第七講 哲學の科學化 ―コントとヘツケル―

高畠素之

一、哲學と科學の鬪爭

オーギユスト・コントの出現は世界の思想史上に一新時代を劃した。コントの功績を一言にして盡せば、哲學の敗北、科學の勝利と云ふことである。

過去二千五百年の世界歴史は、これを思想的に觀れば、哲學對科學の鬪爭史であつた。哲學は其の得意の王冠を雲間に聳かして、科學の慘めな存在に冷笑の眼を向けた。科學は如何うにかして此尊大なる哲學の玉座を奪ひ、その得意の鼻柱を挫かんことに千辛萬苦したのである。然しながら科學の力は及ばなかつた。その不撓の努力も多くは實らずに散る花の哀れを止むるにすぎぬかの觀があつた。哲學は愈々得意の胸を張り出して、時に、科學の餘りに腑甲斐なき運命に憐愍の一瞥を投げることもあつた。

けれども、その得意は軈て來たる失意の前徴である。低きものは遂に高められる。世人は次第に哲學の使命に對して疑惑を抱きはじめた。哲學とは、あてもなく太洋の眞中を漂ふ舵を失つた船ではないかと考へられて來た。それは何處より來り何處に去ると云ふ確たる目標がないのである。これに反して、科學は卑められながらも、常に一歩一歩前進した。さゝやかながらも絶えず宇宙の謎を一つ一つ解き來つた樣に見えれる[ママ]。その進行は遲い。けれどもその歩みは確實である。幾千萬里の天涯の彼方には、永へに動かざる導きの星がある。科學は絶えず此の星を望んで、牛の歩みの撓まぬ努力を續けて來たのである。

斯くして近世に入るとともに、科學は次第に哲學の領域を冒して、遂に到頭哲學をその玉座から大地へ突き落とした。然しながら科學は寛大である。その胸は迷信以外の何物をも抱擁するのである。科學は破れたる哲學に對して、その一切の舊怨を捨てた。古き哲學は、新たなる科學の下に新らしき職分を與へられた。

哲學は斯くて、光輝ある新生涯に入り得たのである。彼れは最早、從來の如き尊大なる僭王ではなく、思辯の夢より醒め科學の親密なる兄弟とされなければならぬ。科學は刈る、而して哲學は集めるのである。新たなる哲學の任務は、實に此の科學の所勞の綜合といふことでなければならぬ。

二、コントの功績

哲學をして此の新使命に導いた最も光彩ある一人は、實にオーギユスト・コント其の人である。コントに依つて、哲學は諸科學の科學となり得た。諸科學を一つの組織にすべ括る綜合科學となつたのである。諸科學が宇宙の森羅萬象に對して、その夫々の領域内に於いてする諸現象の分類配列、その同じ分類配列を、哲學は一切の諸科學に對してなさなければならぬ。

この、諸科學の科學としての哲學の建設は、實に人類思想上一大轉期を意味するものである。その結果は、思想界の一大革命となつて現はれた。

コントが斯くして世界の思想史に寄與した功績は、これを二方面に大別することが出來る。一は人類知識の分析、他は科學の分類である。

人類の知識的發達に對するコントの卓見は、後年現はれたヘツケルの生物發生論に對する前觸れの如き地位を占めてゐる。此等兩者の思想は、互ひに密接不離の關係を有するもので、夫々一を以つて他を補ふことが出來る。ヘツケルの發生論は、主として身體に關するものであつた。コントは專ら人間心理の發生過程を取扱つてゐる。これを論理的に看れば、ヘツケル出でゝ然る後コントの出づべき順序を逆にして後のコントが前に出たと云ふところに彼れの創意がある。少なくとも彼れが、ヘツケル説を應用したものでないことは疑を容れぬ。

然しながら、コント説を充分に理解するには、先づヘツケル説を咀嚼玩味して置くことが便利である。この意味に於いて私は、歴史の順序を逆行して、ヘツケル説の詮議から始めようとおもふ。

