藝術の唯物史觀

高畠素之

藝術は藝術のために存すべきか、或は人生のために存すべきかといふ問題は、鷄が先か卵が先かの水掛論と同じく、昔から執拗に繰りかへされて來た爭點である。最近においても、それはおのづからブルヂヨア派とプロレタリア派の區別を決定し、絶えざること縷の如き論議は繼續されてゐる。

『人生は藝術を模倣する』といふワイルドの提説は、單にそれだけを抽出すると、いかにも奇矯を衒ふ放言のやうにも考へられやすい。然しこの言葉は、トルストイの『藝術は社會の淨劑である』といふ命題に對する、謂はば楯の半面的意義を表白するに過ぎない。卑近な一例を、銀座街頭に出沒する當今の青年子女に求める。彼等はいづれもモミアゲを長く延ばし、彼女等はいづれもマユゲを細く剃つてゐる。かかる流行が直接に、ヴアレンチノや、ネグリや、等や、等や、等や、凡百の毛唐活俳の風貌に刺激された現象であるかぎり、人生が藝術に模倣するといふ事實は明白に立證されるであらう。だが、それだからといつて、藝術が社會の淨劑でないといふ理由、即ち藝術が人生を教導せぬといふ理由にはならない。現に神の發見は、人間の最も偉大なる藝術的創作であつたが、この藝術による社會淨化の效果は、何人といへども否定することは出來ない。

かくの如く兩派の所説は、夫々に一應の理窟があるので、肯定するならば何れをも肯定すべく、否定するなら何れをも否定すべく、所詮は鷄と卵の水掛論を出でないのである。そこで今度は、兩説の眞僞決定は暫らく土俵預りといふ形にして、社會進化の理法から精神文化の一部たる藝術を解釋せんとする傾向が、近來やうやく行はれるやうになつて來た。プロレタリア硬派の論客こそ右のチヤンピオンであるが、企圖と呂律の一致はどうやら怪しいにしても、彼等のいはんとすることだけは傾聽すべき價値がある。尤も彼等のイデオロギー云々の口吻は、祖師マルクスの公式を直譯的に移植したものであるから、同じく藝術に對する解釋にしても、前者のヨリ形而上學的なるに比してヨリ辯證法的なるを特色とし、同時に藝術の本質論から現象論に轉移したとも言ひ得る。しかしそれだけに又、藝術と人生の相互關聯は明瞭にされた部分も多いのである。

元來マルクスによれば、人間の意識はその社會的存在によつて決定されるのである。從つて、これを上述の議論に適用すれば、藝術も人間意識の所産たる意味で、物質的生活の派生として解釋するのほかはない。なほ詳しくいへば、物質的生産力が適應的生産事情を生み、かかる生産事情の總和たる經濟的構造が、一切の適應的意識形態を生むといふのであるから、藝術のための藝術論は素より、人生のための藝術論と雖も、共に精神主義に立脚するといふ意味で、文字どほり鎧袖一觸されなければならないのである。同じ批評は、當世流行のブルヂオア文學論に對しても、プロレタリア文學論に對しても等分に加へ得る。殊に、プロレタリア一派の文士のやうに、藝術を社會變革の手段に利用せよといふ議論などは、人間の目的意識的努力を頭から否定してかかつたマルクスに取つて、飛んだ他人の疝痛たる感を免れないであらう。かかる贔屓の引き倒しを自覺してか否か、善玉惡玉の文學論から一歩進出し、以つて曲りなりにも、人生對藝術の關係を唯物史觀流に見直さうとする試みがあることは天下同憂の士と共に慶賀に堪へない次第である。

餘事はさておき、藝術が人生のために存在しやうと、或は藝術のために存在しやうと、そんなことは實は大した問題でない。しかし、藝術によつて社會人心の改造が可能であるかに考へる妄想に對しては、逆説的なりにも唯物史觀的熱劑を飲ませることの時代的必要がある。なるほど人間は、彼等の最高藝術として神を創造し、これによつて社會人心をある程度まで淨化するを得た。けれども、これは單なる結果であつて、だから藝術は人生改造の手段に供すべしといふなら、床次竹二郎對吉田奈良丸の關係と少しも選ぶところはない。而も後者は政治家としての政策論であるのに、苟くも藝術家たるものの世界觀が、かうした便宜主義で片づけらるべきものではあるまい。そこで問題は、どうやら藝術の起原にまで遡ることになるが、これは直接の論題に關する限りではないから遠慮するとして、先づ藝術は物質的生活の反映として生れるか否かを檢討して見よう。

