知友名簿にない彼女 ―山田順子觀―

高畠素之

最近の讀書のうちで何がもつとも感銘的であつたか、若しかうした質問を假りに發するものがあつたとしたら、私は躊躇なく正宗白鳥氏の『徳田秋聲論』(中央公論六月號)を擧げるつもりである。嚴密にいへば、それは必ずしも秋聲氏の人物と藝術を論ずるに忠實ではなかつた。しかし、秋聲氏が彼れの戀愛事件を題材とせる小説において、即ち白鳥氏に從へば『世上周知の一老文學者と一美少婦との戀愛記録』において、如何に無慘に過去の文學修業が『心靈の陶冶』を裏切つたかを語り、藝術と人生の問題に冷徹な考察を加へたところに、格別の重大な意義が展開されてゐるのである。

『數十年の間、世相の經驗を重ね藝術上の鍛錬を積んだ作家も、一朝溺愛の境地に墮すると、こんなになるものかと思ふと、それは私に取つては、等閑視しがたい重要な問題なのである。』白鳥氏ばかりでなく、人生の修業者としては遙か後身の私なども『周圍は荒凉』たらざるを得ない。

過去の交友と理解にもかかはらず、むしろ過去の交友と理解あるがゆゑに、かく白鳥氏をして秋聲氏に背面せしめたのは、偏へに『甘い惚氣をそのままに捧げ物』とした『春來る』の一篇である。これを私流に解釋すれば、たうてい戀愛の對象たるに價値すべくもない女が『美少婦』の故をもつて選擇され、菊石(あばた)を笑窪として藝術上の能才まで吹聽されたことに對して、一流の義憤が發揮されたために外ならない。

『文學の上ではまだ乳離れもしないやうな少女が、假りにも、三十年の水火をくぐつて鍛錬されて來た作家と自己とを比較して、いい氣な口を利いてゐるところを讀んで、私は滑稽に思ふよりもむしろ憤慨の感を起した。藝術に對する冒涜である。』藝術の方もさることながら、これでは先づ人生のために義憤を發したくなる。およそ彼女に對して、落語家の三題噺よりも無縁な存在たる私が、醉狂にも公開状の執筆を承諾したのは、白鳥氏への感銘が然らしめたと推察して頂きたい。

『美少婦』その名を山田順子と呼ぶさうである。路傍の土塊と共に、私の知友名簿には記載されない名前である。ただイカモノ喰ひの東京日々新聞によつて、彼女が嘗て刑事被告人たる辯護士某の妻女であり、鼻の低い繪を描く竹久夢二の情婦であり、轉じて『一老文學者』徳田秋聲の懷に飛び込んだ娼婦であり、再轉して年下の大學生某を新郎に撰ばんとした舊婦であることが、斷片的に羅列されてゐる程度にすぎない。

『ほんとうに好いと思ふね。この材料を己も書かうと思ふが、書く必要はなくなつたやうだ。今に己の株を取つちまふだらう。いや、それ以上に己にないものが愛子にある。』秋聲氏は彼れの小説の中でそれほど彼女を認め、かつ新聞記者に彼女の稿料月収が七百圓もあると語つたさうだが、幸か不幸か私はその一篇ですら拜見の光榮に浴したことがない。

それほど人間的にも作品的にも、私は彼女を路傍の土塊と等視してゐる。隨つて、彼女の公開状を執筆する人物の適否を問題にするなら、或は落第の光榮を擔ふかも知れないのであるが、これも幸か不幸か、彼女の片割れたる秋聲氏は、例の三部作當時から私の愛讀する作家であつて、その慢性的愛讀癖から『甘い惚氣』の被害を多分に蒙つた意味において、抗議の資格は十分に所有し得るものと自任してゐるのである。といふのは、何も惚氣そのものを頭痛にやんだ報復の意味ではなく、彼れの小説に描かれてゐるやうな彼女のごとき存在に對し、世人の迷夢を多少でも拂拭しなければならぬ『義憤』を感ずるからに外ならない。

山田順子は單なる娼婦にすぎない。處女作を發表した當時、彼女が先夫に後足で砂をかけたことから、お定りの『大正ノラ』といふ讚辭を奉つたものもあるが、笑はせるにもほどがある。亭主の落ち目を逃げ出すのがノラなら、擧世滔々としてノラならざるものはあるまい。

元來、女を人間と動物とのあひだの中間的存在となす考へ方は、過去と共に現在にも行はれるところの常識である。これは女の側からいへば、さぞ心外であらうと思ふのであるが、實際の問題として、男がその競爭者と認めてゐないのだからやむを得ない。そこで、人まねをすることによつて猿を珍重する心理から、多少でも作文上の技術をもつ程の女なら『閨秀』のハンデイキヤツプをつけ、作家としての肩書を與へるのが今日の通用となつてゐる。山田順子もまた然り、彼女は家事と裁縫の代りに多少とも作文の技術があつたと見え、物ずき澤山の文壇的片隅に登場する機會を與へられたのである。『ゴシツプ種になりさうな婦女子を引摺出して、物を書かせることが流行してゐるが、それが、どれほど文壇を賊し、婦女子その人の將來をもあやまらせるか知れない』と、わが正宗白鳥氏も喝破してゐられるが、彼女などは正しくその適例と見て差しつかへなからう。出戻りで容色も萬更らでないとあれば、五月信子の短歌や栗島澄子の感想なみに扱はれる可能性は備へてゐる。

