第1篇 商品・貨幣・資本

第2章 貨幣

(1)價格

1.價値尺度としての貨幣

貨幣の第一の機能は、價値の尺度として役立つ事である。

商品は總べて同質であつて、互ひに比較し得るものである。然しそれは、貨幣あるが故に然るのではない。商品は之れを價値として見れば、孰れも人間勞働の體化である。隨つて其本質上既に同種同質のものである。さればこそ、商品は孰れも共通的に一定の同一商品を目安として秤量され得るのである。一定の商品は斯くして、他の凡ゆる商品の共通的價値尺度たる貨幣となる。價値の尺度としての貨幣は、一切の商品に内在してゐる所の價値尺度なる勞働時間の必然的な現象形態である(イ)。

註(イ)此説明の際、マルクスは今日尚ほ多くの人々の心に浮び出る一つの空想に就いて、興味ある叙述を與へた。彼れは言ふ――『貨幣が何故、直接に勞働時間その者を代表しないかと云ふ問題、隨つて例へば一枚の紙幣は何故幾勞働時間を代表しないかと云ふ問題は、要するに商品生産の基礎上に於いて勞働生産物は何故商品の形を採つて現はれねばならぬかと云ふ問題に歸してしまふ。何故ならば、商品の形をとつて現はれると云ふ事は、即ち勞働生産物が商品たり貨幣商品たる二重性を有することを意味するからである。或は又此問題は、私勞働が何故、直接に社會的勞働それ自體として取扱はれないで、社會的勞働の反對物として取扱はれ得るかと云ふ問題に歸する。商品生産を基礎とする「勞働貨幣」なるものの淺薄なる空想主義に就いては、他の所で之れを詳述した。(マルクス著「經濟學批判」1859年版61頁以下。此一節は又マルクス著「哲學の窮乏」1892年獨逸版165頁の附録にも掲げられてある)。茲に尚一言したいことは、例へばロバート・オーヱン流の「勞働貨幣」は劇場切符などゝ同樣に眞の「貨幣」ではないと言ふ事である。オーヱンは商品生産と正反對の生産形態なる直接に社會化された勞働を前提した。勞働證券なるものは、共同勞働に對する生産者の個人的負擔、及び共同生産物中消費に歸すべきものとして定められた部分に對する生産者の個人的請求權を確認するものに外ならぬ。然し商品生産を前提して、而も貨幣の手品に依り商品生産の必要條件を避けんとするが如きは、オーヱンの思ひも寄らぬ所であつた。』

貨幣商品に言ひ現はされた商品の價値は、即ち商品の貨幣形態又は價格である。例へば1着上衣=10瓦金と云ふが如きである。

元來、商品の價格なるものは、其自然的性質とは全く異つたものである。商品を眺めても擦つても其價格は分らない。價格は之れを賣手が買手に告げ知らすべきものである。けれども商品の價値を貨幣で言ひ現はすには、即ち商品の價格を決定する爲には、必ずしも現實的に貨幣が存在することを必要とするものでない。仕立屋は嚢中無一物であつても、自分の提供する上衣の價格が10グラムの金に等しいと主張し得る。故に價値尺度として見れば、貨幣なるものは觀念上の貨幣として、假想の貨幣として、役立つに過ぎない。

それにも拘はらず、價格は現實的の貨幣商品に依つて左右される。仕立屋は其商品上衣の價格を10グラムの金と呼ぶ事は出來るが(茲では勿論、説明の邪魔になる一切の附帶事情を問題外に置く)、それは上衣と10グラムの金との中に、等量の社會的に必要なる勞働が含まれて居る場合に限る。仕立屋が其上衣の價値を金で言ひ現はさず、銀又は銅で言ひ現はすとすれば、上衣の價格表章も亦異なつたものとなるであらう。

されば二つの異つた商品、例へば金と銀とが同時に價値尺度として採用されてゐる所では、一切の商品は二つの異つた價格表章、即ち金價格と銀價格とを有することになる。隨つて金銀の價値比例が變動する毎に、價格の攪亂が生じて來る。價値尺度の二重化なるものは、實際のところ不合理な事であつて、貨幣が價値標準として盡す機能と矛盾するものである。法律で二つの商品を價値尺度に定めようとしても、事實に於いては常に一商品のみが價値尺度として作用することになる。

