第十講 單税論の正體 ―資本主義の辯護人ヘンリー・ヂヨーヂ―

高畠素之

一、土地と資本の爭ひ

時代が人物を造る如く、人物が時代を造ることを以つて不動の眞理としても時代を造る人物がまた時代の産兒であることを拒むことは出來ない。

ヘンリー・ヂヨーヂの偉才は、慥かに一つの時代を生んだ。然しながらその背後に横はる時代の要求は、更らに直接の刺戟力を以つて彼れの偉才を操つたのである。

ヘンリー・ヂヨーヂの名は單税説に結ばれてゐる。然らば單税説とは如何なるもので、如何にして生ずるに至つたか――我々はその如何なるものかを檢討するに先き立つて、先づその如何にして生じたかを調べなければならぬ。而してこれを研究するの順序として、我々は遠く封建制度に遡る必要を認めるのである。

封建制度はこれを經濟的に言へば『土地社會』である。その主なる勞働者は農奴であり、彼等は土地に縛られてゐた。而して彼等の權力階級は領主であり大地主であつた。當時法律の大部分は、總て土地に關聯してゐた。所領の大小は權力の大小を決定したのである。

封建制度は明かに社會制度の一つである。總ての社會制度は變化する。封建制度も亦變化した。その滅落の徴は既に十八世期の初期に萌し初め、十八世期末葉には全く覆滅し終つた。

けれども、土地は尚重要なる物質的及び社會的要素であつた。斯くて土地諸侯の社會的權力が資本諸侯の手に移つた後も、彼等は尚有力なる敵手として資本諸侯に對抗すべき實力を保持してゐた。封建制度が倒壞して、近世資本主義社會が成立した後數十年間の階級鬪爭は、矢張り從來の如く資本家對地主の繋爭であつた。たゞ、從來は土地が優勢で資本が劣勢であつたが、今や反對に、立場を替へて資本が優勢となり土地が劣勢となるに至つた。

二、勞働階級が漁夫の利

この土地對資本の鬪爭に於ける最も標本的なる發現は、英國に見ることが出來る。當時勞働階級は尚いまだ獨立の主義主張を形成するに至らず、團體としての勢力も至極微弱であつたが、それでも既にかなりの重要な役目を演じてゐたのである。

地主階級は獨立の政黨を組織してゐた。保守黨がそれである。資本家はこれに對抗すべく自由黨に根據を置いた。かくて保守黨は主として其投票を都市に於ける資本家階級の犠牲者から集めたもので、工場法の通過を迫つたのも彼等保守黨であつた。即ち彼等はこれに依つて、工場主の利潤を削減しようと計つたのである。然るに自由黨は又地方の借地農及びその農業勞働者の間を遊説して、常にこれ等農民階級の爲に、地主の不利益となる如き法案の通過を計つたのである。かくて資本家對地主は、互ひに齒をむき爪を鋭らして利益の爭奪を事としてゐる間に、全國の勞働階級は坐ながらにして漁夫の利を占め得た。一の勞働組合なく勞働黨なき勞働階級が斯くの如き有利の地位を占め得た事は近世史上稀に見るところの奇現象である。

斯かる間に資本家は益々富み成長した。彼等は窮餘の地主から土地を買つた。同時に地主は其貨幣を以つて株券を購ひ社債に應募して次第に都市の商工界に侵入して來た。茲に於いて、資本對土地の、階級的差異は次第に抹殺され隨つてその鬪爭もいつの間にか鎭靜に歸したのである。勿論、自由黨と保守黨とは今尚ほ依然として對立はしてゐる。けれども其對立は、表面のみの對立であつて、事實は既に一體である。

勞働階級は最早や從來の如く、不即不離の地位を守る事が不可能となつた。何故ならば彼等の乘ずべき漁夫の鬪爭が絶たれたからである。斯くて勞働階級は勢ひ獨立の政黨を建設せねばならぬ羽目に立つた。

三、地主に對する義人の叫び

我々は茲で、これ以上政黨變遷の跡を探る必要はない。我々の問題とするところは、この滅亡に近づいた地主階級と、發育盛りの資本家階級との間に於ける社會的利害の衝突である。謂ふ所の階級鬪爭である。