だが、それで思ひ上がられてはたまらない。惚れた弱味があればこそ、或は秋聲氏も菊石を笑窪と見あやまる錯覺に陷つたか知れないが、何と困つたことには、世間の男の全部が徳田秋聲たり得ない一事である。文壇耆宿の思ひ者たることをカサにきて、乳離れもしない口で『私には藝術があるのよ』などといはれては、藝術の方も怖毛を振ふであらうが、人間の方も怖毛を振はぬわけには行かない。秋聲氏の小説を通して見た彼女は、如何にもさうした無恥と無智とを兼備したらしい女性である。かうした種類の女性は、よく場末のトンカツ屋などで見うける。

山田順子がもし、大正琴で枯れすすきを唄つてゐるなら、何も取りたてて文句をいふには當らない。けれども、彼女の淺膚な媚態や自負が彼れの作品を通じて遠慮會釋なく撒布されるとあつては、社會風教に對する影響から默視するわけには行かなくなる。――といふ意味を碎いて説明すれば、かうした種類の女性が、何か特別の新しい存在であるかに誤認し、あだかも近代女性の雛形であるかに誤解する結果、新時代への進歩を遲凝せしめる危險があるからである。

彼女は寄食階級の婦人を代表する。持つて生れた濫費の性癖が、先夫の刑事被告人たらしめ、貧乏畫家から別離せしめ、老文學者から背反せしめ、若樣書生を選擇せしめたといふに止まる。それで何の新し味があらう。なるほど臆面もなき斷髪洋裝は、世間の好奇的な興味を挑發することに効果したかも知れない。その點は舊來の寄食婦人と毛色が變つてゐるが、同じ斷髪洋裝を看板にするなら、貨幣に對する代償行爲を露骨に肯定する新聞のいはゆるモーダン・ガールの方が、趣味や藝術の假面をかなぐり棄てただけ時代的には新しいともいへよう。大正のノラが聞いてあきれる。

これも秋聲氏の小説によると、彼女の彼れに對する結合の動機が、如何にもその藝術への崇拜が原因してゐるかのやうである。『先生は藝術家よ、一家族のものであるよりも、皆んなのものなんですもの。奧さんは唯、女性の中から擇ばれぬいて貴方のお仕事やお心持の伴侶になつたんぢやないんですものね。偶然に奧さんになつて、貴方の子供さんを産んだ人よ。本當の廻り合つた異性は私よ。私ね。』

『多嘉夫さんは多嘉夫さんで、いづれお父さんと異つた道を歩む好い藝術家になるでせうから、先生の衣鉢は私に繼がして!』

この會話を讀んでコヅきたくなるのは、分才を知らぬ思ひあがりの一女性であるよりも、むしろ彼女の『頭腦のよさ』を押し賣りする一先生であらねばならない。だが、それはとにかく、彼女はかくのごとく『頭腦の惡さ』を暴露してゐるのである。

山田順子の存在に對する私の關心は、さつきも言ふとほり路傍の土塊と同樣である。かうした女性がどんなことをしようと、實は大して問題にならない筈なのであるが、誰にもさうであらう如く目ざわりでならない。

世間がかう亂調になると、色んな目ざわりが殖えてくる。因つて來たる源を探求すれば、それぞれに社會的な理由を發見するので目を瞑るが、それで癇の蟲まで殺してゐるわけではない。山田順子のやうな女性でも、ある程度までは時代の産物たることを認容する。が、單にそれとのみ見るべく、餘りに彼女の厚顏と低級は超時代的である。七ツ下りの雨に類する『荒くれ』の作者の戀は、無慘にも過去の觀賞力を亡失することに貢獻したが、かくも『文學の鍛錬は心性の鍛錬に無力』であるのか。私も白鳥氏に追唱して、むしろ色里の修業が、文學の修養より人生を知ることに有効だと認めない譯にゆかない。

娼婦の靈魂に天女を發見することは、藝術家にして始めてなし得る仕事と考へられてゐた。しかるにわが秋聲氏は、靈魂のない娼婦を永遠の女性に仕立てんとして、一世の憫笑を買はなければならなかつた。菊石は菊石、笑窪は笑窪と客觀し得てこそ、秋聲氏の自然主義文學は完成さるべかりしものを、さりとは餘りに皮肉な人生ではないか。

山田順子なる女性よ、君がめくらにしろ秋聲氏の藝術を云々するなら、名利兼達の打算から秋聲氏に寄食することをやめ、早々にして怨敵退散したらどんなものか。その方が秋聲氏の藝術に忠實なゆゑんである。いかにヒステリーの發作にしろ、假りにも『衣鉢を私に繼がして!』などは非望もはなはだしい。醫者が書生であらうと、君流の寄食生活をやらうと思へば、人生到るところに青山があるべき筈ではないか。――などと、これは犬も喰はない駄足だつたかも知れない。

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