第一章 唯物史觀の根本觀念

高畠素之

一 生産力の概念

唯物史觀を批判するには、先づ其内容を確定してかからなければならない。最近歴史哲學の方面に於いて、此學説ほど多くの批判文獻を呼び起したものはなく、また此學説ほど大なる誤解の誘因となつたものもない。そこで此學説を批判し又は論究しようとする者は先づそれに對する彼等自身の解釋を提供することが必要になつて來る。蓋し唯物史觀の創始者たちは、彼等の觀念の確立については極めて無頓着であり、隨つて此學説に對する彼等自身の説明は至つて貧弱であつた。そこで批評者みづから先づ此觀念を確立し、以つて彼れ自身の批判に對する固き根柢を得てかからなければならないのである。

マルクスの歴史哲學に於いて、生産力なる概念が如何に際立つた役割を演じてゐるかは我々のよく知る所である。マルクスの見る所に依れば、社會的發達の總體は生産力(又は物質的生産力)の發達に基くものであるが、彼れ自身も、亦エンゲルスも、此生産力なる概念については何等の正確なる定義を與へて居らない。しかのみならず、マルクスは此言葉をば場合によつて種々異なつた意義に、甚しきは相互矛盾した意義にも使用してゐる。彼れは時として生産及交易上の機關の意味に此言葉を使用してゐるかと思へば、又或時は此言葉を以てヨリ曖昧な、ヨリ廣汎なものを示さうとしてゐる。例へば彼れは其著『哲學の窮乏』の中で、『凡ゆる生産器具のうち最大の生産力となるものは、即ち革命的階級それ自身である』と言つた。此場合に於ける生産力といふ概念の中には、社會的生産を促進する一切の要素が含まれてゐることは明かであつて、さればこそ彼れは一つの社會階級をも生産力と呼ぶことが出來たのである。

けれども生産力なる概念を斯く廣義に解釋するときは、マルクス流の唯物史觀と、觀念論的史觀との間における一切の區別は消滅することになる。若し生産力なる概念が斯樣に廣範圍なものであるとすれば、世の中には生産力でないものはなくなつてしまふではないか。宗教も、道徳も、科學も、法制も、みな之れ社會的生産の上に大なる影響を及ぼすものであることは爭はれない。隨つて此等のものも亦、生産力と呼ばれなければならないことになる。更らに又、社會的の集團を以つて生産力なりとすれば、唯物史觀なるものは結局、社會的發達は社會的集團の發達に依つて決定され得るといふ、毒にも藥にもならぬ重語的の主張に墮してしまふであらう。

マルクスが最初『人類は新たなる生産力の獲得に依つて生産方法を變化せしめ、又生産方法(生活獲得の方法)の變化に依つて一切の社會的事情を變化せしめる』といふ命題を『哲學の窮乏』の中に樹立したとき、彼れの謂はんとする所は右の重語的主張とは全く別個のものであつたことは確かである。新たなる知識の獲得が歴史的發達の決定的要素であるとマルクスが主張したやうに考へることは、明かに誤解であらう。かかる主張は唯物史觀の急所を締めつけるものであつて、社會的發達に對するマルクス流の特色ある誤解はこれがため觀念論的史觀の通説に轉化されてしまふ。マルクスは其著『經濟學批判』の序説の中で、『人類の意識が人類の存在を決定するのではなく、反對に人類の社會的存在が人類の意識を決定する』といふ有名な言葉を以つて、彼れの歴史哲學説の根本的觀念を樹立したのであつた。

然るに現時に於けるマルクス主義の最も卓絶したる代表者カール・カウツキーは、『數學の現状如何は、機械技術又は世界商業の現状如何と同樣に、現存社會の經濟的條件の一部たるものである』と主張してゐる(「ノイエツアイト」誌、第一五輯第一卷第二三四頁)。數學も自然科學も經濟に影響を及ぼすといふ單なる理由に依つて、彼れは此等のものを經濟力の中に算入してゐるのであるが、かかる意味に於いては、國家も、一切の觀念も、同樣に『現在社會の經濟的條件』と見做し得るであらう。諸種の觀念力が經濟の上に強大なる影響を及ぼすことは、爭はれないからである。

尤もマルクス自身でさへ、かかる錯誤から全然免かれては居らなかつたやうに見える。彼れが其初期における述作『神聖家族』の中に示した見地は、すでに新たなる歴史哲學の地盤に固く立つてゐたものであるが、それにも拘らず、同書の中には次の如き主張が見出される。――『批判的批判は、それが自然に對する人類の學理的及び實際的關係、即ち自然科學竝びに産業をば歴史的運動から除外してゐるに拘らず、それでも尚歴史的現實の認識の初歩にすら達したものと信ずるのであるか?』

即ち自然科學竝びに産業は、歴史の起動力になるといふのである。けれども此見地は、一元論たるべき唯物史觀の立場と果して矛盾しないであらうか。唯物史觀に於いては學理的思惟ではなく生活上の實際が歴史を決定するのである。もし自然科學が獨自の一決定力として産業と竝置され得るものとすれば、自然科學と密接に結合された歴史を有する哲學も亦かく竝置され得ることになるではないか。かくして、意識と社會的存在とに關するマルクスの命題は、餘すところなく無に歸せしめられてしまふであらう。

唯物史觀の立場から見れば、自然科學も亦學理的の思惟一般と同樣に、歴史的發展の原因ではなく結果と見做すべきである。然るに此結果たるべき自然科學が、却つて原因の中に加へられるといふ事になるのも、畢竟するに生産力なる概念が明瞭に限定されて居らないからである。

『共産黨宣言』その他の述作に現はれたマルクスの主張に依れば、生産力とは要するに生産機關及び交易機關に外ならないものである。而して生産機關なるものは通常、勞働要具・原料及助成材を總括したものと考へられてゐる。氣候や地勢などの如き生産上の自然條件は、生産機關とは見做されない筈である。然るにエンゲルスは、外部的の自然も亦たしかに一つの生産力であると言つてゐる(スタルケンブルグへの書翰、社會主義文書集第二卷七三頁)。

