デモクラシーの馬脚

高畠素之

今はむかし、米國が世界大戰に參加しようといふとき、當時の大統領ウイルソンは『世界をデモクラシーのためのヨリ良き棲家』たらしめることを理由に掲げた。何がさて戰爭の口實を、神樣の思召しで片づけようとしてゐた時分だから、彼れによつてなされたこの聲明は甚だしく聯合國民の人氣に投合し、やがてヴエルサイユの王者たる榮冠を與へられたのである。その結果、國際聯盟だ軍備協定だといふやうな提案も承認されたが、かうした形勢を目前にした人々は、誰ひとり大戰後の世界がデモクラシーのために多幸なるべきを疑はなかつた。

しかるに事實は豫想を裏切り、年と共に世界はデモクラシーのためのヨリ惡しき棲家たる觀を呈し、今ではむしろ、世界大戰がオートクラシーの出現に貢獻したことが立證されるに至つた。ボリシエヰキ・ロシヤとフアスシスチ・イタリヤの存在はそれを有力に物語つてゐるが、これを兩翼の筆頭とする各國とても、左右いづれかの意味で獨裁專制の傾向をくはへ、皮相的にはどうやら戰前の遙か以前の形勢に逆轉した事實さへ認められる。

かくして時代の人心まで、何かなし壓力的なものに偶像的信頼の對象を求めるやうになり、世界を擧げていはゆる『反動的』な時代色を濃厚にしてゐる。レーニンとムツソリーニを東西の大關とし、トルコのケマル、スペインのリヴエラ、ギリシヤのパンガロス、ペルシヤのリザ・カーン、モロツコのアブデル・クリム、メキシコのカリエス、支那の蒋介石等、その他ラテン・アメリカや回教アジヤの諸國には、甚だ多くの偶像的英雄が彼等の國民から支持されてゐるのである。更に先進國と喚ばれる諸國にあつても、ヒンデンブルグやポアンカレーが、骨董品ながらに國民の偶像崇拜感を滿足せしめ得るといふので第一線に起用され、英國は保守黨政府が組合彈壓法案を提出する、米國は大統領の獨裁權を増加する、日本は上下を擧げて劍劇に蕩醉する、これでは當分、デモクラシーが彼れのためのヨリ良き棲家を發見するだらうとは考へられない。思へばウイルソンもいい時に死んだものである。

元來デモクラシーは、強者に對する弱者の抗議を巧言令色した理屈である。隨つてそれは、人間の天性を惡と觀念することに出發し、制度上の新工夫を以つて惡の發揮を相互的に牽制することに展開した。例へば立法權に對する國民的參加の過程として見たる選擧法の改正に於いて、新興ブルヂオアが封建貴族の手から政權を移動する詐術として考案した最初の意味は、やがて後身プロレタリアに逆用されることとになつて面目を一新し、招かざる客の普選をさへ認容しなければならなかつたのである。

加ふるにデモクラシーは、漏れなき萬人の幸福を約束する意味で、單なる多數意見のみならず少數意見をも反映せしめねばならぬ。それがためには、比例代表制や複合代表制の精神を加味するとか、或は議會を超越したるレフエレンダムやイニシアチヴやリコオルやの直接的方法を採用するとか、いやが上にも政治の機構を複雜ならしめた憾みがおほい。デモクラシーが弱者の武器であるかぎり、換言すれば強者の專制を極度に警戒するかぎり、拙速を尊ぶ政務の運用に支障を來たすのは當然であらう。

かくして近代の政治はメカニズムの弊害を遺憾なく暴露した。ただそれなりに、適當な政治形態の創造が困難だといふやうな理由から、議會政治を唯一最上のものと思ひこんでゐたのであるが、最初の宣戰布告はムツソリーニに(1)よつて發せられた。彼れは先づ目前の小黨分立を破壞する必要上、一黨專制を強行し得るやう目茶苦茶な選擧法改正をなし、議會を單なる形式的な存在たらしめたのである。一方これよりさき、レーニンは獨創的なサウエート組織によつて一黨の專制を可能ならしめ、形式的にも議會によらざる政治の可能を立證してゐたが、何れも圓錐塔の頂點に君臨する獨裁者として彼等の位置を強持した點は共通する。

伊露兩國に於ける如上の實驗は、捧示する主義と施行する政策の如何を問はず、政治はかならずしも議會による必要がないことを立證し得た。そこで議會を神聖視する舊來の固定觀念も浮動を免れなくなり、猫も杓子も反動的にこれを輕蔑する流行を助長し、いはゆる議會否定の心理を共通に植ゑつけることへ結果したのである。

デモクラシーは更に、他の反面において、專制を修飾する色素として利用されたのも事實である。元々それは、被治者の嫉妬感に胚胎して生れたものであつただけ、政治原則としては全く無用の長物にひとしく、ただ投票權の行使が『自己による自己の支配』を錯覺的に意識せしめることを役立たしめたに過ぎない。

