第九講 保守的ヘーゲルと革命的ヘーゲル ―スチルネルの無政府主義―

高畠素之

一、結果は豫想を裏切る

西洋の諺に『結果はいつも豫想外だ』といふ言葉がある。スペンサーは當時の『社會主義的』傾向に反對して、この諺を科學的原理の地位に引上げた。彼れはこれを社會學的大法則と呼んだ。

彼れは法律を批判して言つた。元來法律といふものは、動もすればその豫期の功を奏せぬのみか、却つて殆んど豫想と正反對の方向に發展すると。然しながら、彼れの狙ひは惜しいかな標的を外づれてゐる。それは、此等の法律の多くは、畢竟ある局限された經驗に外ならぬ。それが實際に撤廢されるのは、スペンサーの主張するが如き理由に依るものではなく、寧ろヨリ成熟した經驗に基く新法律が制定されるからである。斯くして制定された新法律は、從來の法律が追求したと同じ目的を、ヨリ有効に達成せしむる力を持つてゐる。

スペンサーは、社會の缺陷を救ふに法律の干渉を以つてする事の愚を笑ひ、斯くの如き干渉は多くの場合失敗に終るのみでなく、また屡々その當初の目的と反對の結果を生ずると論じた。彼れは斯くして、得意の個人主義に到達したのである。

彼れはこれに就いて種々なる實例を擧げてゐる。昔、イギリスの或る王は、人民の暴飲癖を矯めんとして、その目的のために特殊の法律を制定した。この法律に依れば、イギリスに於けるビール店の客用コツプには、必らず其内側に所定の度盛りをして置かねばならぬ。そして何人と雖も一呑みで一目以上を飲んではならず、若し違反する者があれば彼れを法律上の罪人と認めるといふのであつた。

この法律は一時、所期の好結果を収めることが出來た。然るに社會の反感は軈て、この犯罪の密告者の身邊に集つた。宛かも昔の猶太人が収税吏を嫌惡した如くに、世間は此暴飲犯の密告者を憎惡の目で眺めた。事態斯くの如くになつて來ては、自身にとつて何等利益を齎らすこともない密告など誰れかするものがあらう。犯人が目前にゐても、誰れ一人これを官憲に密訴するものがなくなつて、此法律は事實上効力を失ふにいたつた。

然るに其後もコツプの目盛りだけは長く殘されてゐた。而してそれが酒飲み競技の道具とされたのである。

スペンサーは、いま一つ興味ある例を擧げてゐる。マレー半島の土人の間に磔刑の蠻行が流行した。ある時、基督教の宣教師が土人の酋長に對し、何故にさる蠻行を行ふかを問ふた。然るに酋長は怪訝に堪えぬといふ面持ちで曰く、『實はあなた方の聖書から教つたのである』と。

二、妖魔無政府主義の正體

要するに、法律に限らず總べての事物は、豫想したところと正反對の結果を生ずるものである。スペンサーはこれに就いて、以上の外にも種々の例を擧げてゐる。私もこのスペンサーの例に倣つて茲に新らしい例を一つ紹介する。

それは無政府主義の正體である。無政府主義者は、自ら最も徹底した革命主義者であると云つてゐる。社會主義や國家社會主義の漸進的政策は、總べて權力と壓迫との爲にする欺瞞の改革である。ひとり無政府主義のみが、眞の革命主義であると稱するのである。

然るに實際は何うであらうか。無政府主義の運動は屡々その主張と反對の傾向に陷つてゐるではないか。近世無政府主義の泰斗と稱せらるゝ露國のクロポトキンは、ボルシエヴヰキの革命主義に反對して有産階級と結託し、フインランドの白衞軍を煽動した。

基督教的無政府共産主義のトルストイは、無抵抗主義を標語に、事實上舊露西亞の壓制政府を支持した。斯くて革命の勃發と同時に、彼れの屋敷は勞兵軍の掠奪する所となつた。

個人的無政府主義の提唱者マツクス・スチルネルは、不幸なる失業勞働者を笑つて『無能なる自我』と呼んだ。斯くの如き無能力者は『自己以外の何者にも據らず』といふ意氣がなく能力がない。彼等は寧ろ社會から放逐せらるべきものである。斯くして現状を呪ふことに於いて、最も革命的であることを自稱したスチルネルは、現状を維持する事に最も好都合な反動主義者と一變した。『結果はいつも豫想外』である。我々はこれよりスチ〔ル〕ネルの妖怪的正體を解剖して見る。

三、保守的ヘーゲル

スチルネルの哲學的系譜を調べるには、遠く一八三〇年まで遡ることを要する。即ちこの年以後、一八四〇年に至る歐洲哲學界の覇權を握つた者はヘーゲルであつた。ヘーゲルの哲學は、獨逸の諸大學で教授され普魯西の王室にまで侵入した。