生産力を生産機關及び交易機關と等一視する見解は、又他の困難にも逢著する。エンゲルスは其著『フオイエルバツハ論』の中で、『一つのマニユフアクチユーア總體の内部における分業と數多き部分勞働者の統合』とは、ブルヂオアに依て運轉された新たなる生産力であると言つてゐる。これに依ると、新たなる生産力の獲得は新たなる勞働器具の採用と同じ事を意味するものではない。勞働器具の點では、マニユフアクチユーアは單なる手工業から殆んど區別される所がないからである。新たなる勞働器具の發明及採用を以つて歴史的進歩の唯一の動力なりとすることが唯物史觀の實體であると考へられるやうになつた事については、マルクス自身の言ひ現はしにも多少の責任はある。然しかかる解釋が唯物史觀の眞精神に一致するものでないことは、エンゲルスがマニユフアクチユーアをば新たなる生産力と見做した事實に徴しても明かである。マルクス自身も亦『資本論』の中で、『勞働方法が不變なる場合にも、同時に使用される勞働者の數が増大するときは、勞働行程の對象的條件の上に革命が生ずる』と言つてゐる。即ち勞働器具の上に變化が生じなくとも、生産は革命され得るのであつて、勞働器具が不變なる場合にも生産力の發達は可能であるといふことになる。

尚また、新たなる勞働器具の採用が、決して社會的發達の支配的動力として認め得るものでないことは、我々の知る所である。生産技術上の發明が續々相次いで行はれるやうになつたのは、寧ろ最近の出來事であつて、嘗ては幾世紀にも亘り生産器具の上に何等の本質的變化も生じなかつた時代がある。かかる時代に於いても、人類の歴史は休止しなかつたのである。手工業がマニユフアクチユーアに轉化され、多數の小生産者が一資本家の指導のもとに大なる作業場の内部に統合されたことは、實に經濟的竝びに社會的進歩の最も重要なる一段階となつたものである。而もマニユフアクチユーアの普及は、生産技術上における何等の發明とも關連せしめられ得ない。凡ゆる經營形態のうちで、使用勞働器具の上に特徴を置くものは、ひとり近世の工場のみである。家内仕事から手工業が發生した事實も、家内工業が普及した事實も、此等はみな幾千年に亘る産業上の發達であつたに拘らず生産技術上の發明とは何等關係する所がなかつたのである。

『新たなる文化時代の出現をば、製陶術や鐵材加工の出現に、犂や手臼の發明に關連せしめる所の、かの學識ぶつた提説ほど誤れるものはあり得ない。技術的には鐵で斧や、又は管をさへ製出することを心得てゐる民族でありながら、今日なほ木製の槍や矢を使用したり、又は犂を曳く牛が居らない譯ではないのに、依然木製の鋤を以つて畑を耕したりしてゐるものがある』と、カール・ビュヒアーは言つてゐる。私は此ビユヒアーの主張に贊成するものであるが、然し之れが唯物史觀それ自身を否定するものとは考へない。たゞ生産技術上の發明を以つて歴史の決定動力なりとする唯物史觀は、これに依つて否定されることになるのである。

二 經濟の物的因子

マルクスは其歴史哲學上の根本觀念を確立するに方り、つねに生産力をば歴史の決定力たらしめてゐるのであるが、エンゲルスは寧ろ、『生産、次いでは交換』こそ凡ゆる社會秩序の眞の根柢であると言つてゐる。(「オイゲン・ヂユーリン〔グ〕の科學の革命」第三版一八九四年刊、二八六頁)。勿論、兩者の概念における此相違は、何等原則的の意義を有するものでないことは事實であるが、然し唯物史觀説を理解せんとする者にとつては必ずしも興味のないものではない。思ふにエンゲルスは、唯物史觀の根柢について明瞭なる觀念を與へんとする場合、生産力なる概念は餘りに曖昧にして不定であると感じたのであらう。そこで彼れは、生産力に換ふるに生産及交換なる概念を以つてしたのであるが、然しこんな事で唯物史觀説が改善され得るとは考へられない。先づ第一に、これでは唯物史觀説の一元的根柢が臺なしになる。エンゲルスに依れば、歴史を決定するものは一つの要素ではなく、生産及び交換といふ二つの要素である。而も此等兩要素間の關係については、彼れは何等の正確なる限定をも與へて居らない。

勿論、彼れは『次いでは』といふ言ひ現はしに依つて、社會秩序の決定上交換の演ずる役目の方が重要の程度小なる所以を知らしめんとしてゐるが、それにも拘らず、交換は彼れの目に獨自的な、或程度までは生産から獨立した因子として映じた。ヂユーリングに依れば、生産物を消費者の手に達せしめるために行はるべき一切の事項は、生産の領域に屬するものであつて、交換なるものは生産の副部門と見做すべきである。エンゲルスはヂユーリングの此見地を辛辣に批判して言ふ。――『ヂユーリング君は、生産及び流通といふ相互因縁しつつ而も本質的に異なつた兩行程をば混淆して、かかる混亂を敢てしなければたゞ混亂が生じ得るのみであると憚るところなく主張してゐるが、之れは彼れが最近五十年間に行はれた流通の絶大なる發達を知るところなく、又は理解するところなき事實を證明するに過ぎないのである。』(前掲一五七頁)

が、エンゲルスの言ふ如く、果して交換が生産と『本質的に異つた行程』であるとすれば、物質的生活の生産方法が、社會的、政治的、竝びに精神的生活行程全般を規制する』といふマルクスの主張(「經濟學批判」序説)は誤つたものとならなければならない。なぜならば、生産方法以外にも、尚ほ交換方法が此點に作用することとなるからである。