政黨は人民の投票に依據する集團である。その限りにおいて表面上は、人民の一定部分の意志を數學的に反映したものと解し得べく、隨つて政黨による政治の運用は、人民彼等の意志が人民彼等を支配する形式となつてゐるが、その實際は、幹部と稱せられる少數の人間の專制によつて萬事が決定されてゐる。これら幹部の意志が、投票に反映した人民の意志とは全く別個の存在なること言ふまでもない。しかるに支配される人民の側からいへば、嘗て彼等が表明した意志の間接的な反映だといふ意味から、恰もそれが彼等の意志そのものであるかの如き錯覺に陷り、一方また支配する幹部の側からいへば、巧みにこの心理的錯覺を利用して自己の專制を是正する口實をつくり、兩機相俟つてデモクラシーの歡迎に傾向せしめ、遂にはそれが最高の政治原則であるかに盲信することまで發展したのである。

しかし、デモクラシーは、決して政治原則ではあり得なかつた。政治原則は飽くまで少數支配であつて、當世流行の言葉に從へば獨裁專制のカモフラージユに外ならぬ。即ち自我意識の強烈になつた近代人の網膜に錯覺をおこさせるため、投票といふトリツクによつて巧に心理僞瞞をなしとげたのである。だが、それもこれも矛盾せる人間性をそのままに反映したと見るを得べく、一方において何者の支配をも欲しない理智を有する反面に、他方において自己以外の何者かの意志を豫定したがる人間は、やがて兩棲動物のデモクラシーを繁昌させる心理的原因を作つたとも言ひ得るであらう。

實際、デモクラシーに對する近代人の渇仰は、それ自身が何か巨大なものに對する崇拜の感情に共通してゐる。例へばウイルソンの參戰聲明であるが、これは直ちにデモクラシーを王座に祭りあげる心理であつて、而もそれが聯合軍の士氣を驚くばかり昂揚したとあつては皮肉この上もない。偶像破壞のために要求されたデモクラシーは、かくの如くにして、いつの間にか新しい偶像となりをはつた。

現代の英雄は民衆だといふ言葉は、すでに幾度か聞かされたところの命題である。その本來的な意味はとにかく、彼等は古き英雄を塵埃の如く蹴とばして悔いなかつた。そして民衆による民衆の支配を確立せんとしたが、すでにその時には民衆が新しい時代の偶像となり、デモクラシーが新しい神として彼等の心理を緊縛してゐた。即ち彼等は、破壞することにおいて偶像をつくり、蹂躪することにおいて神をつくり、無意識ながらに自己以外の何者か強力なる意志を創造して、彼等の英雄崇拜感を不知不識の間に滿足させてゐたのである。

ところが、根が崇拜對象としては極めて不自然なものであるから、いつまでも(2)彼等の感情を滿足せしめ得る筈がない。殊にデモクラシー特有の小黨分立と制度上のメカニズムは、あらゆる英雄的なものの出現を阻害するやうになつたので、政治は勢ひ沈滯をまぬかれず、いつの間にか『時艱にして英雄を憶ふ』ところの心理に傾かしめ、どうやらデモクラシーに對する倦怠が一世を掩はんとするかに見られた。

これに契機を與へたのは世界大戰である。自己の正義を押し賣りするに急だつた交戰國民は、恰もそれが時代の神たる民衆のための犠牲であるかに吹聽してゐたが、しかし斬つた張つたの血腥い戰爭沙汰は、やがて一切の虚飾を棄てさせずには措かなかつた。即ち、卒然として『野性の呼聲』を聽くに至つた彼等は、強者に對する讚美を赤裸の感情において發見したのである。茲においてヒロイズムは、歪められたデモクラシーの形態を採る必要がなくなり、最も純粹に一個人を對象として發揚されたと解し得られる。例へばムツソリーニである。彼れはその彈壓政策を強行すればするほど、むしろヒステリツクと思はれるまで彼れの國民の人氣を吸収し得たが、これなどはデモクラシーの凡俗主義を小氣味よく粉碎した點で、英雄崇拜の感情を遺憾なく滿足させたからに外ならぬ。彼れの亞流たる群小英雄にしてもその通り、不思議に永く彼等の政治的命脈を維持し得るのは、彼等の威力そのものによつて物理的壓伏を可能ならしめたと見るより、むしろ彼等の威力が國民の心理的要求に投合したと見るのが正しい。

その意味からいふなら、いはゆるヒロイズムの復興も文字どほり『反動』と解すべきではなく、ヨリ抽象的な對象をヨリ具象的な對象に移動しただけ、或は『正動』と解すべきであるかも知れぬ。



注記

(1)ムツソリーニに:もと「ムツソリーニ」。初出、底本に同じ。
(2)いつまでも:もと「いつまで」。初出、底本に同じ。

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