斷片語

高畠素之

性惡觀

善とは何ぞや、惡とは何ぞや、といふ樣なややこしい問題は暫く措き、茲では假りに自己本位の傾向を惡と見做して論を進める。

何といつても人間は自分勝手なものさ。誰れだつて、ヒトのことよりも先づ自分の都合を考へるだらう。ヒトはどうでも構はないとはいふまいが、とにかく自分の都合、自分の利益、自分の快樂、自分の人氣、自分の權勢が先きに立つ。

勿論、たまにはヒトのことも考へない譯ではないが、これとて他人の便宜それ自身が目的ではなくて、他人の便宜を計ることに伴ふ色々な自己的關心の滿足が目的だらう。萬人が萬人さうなのだ。だから人の性は惡だと、樸は考へてゐる。

けれどもかういふと、世の中には身を殺して仁をなす聖賢や殉教者もあるではないか、そしてそれが人の人たる理想であり、規範であるべきではないか――といふやうな反對論が屹度もち出される。しかし聖人とか君子とか殉教者とかいふ者は、僕等の考へる『人』の範圍には入れてないのだ。さういふ者は、よしあつたにしたところで生物學上の『變異』として取り扱ふべきであらう。百本に一本、毛ばかりの玉蜀黍ができたとて、そんなものは玉蜀黍の構性や營養分の考察には影響する所がないのと同じである。萬人は毛のほかに實を備へてゐる。さういふ萬人にとつては、身を殺すことではなくて身を生かすことが先づ問題なのである。

人の性はかやうに惡である。だからヒトに對しては、如何なる場合にも、惡と惡との對立だといふ考へを離れる譯には行かない。人といふものは、都合次第で(その事を意識してゐると否とに拘らず)、立派なことを言ひもし、考へもするが、それは都合そのものに變動のあることが豫期される以上、アテになつた話ではない。だから、殊に金錢問題が介在するやうな場合には、友人同志の間でも、法律的契約の拘束を借りることが一番無難である。契約なんて水臭いと誰れしも言ひたがるもんだが、さういふことを言ふ人は、人間そのものが契約よりもモツト水臭いものであることを知らないのだ。

何でもかでも、契約づくめがいいと思ふ。事情が變り、都合が變つて、その結果氣まで變つた現實にシヤーシヤーして居れるやうなお目出度い英雄的善人を面責する效力だけから言つても、契約といふものは頗る深酷なものである。

人の改造を先きにすべきか、制度の改造を先きにすべきか、と云ふ事が、一頃社會主義者の間でよく問題になつた。然し人の性が惡であるといふ事實は、人力を以て如何ともすることは出來ない。人性が惡であればこそ、制度といふものが必要になつて來るのだ。制度の目的は惡と惡との調節を計るにある。人の性は變へられない。ただ制度の力で調節するだけのことだ。

よき制度とは、此調節機能の完備を意味する。現存の制度を以つてしては、少くとも有産者と無産者との性惡衝突を調節することが出來ない。さればといつて、性善觀から割り出した一切の制度は制度それ自身の目的に逆行する意味に於いて、架空的のものである。

我々が無政府主義に反對して國家社會主義を支持する所以の一端は、ここにも求められる。

軍事教育

軍縮に伴ふ過剩將校の救濟策として、中等學校以上の兵式教練に振り向けるといふ案が、陸軍省と文部省の間に協議されてゐる。いふまでもなく、例の『學問の自由』からの反對氣勢が盛んである。つまり陸軍省から俸給を受ける現役將校に、軍事に關する教育を一任せしめることは、やがて文教の府をして軍閥の巣窟たらしめるものだ、といふのである。一應は尤もらしく聞える。しかし實は、少しも尤もでないのである。

現在の徴兵令及び文部省令等の規定に從ひ、中等學校以上の卒業者は、一年志願をなし得るところの資格を有つてゐる。その資格を與へられる理由は、平たくいへば、學校に於いて規定の時間だけの兵式教練を受けたからといふに外ならない。中等學校なら一週間に二時間以上、大學專門學校なら一時間以上の兵式教練が、一年志願の資格を與へて差支へないかどうかこれは疑問以上の問題である。更にいふならば、ブルヂオアの子弟にかかる理由なき特典を與へることは、全く意味を成さないことである。しかしそれはそれとして、現在この許された特權を持つ學生生徒は、嚴重に規定時間だけの兵式教練を強制されてゐる。もしそれを怠るに於いては、直ちに徴兵猶豫の特典を剥奪されることとなり、從つて憲兵の手により半國家的の監視を受けてゐるのである。