反對に若し、マルクスの言ふところが正當であつて、交換も亦他の凡ゆる社會行程と同じく生産方法に依つて規制されるといふことになれば、今度はエンゲルスが生産と竝んで交換を歴史の決定因子たらしめた事が方法論上の錯誤とならなければならない。エンゲルスは同樣の論據を以つて、ひとり生産と交換のみではなく、又生産と交換と分配、更らに生産と交換と分配と政治上の制度、等、等も亦、社會秩序の根柢であると主張し得るであらう。蓋し生産物の分配や、政治上の制度や、其他各種の要素も亦、社會生活上に影響する所なくして止むものでない事は、エンゲルスと雖も拒まない所であらうから。

が、エンゲルスの定義には更らに重大な缺點がある。そもそも生産が社會的生活の根柢であるといふ事は、殆んど意味をなさない。蓋し生産なるものは、社會に依つて規制される所の一行程である。生産の状態如何は、種々異つた社會的要素、例へば科學の状態や、各時代に專ら行はれてゐる法律や風俗などの如何に依つて左右される。そこで社會秩序が生産上の條件に依つて決定されるとすれば、生産も亦同樣に社會秩序の條件に依つて左右されるといふことになり、生産上の條件といふ中には社會秩序も亦含まれねばならなくなつて來る。

要するに、生産條件一般を決定的の社會力とするだけでは充分といへない。問題は、生産條件中の如何なるものに、此決定力が歸せらるべきか、此決定力となるものは生産上の物質的條件か社會的條件かといふことである。唯物史觀は此問題に明答を與へてゐるが、エンゲルスの定義では曖昧になつてしまふのである。

エンゲルスは更らに言ふ。――『凡ゆる社會的變動竝びに政治的革命の終極的原因は、人類の頭腦に、換言すれば永遠の眞理と正義とに對する人類の洞察の増進に求めらるべきではなく、寧ろ生産方法及び交換方法の變動に求めらるべきである』(前掲二八六頁)と。然るに此主張は、エンゲルス自身に依つても否定されてゐるのである。彼れは右の主張の後に、ブルヂオア的社會における生産力と生産方法との衝突について叙述を與へてゐる。彼れに依れば、此衝突は生産力の發達に依つて生じ、生産方法の變革を以つて終りを告げる。果して然りとすれば、生産方法を以つて社會的變動の『終極的原因』なりとする見解は不當のものとなるではないか。蓋しエンゲルスの言明に依れば、生産方法それ自身が既に、ヨリ深奧なる他の原因(就中生産力の状態)に依つて決定されるからである。

所で、生産力の發達に關するマルクス自身の提説に論を戻さう。唯物史觀の根柢となるものは生産力なる概念である。然らば生産力とは何か。以上述ぶる所を以つてすれば、此概念を正確に限定することは左程困難でない。

唯物史觀の根本觀念に對するマルクスの見解の弱點の一つは、彼れが生産と竝んで交換にも位置を與へることを忘れたといふ一事にある。彼れは生産方法についてのみ語つてゐる。彼れに依れば、交換方法なるものは恰も生産方法の被動的結果たるかの如くに見える。エンゲルスは此空隙を充たさうとしたが、マルクスの公式から手を切ることを敢てし得なかつたので、明確なる結論に達することが出來なかつた。

所がマルクス自身も、交換方法が社會的殊に經濟的發達の進行上、生産方法に劣らず重要なる役割を演ずることを叙べてゐる。彼れは『資本論』第三卷の中に言ふ。――『地理上の諸發見と共に進行し、而して商業資本の發達を急激に促進した商業上の大革命が、十六七世紀に於いて、封建的生産方法を資本制生産方法に推轉せしむる主要の促進要素となつたことは疑ひを容れない。』

即ち交換は、經濟的發達の上に從屬的の役割を演ずるものではなく、寧ろ之れが決定力となつて生産方法の變化を喚び起すといふのである。されば經濟を社會秩序の根柢なりとして、而も一面社會的の發達については、生産に比して交換を從屬視するといふ社會學説には、何等の根據も存しないことになる。勿論、經濟上の行程に於いて生産が交換に先行することは事實であるが、それだからと云つて、生産が主で交換が從だといふことにはならない。此筆法でゆけば、工業よりも農業の方が主位を占めなければならない筈であるが而も最近、農業が工業に依つて決定されてゐることは拒まれない。カウツキーは其著『農業問題』の中に言ふ。――『工業は單にそれ自身の動力たるのみではなく、又農業上の發達に對する動力ともなるものである』と。

經濟上の勞働は、先づ生産物を地球體から引き離し、最後に之れを消費者の手に移轉して消費せしめるまで、總括的に連系を成すものであつて、その各連節は全體の存在上に必要缺くべからざるものとなつてゐる。生産が商業に倚存するものでないと同樣に、商業も亦生産に倚存するものではない。而して經濟的總行程における何づれの段階が決定的の位置に在るかは、夫々の場合における歴史的具體條件に懸ることであつて、如何なる時代、如何なる歴史的社會にも共通する所の普遍的形態を以つて此問題に答ふべきではない。斯樣な方面から如何に論爭したところで徒勞である。之れはマルクス自身も認めてゐた所であつて、彼れは『資本論』第三卷の中に、『資本制社會の初期の段階に在つては商業が工業を支配し、近世社會に於いてはそれが正反對である』と言つてゐる。

即ち生産も交換も、各單獨にて社會秩序の專一的基礎となり得るものではなく、寧ろ此等の雙方を包括する所のヨリ大なるもの、即ち經濟或はヨリ嚴密に言へば經濟的勞働の條件が、社會秩序の基礎となるのである。

然るに此經濟的勞働の條件は種々異なるものであつて、心的及び物的の兩部類に大別することが出來る。而して唯物史觀は、此物的條件の方を決定的と見るのである。かくてマルクスの歴史哲學説の最根本的概念となるものは、結局次の如く限定し得る。即ちマルクスが社會的生活を支配すると見た物質的生産力とは、畢竟經濟的勞働の物的因子を總括したものに外ならない。マルクスの謂ふ物質的生産力なる概念に包括されるものは、經濟的勞働の上に影響を及ぼす一切の要素ではなくて、其一部なる物的因子だけである。此意味に於いて、エンゲルスがマルクスの歴史哲學説を『唯物史觀』と名づけたことは當を得てゐる。