金銀は今日でも尚ほ多くの國々に於いて、法律上價値標準として竝制されてゐる。けれども經驗は常に、斯くの如き法律規定の不條理なることを證明した。金銀は他の凡ゆる商品と同樣に、不斷の價値變動を免れることが出來ない。そこで金銀が法律上互ひに同格なることを認められ、隨意に其一方を以つて支拂ふことが出來るとすれば、かゝる場合には價値の低下した方のものを以つて支拂ひ、價値の騰貴した方のものは之れを外國で有利に賣捌き得る所に販賣する。隨つて複本位制の實施されてゐる國々では、事實上常に一種の貨幣商品のみが、即ち價値の低落した方の商品のみが、價値標準たる機能を盡すことになる。而して價値の昇つた方の金屬は、他の一般商品と同樣に、現實的の價値よりも高く評價されてゐる金屬、即ち上記の價値低下したる金屬を以つて其價格を秤量される。それは商品として作用し、價値標準としては作用しないことになる。斯くして金屬の價値比例の動搖が甚だしくなればなる程、複本位制の矛盾撞着はますます著しく表面に現はれて來る(ロ)。

註(ロ)複本位制實施の運動は、前世紀にはまだ頗る盛んであつたが、今ではモウ望みなきものとなつて、聲を潛めてしまつた。今や各國とも續々金本位制を採用してゐる。最近數10年について言へば、墺地利は1892年に、日本は1897年に、露西亞は1898年に、亞米利加合衆國は1900年に之れを採用した。又英國では既に18世紀末以來、獨逸では人の知る如く1871年以來、和蘭では1877年以來採用されてゐた。次に白、佛、瑞西諸國には名義上尚ほ複本位制が行はれてゐるが、事實に於いては矢張り金本位制が支配してゐる。又英領及び蘭領諸植民地も、既に金本位制を採用するやうになつた。獨逸が若し複本位制を採用したとすれば、それに依つて最大の利益を受けるものは、金本位時代に債務を契約した人々であらう。蓋し彼等は此場合、銀で其債務を償却することが出來るからである。而して此種の長期債務の多くは抵當債務であるから、結局農民が利益を受けることになる。

マルクスは『資本論』の中では論旨を單純ならしむるため、金が唯一の貨幣商品であると假定した。事實上にも、今日の資本制生産方法のもとに立つ諸國に於いては、金が益々貨幣商品となつてゐるのである(ハ)。

註(ハ)近世生産方法の行はれる諸國の貴金屬準備(鑄貨及び地金)の價値は左の如く計算されてゐる。

 1831年1880年
2,232,000,000馬克13,170,000,000馬克
8,280,000,000馬克8,406,000,000馬克

1880年より1908年に至る世界の鑄貨の中、金貨は300億馬克であり、銀貨は200億馬克強であつた。要するに、今日では金が壓倒的の貨幣商品となつてゐるのである。

2.價格標準としての貨幣

價格表章に於いては、各商品は一定量の金として考へられる。そこで又勢ひ、相異つた分量の金を相互秤量することが必要になつて來る。斯くして諸價格の標準を造り出すことが必要となる。金屬なるものは、此標準を自然に具備してゐる。それは即ち金屬の目方である。されば多くの國々に於いては、價格標準の本來の單位名として金屬の重量名を其儘に採用してゐる。例へば英國のポンド、佛國のリヴル、古代希臘のターレンス、羅馬のアスなどがそれである。

斯くの如く、貨幣は一面に於いて價値尺度たる機能を有すると同時に、又價格標準たる機能をも有してゐる。價値尺度たる貨幣の機能によつて、商品の價値は假想定量の金となり、價格標準たる貨幣の機能によつて、相異つた分量の金は、單位として採用された一定量の金、例へば1ポンドの金を標準として秤量される。

3.價値尺度と價格標準との差異

價値尺度と價格標準との相違は、價値變動に對する雙方の關係を見れば明かになる。

いま假りに、價格標準の單位が10グラムの金であるとする。金の價値は如何樣であるにしろ、20グラムの金の價値は常に10グラムの金の2倍であるに相違ない。隨つて金の價値の高下は、價格標準の上には何等の影響をも及ぼすものでない。

所で金を價値尺度と見做し、上衣1着の價値が10グラムの金に等しいものとして見る。いま金の價値が變動した結果、從來と同一の社會的に必要なる勞働時間を以つてして、從來に2倍する金を算出し得るに至つたが、一方裁縫勞働の生産力には何等の變化も生じないとして見る。すると上衣の價格は2倍に増進して20グラムの金に等しくなる。即ち金の價値變動は、其價値尺度たる機能に反應して來るのである。