もし謂ふ如き『學問の自由』が、それ程に嚴格に維持されねばならぬものであるなら、現在の状態もまた拒否されなければならぬはずである。然るにそれに對しては、何等反對することなくして、現役將校によつて成されることが害惡であり、豫備後備の軍人によつて成されることが正善であるといふやうなことは、理屈として通らぬ話しである。世のいはゆる『憲法の自由』なるものが、國家の自存性に抵觸しない範圍だけでの、言論、集會、出版の自由であると同じく、學問の自由もまた、國家の範圍を越すことが出來ない道理である。或は假りに、學校教育が純然たる學問の教授にあるとしても、その被教授者たる學生の都合を考へて、兵役の義務を卒業後に猶豫してゐる事實は、國家の妥協を意味するものである。

法は一視同仁だといふ。しからば徴兵令の適用も、文字通りに同仁でなければならぬ。就學中に徴集されることが不利だといふならば、餅屋の小僧も、桶屋の徒弟も、習業盛りの年で徴収されるのが不利なはずである。同質同量の不利を小僧徒弟が忍び得て、學生が忍び得ないとはいはせぬ。しかもこの道理をやりくりして、國家が大なる犠牲を拂つてゐるならば、素町人の算盤勘定を土臺とした人生觀に基づいても、多少の制限を甘んずるのが人間の禮儀とやらである。豫備後備の古手軍人によつて、舊式な軍事教育を施すくらゐなら、效果を擧げる上にも現役將校を採用する方がいい。殊に現在の不景氣時代に、國家の都合で解職された失業將校は、直ちに衣食に窮する状が見えてゐる。その意味において、今度陸軍が案出した軍事豫備教育案なるものは、一擧兩得の效果を期待し得るものである。もしそれが『學問の自由』を阻害するなら、國家は學問を尊重するが故に、徴兵猶豫や一年志願の特權を剥奪すべきである。剥奪されて困るなら、泣き寢入りでも何でも我慢しなければならない。これが憂世の定めである。

看板

何の商賣に限らず、およそ商賣と名のつく程のものなら看板が大事だ。看板の良し惡しで觀客の吸引力も違へば、隨つてまた賣上も違ふといつた勘定になる。かくいふ筆者などは、國家社會主義といふ至極氣の利かない看板を掲げたおかげで、左翼からは反動派扱ひにされ、右翼からは主義者扱ひにされ、あつちへコツン、こつちへコツン、忠臣藏の文句ぢやないが、まるで井戸の中の鮒ざむらいよろしくの目に會つてゐる。それもこれも、手前の下根なる生れ性に出づるかぎり、誰を恨まんすべもないのである。

しかし廣い世間には、看板の上げ下げに抜け目のない人も多く、中には塗り變へ塗り變へして門前雀羅の反對を行く器量人も少くない。誰れ彼れを名指しをするのは憚りたいが、商賣繁昌を念願するからには、その位の用意があつて然るべきだらうと思ふ。

文士稼業も立派な商賣であるから、もちろん看板の必要は贅言するまでもない。ただ此の商賣は、裸一貫だけに商賣の實質的價値がヨリ大事だが、それでも看板に負ふところは無視するわけに行かぬ。例へば岩野泡鳴である。彼れの代表的五部作が如何に優れてゐたにしろ、死後の今日まで記憶を鮮明ならしめてゐるのは、我武者羅な半獸主義の提唱に負ふところ必ずや少くないであらう。更に、もつと適切な例は赤木桁平である。彼れの行衞は煙のごとく不明だが、遊蕩文學撲滅の看板によつて殘した印象は、未だに時代から拂拭されてはゐない。近ごろになつても、凝つて思案にあたはぬ長江生田君の重農主義藝術論や、天弦片上君の社會學的藝術論や、その他いろいろの提唱もあつたやうだが、何れも素人のドギモを抜き得た意味で立派な看板たるを失はなかつた。殊にプロレタリア文學の議論などと來ては、當の本人は勿論として、讀者でさへ定かに呂律を判別し得ない提唱でも、勞働爭議流行の折から人心に投じ、どうやら今ではその存在理由を一般に承認せしめた感がある。むしろ却つて、いはゆるブルヂオア派と呼ばれる連中さへ、その『ブルヂオア』的部門にヒケメを覺え、過渡時代における彼等の存在理由を辯解せねばならぬやうな形勢になつてゐる。唯物史觀的準繩論と共産黨的優勝慾をチヤンポンに、天晴れブルヂオアの牙城に肉薄したつもりでゐるのは、傍の見る目でこそ滑稽に映じたのだが、看板の威力は恐しいものである。