社會的人類は、物心兩樣の環境に生活してゐる。而して人類の心的環境なるものは、各人の精神的影響、換言すれば各人生活上の精神的共同に依つて構成されるものである。

然るに人類の精神的交通は物的要素の媒介に依つてのみ可能となるものであるから、心的環境は物的環境から分割し得ないことは明かである。物的環境とは畢竟、人類に影響を及ぼす物的諸因子の總括に外ならない。而してマルクスに依れば、此物的環境こそ社會生活の形成上の決定を與へるのである。けれどもマルクスの唯物史觀は決して、外部的の自然が人類の上に及ぼす直接の影響に依つて社會秩序を説明せんとするものではない。斯種の學説の卓絶したる代表者バツクルの如きは、例へばスペイン人の迷信に陷り易き傾向はスペインにおける地震の頻發に起因するといひ、また古代ギリシアの神人同形的宗教は同國における天然の美に起因するものとしてゐるが、外部的自然なる地勢や、氣候などが人類社會生活の形成に及ぼす直接の影響を論證しようとする斯種の企圖は到底成功するものではないのであつて、『人類の肉體的又は精神的状態の上に及ぼす自然の影響は、科學上の問題として極めて不運な經驗を通過して來た』といふラツエルの見解は、我々の首肯し得るところである。

マルクスの唯物史觀は、自然が歴史の進行を決定するといふ如上の學説と混同すべきものではない。マルクスの立場からすれば、人類の歴史は決して外部的自然の被動的結果たるものではない。社會的なる人類は、自然を變更することに依つて自身の歴史を造り出すものであつて、マルクス自身も『人類を以つて境遇及び教育の産物なりとし、隨つて人類の變化をば境遇及教育の變化の結果なりと見る唯物説は、境遇がまた人類に依つて變化せしめられることを忘れたものである』(エンゲルス著「フオイエルバツハ論」附録)と言つてゐる。

マルクスの唯物史觀は、外部的の自然が人類の歴史に及ぼす影響を否認するものではない。けれども此歴史觀に於いては、パウル・バルトが『人類地理的』と名づけた歴史觀におけるとは異なり、自然條件の直接の影響ではなく、經濟の媒介に依つて與へられる間接の影響が強調されるのである。一切の經濟は、外部的の自然に依つて與へられる所の物的基礎に立脚してゐるとは云へ、經濟の本質は寧ろ外部的の自然を變更することに存してゐるのである。經濟上の活動は新たなる人爲的の環境を造り出すものであつて、此環境の發達こそ人類史を運轉せしめる所の動力となるといふ事が唯物史觀の主張する所である。

要するに、勞働の物的條件なるものは、決して不變的の固定したものではない。それは外部的自然の被動的結果ではなく、社會的なる人類それ自身に依つて造り出された、不斷の發展を遂げつつある歴史的産物なのである。

經濟の物的條件をば心的及び――更らに局限して言へば――社會的なる條件から峻別することは極めて重要である。經濟なるものは、物的行程たると同時に又社會的の行程である。人類は物的自然を變更する。これは經濟の物的方面であるが、それと同時に又、人類は彼れ自身及び他の人類をも變更する。これは經濟の社會的方面である。經濟の物的條件と社會的條件とは密接に結合されてゐて、相互に影響し合ふものである。生産及び交換は經濟の物的方面であり、生産物の分配は經濟の社會的方面であるとも言ひ得る。(嚴密に云へば、生産及び交換も亦、一つの社會的行程を形成するものであるから、社會的方面をも有してゐる譯である。然し經濟の社會的方面のみを代表してゐる分配に比較すれば、生産物を消費者の手に達せしむる爲になされねばならぬ一切の技術的操作は、總括して之れを經濟の物的方面と見做すことが出來る)。生産及交換上の方法が分配方法の上に絶大の影響を及ぼす如く、後者も亦前者に反應作用してゆく。『然し分配は、生産及交換の單なる被動的産物たるに止まるものではない。それは又、生産及び交換の上に反應作用するものである。新たに生じた如何なる生産方法又は交換方法も、最初は單に生産又は交換上の舊來の形態及びそれに應當せる政治上の施設に依つて阻害されるのみではなく、又舊來の分配方法に依つても阻害されるものであつて、久しきに亘る鬪爭を通して漸く自己に應當した分配を獲得しなければならないのである』(エンゲルス著「オイゲン・ヂユーリングの科學の革命」一五一頁)。

然るに唯物史觀は此有力なる分配を除外して、單に生産及び交換のみを歴史の決定力と見做すのである。これ蓋し生産及び交換は經濟の物的方面を代表するに反し、分配は端的に社會的方面を代表してゐるからである。嚴密に言へば、マルキシズムに依つて凡ゆる社會秩序の根柢とされてゐるものは、生産及び交換といふよりも、寧ろ社會秩序の物的因子(又は條件)といふべきである。生産及び交換には社會的の諸條件も含まれてゐるとは云へ、此等の社會的條件が經濟の物的條件に依つて決定されることは分配と同樣である。科學の状態や、法制などは社會的生産の上に強大なる影響を及ぼすものであつて、唯物史觀も亦此影響を否認するものではないが、終極に於いて決定を與へるものは寧ろ生産及び交換の物的因子であるとする。

マルクスもエンゲルスも、人種を獨自の經濟的因子と見る傾きがあつた。一八九四年の一書翰中に、エンゲルスは『人種も亦經濟上の一因子である』と明かに叙べてゐる(社會主義文書第二卷七四頁)。マルクスも亦『資本論』第一卷の中に同樣な事を言つてゐる。即ち『社會的生産の多かれ少なかれ發達した形態については暫らく措き、勞働の生産力なるものは諸種の自然條件と結合されてゐる。これらの條件は何づれも、人種その他の如き、人類それ自身における自然と、人類を圍繞せる自然とに歸することが出來る。』即ち人種は、エンゲルスに依れば、經濟上の一因子であり、マルクスに依れば、勞働生産力を決定する所の要素たる資格に於いて外部的の自然と等位に置かるべきものである。更らに、人種を以つて社會的生活を決定する所の獨自的要素を見るマルキシストもある。イタリアの社會學者アントニオ・ラブリオラの如きは即ちそれである。然しながら斯かる見解は、果して唯物史觀の根本思想と一致するものであらうか。