『命は短し、藝は長し』といふ金言は、その本來的意味がどうあるにしろ、若し藝術の不變恆久性を意味するならば、飛んでもない話である。命の短いことは勿論だが、藝もまた短く且つ狹いのである。或は適例でないか知れぬが、人間の最高藝術といふ意味において、懸り合ひの神樣を又も持ち出すことにする。例へば基督教のカミである。このカミは教徒によつて眞實唯一の存在とされてゐるのであるが、他方によつて時代によつて、その正體が不同なることは否むべくもない。勿論その意味は戰爭時代に於ける獨逸のカミと英國のカミが違ふといふやうな反語的意味ではなく、寧ろその地方と時代との物質的生活事情により、信仰對象たるカミの正體まで異にするといふ意味である。即ちごく概括的にいへば、封建時代に於いて峻嚴苛辣な舊教のカミが信仰され、資本主義時代に於いてやゝ自由解釋の餘地ある新教のカミが信仰されるのは、兩個の時代的背景を如實に表明したものでなければならない。而も同時に、その現代的分布の状態に就いていふも、ヨリ資本主義的なる諸國にヨリ多く新教が行はれ、ヨリ非資本主義的なる諸國にヨリ多く舊教が行はれてゐる事實は、封建制度對舊教と資本制度對新教の不可分的關係を、おのづからにして表白するのである。しかし此の例證は、餘りに大掴みであるから、直前の問題たるモミアゲとマユゲを俎上にし、如何に物質的生活事情が人間的意識形態を左右するかを尋ねて見よう。

男がモミアゲを長く延ばすといふ風習は、たとひそれがスペーインから移入されたにしろ、或は中世の遺風を復興したにしろ、短いのを常態とする風習に對して、一種の怪奇的印象を與へることは事實である。殊にそれが、絶世の美男と稱せられる俳優によつて移入されただけ、猫も杓子も一齊に刺激された心理的理由も明らかであらう。かくして、間もなく、これを流行的勢力にまで導いたわけであるが、茲に問題の存するところは、如何なる理由でかかる怪奇的風習が時代の好尚に投じたか、或は如何なる理由でかかる時代的好尚が生じたかの詮議である。唯物史觀流にいへば、これは資本主義的經濟組織が一定の發達段階に開展した結果である。即ち資本家的生産方法は、一切の人間を擧げて機械の奴隷化することにより人體の末稍神經まで荒廢せしめ、強烈な刺激を加ふるに非ざれば感受しがたい程度に至らしめた。そこで好奇心乃至好新慾は鋭角的となり、何かなし怪奇的なものでなければ滿足を得られぬため、次第に興味の對象はさうした方面に開拓されるやうになつた。美術に於ける未來派、立體派、構成派等の勃興、文學に於けるダダイズムの擡頭、さては冩眞や狂燥音樂の歡迎等、いづれも資本主義爛熟期に於ける時代色である。モミアゲやマユゲの如きは、流行の波間に一浮一沈する木葉にすぎないが、而もそれなりに時代の物質的生産事情の反映たる意味において、立派に現代的特質を保有してゐる。從つて若し言ひ得べくんば、人生が假りによし藝術の模倣をなしたにしても、かかる模倣を必然に導くためには、これを受け容れる要素が共通に準備されてゐたことを忘れてはならない。即ち米國の一活動俳優が、彼れの獨力を以つて日本の流行を支配し得たのではなく、彼の代表する米國の資本主義的諸傾向が、同時に日本に於ける資本主義的諸傾向と合致し得たと解すべきである。

論じ來たつて茲に至れば、西洋模倣を徒らに慨嘆するのも滑稽なれば、新時代の誕生を銀座街頭の青年子女に求むる文壇的常識もまた、同樣に滑稽の譏りたるを免れることが出來ない。而もなほ滑稽といふ段になれば、所謂ブルヂオア作家と稱せられる人々の所謂ブルヂオア的諸作品が、甲も乙も舊套依然たる園遊會と舞踏場と、自動車の點綴によつて戀愛の發展を叙する愚かさである。ブルヂオアは現代に於ける最も活動的人種である。朝から夜中まで、營々として如何に儲くべきかを腐心する彼等が、所謂ブルヂオア作家の群に伍して戀愛三昧に耽る餘裕があらう筈はない。かくの如き時代的無智が、光は銀座からと樂觀する論理的無智より、更にヨリ多く現文壇の常識を代表するとあつては、いはゆる文壇常識が實世間の實生活より、はるか數歩の隔たりがあるといはれても抗辯の餘地はないであらう。藝術が人生を指導することは非望であらうとも、せめて藝術を人生の模冩たらしめたき老婆心から、苦言を附することかくの通りである。

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