ところで最近では、同穴のプロレ文學論も二派にわかれ、共産派と無政府派とが互ひにその本家爭ひをやつてゐる。始めのうちこそ、無政府主義文學も成立し得るといふ程度の消極的主張だつたらしいが、やがて賣言葉と買言葉の相互的助長から、今では滿更ら戲談でもなささうな樣子が見える。アナかボルか、またしても震災以前に逆行し、妙な合言葉を流行させたものではないか。

それはとにかく、直接の論題たる看板的觀點にかへるなら、右のボル派の勇敢なる戰士藤森成吉君は、無政府主義文學撲滅の名辭として超個人主義文學たる看板を掲げてゐる。命名の由來は、無政府主義が自由主義で、隨つて個人主義だからといふにあるらしい。一應の智慧として頂戴するが、それにしても超個人主義とは窮して通ぜざる名前だ。而もさらに通ぜざるところは、その論理驅使の晦澁な點にある。我々流の考へ方からすれば、プロレタリアがブルヂオアだらうと、文學はどこまで行つても文學だし、アナーキズムがボルシエヴイズムであつても、黒燒の效顯に變りがあらうとは思へない。まして協同的精神を基調とするから新しいとか、經濟的對象を無視するから小ブルヂオア的だとか、そんなベラ棒な理屈があつてたまるもんかと思ふのである。小ブルヂオア的といふ段になれば、高等學校教師たり得た程の身分で下らない體驗慾から勞働の神聖を冒涜したり、上演不許可で更めて官憲の藝術的無理解を吹聽したり、すべてさうした事が遙かに小ブルヂオア的なはずである。假りに無政府主義の文學がクダらないにしても、それは無政府主義なるが故ではなく、彼等の文學そのもののクダらなさに原因するのである。度量衡の適用をさう勝手に混同してくれては困る。

だがしかし、逆宣傳による廣告的效果を覗ふ當節であつてみれば、看板は必ずしも五分のスキもないことを以つて上乘とするわけではない。むしろスキがあつて、愛嬌を賣り物にし得たならば、かへつて看板的效果を期待しうるのである。藤森君にしても、御愛嬌の超個人主義を振りまわす間には、それが共産主義文學の代辯であるがぎり、其他大勢連の支持も受け得べく、一躍して山王樣の神輿たり得ないとも限らないであらう。愼しむべきは色慾、掲ぐべきは看板である。

顧問

私が農民黨の顧問になつたといつて何か特別意味ありさうに言ひ觸らした人々がある。先達、日勞黨系の或人もそんなことを言つてゐたさうだが、日勞黨といへばその重要分子になつてゐる勞働總聯合とやらの顧問にも、私はなつてゐる筈だ。

一體、顧問なんてものは、私は風呂屋の水ぐらゐにしか考へてゐないので、一杯や二杯汲み出したからとて別に減る譯でもないから、なれといへば大抵の顧問にはなる。目下、磐城炭坑で日勞黨一派と頻りに抗爭してゐる建國會にも、私は顧問のようなことをしてゐる。そこで若し、勞働總聯合の顧問を間接に日勞黨の顧問だといふことにして考へると、茲では何のことはない、顧問高畠と顧問高畠とが抗爭してゐるやうなものである。

建國會と農民黨も餘り仲が善くなく、この間も建國會の機關紙で私がエタイの知れぬ農民黨などの顧問をしてゐることを何だかだと言つてゐたが、固より私の方からなりたくてなつた顧問ではなく、なれといふからなつたので、なつたからとてどうせ風呂屋の水だから毒にも藥にもならぬ。