決してさうは考へられないのである。蓋し人類の勞働能力が其所屬人種の特徴に依つて著しく左右されることは確かであつて、異つた人種に屬する者が、平均して異つた筋力や腦發達を示すことは人の知る所である。人種的特徴を形ちづくる物理的の差異は、それに應當した天稟上の差異を伴はなければならないのであるが、さればと言つて、唯物史觀が人種を以つて外部的の自然と等格の經濟的因子なりとするものとは考へられない。人種に限らず、法律や、國家や、宗教などの如き、何等の經濟的因子にあらざる『觀念論的』な因子も亦、勞働生産力及び社會的經濟の上に甚大の影響を及ぼすものである。マルクスの歴史哲學は決して、種々樣々の因子が經濟の上に反應作用することを否認するものではない。たゞ此等の中、決定力として認め得るものは經濟のみだとする點に、マルキシズムの本質が存してゐるのである。元來、經濟は空に浮ぶものではなく、物的基礎の上に立つものであるから、外部的の自然に依つて與へられる勞働條件こそ、第一義的の經濟的因子となるのであつて、人種の如きは法律や、道徳や、國家などと同樣に、第一義的のものではなく、第二義的の因子に過ぎないと見るのが唯物史觀でなければならない。人種上の特徴は固定不動のものではなく、不斷に生成してゐるものである。それは當該人類集團の發達の一結果であつて、かかる發達を終極的に決定するものは、即ち人類集團の經濟的存在條件でなければならない。ラツエルも言つてゐるやうに、異つた社會状態は人種發生行程の上に或は有利、或は不利なる、或は速進的、或は遲緩的なる影響を及ぼすものであつて、これに依つて社會状態はそれ自身人種的の特徴を與へられることになる。世人の云爲する『人種』なるものは、寧ろ『階級』に依つて代置されることを至當とする場合が少なくないのである。

多くの史家に依れば、國民的精神と稱するものも、社會生活の凡ゆる部面に現はれ來たつて人類の社會生活を決定するものであるが、唯物史觀の立場から見れば、これまた當該民族の社會的生活條件、隨つて先づ經濟的條件の極めて複雜なる一結果と見るべきである。勿論、一切の人種的特徴が、一定民族の現存經濟條件に依つて説明され得るとは限らないが、それは過去から傳承し來つた人種的特徴の中には今日すでに消滅した舊來の存在條件も體化されてゐるからである。要するに、國民的精神と稱するものの性質も亦道徳や、法律などの如き、他の一切の歴史的産物と同樣に、現在又は過去における物的經濟條件に依つて説明さるべきである。隨つてマルクスやエンゲルスが、人種を以つて外部的自然と等格の經濟的因子なりとしたことは、彼等の如き唯物史觀の創始者でさへ自説に根柢に對して不忠であり得ることを證明するものと見るの外はない。

三 階級鬪爭説

生産力(經濟的勞働の物的條件)が人類の社會生活を決定するといふ學説こそ、マルクス歴史哲學の根柢となるものである。然しマルクスの歴史哲學は、單に此學説だけで盡くされるものではない。其根柢となるべきいま一つの學説がある。それは即ち階級鬪爭説である。

物的經濟條件の發達は歴史の決定力であつて、而も無意識的に發動するものである。然るに舊來の經濟方法に對する新たなる經濟方法の衝突は、それが人類意識の内部に反映するとき、異つた社會群の間に於ける利害の衝突換言すれば階級鬪爭となつて現はれる。生産力の學説は、單に歴史的行程の客觀的、無意識的な方面を闡明するに過ぎないものであつて、それは更らに此客觀的行程の意識的反映を説明する所の學説に依つて補充されなければならぬ。而して此問題を解決するものは、即ち階級鬪爭説である。

階級鬪爭説の根本概念となつてゐるものは、社會階級なる概念である。そこで階級鬪爭説を論ずる前に、先づマルクス及びエンゲルスが社會階級なるものを如何なる意味に解してゐたかを究める必要がある。

『階級とは何ぞや』――『資本論』第三卷は此質問に答へんとして中絶してゐる。我々が『資本論』に依つて知り得る所は、階級なる狹義の概念は決してヨリ一般的なる社會群の概念と混同すべきではないといふ一點のみである。醫師と官吏とは相異つた二つの社會群を構成するものであるが、決して二つの特殊階級を構成するものではない。社會的分業は、社會の階級組成とは全く異なるものである。原始社會に於いても、すでに職業分化の萌芽は現はれてゐた。而も原始社會は階級社會とは云へないのである。將來の社會主義社會についても同樣である。蓋し社會主義社會に於いては、階級は廢絶されるが、分業は消滅するものではないからである。

即ち我々がマルクスに依つて教へられる所は、如何なるものが階級でないかといふ事であつて、如何なるものが階級であるかといふ事は、『資本論』の中にも他の述作の中にも正確に限定されて居らないのである。しかのみならず、マルクスは此概念をば種々異つた意義に、甚しきは相互矛盾するやうな意義にも使用してゐる。

