第一章 進化思想の進化

高畠素之

1 牙と爪のホツブス

十六世紀以後十九世紀に至る、歐洲社會思想家の多くに共通の思想は、社會契約説であつた。社會契約説と云へば、誰でも先づルソウを聯想する。併しルソウ以外にも、此説を提唱した學者は少なくなかつた。

其最も著しい例はホツブスである。トーマス・ホツブスは、一五八八年英國マルメスベリイに生れた。彼は十四歳の時牛津大學に入りて論理學と物理學とを學び、十九歳にして同校を卒業した。卒業の翌年、彼はキヤベンデシユ卿の聘を受け同家の家庭教師として、三代數十年の長き勤務を續けた。其後彼は兩度佛國に學び、一六七七年九十一歳の高齡を以て英國に死んだ。

彼の最も得意なる時代は、十九世紀の前半、即ち近世國家の漸く全盛期に入らんとする時であつた。彼は殆ど其生涯の全部を當時の權力階級なる貴族僧侶の間に送つた。彼は其犀利なる觀察と明敏なる頭腦とに依つて、能く當時の貴族社會を洞察し巧みに其生活に順應し、其思想を體得した。彼の國家觀は斯くの如き思想と生活との産物であつた。

彼は其『國家論』に於いて云つた。人間は本來極端に利己的の動物である。人間は其自然の状態に於いては、只自己の幸福と保存とのみを目的として生活してゐる。故にアリストテレスが、人は本來政治的の動物であると云つたのは虚僞である。人は其本來に於いて、全く私慾の固りである。人類の自然に於いては、只『一切に對する一切の戰爭』あるのみと。

然るに此状態は、決して各自の生存に有利でない。此状態は元來自己保存の慾望から生じたものであるが、此状態を維持する限り、人は却つて其生存の放棄を餘儀なくされるのである。そこで人類は互に契約して、各自その自然權を放棄し、國家を造り、最高權力を設けて、其下に隷屬するやうになつた。其權力は團體の場合もあれば、又一個人の場合もある。前者は民主國となり、後者は專制國となる。ホツブスは此專制國を理想とした。

2 愛と平和のルソウ

ルソウの社會説は、其後一世紀を經て公にされた。彼は其説の根本に於いて、ホツブスの思想を踏襲した。即ち何づれも契約説であつた。只だ違ふ所は、ホツブスが自然を排斥して契約を是認せるに反し、ルソウは契約後の壓制制度を破壞して、契約當初の自然状態を回復しようと努めた點にある。

ルソウの説によれば、人は自然の状態に於いては、只だ自由と平和と幸福とである。然るに人類が或點まで發達すると、人類は個々の力を以てしては到底其自然の状態を維持することが出來なくなる。處が人間個々の力の發達には一定の限度があるので、人間は何うしても其自然状態を維持する必要上、個々の力を總合して外部の障碍に當らなければならぬ。そこで人は契約して社會を結び、社會の力に依つて其自然の状態を維持しようと努める。

其社會は勿論自然の儘でなくてはならぬ。即ち自然の状態に於ける自由、平等、幸福を、其儘に承繼したものでなくてはならぬ。各人は其自然の状態に於いて有する權利の全部を、社會に讓渡せねばならぬ。然しそれは實は各人が何人にも自己の權利を讓渡せぬのと同じ事である。各人は其權利の全部を他に提供することに依つて、他より提供された權利の全部を自分のものとすることができる。故に契約社會の性質は全く平等のものでなければならぬ。

然るに後世、貴族とか僧侶とか云ふものが出て來て、此平等の權を私し、只だ無慈悲と壓制とを以て下に臨んだ。かくて平等は去り、自由は消えて、社會は只だ悲慘と痛苦との巷と化した。故に人類は先づ之等の權力者を顛覆して、契約當初の自然状態に歸り、其精神に基いて、眞個純粹の民主的社會を建設せねばならぬ。自然に歸れ!自然は調和である。平和である。