普魯西王フリードリヒ・ウヰルヘルム三世は、ヘーゲル哲學に優る哲學は無いと信じた。

『總て實在せるものは合理的であり、總て合理的であるものは實在せるものである』と言ふヘーゲル説を、ウヰルヘルム三世は解釋して曰く『總て現存せるものは實在である。故に合理的である。故に正當である』と。正にこの意味に於いて、ヘーゲル哲學に優る王權の智的藩屏は無かつたのである。

英國の詩人、アレキサンダー・ポープの語を藉りて言へば、『現存するものは正當なり』と云ふのが、普王ウヰルヘルム三世のヘーゲル觀であつた。

これは、警察的政府に極めて都合のいい哲學である。斯程まで露骨に普魯西の檢閲官と祕密法廷を喜ばしめた哲學は他になかつた。斯くしてヘーゲル哲學は普魯西王家の保護の下に繁榮を擅にした。

獨逸全國の思想界を席捲し去らんとする此の反動思想の魔力を目撃して、當時進歩主義者を以つて自任してゐた自由思想家等は、腕を扼して痛嘆の聲を發した。

四、革命的ヘーゲル

然るに豈圖らんや、結果は豫想外であつた。一見反動思想の權化とも見えたヘーゲル哲學の半面には、實に驚くべき革新思想の種が含まれてゐた。この革新思想の種こそは、軈てマルクスの手によつて培はれ、近世に於ける社會民主主義若しくは社會主義の哲學的根底となつたのである。

革新派ヘーゲル學徒の説に依れば、ヘーゲルの所謂『實在』なるものは、ウヰルヘルム三世の觀た實在とは雲泥の相異がある。ヘーゲルにとつて、實在は『必然』を含む。即ち實在すると同時に必然なるものでなくては、眞の實在といふことはできない。隨つて『總べて實在せるものは合理的である』といふことは、即ち『總て必然なるものは合理的である』といふことに歸する。エンゲルスは此間の關係を説明して『ヘーゲルの眞意は總て現存せるものが例外なしに實在だと云ふのではない。現存して同時にそれが必然的なるところにのみ實在性は生ずるのである。實在はその發展上いつかは必然として現出する。而して必然なるものは結局、合理として現はれる。故にヘーゲルの論法に從へば、古き實在は不實在となつて必然性を失ひ、存在權を失ひ、合理性を失ひ、その代償として新しき有力なる實在が生ずる。即ちこれを逆にすれば、總て合理なるものは如何に現状の實在と矛盾する如くであつても、遂には實在となつて現はれる。茲に於いて、總べての現存事物は、究極に於いて滅亡せねばならぬといふ價値を有してゐる』と言つてゐる。

手近かな例として、徳川家康が豐臣の殘黨を抑へて天下の實驗を掌つたのは實在である。爾後二百年、日本の覇權が徳川の手に獨占されたのも同じく實在である。然しながら同じ實在の中にも、必然性の度合は絶えず動搖してゐる。殊に幕末に及んで尊皇攘夷の徒が各地に蜂起した頃には、社會の必然は次第に徳川政府を棄て、これ等尊[皇]攘夷派の實在に移つて行つた。かくして徳川政府は表面實在してゐるやうであつても、その實既に不實在となつて、必然性を失ひ存在權を失つたのである。一方、徳川政府に反抗した當年の志士論客は、外見如何に現状の實在と衝突するかに見えても、その衝突するといふことそれ自身の中に、既に一個の合理が孕まれてゐたのである。かくて徳川政府は遂ひに不合理となり、不必然となり、不實在となつた。

ウヰルヘルム三世は、ヘーゲル哲學に依つて、その王冠に萬世不易の後光を副へようとしたが、何ぞ圖らん、ヘーゲルに依ればその王冠は、必然の間だけ實在するものであつたのである。

斯く解して來るとき、ヘーゲル哲學は反動思想どころか、實は驚くべき革新思想を孕んでゐることが知られるが、遺憾ながら此革新思想は、彼れの哲學の方法論的方面にのみ限られて、彼れの哲學の全體系には滲徹しなかつた。それは何故かと云へば、彼れの哲學體系は元來唯心論に立脚するものであつて、隨つてこの進化的革新思想を吸収すれば、勢ひ挽回すべからざる論理的矛盾に陷つて終ふからである。

五、ヘーゲル哲學の矛盾

ヘーゲルの哲學體系に依れば、物質世界は觀念から、即ち絶對觀念から派出したものである。これを神學的に言へば物質世界は神靈の顯現に外ならない。

然るに方法論から行けば、ヘーゲルの合理といふ觀念は、何うしても物質的實在から生じたものでなくてはならぬ。然らざれば、『總て實在せるものは合理的なり』といふ命題は意味をなさぬことになる。ヘーゲル哲學は茲に於いて、板挾み的絶對絶命の境地に立たされた。