三、個體は種屬を繰返す

ヘツケルは、その發見にかゝる新説を、『生物發生の原理』と呼んだ。それは個體發生學及び種屬發生學なる二科の成果から推論したものである。種屬發生學とは、生物種屬の系統を調べる學問で、生物界に人間や、松茸や、ウリや、山猫やその他色々の種屬があることは、一體如何にして何處から生じたものであるかを調べるのが種屬發生學の任務である。

然るにこの系統調査の手掛りとなるものは至極空漠たるものであつて、これと云ふ確たる證據が無い。全く個々に引離しては如何とも手の施しやうがないのである。この系統調査の手掛りの中、比較的最も重要なものは化石である。

そこで種屬發生學は、或意味に於いて化石學即ち古生物學の一部といつた形を呈することになる。

これに反して、個體發生學の方は種屬の系統に頓着なく、各種屬中の夫々の個體の一代記に過ぎない。一の人間がその母親の子宮に宿つてから呱々の聲を揚げ苦樂何年、而して墓場の土と化するまで、その間の發達過程を調べるのが即ち個體發生學の職分である。

然るに茲に一つ不可思議な事は、種屬の發生と個體の發生とは、共にその經路を同じくして進んでゐる事である。一種屬が何千年何萬年を經過して辿り來つた其同じ過程を、一個體は僅かに數年又は數十年の生涯に於いて繰り返す。これがヘツケルの所謂『生物發生の原理』の骨子であり、ヘツケルはこれを單に『個體發生の歴史は、種屬發生の徐々たる歴史を一氣に縮寫したものである』と云つた。試みに我々がトカゲや、蛇、海龜、駝鳥、馬、鯨、猿、猩々、人間、其他種々なる脊椎動物の胎兒を調べて見ると、その或る時期には必らず魚族時代の痕跡を示してゐるのを見る。即ちその頸の周圍には鰓の跡があり、その兩脇には鰭の跡がある。これは要するに、以上の諸生物が嘗て祖先の時代に、魚族であつたことを證據だてるものである。

ヘツケルはこの發生原理を以つて、人間が他生物から進化し來つたことの確かな證據となし、『進化説の如何なる反對論者と雖も、この不可思議な事實を説明することは出來ぬ。しかもこれは進化論に從へば遺傳と順應の原理に依つて、完全に説明し得るものである』と言明するに至つた。

四、コントの人知發達論

然しながら此説の精髓は、ヘツケル以前既にコントの思想に現はれてゐる。此説の(少なくともその精髓の)發見の前後を論ずるならば、ヘツケルは如何にしてもコントに一日の長たる名譽を讓らなければならぬ。

コントは人類の知識發達の段階を類別して、神學時代、形而上時代(哲學時代)、實證時代(科學時代)の三つとなした。神學時代とは人類の智的幼少期を意味し、形而上學時代は人類が漸くその粗笨なる迷信の夢から醒めて、哲學が次第に科學の征服に屈せんとするまでの時期を含む。最後に實證時代とは、即ち近世科學の出現以來今日に到る間を占めるものである。

勿論、斯く三分類に區別はしても、何時から何時までが神學時代であり、また形而上學時代であり、實證時代であると、數字に表はして判然と定めてある譯ではない。夫々の時代の接觸線は模糊としてゐて、何づれの時代にも編入し得る過渡期が無限に連續してゐる。然しながら大體の特色から觀て、結局以上の三期に大別するの外ないのである。コントはこれを説明して次の如くいつた。

『神學時代に於いては、何等の實證を許さざる架空な想像が擅に活動する。更らに形而上學時代には、各種の抽象や實在觀念を擬人視することが一般の特徴となる。最後に、實證時代は眞事實の正確なる觀察に立脚する。右の第一期は全く假りの一時的の時代であるが、然し何處に於いても人類は必らず此の時代を出發點とする。又、第三期は以上三時代中、唯一の永續的若しくは標準的の時代である。而して第二期はたゞ變更的若しくは溶解的影響力を有するのみであつて、隨つて第一期から第三期への推移を調節する所の働きをなす。我々は神學的想像から出發して、形而上學的論究を經由し、最後に實證的説明を以つて終る。かくて我々は、此の普遍的法則の助けに依り、人類の過現未に對する包括的概念を得ることが出來る』(コント著『人類的及び社會的發達の學説』)。