之が即ちルソウの目に映じた世界であつて、此ルソウの思想は實際、近頃まで世界の人心を支配してゐた。

3 ダアヰンの自然淘汰説

然るに其後十九世紀に入りて、此ルソウの思想に取つて代るべき新らしい思想が現はれた。即ちダアヰンやワレースなどの打建てた進化論がそれである。別てもダアヰンは久しい年月、山河を跋渉し、研究室に跼蹐して生物界を研究した結果、此世界の生物は總て進化してゐること、及び其進化の原因が生物が互に自己の生存を續けようとする鬪爭であることを發見した。

彼の説に依れば、生物は決して一定不變の鑄型の中で作り上げられるものでない。隨つて個々の生物は、其個體の特殊な點を備へて生れるものである。此特徴の著しいものが即ち變種であつて、變種の特徴が更らに遺傳に依つて益々際立つて來れば、終には一の、全く新らしい種族を生ずることゝなる。然らば斯樣な個體の特徴が、遺傳に依り積み重さなつて、最初の毫厘の差異が、終に千里の差となつて來るのは、抑も何故であるか。それは生存の競爭に最も便利な特徴を具へた個體が生き長らへて子孫を遺し、其子孫の中でも、此特徴を最も澤山に承け繼いだものが、生存して子孫を遺すからである。即ち生存競爭に依つて其特徴が子孫に傳へられるからである。

生存競爭は人間以外の生物ばかりでなく、又人間界をも同樣に支配する。又、自然界の生存競爭は單に個體と個體との競爭ばかりでなく、又團體と團體との間の競爭をも含むものである。既に團體間の競爭を認むる以上、個體間の血腥き鬪爭と竝んで、又團體を組織する個體の間に、相互扶助が行はれ、犠牲、獻身、調和、團欒の美しき道徳が行はれることを許さねばならぬ。

現にダアヰンは其著『種の起原』に次ぐ名著『人類の由來』の中で、如何に多くの動物仲間に於いて、食物に對する爭奪が跡を絶ち其れに代つて協同が行はれてゐるか、其結果如何に智力と道徳との發達を來たし、そして又それが軈て種屬生存の第一條件となつてゐるかを、明瞭に指摘してゐる。

かくて、ホツブスやルソウの提唱した自然對社會の二元觀は、全く其根柢を奪はれると同時に自然界の眞相はホツブスの主張するが如き凄慘なる修羅の巷でなく、又ルソウの目に映じた如き愛と平等の樂園でもなく、實は其雙方の兼合だと云ふことになつた。

4 ホツブスに逆戻りしたハツクスレイ

只、惜しい哉、ダーヰンの蒐めた事實は、多くは此狹い意味の生存競爭、唯だ生活のための個々の鬪爭と云ふ一面を説明する材料であつた爲め、肝腎な他の一面は全く其蔭に隱れて仕舞ふ有樣となつた。殊にダーヰンから、其議論を承繼いだ後世の學者、わけてもハツクスレーなどになると、此勢は益々甚だしくなつて、動物界は全く血に渇いたものゝ寄合つた修羅場である。一人々々の爲に、絶えず殘忍な鬪爭をするのが生物界の動かすべからざる原則である。そして人間も亦此原則に從つて、他人を亡ぼさなければ、他人の爲に自ら亡ぼされる。

かくてハツクスレーの目に映つた人生は、眞劍勝負の見世物と一般で、只だ最も強い、敏捷な、狡猾な者が生きのびて又次の勝負をする。人生は長い間の戰爭であつて、只だ其折々の家族内の關係を除くの外、ホツブスの云つたやうな、總べての人を敵とする一人々々の戰爭が、人間社會の状態であると云ふのが、即ちハツクスレーの考である。そして此考がルソウの思想に代つて、實際世界の人心を支配するやうになつた。