例へばマルクスは其著『革命及び反革命』の中で、ドイツ民族は革命勃發の際、封建貴族、ブルヂオア、小ブルヂオア、大中農民、小自由農民、封建的小作農民、農業勞働者、工業勞働者等の諸階級から成り立つてゐたと言つてゐる。これで見ると、マルクスの數へてゐる階級數は、合計八個を降らない譯である。同樣に、二月革命中及び其後におけるフランスの社會運動及び政治運動について與へたマルクスの分析も、多數階級の區分に立脚してゐる。彼れはフランスにおける此等の階級中、特に小ブルヂオア及び小農民の演じた社會的役割に格別の注意を拂つたもので、彼れが特殊の社會階級と見做してゐる小ブルヂオアについて與へた溌溂たる特徴記は、實に此分析の絶頂を飾るものである。小ブルヂオア竝びに各種の農民部類は、彼れが常に特殊の獨立した階級と見做してゐた所のものであるが、更らに過小農民についても、彼れは之れを特殊の社會階級と見做して、帝制の成立上に決定的の役割を演じたものとしてゐる。彼れは言ふ。――『ボナパルトは一つの階級、而もフランスの社會における成員最も多き階級なる過小農民を代表せるものであつた』(「ブルメーア月十八日」第三版、九七頁)と。

而もさういふ口の下から、彼れは又過小農民なるものは或意味に於いて何等の階級でもないと斷言してゐる。『幾百萬の過小農民の家族が、その生活樣式、その利害、その教育をば他の諸階級のそれから分割して、それに相對抗せしむる經濟的存在條件のもとに生活する限り、彼等は一つの階級を構成するものであるが、反對に彼等の間には單なる地方的連絡が存するのみであつて、その利害の一致が彼等の間に何等の共同、何等の國民的結合、何等の政治的組織をも生ぜしむることなき限り、彼等は何等の階級をも構成するものではない』(前掲九八頁)。

即ち過小農民なるものは、或意味に於いては階級ではないが、或意味に於いては又階級であるともいふ事になり、結局それが階級であるのか無いのか判然しなくなつていまふ。

然し彼等の『利害の一致が彼等の間に何等の共同、何等の國民的結合、何等の政治的組織をも生ぜしむることなき』が故に、過小農民なるものは階級でないとすれば、小ブルヂオアの階級資格も亦問題となつて來る。ボナパルト二世當時におけるフランスの過小農民と同樣に、三月革命當時におけるドイツの小ブルヂオアも獨自の政黨を組織する力のなかつたことは確かである。そこで小ブルヂオアも亦、或意味に於いては階級でないといふ事になる。此筆法でゆくと、マルクスが近世社會の内部に見出した諸階級中には、『或意味に於いて』階級でないものが澤山できて來て、結局アダム・スミスに依つて確立されたブルヂオア的社會の三階級なる土地所有者と、資本家と、勞働者とのみを階級とすることが落のやうに見えて來る。否、之れでもまだ曖昧だ。勞働者の階級資格が、さう確實ではないからである。

勿論、マルクスが幾度びか勞働者(プロレタリア)をば特殊の階級として取扱つてゐることは事然である。これは農民についても同樣であるが、農民の階級資格が不確實であることは上段に述べた通りである。が、農民、小農民が、或意味に於いて階級でないとすれば、一定の發達段階に達する以前に於けるプロレタリアについても、同一の事が言ひ得べき筈である。現に『共産黨宣言』の中でも、その起草當時プロレタリアは尚いまだ階級でなかつたことが明かにされてゐる。即ち『共産主義者の直接の目的は、他の總てのプロレタリア黨のそれと同樣であつて、プロレタリアをば階級に造り上げてゆく事に在る。……プロレタリアの階級結成隨つて又政黨結成は、勞働者間の競爭に依つて何時でも破碎される傾きがある』(「共産黨宣言」一八九一年版、一六及一八頁)といふのであるが、若し茲に言ふ如く、プロレタリアの階級結成が果して未だ達成せられざる目的であるとすれば、プロレタリアは當時まだ階級ではなかつたといふ事になる。

マルクスは何ゆゑ斯樣な自己矛盾に陷つたか。其理由は『哲學の窮乏』の中に與へられてゐる。曰く『經濟上の事情は、先づ多數民衆を勞働者に轉化せしめる。資本の支配は此等の民衆にとつて、共通の境遇、共通の利害關係を造り出した。そこで此等の民衆は、資本に對立した位置に於いては既に一つの階級であるが、それ自身としてはまだ階級ではない。曩に若干の方面だけについて特徴を示した鬪爭に於いては、此等の民衆は既に結合されて居り、それ自身として既に階級を構成してゐた。彼等の問題となれる利害は、斯くして階級利害となつたのである。けれども階級對階級の鬪爭は、政治的の鬪爭である』(「哲學の窮乏」一八〇頁)。同樣の事はブルヂオアについても言ひ得る。マルクスはブルヂオアの發達を二段に分けてゐる。即ち『彼等が封建制度と專制君主制との支配のもとに階級として構成された階級と、既に階級として構成された彼等が、進んで社會をブルヂオア的社會たらしむる目的を以つて、封建的支配と專制君主制とを顛覆した階段とがそれである。此等の中、前者はヨリ久しきに亘つたものであつて、それに要した努力も亦ヨリ大であつた。ブルヂオアも亦、部分的の提携を以つて封建君主に對する鬪爭を開始したのである』(前掲一八〇頁)。

要するに、社會階級は二つの發達段階を通過するものである。即ち先づ、それ自身としては階級となることなく、他の階級に對抗してのみ階級となる段階、次にはそれ自身としても階級となる段階がそれであつて、當該社會群の階級結成は此後ちの段階を以つて終了することになるのである。マルクスが過小農民の階級資格を否認した眞意は、彼等がそれ自身としては階級を構成して居らないといふ事を謂はんとしたのであらう。他の階級に對立した位置に於いては、彼等も既に階級を成してゐたからである。同樣にプロレタリアも亦『共産黨宣言』起草當時に於いては、それ自身としては階級でなく、たゞブルヂオアに對立してのみ階級を成してゐたのである。

他に對する階級と、それ自身としての階級との斯かる區別は、ヘーゲルの純粹實在論に立脚するものであることは明かである。ヘーゲルに依れば、純粹實在なるものは、其否定に依つて他に對する實在となり、更らに此否定の否定に依つてそれ自身に對する實在に轉化される。マルクスは同一の社會群をば最初は階級と呼び、然る後に此資格を拒んでゐるのであるが、それは畢竟、同一の社會群が通過する異つた發達段階から問題を觀察した結果であつて、丁度或る蟲の幼蟲を其成蟲に比較して言ふ場合には、幼蟲の名を以つて呼ぶが、他の異つた蟲に比較して言ふ時には成蟲の名を以つて呼ぶのと同樣である。

