『社會主義と進化論』アテネ書院版序文

高畠素之


近世に於ける一切思想の樞軸が進化論に置かれてゐることは論を俟たない。進化論は初め生物學上の一學説として提出され、ついで宇宙觀人生觀上の一支點として哲學と結びつき、最後に社會發展上の中樞概念として、凡ゆる社會運動、勞働運動の推進動力となるに至つた。今日、社會思想と稱して知識階級なる社會群の常識的水準に普遍化された思想範疇の中樞支點となつてゐるものは、要するに社會方面に應用された進化思想以外の何ものでもない。

そこで、進化論そのものの解説を與へることは今日もはや問題とすべきではないが、進化論に基礎づけられた諸思想が、所謂社會思想なるものと如何なる形態に結合されてゐるか、從來著名の學者思想家に依つて提供された社會上、政治上、哲學上の諸定説が生物進化の觀念と如何なる程度に、如何なる樣式に交渉してゐるか、ゐないかを考察することは、あながち無益の努力でないと信ずる。本書は斯かる批判的の立場から、近世に於ける著名諸家の思想學説を出來得る限り通俗的に觀察したものであつて、近世社會思想の高級常識に對する指針たらしめんとしたものである。

本書は曩に『社會主義と進化論』と題して刊行したものであるが、今回題を新たにして發行するに當り、全般的に訂正を加へて編纂を革命した。然し立論の本質は舊態を維持した。蓋し本書の内容は、アメリカの社會主義者アーサー・リユヰスの諸著書に依つたものが極めて多く、考想の立脚點も成るべく著者の私見を隱蔽するに努めたものであるから、この點まで訂正を延長するときは、自然本書の特色そのものをも沒却するに至ることを虞れたのである。隨つて本書の主張的方面は、必ずしも著者現在の主張を如實に表現したものでないことを明かにして置く必要がある。

大正十四年六月十四日

著者

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