價格標準なるものは、例へば物指と同樣に、氣儘に決定され得るものである。一方に又、此標準は普遍的に通用し得るものでなくてはならぬ。之れは最初、習慣的に傳來の重量區分を其儘採用したものであるが、終には法律で規定されるやうになる。斯くて貴金屬の種々なる重量部分は其目方とは異つた法定名稱を受ける事になる。例へば我々は金70分の1ポンドと言はないで、金貨20マルクと呼ぶ。斯うなるとモウ商品價格は金の目方では言ひ現はされず、金標準の法定計算名稱を以つて言ひ現されることになる。

價格なるものは前にも言ふ通り、商品の價値量の貨幣名である。が、價格は又、商品と貨幣商品たる金との交換比例の表章でもある。商品の價値は決して單獨にそれ自體として現はれるものでなく、常に他商品との交換比例を通して現はれる。然し此交換比例は、價値量に依つて影響されるばかりでなく、又他の種々なる事情に依つても影響され得るのである。斯くして價格と價値量との不一致が可能となる。

4.交換の戀物語

仕立屋が其上衣の價格を10グラムの金と言ひ、又は法定計算名稱を以つて30マルクと呼ぶ時、彼れは10グラムの金に對して何時でも上衣を提供すると云ふ事を意味してゐる。然し彼れの上衣に對して何人も直ちに10グラムの金を提供するものと考へるのは早計である。上衣をして其商品たる目的を果さしめる爲には、何うしても之れを金に換へる事が必要である。商品は常に貨幣を要求して居る。價格は實に商品が其戀人たる黄金に送る熱愛の貲である。然し商品界の色戀は小説流に成り行くものでない。商品の戀は必ず成立するものとは限つて居らぬ。そこで多くの商品は戀人に見棄てられて、空しく店晒らしの味氣ない生活を忍ばねばならなくなる。

我々は更らに立入つて、商品の此金との戀物語の成り行きを辿ることにしよう。

(2)賣買

1.二重の轉化

我々はお馴染の仕立屋に伴いて市場に行かう。彼れは自分の造つた上衣を30マルクと交換し、それで一樽の葡萄酒を買ふ。我々は茲に二つの反對した轉化を見る。即ち先づ商品が貨幣に轉化し、更らに貨幣が又商品に再轉化することである。けれども此轉化の全行程の兩端を成す商品は、決して同一物でない。最初の商品は其所有者にとつて非使用價値であるが、最後の商品は反對に其所有者にとつて使用價値である。最初の商品は使用價値としてでなく、價値として、即ち一般人間勞働の生産物として其所有者に役立つ。それは一般人間勞働の生産物として、同じく一般人間勞働の他の生産物たる貨幣と交換される。茲に、所有者に對する此商品の效用が存してゐるのである。

所が右の轉化行程の最後の商品、即ち上例について言へば葡萄酒は、一般人間勞働の生産物としてではなく、一定の具體的勞働なる葡萄栽培勞働の生産物として、其所有者に役立つ。即ち葡萄酒の物體的性質が、其所有者にとつて有用なのである。

2.商品の流通

單純なる商品循環を公式で示せば左の如くになる。

商品―貨幣―商品

之れは買ふ爲に賣るのである。

此等の兩轉化、即ち商品の貨幣化と貨幣の商品化との中では、我々の知る如く前者の方がヨリ困難である。一度び貨幣を手に握つて了へば、商品を買ふことは何でもない。けれども貨幣を得る爲の販賣は中々容易でない。而して商品生産の社會に於いては、貨幣は如何なる商品所有者にとつても必要なるものである。社會的分業が發達するに從つて、各生産者の勞働は益々專門的局部的となり、其欲望は益々多面的となるからである。

『商品の命がけの飛躍』、即ち商品の貨幣化が行はれる爲には、商品は先づ使用價値たることを要する。即ち人間の欲望を充たすものでなくてはならぬ。一度び此條件が完備して、商品が首尾よく貨幣に轉化したとする。此場合には先づ、それが幾許の貨幣に轉化したかが問題となる。

然し此問題は今のところ之れ以上に關係する所がない。之れが解決は價格法則の研究の領域に屬してゐる。茲ではたゞ商品―貨幣といふ形態變化のみが問題となるのである。而して此場合、商品の價値量が減るか殖えるかといふ事は關係がない。