マルクスの階級觀に於て一見論理的の矛盾として現はれたものは、以上の説明に依れば寧ろ言ひ現し方の粗漏であつた事が明かになる。彼れに依れば、社會階級も亦此世における他の一切の事象と同樣に、發達律の支配を受けるものであつて、一階級の各發達段階は他の段階の有せざるそれ自身の決定的特徴を保持するものである。

これはマルクスの階級鬪爭説を正しく理解せんとするに方り、絶えず念頭に置くことを要する重要事項である。階級鬪爭なるものは、つねに政治的の鬪爭であるとマルクスは言つてゐるが、此命題は未だ構成せられざる階級については當て嵌らない。二月革命以前に在つては、プロレタリアは政治上の舞臺に何等の重要なる役目も演じなかつた。資本家對勞働者の衝突は資本制生産方法と同時に起つたものであるが、孤立隔在せる勞働者群の罷工の如きは――よし此等の勞働者群が勞働組合に組織されてゐたとしても――決して階級鬪爭と言ひ得るものではなく、隨つて何等の政治的鬪爭をも構成するものではないのである。階級が未だ構成せられずして、他の階級の利害に對立した共通の利害に依つて立つ鞏固な社會群である事が其代表者たちに依つて自覺せられざる限り、上述の衝突は尚未だ階級鬪爭の特徴を完備したものとは言ひ得ない。さればこそ、マルクス及エンゲルスは『共産黨宣言』の中で、『勞働者の局部的諸鬪爭をば、一つの階級鬪爭に集中せしめ』又は純經濟上の衝突を政治的の鬪爭に轉化し、かくしてプロレタリアをば『階級隨つて又政黨に』結成せしめることが共産黨の最重要任務であると言つたのである。

階級といふ概念と單なる社會群といふ概念との相違は、先づ、異つた社會群の經濟的利害は一致し得るものであるが、一階級の經濟的利害は他の階級のそれとは必然的に對立するといふ事實に存してゐる。然らば階級成立上の決定的特徴たる此不可避的利害對立は、そもそも如何なる事實に基いてゐるものであるか。マルクスは是れについて、明晰なる解答を與へてゐる。曰く、一切の階級對立は、近世社會における根柢的の對立を言ひ現はしたものに外ならず、而して此後ちの對立は、或社會群が他の社會群の餘剩勞働を占有するといふ事實に存してゐる。即ち社會の階級組成なるものは、生産方法の内部に含まるる矛盾を社會的に言ひ現はしたものに過ぎないのであつて、不拂餘剩勞働の存續する限り、社會は決して其階級性質を喪失することはないのである。

原始社會には、餘剩勞働といふものが無かつた。隨つて階級性質も無かつたのである。何等かの種類の強制があればこそ、勞働者から餘剩勞働を搾取することが出來るのであつて、此強制は搾取者と被搾取者との間における利害衝突の避くべからざることを示してゐる。そこに階級社會の起原が求められるのである。

然らば社會階級とは如何なるものか。それは或社會群が他の社會群の餘剩勞働を占有する行程に於いて、成員の各が同樣の經濟的位置を占め、かくして共通の利害と對敵とを有するに至つた社會群を意味する。階級形成の本質には搾取の事實が横つてゐる。餘剩勞働占有上の經濟的竝びに社會的關係とは畢竟、搾取關係に外ならないからである。さればこそ、近世社會に於いては先づ、餘剩勞働を供給する階級と餘剩勞働を占有する階級とが獨立した階級として分岐されることになつたのである。資本制生産方法に基く社會に於いては、賃銀勞働者は被搾取者、資本家及び地主は搾取者として、此生産方法の特徴たる三大主要階級を構成するものであるが、此等の主要階級以外にも尚、現在の資本主義社會には舊來の生産方法に基ける他の諸階級が含まれてゐる。經濟上に分岐された何等かの社會群と雖も、それが凡ゆる搾取關係の圈外に置かれてあるとすれば、何等の階級をも構成しないことは確かである。然し斯樣な事は、不拂餘剩勞働に立脚せる社會に於いては全く不可能といはねばならぬ。社會の階級性質は、一切の社會生活に其特徴を刻みつけるからである。

例へば、原始社會における獨立した小生産者は、何等の階級でもなかつた。所が今日資本制度の内外にも斯樣な小生産者が殘存してゐる。しかのみならず、彼等は歐洲諸國の多くに於いては、人工の顯著なる部分を代表してゐるのである。而して原始社會に於いては階級でなかつた此等の小生産者も、今日では經濟制度のお蔭で一定の階級となつてゐる。フランスにおける過小農民は、その所有地に依つて資本の支配から解放され得るものではない。『過小農民の所有地なるものは、資本家が自己の爲には耕作地から利潤、利子及び地代を収得し、農民にとつては單に其勞銀のみを打出せしめる所の口實となるものに過ぎない。フランスの農民が土地の抵當債務に依つて課される利子は、イギリスにおける年々の國債總利子にさへ相當する程である』(マルクス著「ブールメア十八日」一〇一頁)。

資本主義社會における小ブルヂオアも亦、資本家及びプロレタリアなる兩極間の過渡的階級に過ぎないとは云へ、それが階級利害と階級對立とを有する一階級を構成してゐることは事實である。此階級の脊椎に相當する所の手工業及び小賣商人は、資本家的企業者である。彼等は此資格を以て、賃銀勞働者に對立してゐるのであるが、同時に又大資本からの競爭を恐れること夥しい。彼等は勞働者を搾取するけれども、一方また大資本に依つて覆滅されるのである。彼等の中の幸運兒はブルヂオアの隊列に攀ぢ上り得るが、不運者はプロレタリアの境地に落ち込んでしまふ。彼等は斯樣な動搖的の位置に立たされてゐるので、隨つて特殊の社會的タイプを有することになるのは避けられない所であるが、さればと云つて、一切の階級對立から超絶し、近世社會を支配してゐる所の搾取關係の圈外に置かれ得るものではない。