この鬪爭は十九世紀全體に亘り、殊にその初期に於いて最も激烈を極めた。地主階級は有名なる穀物條例を制定して、小麥の關税を引上げた。これがためパンの價格は二倍以上の暴騰を來した。かくて一般人民殊に勞働者の生活費は著しく昂騰したのである。茲に於いて、資本家は勢ひ彼等にとつて堪え難き負擔であるところの賃銀値上げを實行しなければならなくなつた。

斯くして遂に『義人』の聲が揚げられた。コブテンは起ち、ジヨン・ブライトは叫んだ。穀物條例撤廢の運動は到る所に起つた。これを以て彼等は首尾よく小麥税を撤回することが出來たが、同時に米國の小麥は續々英國に侵入して來た。英國の小麥は到底よくそれと拮抗をなし得なかつた。その結果、小麥耕作地は殆ど全く栽培中止の状態に陷つた。この鬪爭の間、資本家と地主とは、社會のあらゆる悲慘貧困を互ひに相手の責任に轉嫁し合つたのである。

四、スペンサーとヘンリー・ヂヨーヂ

資本家階級の富力が増大するに從つて、その知識的代辯者の數も亦ますます増加した。地主階級に對する資本家の不滿は、主として次の二點に集中した。第一に、地主階級が工場法案の通過を計り、兒童の勞働を制限することに依つて、資本家の利益を削減したこと、第二に、資本が工場で得る利益の一部が、地代となつて地主の懷ろに流込むこと。茲に於いて資本家の第一の不滿を是認し、これに學問の衣裳を纏はしめた數多の學者があらはれた。その最も偉大なる一人はスペンサーである。スペンサーは、極力工場法の實施に反對した。兒童勞働の制限は、奴隷制度の復活であるとまで極言した。

スペンサーと竝んで、右の不滿を辯護した學者も亦多くあらはれた。而してヘンリー・ヂヨーヂはその最も優れたる一人であつた。彼れの單税説は畢竟するところ地代の官沒に過ぎない。そしてこの官沒に依つて利するものは、大多數庶民ではなく、主として資本家階級のみである。即ち彼れは、國家に對する國民の負擔を悉く地主の肩に轉嫁せしめようと努めたのである。彼れにとつて資本家は掠奪階級にあらずして、被掠奪階級であつた。彼れの目には、資本家の受くる利潤は不當にあらず、全く神と自然の掟に從ふものであつた。資本と勞働は不離一體である。その利害は全く一致する。高率の利子は賃銀の高きことを意味し、低廉の賃銀は低廉の利潤を意味する。社會に二つの掠奪者なし、たゞ一つの掠奪者が存するのみ。それは、即ち地主である。故に資本家と勞働者とは、互ひに協力して共同の敵たる掠奪者に向はなければならぬ、と説き、而して彼れは地主から土地を沒収することを主張せずに、單にその地代を租税として沒収すれば足ると説いたのである。國家は此租税だけで國費を充分に支辨するに足る収入を得るから、他の一切の租税は不要に歸する。かくして現社會を呪ふ悲慘貧困は、悉く跡を斷つに至る。これが彼れヘンリー・ヂヨーヂの單税論の要領である。

五、マルクスの炯眼

これは、彼れの門下の主張するところに依れば、全く彼れ獨特の創意に成つたものである。然るに彼れがこの説を始めて好評した既に二十餘年以前、獨逸の經濟學者カール・マルクスは明かに此の説の眞相を指摘した。マルクスは一八四七年、佛蘭西の無政府主義者プルドーンを論駁した文章の中で次の如く論じてゐる。『老ミル、ヒルヂツト等の學者は、何づれも租税撤廢の目的を以つて地代を國有たらしむべしと論じた。我々はその動機を充分理解することが出來る。この要求は土地所有權者に對する商工資本家の敵意の發現である。蓋し資本的生産方法の領域に於いて、地主は商工資本にとつて全く無用の長物であるから。』

