族制度が維持されたが、すでに一個の人間として對等に待遇される時代となつては、男女關係における相互的義務は雲散霧消するのである。それもこれも一個の經濟的理由に出發するもので、決して道徳的理由に由來するものではない。

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