五、個人心理と人類心理の類似

以上述べた所では、格別ヘツケル説の先驅らしい趣きが見えない。然しコントは此の人類の知的發達の順序が又、個人の知的發達に再現することを提唱してゐる。即ち彼れは述べて曰く

『個人心理の發達は單に社會心理の發達の説明となるばかりでなく、同時に又その直接の證據となるものである。個人の出發點と人類全體の出發點とは同一であつて、個人心理の經過する各段階は人類心理の各時代に應當するものである。我々は自身の過去を顧みて、その幼少時代には自身が一個の神學者であり、青年時代には形而上學者、長じて成人するに及び自然哲學者(科學者)となつたことを認知する。苟くも時代の思潮に後れない人ならば、何人も此眞理を自身に當嵌めて立證することが出來る』(コント著『人類的及び社會的發達の學説』)

これは前に紹介したヘツケルの『生物發生の原理』と同工異曲のものである。ヘツケルに依れば、嬰兒の身體はこれを大人に比べると三千年以上も我々の祖先の身體に近い。此の身體といふ中には、勿論我々の生理的器官の一なる腦髓も含まれてゐる。要するに小兒の腦髓は大人のそれに比して、遙かに原始的未開人に近く、隨つて原始時代の我々の祖先に共通の神學的迷信は、同時に又、兒童心理の特徴でなければならぬ。斯くの如く考察する時、コント説はヘツケル説を其の儘、心理方面に應用したものと觀ることが出來る。歴史的にはコントの方が一日の長ではあるけれども、論理的には却つてヘツケルがそれでなければならぬ。

六、科學の分類

コントの今一つの功績は科學の分類法である。後年現はれたスペンサーの綜合哲學の骨子は既に十分此の科學分類法の中に孕まれてゐる。米國の社會學者レスター・ウオードは、コント、スペンサーの科學分類法は根本に於いて、全然その揆を一にするものだと説いた。コントの科學分類法はスペンサーのと同じく單純より複雜へ、一般的より特殊的へと進むものである。

コントは此の順序に依つて、一切の科學を分類して次の六種に歸した。即ち(一)天文學(二)物理學(三)化學(四)生物學(五)社會學(六)倫理學。多くの社會學者は、(一)の天文學の上に更らに數學を置く。コントも亦屡々その方法を採用したが、彼れは數學を特殊の一科學と見ずに、寧ろ他の諸化學[ママ]の共通的方法であり根本基礎であると見た。されば特殊科學の順序としては、矢張り天文學を最初に置くを至當と認めた。

以上の六科學中、夫々後のものは必らず其の前のものから生ずるもので、謂はゞ親子の關係を示してゐる。即ち天文學は物理學の親、化學は物理學の子である。化學から生物學が生れ、生物學から社會學が生れる。倫理學は天文學と云ふ祖先から生じた最後の子孫であつて、直接には社會學に對し子の位置を占めてゐる。

以上の中、天文學は天體及びその法則を取扱ふ學問で物理學を包括する。而して化學は又物理學の中に包括される。物理學は質量力を取扱ひ、化學は原子力を取扱ふものである。天體も質量力も原子も、これを自然史上の順序よりいへば、總て生命の發現以前から存在してゐた。生物學は此の新現象たる生命を對象とするものである。勿論、生命といふ語の中には心理も含まれてゐる。さればコントはスペンサーの如く心理學を生物學と對立させずに、寧ろその一分科と觀た。この點も亦ヘツケルに酷似してゐる。

社會現象は、生命現象の中比較的後に現はれた新現象であつて、社會學の對象と成るものである。更らにその社會現象中、道徳的關係は倫理學の主題となる。

七、科學の研究方法

以上の外、いま一つコント自ら獨創を誇る重要な學説がある。彼れは科學の主なる研究方法を部類別けして、觀察、實驗、比較の三つとした。然るに前記の六科學を檢討してみると、第一の天文學から最後の倫理學に到るに從ひ、此等の三方法の應用が進化的に異なつて來る。即ち天文學に於いては、單に觀察のみを應用し得るに止るが、物理學に於いては觀察と實驗の兩方法を併用することが出來る。また化學に於いては、觀察を去り實驗が主なる武器となる。更らに生物學、社會學及び倫理學に於いては、比較がその主なる研究方法と成るのである。