其後マルクスは紐育在住の友人からヘンリー・ヂヨーヂの名著『進歩と貧困』を受け取つた。當時彼れは此書に就いて言つた。『要するに此書の全目的は資本主義の支配權を救濟することである。資本主義の支配權を、今よりも一層鞏固なる基礎に打ち建てんとする計劃に外ならぬ』と。ヘンリー・ヂヨーヂは地主を攻撃し、資本家を辯護する際、勢ひ資本所得の源泉を説明しなければならなくなつた。彼れはこの問題を『進歩と貧困』第三篇第三章の中で取扱つてゐる。

彼れはこの章に於いて、バツクル、アダム・スミス、スチユアート・ミル等を極力攻撃してゐる。ヘンリー・ヂヨーヂは『資本の利潤』なる言葉は失當であると言ふ。彼れに依れば、資本家の所得は必ずしも不勞所得のみではない。所謂利潤と稱するものゝ多くは、これを『賃銀』と稱すべきで、例へば管理の賃銀、企業の賃銀の如きがそれであると。

尤も彼れは一面に於いて、資本家の所得の中に不勞の部分ある事を認めてゐる。この不勞所得を、彼れは『利子』なる一語に包括してゐる。茲に於いて當面の問題は、この利子が何處から生ずるかといふことに局限される。

六、利子の悲哀

彼れは先づバスチアーの所説を檢討した。バスチアーは大工の例を擧げて甲の大工が乙の大工に鉋を貸した、乙は其鉋の生産力に依つて、鉋を有せぬ他の大工よりも一層多くを生産することが出來た。かくして乙は此増加生産の一部を『利子』として甲に支拂ふ。これが即ち總ての利子の生ずる所以であると。

然るにヘンリー・ヂヨーヂは此説を排斥した。乙は甲から鉋を借りる事をせずに恐らくは自らそれを造るであらう。若し富を増加する要具が、總て鉋の如く死物であるとすれば、利子の生ずる可能がない。『ところが富は必らずしも鉋や板や貨幣の如きものではない。これ等のものには生産力がなく、又生産は單にこれ等死物の形態を變ずることのみではない。放置された錢は一厘も殖えることはないのである。然るに錢の代りに葡萄酒を放置したとしたら何うか。一年後には慥かにその價値が増すであらう。これ葡萄酒の性質が向上するからである。養蜂に適した土地へ蜜蜂を送り、適當の牧場に羊や豚や牛馬を放つ。かくすることに依つて一年後にはそれが非常に増殖する。』

『茲に於いてこれ等増殖の原因は何であるかといふ疑問が起る。言ふ如く、それには一般の勞働が必要である。然しながら實際は、勞働とは全く性質を異にした原因があるのである。それは自然の能動力であり、如何なる處に於いても我々が生命と稱する神祕力を特徴づけるところの、發達と増殖との原理である。私の觀るところに依れば、この原理、この能動力こそ利子の原因となるものである。勞働に依る資本の増大以上に増大せる資本部分の源泉となるものである。』

されば資本は勞働を掠奪せず、資本家はその所得の一部分を自己の勞働に依つて取得し他の一部分を自然の能動力に依つて取得する。共に正當の所得であると彼れは言ふのである。

然るにヘンリー・ヂヨーヂは茲に資本家を辯護したと同じ論據を以つて、一方に地主を攻撃してゐる。

彼れは地主を指して、盗賊であると言つた。

彼等地主は人間勞働の生産に依らざる、純粹の『自然の惠與』から地代を搾取してゐる。然るに『自然の惠與』から地代を搾取する地主は、盗賊であるに拘はらず、『自然の能動力』から利子を獲得する資本家は、何故盗賊にあらずして善人であるか? 自然の能動力は自然の惠與でないと言ひ得るか?