この板挾は軈てヘーゲル學徒を二派に分裂せしめた。その一派は所謂ヘーゲル右黨と稱するもので、ヘーゲルの唯物的方法論を排して、彼れの哲學體系を其儘に繼承した。隨つて此の派は極端なる保守反動に陷つた。他の一派はヘーゲル左黨と稱し、ヘーゲルの方法論を繼承してこれを唯物的哲學體系と結びつけた。この派は當時に於ける急進思想の本陣となつた。カール・マルクスの唯物的歴史觀は實に此の派の到達すべき究極の運命であつた。

六、偶像から偶像へ

然しながらヘーゲル左黨の哲學から、マルクスの唯物史觀に到達するまでには、尚種々なる曲折をまぬかれなかつた。その最も代表的な橋渡しとなつたものは、ルードヰヒ・フオイエルバツハとマツクス・スチルネルの兩者である。

フオイエルバツハはヘーゲル哲學の矛盾を最初に解決した殊勳者で、彼れは其著『基督教眞髓』に於いて、『人間と自然との外には何物もない。人間よりも自然よりもヨリ高級なる實在と稱するものは、實は人間の宗教的想像が生んだもので、畢竟我々の個性の想像的反映に外ならぬ』といつた。

これを哲學的の語にいひ換へれば、思想は物質世界から生じたものである、といふことになる。この新哲學は、當時の急進的青年を欣喜雀躍せしめた。エンゲルスはこれに就いて、『この思想は實に、何等の粉飾なく極めて卒直明白に唯物論をその舊王位に引上げたものである。……ヘーゲル哲學の絆は斷たれ、その體系は形を失ひ四散した。その矛盾は單に人間の想像の中にのみあつたがため美事に解決された。……熱心は隨所に漲り溢れた。我々は一齊にフオイエルバツハの學徒となつた。マルクスは此新思想を如何に熱心に歡迎したか、而して又それに依つて、如何に深大の影響を受けたか、それは彼れの「神聖家族」を見れば明かに解る』と云つてゐる。

然るに茲に、同じヘーゲル左黨の間から、フオイエルバツハの強敵が現はれた。それはマツクス・スチルネルである。

スチルネルは、神が人間を造るにあらずして人間が神を造るものであるといふ、フオイエルバツハの説を承認した。けれどもフオイエルバツハは斯く一方に神といふ抽象觀念を打破すると同時に、他方に於いて人類といふ抽象觀念を神に祭り上げた。これでは折角の偶像打破も無駄になり、神の壓制から救はれて、人類と云ふ偶像の奴隷となることは、屈從の交代以外に何事をも意味しないことになる。

『人類の本質が人類の至上實在である。然るに宗教は至上實在は神であると呼ぶ。而してこの神なる至上實在は、客觀的の本質と見做されてゐる。けれども實際に於いて、この至上實在は人類の本質に過ぎないのである。故に爾今世界の樞軸となるものは、最早神が神として人類に對することでなく、人類が神として人類に對することである』と云ふフオイエルバツハの説にスチルネルは反對して曰く『これでは少しもフオイエルバツハの要求する如く、個人の奴隷状態を打破したことにはならぬ。單に古き暴君を廢して、新らしき暴君を擔ぎあげたものに外ならぬ。勿論、フオイエルバツハは、この暴君を神として個人の外に求めず、全く個人の内に在るものと解した。然しながら、暴君が個人の内に在ると云ふことは、暴君の暴君たる所以には何の關りも無い。その本質が私の内に在ると考へても、私の外に在るといつても本質の上に變りはない[。]否、その内外の區別そのものが、既に全然無意味である。何故ならば、基督教に依れば、神の靈は同時に我々の靈であつて、我々の内に住むからである。』

斯くのごとく、マルクス、エンゲルス等が人類解放の先驅として歡呼したフオイエルバツハは、スチルネルにとつて宗教的偶像の兩替者たるに過ぎなかつた。

スチルネルが排斥したのは單に此人類といふ抽象觀念ばかりではなかつた。個人は斯くの如き抽象の偶像以外に、尚ほ正義とか自由とか、善とか美とか、國家とか法律とか云ふものに依つて縛されてゐる。これ等はいづれも個人の奉仕すべき大目的を有してゐる。然るに個人の奉仕を許さぬ唯一の目的は、個人自身の目的である。

以上の諸偶像は、いづれも個人に對して自己否定を強要してゐる。然らば彼等自身は、多少でも自己否定してゐるかと云ふに、決してさうではない。彼等はただ彼等自身に奉仕するのみである。