いはゆる左傾がかつた人達は、建國會を反動だ右傾だといふが、その段はまだまだ凄いのがあつて例へば反動暴力團の巨魁を以つて目せられる大化會などにも、私は顧問になつてゐる筈だ。なつてから、やめさせたといふ辭令の下らぬところを以つて見ると、今でも多分なつてゐるのであらう。

さうかと思ふと、山崎今朝彌氏のやつてゐる共産黨の機關紙『解放』同人にも、私は顧問のやうな形で關係があつた筈だし、ずつと降つたところでは、これは一寸大きな聲ではいへぬシロ物だが、名實共の乞食雜誌『進め』といふものにも、押しつけ的に顧問を仰せつかつたことを覺えてゐる。仰せつけるのは向ふ樣の勝手で、こちらから望んでなつたことではないから、辭令の下らぬ限りなつてゐるものと見做してかまはない。見做しても、格別損のゆくことではなし、これも御愛嬌と思ふから、見做す段にはドンドン見做す。それで十年もたつたら、いくつ顧問を重ねることか、ちよつと貯金式に樂しみのやうでもあるが、實際これが一口二十圓かなにでもなるなら、十口で二百圓、百口で二千圓、全く以つて惡くない副業だと思ふのだが、子供がよくオモチヤの紙幣を蓄積してゐるのを見て、これがせめて額面十分の一にでも使へるならばと考へたりすることがある。顧問の聯想にも、ちよつとそんな趣きがある。

そのうち、『隨筆』あたりからも顧問になれと言つて來るだらう。

泥合戰

泥合戰を大へん惡いことのやうにいふが、内閣彈劾の泥合戰が流産になればなるで、それがまた大へん惡いことのやうにいはれて議會は氣のぬけたビールになる。無産政黨といへば泥合戰、議會といへば泥合戰と響くところに特殊の面白味があるので、面白味があるといふのは、それだけ眞劍で緊張味があるといふ意味にも通ずる。緊張味のない、だれ切つた空氣の中に、何人も面白味を刺戟されるものでない。

議會に限らず、苟くも力と力との抗爭を前提する以上、何はともあれ反對派をヤツつけることが全力問題である。反對派をヤツつけるには、多くの場合、泥をほじることが一番有效だ。また、それに熱中する位でないと、抗爭の火力が白熱してゐるとはいへない。同じ無産政黨を以つて自任する諸部落の間でも、勞農黨が民衆黨を小ブルヂオアとか、憲政會の出店とかいつて見たり、農民黨を反動派とか、政友會の下廻りとかいつて見たり、その代りまた反對派から露西亞ブローカー、賣國奴、非國民などといはれて居たりするのは、それだけ彼等の抗爭が少くとも赤熱してゐる證據で、見物人は大人氣ないと思ひつつも、ついその渦中に興味を釣り込まれて行く。

新出來の自稱無産政黨でさへこの始末だから、出來合の既成政黨に至つては尚更さうであることを前提され得るやうでないといけない。

それに、泥合戰がないと政界が墮落する。墮落したから、泥の種が出來たともいへるが、種をほじる泥合戰のピンセツトの尖が鋭ければ鋭い程、墮落が窮屈になる。墮落の可能は人の本性であつて、且つ如何なる人間も利己的に横着なものであるから、道義を説いても社會は廓清されない。毒を制するには、毒を以つてするのが一番有效だ。反對派をヤツつけるには、刑事問題を摘發するに限る。

さういふ方針で、政府も野黨も、蚤とり眼で泥のあばき合をしようとするから、自然、泥の種を蒔く機會を警戒するやうになる。そこに政界廓清の進歩がある。若し日本の政界に、海坊主事件や、星亨醜わい問題や、シーメンス事件や、大浦事件や、等や、等やの泥合戰がなかつたとすれば、今ごろ日本の政界は泥合戰といふ新述語の流行をも許さない程モナコ的に、泥の現實がもつと白晝公然化してゐたかも知れない。

牛後道

幾人かの棒組が出來ると、自分がいつもその中の最年少者だつた時代が、つい昨日のやうに思へる。今では人が幾人か寄ると自分が殆どいつもその最年長者なのに驚く。最年少者から最年長者への境目が、いつ頃だつたか、よくは分らない。しかし、その間に中繼期といふものが無かつたやうに思へる。段階的に自分は子供から老人になつてしまつたやうな氣がする。