自由職業(非經濟的なる精神的勞働)の代表者たる知識階級と稱するものも、其勞働が經濟上の勞働でないといふ見地からすれば、何等獨立した階級を構成するものではないが、さればと云つて階級對立の圈外に立つものでもない。蓋し彼等は、經濟事情の力に依り何等かの階級に加盟することを餘儀なくされるからである。彼等の多くはブルヂオア階級の出身であつて、經濟上の利害に於いても此階級と密接に結合されてゐる。又、彼等の中の小部分(而もますます増大しつつある)はプロレタリアの側に屬してゐる。かくして全社會は相對立した一定の經濟的利害に基く各種の階級に分割され、不拂餘剩勞働占有上の對立は社會生活全般の對立的形態を喚び起すことになる。

然し茲に注意を要することは、一つの社會群が成熟した階級となる迄には、長期間に亘つた發達を經なければならないといふ事である。此發達は階級意識の増進に依つて特徴づけられる。いまだ構成せられざる階級には、階級利害の意識、又は他階級との間における利害對立の意識が缺如してゐる。隨つて斯かる階級は、何等の政治的鬪爭、何等の階級鬪爭をもなし得ないことになる。

階級意識の發達に依つて、單なる階級は構成された階級となる。此意識は、同一階級の成員間におけるソリダリテイの感情のみを以つて盡くされるものではない。蓋し同樣なる生活状態のもとに立つ人々の間には一種の同情が生ずることを常とするけれども、此感情は尚いまだ階級意識となる迄には到つて居らない。階級意識の成立には、ヨリ大なる條件が必要である。即ち當該階級の成員の生活條件は、支配的經濟秩序の下における此階級の位置に依つて、換言すれば支配的の經濟樣式それ自身に依つて直接決定され支配されるといふ認識が必要となるのである。これをプロレタリアについて言へば、彼等が相互の間にソリダリテイを感ずるといふことから更らに一歩を進めて、資本に依る搾取の事實を認識するに到らない限り、彼等のプロレタリア的階級意識は成立するものではない。要するに階級意識なるものは、階級對立の意識、語を換へて云へば階級鬪爭不可避の意識と、意義を等しくするものである。

然るに一切の階級鬪爭は政治的の鬪爭である。蓋しマルクスの見る所に依れば、國家は階級支配の一器官であつて、被搾取階級は政治的の革命に依るの外、其經濟的位置を變更し得るものではないからである。支配階級は、其經濟的支配を確立する手段として國家を利用する。而して被壓制階級は、國家權力を掌握する事に依つてのみ經濟的に解放せられ得るのである。そこで一階級の内部に階級意識が呼び覺まされることは、此階級の經濟的鬪爭が政治的鬪爭に轉化される事を意味するのである。

然らばマルクスが、從來における一切社會の歴史は階級鬪爭の歴史であると主張したのは、如何なる意味であるか。如何なる階級も、一定の發展段階に達せざる中は階級鬪爭をなす能力なきものであり、且つ此段階に比すれば、尚いまだ階級意識もなく階級鬪爭も行はれざる初期の段階の方が、ヨリ長期的に亘ることは我々の既に知る所である。此事實はマルクスの右の主張と如何にして一致せしめられるものであらうか。

マルクスは右の主張に依つて、如何なる社會運動もすべて階級鬪爭だと言はうとしたものでないことは確かである。マルクスが斯樣な馬鹿げた考から、如何に遠ざかつてゐたかは、同じ『共産黨宣言』の中で、勞働者の局部的諸鬪爭を轉じて階級鬪爭たらしめることが共産黨運動の直接の目的であるとしてゐる所を見てもわかる。マルクスの見解に依れば階級鬪爭なるものは寧ろ歴史上稀有なる現象となつてゐるのである。たゞ彼れは此問題をヨリ立ち入つて研究するに到らなかつた。そこで此等の相矛盾した言葉の中から、論理的に聯絡ある一つの學説を造り上げようとする場合、次の如き解釋を與へ得るであらう。即ち人類の歴史的發達は、階級鬪爭を以つて絶頂に達することは事實であるが、然し階級鬪爭のみから成るものではない。階級鬪爭なるものは、政治的竝びに社會的激變の前觸れであつて、『全社會の革命的變改、又は鬪爭諸階級の共倒れ』を以つて終局を遂げる(「共産黨宣言」一〇頁)。が、歴史は革命のみから成るものではないから、隨つて又階級鬪爭のみから成るものでもないといふ事になる。それにも拘らず、我々は歴史の内容を階級鬪爭に求めることが出來る。蓋し歴史的諸事件のうち、決定的にして最重要なるものは階級鬪爭であつて、他の一切の事件は結局此立場から觀察されねばならないからである。

例へば、十九世紀前半の勞働運動は階級鬪爭ではなかつたが、階級鬪爭の準備となつたことは確かである。當時における組織なき勞働者群と資本家との經濟的衝突は、階級性質を缺いてゐたとは云へ、而もプロレタリアの階級史上必然的にして極めて需要なる一要素となつてゐる。それは、將來におけるプロレタリア革命を準備したからである。かく解釋するとき、世界の全歴史は階級鬪爭の歴史に轉化される。世界の全歴史は畢竟、階級の漸次的發展、換言すれば階級意識――階級鬪爭の前提となり、社會革命に於いて絶頂に達する所の――の漸次的覺醒の歴史に外ならないからである。

かやうに解釋するときに、始めてマルクスの階級鬪爭説は科學的の效力を有し得るやうになる。階級鬪爭説は生産力の學説と相竝んで唯物史觀の二大要素を構成するものであつて、唯物史觀の創始者たちは此等の兩學説をば分割すべからざる全一體と見做してゐた。此等の兩學説が果して實際に斯かる全一體を構成してゐるか何うか、それは以下の研究に於いて示さんとする所である。



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