5 自然界の教訓

然しながら我々が、之等の大學者の書物を閉ぢて、只の一度でも深森を逍遙して、動物社會を觀察するならば、我々は動物世界に何れほど社會生活が重要な動きをして居るかを考へずには居られなくなる。自然は唯だ和諧と平和であるとは考へられぬやうに、自然は又唯だ修羅の巷であるとも想へなくなる。そこでルソウの誤謬は其思想の中から、實際動物界に行はれてゐる牙と爪との爭ひを取除けて仕舞つた所にある。ハツクスレーの誤謬は、丁度その反對の所にある。ハツ〔ク〕スレーの悲觀、ルソウの樂觀は共に楯の半面である。

かやうに我々が狹苦しい試驗室や博物室を棄てゝ、晝尚靜けき森の中や、一畔千里の平原や、山嶽草澤の間に動物の生活を研究したならば、成るほど動物の世界には一種屬と他種屬との間、わけても異つた階級に屬してゐる動物の間には、絶えず戰爭もあれば、隨つて種屬の滅亡も行はれてゐる。然しながら之と同時に一種類の動物の間、少なくとも一社會を組織してゐる動物の間には相互の扶助が行はれてゐる。そこで相互の鬪爭が自然の法則なら、社會性も亦同じく自然の法則でなければならぬ。そして此二つの法則の何づれに從つたものが、ヨリ多く生存競爭上の適者であるかと云へば、云ふまでもなく相互扶助の習慣の養はれてゐるものである。相互扶助を實行してゐる動物は何と云つても、他の動物よりは生存の當てが多い。そして又其智力に於いても、身體の組織に於いても必らず一段の進歩發展を遂げてゐる。

6 ゲーテの詩想からクラポトキンの科學へ

此思想は大詩人ゲーテの心の奧にも、微妙な音樂のやうに微かに響いてゐた。今から九十餘年の昔であつた。或日のこと、門弟エツケルマンが不思議な出來事を知らせて來た。一日エツケルマンの飼つてゐた二羽のミソサゞイが籠から逃げ出した。すると其翌日、駒鳥の母親が、自分の小供等と共に、昨日のミソサゞイの孤兒を翼の下に抱いてゐるのを發見した。

ゲーテは之を聞いて手を拍つて叫んだ。『之なる哉、之なる哉、若し斯樣な事實が自然界を通じて一般の法則となつて居ることさへ分れば、今まで解くことの出來なかつた宇宙の多くの謎は釋然として解ける』と。そして熱心に之が研究をエツケルマンに促した。斯くの如くゲーテの心に映じた世界は、生物の相互扶助と云ふ鎖の一環の見失はれてゐるうちは、到底解することの出來ぬものであつた。生物の相互扶助と云ふ合鍵なしに、此宇宙は永劫にひらくことの出來ぬ祕密の藏であつた。

然しながら詩人の解かうとした宇宙の謎も、科學者の開かうとする自然の祕密も、實は同じ世界の謎と祕密である。此合鍵なくて詩人に開けぬ祕密の藏は、科學者にも之れなくして開き得る道理はない。そこで先づゲーテが冥想の裡で得た思想と同じ思想を動物界の研究から得て來た科學者は、有名なる露國の社會改革家ピーター・クラポトキンであつた。彼は親しく露國の森林や、北亞細亞の大平原を跋渉して動物世界を觀察し、蟻や蜂の社會生活、鳶や鷹やペリカンの共同生活、さては栗鼠、モツモツト、野犬、鼠、兎、馬、猿等有らゆる動物の實生活に就いて、相互扶助の如何に明瞭に行はれてゐるかを發見した。

彼は言つた。『動物は有らゆる手段を盡して競爭を避けてゐる。そして之に成功したものが生存の適者である。勝利の冠は彼等の頭にある。動物世界の實際を觀察すれば、最も能く競爭を避けて、相互扶助の組織を支へて行くために、最も能く自己を適應せしめた種屬が榮えてゐる』と。

クラポトキンは決して個體間の競爭が無いとは云はぬ。けれども實際生存競爭上の適者となるものは、お互同志不斷の戰爭をする動物でなくて、互に相頼り相扶けて自己の團體を鞏固にする動物だと説くのである。さればクラポトキンの相互扶助は惡用せられたるダーヰン説の修正であつて、決してダアヰンの主張したダアヰン説の根柢を破壞するものではない。