これには年齡の進行が勿論原因をなしてゐる。しかし、年齡ばかりでなく、社會的の作用もそれに絡んでゐるやうだ。若い時代には、有意無意を問はず自分を生かすために比較的年長の人間を擔ぐ。擔いでゐる中に、いつの間にか更に一段と年少のゼネレーシヨンが背後に押し寄せて來る。この時うつかりすると、擔いでゐた身が擔がれる位置に立たせられてしまふ。牛後だつたものが、突然、鷄口になるのである。

人間は擔がれることが遲いほど大をなすともいへやう。擔ぐ期間の短かかつた人間ほど、最年少者の位置に立つた時期が昨日のやうに思へるのではないか。世渡りの祕訣は、旦那の飛石を上へ上へと踏み傳はつて、絶えず擔ぐ位置に立つことだ。早く鷄口となれば、一生を棒にふつたも同然であらう。

代議士

來年の總選擧には立候補するかと、よく人にきかれる。ぜひ出馬しろと勸めてくれる人もある。『隨筆』の水守君の如きは、その優なる一人だ。小生も選擧には多少の色氣がある。といふよりは、いまの商賣がほとほといやになつたのだ。原稿渡世も、もういゝ加減で足を洗ひたい。が、足は洗つても隱居のできる身分ではなし、所詮はどこかで汚し換へねばならぬ。それには代議士商賣などが先づ以つてとツつきのいい方だとは素人考へにも考へられる。

そこで自然、多少の色氣も出て來るわけだが、いざとなると尻込みしたがる。實をいふと、いまの自分では代議士は、ちと勿體ないやうな氣もする。どうせボロになつた古着だから、ゆくゆくは襁褓か雜巾にでもするほかはないが、まだちツとばかり勿體ない。もう一二年も着古してから――と、そんなことも考へる。

將來はしらず、いま迄のところでは、代議士にでもならうと考へるのは、十中八九迄は他に本職のない人間か、本職ではやつてゆけなくなつた人間、一口にいへば廢れ者、食ひ詰め者と相場がきまつてゐる。辯護士にしても、新聞記者にしても、學者にしても、それで相當有意義にやつてゆける程の人間なら、代議士になどならうとは考へぬだらう。辯護士上りの代議士、學者上りの代議士といふのは、學者そのもの、辯護士そのものが上ツたりになつた人間をいふのである。それが代議士になつて選良といはれる。

私は自分の商賣にまだ薹が立つたとは思はない。しかし、自分の方から薹を立てさせようとしてゐることは事實だ。いま一いき、いよいよこれで二進も三進もゆかなくなつたら、水守君の勸説を待つ迄もなく、いさぎよく立候補にでも出馬せざるを得ない段取りとなるだらう。後に未練はのこしたくないといふ氣がある。

烏の雌雄

前文相三土忠造氏が文藝春秋社の存在を知らなかつた、これでも今の政治家が如何に文藝に無理解であるか知れる――といふやうなことを菊池寛君が言つてゐた。餅は餅で、餅屋のことは餅屋か甘黨でもないと、よくは分らぬのが世の常である。三土氏が文藝春秋社を知らなかつたからとて、そんなに嗤へた義理でもなからうと思ふ。文藝春秋社を知らないでも、講談社か博文館なら、三土さんだつて知らなかつたことはないだらう。それだけ、文藝春秋社の名は普遍化されず、それだけ文藝春秋社に文壇的特殊性が保持されてゐるともいひ得る。

政治家は文藝に無智だといふ、菊池君の筆法を逆用すれば、文藝家や思想家も同じ程度で實政治の眞相に無智である。かつて水守龜之助君の『隨筆』で、これらの方面の人々に『好きな政治家』を質したとき、尾崎行雄氏に軍配を上げたものが多かつた。政治家といへば尾崎行雄と考へるやうな人は雜誌といへば講談社を思ひ、芝居といへば新派壯俳を聯想する程度の素人的無智低級である。

尾崎氏からいへば、さういふ素人新派的ひゐき客を釣るのが商賣であつて、それはそれなりに意味のあることだと思ふが、釣られる客の無智低能さは如何ともし難い。菊池寛君も商賣往來を異にすれば、この程度の政治通でないと、誰れが斷言し得やう。菊池君は、社會民衆黨ぐらゐが自分には手頃だと何處かでいつてゐたやうだが、そんな口吻から推すと、菊池君もまだまだ政界の文藝春秋社さへ知らないのか――と三土先生あたりが嗤つてゐるかも知れぬ。