仕立屋は其上衣を賣つて貨幣を得る。今假りに、其上衣を農夫に賣るとする。仕立屋の方から言へば之れは賣るのであるが、農夫から言へば買ふのである。賣ることは總べて買ふことであり、買ふことは總べて賣ることである。然し農夫が上衣を買ふ爲に要する貨幣は何處から來るか。彼れは自分の造つた穀物を賣つて、それを得た。斯くの如く、貨幣商品たる金が、其生産起點なる金鑛より始めて、甲なる商品所有者から、乙なる商品所有者に移り行く道を辿つて考へるとき、我々は貨幣の所有變化が販賣の結果であることを見出す。

所で上衣―貨幣なる轉化は、曩に見た如く單に一列の轉化の一節ではなく、二列の轉化の一節である。即ち一方の轉化例は上衣―貨幣―葡萄酒であるが、他方の轉化例は穀物―貨幣―上衣である。斯くて一商品の轉化列の始點は同時に他商品の轉化列の終點となり、後者の始點は又前者の終點となる。

次に葡萄栽培者が葡萄酒を賣つて得た30マルクで、鍋と石炭とを買つたとする。此場合貨幣―葡萄酒なる轉化は上衣―貨幣―葡萄酒なる轉化列の最後の一節であると同時に、又葡萄酒―貨幣―石炭及び葡萄酒―貨幣―鍋なる二つの轉化列の最初の一節となる。

此等の轉化列は、いづれも商品―貨幣―商品なる循環を代表するものである。いづれも商品に始まつて、商品に終る。然し一商品の各循環は、他商品の諸循環と錯交してゐる。此等の相互錯交した無數の循環の總運動こそ、即ち商品流通を構成する所のものである。

3.物々交換と商品流通

商品流通は直接の物々交換即ち單純なる交易とは、全く其本質を異にするものである。元來物々交換なるものは、生産力が原始共産社會の埒外に食み出た結果である。此交換に依り、社會的勞働の組織は共産社會の埒外に擴大された。即ちこれに依つて各共産社會及び其所屬員は、相互の必要の爲に勞働することとなつた。所が、社會の生産力が更らに増進するに及んで、物々交換それは自身又一つの障碍となるに至つた。而して此障碍は、商品流通に依つて打ち破られたのである。

物々交換の社會に於いては、甲が乙の生産物を受取ると同時に、乙は又甲の商品を受取らねばならぬ。商品流通は此制限を全く撤回した。成る程、商品流通の社會に於いても、賣ることは確かに又同時に買ふことである。仕立屋は誰かが(例へば農夫が)其上衣を買ふ事なくして、それを賣ることは出來ぬ。けれども先づ第一に、仕立屋は必ずしも賣ると同時に買ふことを要しない。仕立屋は他日、買ふ好機會の到來する迄、賣上げを貯蓄保存して待つてゐることが出來る。それから第二に、彼れは現在も將來も、決して其上衣の買主たる農夫から物を買ふことを要しない。又自分の賣つた市場で買はなくてもいい。斯くて商品交換の時間的、場所的及び個人的制限は、商品流通の出現と共に悉く撤回されることになる。

然し物々交換と商品流通との間には、いま一つの差異がある。元來物々交換なるものは、原始社會の有り餘つた生産物を交換するもので、此生産の下に於いても、原始共産社會の生産形態、即ち生産當事者に依つて直接管理されると云ふ生産形態は保存される。

所が是れに反して、商品流通の發達と共に社會の生産事情は益々錯綜し不鮮明となり、そして又益々意のまゝにならなくなる。個々の生産者は相互獨立すると同時に、又益々其社會的連絡に隷屬するやうになつて來る。而も此社會的連絡は最早、原始共産社會に於ける如く之れを自由に支配することが出來ない。斯くて社會力は盲目的自然力と化し、一度び其進行を妨げ、其平衡を攪亂する物に逢着すれば、忽ちにして地震暴風の如き大破裂を惹き起すやうになる。

商品流通は其成立當時よりして、既に斯くの如き大破裂の胚種を包藏してゐる。直接買ふを要せずして賣ることが出來ると云ふ事は、それ自體の中に販路停滯の、即ち恐慌の可能を包藏してゐる。けれども此可能が事實となつて現はれる爲には、其前に先づ社會の生産力が更らに發達して、上記の如き單純なる商品流通の域を突破せねばならぬ。