『神に關することは神の問題である。人類に關することは人類の問題である[。]私の問題は神でもなければ、人類でもない。眞善美でもなければ、正義でも自由でもない。たゞ私だけに關した問題である。それは普遍的の問題でなくて、單一無二の問題である。即ち私自身が單一無二であると同樣に――。』『私にとつて私自身より尊いものはない。』

七、スチルネルの幽靈

斯くしてスチルネルは『自己所有』を宣傳した。個人は個人以外の一切の支配から脱却しなければならぬ。そしてたゞ自分自身にのみ奉仕しなければならぬ[、]これが彼れの無政府主義の歸着點であつた。彼れは斯くして個人を一切の偶像から救ひ出したと考へてゐる。

然し我々から見れば、斯く一切の支配から脱却したと稱する個人その者が、實は基督教の神と同じく偶像である。試みに考へるならば、斯くの如く自ら自己を支配し、自ら自己にのみ據る個人と雖も、それが人間である限り、矢張り我々と同じく生活しなければならぬではないか。生活には衣食住が必要である[。]多數人類の協力に俟たずして、我々の衣食住が如何に造られるであらう。自ら人に仕へ、人をして自らに仕へしむるこの共同生活の原則を離れて、人は一日もその生を維持することは出來ぬ。一切の周圍を脱却して、單に自ら自己を支配し所有する個人などのあり得る譯がないのである。そんなものを有るらしく考へることが、既に耶蘇教以上の痴呆でなければならない。

單にそれのみではない。今日の如き階級對立の社會に於いて、無産者がその勞働力を商品として、雇主に販賣せねば生活の出來ぬ状態の下に『自己所有』とは何事ぞ。自己の生存維持に必要な一切の機關が、他人の有に屬してゐる社會に於いて、我々は何うすれば自己に自己を所有せしめ得ると云ふのだ!

若しスチルネルの自我主義に多少の眞理ありとすれば、それは無政府主義的個人主義的の眞理でなくて、社會的、團體主義的の眞理でなければならぬ。スチルネルが區別した專制君主も、無智なる人民も、自我的たる點に於いて何等の差異がない。若しその間何等かの差異があるらしく見えたとすれば、それは彼等の社會的境遇が違ふからである。人民は博愛のつもりで暴君に奉仕して居るのではない。暴君に奉仕することが、現在に於いて最も有効なる自己奉仕だと信ずればこそ、暴君の暴政にも唯々として默從するのである。

さればスチルネルにして、若し眞に斯くの如く『愚民』を其默從状態から脱却せしめんとすれば、彼れは何事よりも先きに彼等の境遇の改善を圖らねばならぬ筈である。隨つてスチルネルの自我主義を是認するとしても、それを實行するの道は、自己所有の福音を説くにあらずして境遇改善の社會運動を實行することである。即ち無政府主義の宣傳でなくで、國家社會主義の實行でなければならぬ。

スチルネルはフオイエルバツハの偶像を攻撃して、フオイエルバツハ以上の痴愚的偶像を押し立てた。フオイエルバツハの缺點は偶像の兩替ではなく、唯物思想の不徹底なることにあつた。彼れは至上の實在を人類に求めた。然しながら人類とは何であるか、それは要するに個人の集積ではないか。こゝに於いて至上の實在は人類でなくて個人だといふことになる。この意味では、スチルネルの疑義は強ち意味なきことではない。

八、ヘーゲル左黨の完成

然しながら、個人は單に個人としては何等の意義なきものである。個人は社會としてのみ存在を維持することが出來る。隨つて至上の實在は個人ではなく社會であると云ふことになる。

フオイエルバツハを繼承して、彼れの結論を此方面に求めたものは即ちマルクスの唯物史觀である。

マルクスは言ふ。物質世界は神學的、哲學的一切觀念の母胎である。故に唯一の實在は、この物質世界の外部に求めることは出來ぬ。人間は物質世界の、即ち自然の所産である。社會は人間と自然との合體である。社會の根本は、物質的欲望を充たすに必要なる資料を獲得する物質的の機關から成立してゐる。故に社會の一部が此重要なる機關を獨占してゐる限り、かかる機關から除外された他の一部の人々は、勢ひ物質的の奴隷とならねばならぬ。然るに心は物の所産であるから、この物質的の奴隷状態は同時に又、精神的奴隷状態を生み出すことになる。されば此物心兩面の奴隷状態を一掃するには、先づ其根本の物質的原因を除去しなければならぬ。マルクスの唯物史觀は、斯くして社會革命論に應用される。

ヘーゲル左黨はスチルネルに於いて逆轉した。フオイエルバツハは、實にこの逆轉と前進との分岐點に立つたものである。

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