只、クラポトキンの説は、之を人間社會に應用した場合、社會成立の根本義を説明することは出來るが、何故一社會が他の社會に推移するか、其過程の原理を説明することは出來ぬ。

7 マルクスの物質的史觀

此問題に對して、最も明快の暗示を與へたものは、獨逸の社會主義學者カルル・マルクスである。彼は其年齡より云へば、ダアヰン同期の人で、クラポトキンには兄分の位置であるが、論理的には寧ろクラポトキン説の後繼者補充者と見る事が出來る。

然らば彼の社會哲學は如何なるものか。彼は一八五九年ダアヰンの『種の起原』の出た其同じ年に、『經濟學批評』なる一書を著し、其序文に於いて、始めて簡明に自己の歴史觀の筋書を語つた。曰く

『人間が社會的に衣食住を生産するには、知らず識らずの間、必然的に或種の關係を作る。其關係は即ち其社會に於ける物質的生産力の發達程度に相應する生産關係である。此生産關係の總和が社會の經濟的構造、即ち眞實の基礎を爲すもので、此基礎の上に法律的及び政治的の上建築が組立てられ、又之に相應して或種の社會的自覺が生ずる事になる。つまり衣食住を産出する方法が、社會上、政治上及び知識上の一般生活を決定する事になる。人の自覺によつて其生活法が定まるのでは無く、其反對に、人の社會的生活法に依つて其自覺が定まるのである。』

『然るに社會の生産力は其發達の或時期に於いて、古き生産法と矛盾する事となる。之を法律的に云へば、從來の財産關係と矛盾する事となる。即ち生産力が發達して新形式を取る事となれば、古き財産關係が生産上の障礙物となる。此に於いて社會革新の時代が始まる。社會の經濟的基礎が變化すれば、上建築も亦早晩革新を免れぬ。』

マルクスの此説は、通常『物質的史觀』として知られてゐる。社會の物質的基礎が其一切の生活方法を決定すると云ふのである。尤もマルクスの云ふ物質的基礎なるものは、專ら經濟的要件に限られてゐるので、物質的史觀と云ふよりは、寧ろ『經濟的史觀』と呼ぶが至當だと説く學者もある。然しながら社會の有らゆる物質的要件のうちで、眞に變化發達の可能を有するものは、獨り經濟的要件のみである。經濟的要件以外の物質的要件、例へば人種とか地理とか云ふものは、社會に一定の特徴を附與するが、決して社會進化の原因にはならぬ。なぜならば、之等の原因は殆ど其れ自體では進化しないからである。此意味に於いて、マルクスの歴史觀は矢張り『物質的史觀』と呼ぶが至當である。

8 デ・フリーの生物突變説

然しダアヰン説の否定若しくば修正は、外にも尚いろいろな方面から提唱された。例へば和蘭のデ・フリーと云ふ植物學者は、ダアヰンの生物漸變説に對して、突變説を主張してゐる。

元來ダアヰンに依れば、生存競爭自然淘汰が生物種屬を生ぜしむる過程は非常に緩慢なもので、目に見えぬやうな微細な變化が、長い年月の間、一段々々と積り積つて遂に一の新種を發生せしむるに至るのである。

然るにデ・フリーは三十年間自分の庭で月見草の研究を積んだ結果、其栽培せる五萬本の月見草の中、八百本即ち一分五厘まで其親木と全く性質形状を異にせる新種となつたことを發見した。そして此新種から生じた子孫は、其種の特徴を承繼してゐることを認めた。彼は此實驗に依り『生物の新種は決して目に見えぬやうな緩慢な變化に依つて生ずるものでなく、寧ろ突然の激變に依つて生ずるものである。そして其突變に依つて生じた新種は、其次の突變が始まるまで、少しも其性質を變へずにゐる』と云ふ結論に到達した。

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