子供思ひ

『澤田正二郎君の會』で、松居松翁氏であつたか、澤田君の子供思ひを激賞して、自分なども隨分子供に甘い方だが、澤田君に比べると迚も比較にならず慚愧に堪へぬ、といふやうなことを言はれた。澤田君の子供思ひは兼々きいてゐたし、それを兎や角いふのではないが、澤田君に限つて特別子の愛が深いといふ觀察は、お世辭式に淺薄なものである。

燒野のきぎす、夜の鶴は、妻戀ふ鹿の色情と同じで、個人的に多少の差はあるとしても、萬人先づ大差なしと見るが至當だ。それが澤田君に限つて特別強いやうに見えるのは、彼れの商賣柄、旅に出たり、興行が忙しかつたりして、滅多に子供と顏を合はせる機會が無いからである。

私などのやうに、始終自宅にとぢ籠つて箸の上げ下しにも子供との接觸を強要される貧乏職人の身になつて見ると、つくづく子供はうるさいものと思ふ外はなく、自然、子に對する態度も冷淡になつて來る。だからといつて、私の子供思ひが澤正君や松翁氏に比べて爪の垢ほども微弱であるとは思はない。その證據には、五年に一遍ぐらゐ、たまさか旅の眞似などして見ると、何よりも先づ子供を思ふこと切々たるものがあり、我れに若し筆あらば、パチパチ小僧でも大入道でも書いて送りたいといふやうな氣になる。

子供に死なれて見ると、一入この感が深い。澤正君は同じ氣分を慢性的に經驗してゐるといふだけではないか。

社會時評

近頃、だいぶん社會時評がはやるやうだが、社會時評の呼吸は凡ゆる方面の問題を社會だね化するといふことにある。問題はどの方面でも構はない。政治で御座れ、文藝で御座れ、人事で御座れ、社會運動で御座れ、何でも善いから、一先づそれを社會だね化する用意がないと社會時評にはならぬと思ふ。ちやうど、新聞の政治運動をも社會記事化するといふやうな意味で取材に社會的丸味をつける工風が、社會時評の急所である。それでないなら、政治時評や文藝時評と竝べて、ことさら社會時評といふものを設ける意味も必要もなくなる。

私などは、この點にかけて丸ツ切り資格のない方だが、それでもそんなことを考へるだけ、まだマシの方で、ひどいのになると、社會時評と稱しながら本來の社會だねをさへ却つて政論化したり、へたな社會主義論で味を消してしまつたりするのがある。

私の見るところでは、先づ白柳秀湖君などがこの方面での第一人者であらう。白柳君は問題の捉へ方がうまく、捉へた取材のこなしも手に入つてゐる。ただ、筆者の理論的觀點がはつきりし過ぎてゐるため、ともすると結論が千偏一律に陷り易いのは先づ善いとして、書き出しを見ただけでもう分つたと言ひたくなる――といふ程ではないとしても、多少その嫌ひが無きにしもあらず。普通の社會主義者などの書いたものは、最初の一言でオチが見え透いてしまふから讀むだけ無駄である。

理論的觀點といふものは無くて惡し、有り過ぎても困る。有れば有るなりに、何とかその處在を晦まさないと客がつかない。烏賊が墨を流して處在を晦ますやうに、我々は、動もすると野暮と單調に墮せしめ易い理論的觀點の處在を晦まして行く必要がありはしないか。

ニヒリズム

晦ますといふと、作意一方になつてしまふが、どんな理論にしろ、性根の何處かに何程かのニヒリズムがないと本當に終りまで聽かせる魅力がつかない。社會主義にしろ、無政府主義にしろ、愛國主義にしろ、何主義でも善いが、性根の一角にニヒリズムを潛めない人間の議論ぐらゐ、その人間それ自身の如く噛んで索然たるものはない。ニヒリズムのないニヒリストと稱する人の議論と來たら、これはまた一段と困り物である。

浪人

私は素浪人でゐながら、浪人かたぎを好かないといふことはかつても書いた。それと似たことで、學校騷動が持ち上れば生徒側には同情がもてず、官憲と思想家や文藝家との衝突があれば、どうしても官憲側に軍配を上げたくなる。それは、私のヘソ曲りや天邪鬼からばかり來るのではない。