この質疑に對してヘンリー・ヂヨーヂは言ふ。人間勞働に依らぬといふ事が『自然の惠與』の根本意義である。自然の能動力も亦人間勞働と全く沒交渉のものである。この能動力は土地そのものである。何故ならば、法律家は家屋及びその場所を一括して不動産と呼んでゐる。けれどもこれらの兩者は性質上全く異なるもので家屋は人間勞働から生じたものであり、經濟學上富の部類に屬するものである。更らに場所は、自然の一部であり、即ち經濟學上土地の部類に屬するものであると。

隨つて、彼れの主張を推究して言へば、人間勞働の生産に依らざる自然の能動力も亦土地の部類に屬するものでなくてはならぬこととなる。かくて地主と資本家の相異は、その間たゞ一髪の差に過ぎないのである。地主は自然の惠與から地代を得、資本家は自然の能動力から利子を得る。而して惠與も能動力も共に土地であるとすれば、異なるところは僅かに地代と利子との名目のみである。

七、炯眼なる隼、盲目なる蝙蝠

かくして土地批評に於いて炯眼なる隼であつたヘンリー・ヂヨーヂは、資本辯護に於いて盲目なる蝙蝠と一變した。彼れは地主を攻撃する點に於いて頗る急進的の社會批評家であつた。資本家の辯護に於いては、彼れは驚くべき反動論者と一轉したのである。人民の名によつて官僚に戰を挑む勇敢なる在野政黨が人民の要求に當面して、官僚以上の反動主義者と逆轉する階級心理は、茲にその最も典型的な發現を見ることが出來る。同時に又、所謂田園主義、勞働主義〔、〕トルストイ主義(トルストイはヘンリー・ヂヨーヂを讚歎した!)など稱するエセ改革思想も亦、茲にその反動的本性を寫象する。

ヘンリー・ヂヨーヂは始め久しく勞働黨を魅惑してゐた。勞働黨は庶民主義である。其鋭鋒は土地のみでなく資本にも向ふ。否、勞働黨の立場から言へば現社會に於いては土地も亦資本である。隨つて勞働黨にとつて、地代の國有は同時に又利潤の國有でなければならぬ。

勞働黨は始めヘンリー・ヂヨーヂの地代攻撃論に共鳴した。一八八三年英國勞働者の一團體たる『土地改良同盟』は、ヘンリー・ヂヨーヂを招待して一場の講演を需めた。其の際、彼れと此同盟の會計係りなるチヤムピヨン及び書記不レストとの間に偶々國有問題の議論が持ちあがつた。兩人は彼れに對し『若し貴下が土地國有と同時に資本國有をも主張せらるるならば我等勞働者は全黨を擧げて貴下の運動を後援するであらう』と言つた。彼れはこれに對して『諸君が若し豫め予の著書を一讀せられたならば、此問題に對する予の立場を明かにすることが出來た筈である』と答へた。爾來英國勞働黨と彼れとの關係は永遠に斷絶した。

一八八六年、彼れは紐育市長の立候補をした。米國勞働黨の首領ダニヱルデレオンは、彼のために大々的推薦演説を試みた。勞働黨は全力を擧げて彼れを應援したのである。然るに其翌年彼れは又、紐育を代表して國務卿の椅子を爭つた。その時勞働黨は、彼れの態度の曖昧に氣づき、應援の交換條件として彼れの綱領中に『現社會問題の中樞は、地租の實施にあらず、一切の生産機關の私有權撤廢にあり』との一句を挿入すべきことを申込んだ。ヘンリー・ヂヨーヂは斷然これを受けつけなかつた。かくして兩者は永遠に關係を斷つた。

庶民のために地主の横暴を抑制すべき筈のヘンリー・ヂヨーヂは、地主の勢力が衰へるに從つて、次第に資本のために、庶民を壓迫すべき反動の使徒と變じて行つたのである。

八、ヘンリー・ヂヨーヂから社會主義へ

彼れの死後(一八九七年)單税運動は全く勢を失墜し、その陣容は次第に左右兩派に分裂した。その右せるものは無政府主義者となり、その左せるものは社會主義者となるの外はない。單税論の急進的方面を徹底すれば、終に社會主義に到達する。無政府主義は反動思想の極點である。ヘンリー・ヂヨーヂは敵を過去に求めた。彼れは過去に對しては頗る急進的であつた。それだけ、將來に向つては退嬰的であつた。ヘンリー・ヂヨーヂが現在に立脚して過去の敵に急進的であつた如く、將來に立脚して過去及現在の敵に急進的ならんとするものは即ち社會主義である。この意味に於いて、社會主義は急進的ヘンリー・ヂヨーヂの徹底ともいひ得るのである。

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