八、科學の發達階梯

コントは右の科學分類法と、前に紹介した知識發達論とを巧みに組み合せて左の如き興味ある結論に到達した。即ち彼れが以上に分類した夫々の科學は、各個人及び人類全體と同じく、神學的、形而上學的、及び實證的三段階を經て進むものである。

例へば右の六科學中、天文學は最も古くまた最も一般的のものであつて、既に神學的、形而上學的兩時期を經過して、純然たる科學的時代に入つた。これに反して、物理學は今尚ほ形而上學的殘滓を全く脱し得ない。更らに生物學になると、神學的形而上學的の痕跡がかなり多量に殘されてゐるが、これも日を逐ふて科學的要素に蠶蝕されて行きつゝある。

然らば社會學に於いては如何にといへば、これは最近に生れた新科學であつて、コントに依れば尚ほ著しく神學的及び形而上學的傳統に囚はれてゐる。寧ろ全然神學的状態に在ると云ふも過言でない。これ此科學が尚ほ幼少期に止まる所以であつて、かゝる傾向は倫理學に及んで更らに一層甚だしい。

世人は今日でも、社會の發達は科學の法則を超絶したものと考へてゐる。神意若しくは超自然力の支配に屬するものと考へてゐる。これは實に科學にとつて恐るべき打撃である。科學の進化とは畢竟、斯かる神學的障害を驅逐し一掃することでなければならぬ。

ニユートン、カント、ラプラース等は、夫々重力説や星雲説の發見に依つて天文學を神學の手から救ひ出した。マイヤー、ヘルムホルツ、ラヴオアジエーの三大學者は、精力保存及び物質不滅の法則を以つて化學を迷信の外に摘み出した。またラマルク、ダーヰン、ヘツケル其他の進化學者は、進化説及び自然淘汰説の武器に依つて、生物學の神學的要素を撲滅した。最後にコントは社會學に對して、これ等諸學者の功績に倣はうとしたが、その努力は不幸にして失敗に歸した。彼れの功績は社會學の完成でなくて、社會學の必要を認識し、社會學の任務の性質を豫測したことにある。

九、コントの空想

以上説く所に依つて、コント説の概要は分明になつた事と信ずる。彼れの提唱した知識發達論は、今日でも十分にその學理的價値を認められてゐる。その科學分類法も亦、決して無價値なるものではない。たゞ、彼れはこの論理上の分類を以つて、直ちに科學發達の歴史的順序と同一視した。この點は確かにコントの弱點であり、スペンサー一派に攻撃される所以である。然しながらこれは全般を搖がす問題ではない。

次にコントのいま一つの弱點は、形而上的の思辯を嫌惡するあまり、現在解決の出來ぬ問題を直ちに不可解として排斥し去つたことである。例へば彼れは天體の化學的成分を確むることなどは、絶對的に不可能であると言明した。而も事實に於いて、フラウヱンホーフアー及びウオールストンの兩學者は後年この問題の解決に着手して、美事其の成功の端緒を開いた。

然しこれ等の弱點は何づれも些々たる問題であつて、元より彼の根本價値を毀けるには足りない。たゞ、茲に見逃しならぬ缺點は、彼れの社會思想に含まれる空想的分子である。

彼れの所謂實證社會なるものには、四つの階級がある。第一は資本家であつて、これは産業の管理を行ひ、第二は勞働者で專ら生産に對して勞力を提供する。第三は婦人であつて、これは社會的感情の供給を勤める。第四に哲學者と稱する者があつて、教育を擔任し、勞資兩者の仲裁を勤め、勞働者に服從順朴の美徳を鼓吹する。

いづれも痴呆的空想であるが、これも當時の思想的水準としては免れ難き弱點であつたかも知れぬ。我々は斯樣な弱點を咎める前に、寧ろ當時の水準を超えて、確實に社會學の科學的可能を看取し、社會學の進むべき方途を指示した彼れの偉大なる功績を賞揚したいものである。

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