私は如何なる方面にしろ、當局的側の生活内部をよく知らない。その善い點も知らぬ代り、惡い點も餘りよく知らない。これに引換へて、當局に對立した側とは、色々の點で接觸し易くその惡いところを厭といふほど見せつけられてゐる。かういふ人々から嚴密の意味の浪人までを、大ざツぱに浪人といふならば、彼等に通有の浪人的特徴は懶惰、放縱、横着、無責任、ひとり善がり、等にあると思ふ。浪人方面から出る苦情や文句は總べてこれらの惡徳から創り出されてゐるといつても過言でない。

だから、浪人の主張や要求には同情がもてない。尤も、非浪人の内部に生活して行つたら、それはまたそれなりに色々と面白くない惡徳にぶツつかることであらう。非浪人の實状を知つたらそれを憎む氣も起らうが、自分が浪人だから浪人を愛する氣にはなれないのである。

それもよし、これもよし

普通選擧は階級鬪爭の安全瓣だといふ衆論に對して、死んだ原敬が、普通選擧は階級鬪爭の助長だといつて、議會に解散を喰らはせたことを覺えてゐる。解散のことは扨て措き、助長か安全瓣かの段になれば、私などは原敬の言ひ分の方にヨリ多く眞理を認めてゐた。我々が多數國民のために普通選擧を主張したのは、法律の定めた議會といふ鬪犬場を以つて、階級鬪爭の一面を發揮せしめようとしたからに過ぎない。

然し普選を以つて階級鬪爭の安全瓣だといふ議論を流行らせることが、普選實施の上にヨリ有効だといふならば、暫くさういふことにして置くのも惡くはないと思つた。この考へ方は、階級鬪爭そのものの上にも當てはまる。

階級鬪爭といへば、勞働者と資本家、プロレタリアとブルヂヨアとの間の直接の鬪爭、牙と爪との鬪爭だと思はれてゐる。この見地からすれば、所謂直接行動以外の一切の鬪爭形態は眞の階級鬪爭ではなく、寧ろ階級鬪爭の安全瓣だといふことになつてしまふ譯だが、何も強ひてさう考へないでもいい。階級鬪爭は一つの對抗戰局であつて、單なる白兵戰よりも廣い範圍を抱擁するとも見られる。國と國との對立に於いても、最後の血戰までにはいろいろの段階を踏む。所謂外交上の辭令といふ奴を盡して、さながら親兄弟の如き親密さを見せかける段階もあれば、懷ろにドスを呑み込んでヘンな眼つきを對手に投げつける段階もあらう。そして愈々嚴密の意味の戰鬪段階に入つてからでも、或る時は守つて進まないこともあるだらうし、或る時は退いて敵を欺く戰法もあるだらう。要するに戰ひは一つであつても、その形態は種々雜多だといふことになる。

所謂直接行動といふものも無論階級鬪爭の一形態だが階級鬪爭は直接行動でなければならないといふ理屈もない。議會を舞臺とする政治運動もその重要な一形態であらう。ストライキも、サボターヂユも、それぞれの場合にそれぞれみな結構であるが、時にはゲンコで撫でるといふ行き方も妙である。鬪爭反對、協調第一といふやうな表看板で敵の鼻毛を抜く筆法も、當事者の腹さへ確つかりしてゐれば出來ないことでもあるまい。これも階級鬪爭の一戰法である。現に資本家側では温情主義といふ奴を振る廻すがこれがどう見たつて資本家側からの階級鬪爭の一形態でないとは言へないだらう。

然し露骨に鬪爭の形態を採つたものでなければ眞の階級鬪爭ではないと思はれてゐるなら、それもそれで結構ではないか。ゲンコは撲る時だけが鬪爭の武器で、撫でるゲンコは本當のゲンコでないといふなら、これはゲンコぢやないよと言ひながら、生殺し的にニヤニヤ撫で廻して居ればいい。虚無思想結構、勞資協調結構、温情主義結構、正義、人道、人類愛、それもよし、これもよしといふ筆法で、敵のキン玉に喰ひ下りながら息の根を止めることが出來れば、結局それが或る場合には一番有効な階級鬪爭形態だつたと、後世の人はいふであらう。

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