(3)貨幣の流通

1.循環と流通

前節に辿つた穀物―貨幣―上衣―貨幣―葡萄酒―貨幣―石炭……なる商品循環を想起しよう。此循環の進行は貨幣にも運動を傳へるが、然しそれは決して循環ではない。最初農夫から出發した貨幣は、商品循環の進行するに從つて益々農夫を遠ざかる。『されば商品流通に依つて直接貨幣に傳へられる運動形態は、貨幣が絶えず其出發點から遠ざかるといふ事、即ち一つの商品所有者から他の商品所有者の手に移轉するといふ事、換言すれば貨幣の流通である。』

貨幣の流通は、商品循環の結果であつて、屡々假定される如く其原因ではない。使用價値としての商品は、我々が今研究してゐる單純なる商品流通(其處には營業的商業も再販賣も尚ほ未だ存在して居らない)の下では、其進行の第一歩に於いて早くも流通を脱出して消費の域に入る。而して價値の等しき相異つた新使用價値が其代りに現はれて來る。穀物―貨幣―上衣なる循環に於いては、最初の轉化形態なる穀物―貨幣が行はれた後、穀物は流通部面から脱出して、それと同一の價値ある異つた使用價値が穀物販賣者の手に戻つて來る。それは貨幣―上衣なる轉化形態の示す通りである。流通要具としての貨幣は流通から脱出しないで、たえず其内部を馳け巡つてゐる。

2.商品流通に要する貨幣量

そこで、商品流通に要する貨幣量は幾許かと云ふ問題が起つて來る。既に述べた如く、各商品は現實的の貨幣と接觸する以前、既に一定量の貨幣と等位に置かれる。即ち其價格は、豫め決定されてゐるのである。隨つて、各箇の商品の將來得らるべき價格及び凡ゆる商品の價格の總和は、(金の價値が假りに一定してゐるとすれば)豫め決定されて居る筈である。然るに商品の價格總和は、一定量の假想された金に外ならない。此假想された金が現實の金となり得なければ、商品は流通するものではない。隨つて流通する金の分量は、流通する商品價格の總和に依つて決定される事になる。(茲ではまだ單純なる商品流通の領域内に動いてゐるので、信用貨幣や支拂上の清算などは尚ほ未だ知られて居らぬ事を念頭に置かねばならぬ)。而して此價格總和は一般物價に變動がないとすれば、流通商品の分量に從つて増減し、流通商品の分量に變化がないとすれば、物價の高低につれて増減する。而して此増減が市場價格の變動に依つて生ずるか、それとも金なり一般商品なりの價値變動に依つて生ずるかは、いづれにしても差異なき所である。又、此價格増減が總べての商品に行き渡るか、それともたゞ一部の商品だけに限られるかと言ふことも、差異のない所である。

けれども商品販賣なるものは、必ずしも相互無聯絡のものでなく、又必ずしも同時に行はれるものでもない。

例へば、前の例に從つて275升穀物―15圓―1着上衣―15圓―22升葡萄酒―15圓―2000斤石炭―15圓なる變化形態が行はれるとする。商品價格の總和は15圓×4即ち60圓である。けれども實際は60圓ではなく15圓あれば、此4回の賣買を執り行ふ事が出來る。即ち15圓が順次に4回の流通を重ねるのである。假りに此4回の賣買が1日に行はれるとすれば、右の商品流通に要する1日の貨幣量は60圓/4=15圓であつて、之れを一般的公式で示せば左の通りになる。

商品の價格總和/同額面貨幣の流通度數

これ即ち、一定期間内に流通する流通要具としての貨幣の分量である。

3.貨幣流通の速度

一國内に於ける貨幣の流通期間は、固より千差萬別である。或者は數年間も錢箱の中に納められてゐるが、或者は又日に30回も流通する。けれども其流通速度の平均は一定してゐる。

貨幣の流通速度は、商品循環の速度に依つて決定される。商品が流通から脱出して、消費の域に入ること早きに從つて、又流通内部に於ける商品の新陳代謝が迅速であればある程、貨幣の流通も又益々迅速となる。反對に商品の循環が緩慢であればある程、貨幣の流通も亦益々緩慢となり、流通内部に出沒する貨幣も從つて減少する。そこで、事物の皮相ばかりを眺めてゐる人々は、貨幣が不足なる爲に商品流通が停滯するといふ風に考へる。成る程、さういふ場合もあり得る。然しそれは今日、長期に亙つて現はれることは滅多になる。

(4)鑄貨、紙幣

1.鑄貨の出現

賣買毎に、交換すべき各貨幣金屬の純量及び重量を吟味せねばならなかつた時代に在つては、取引上甚だしく不便であつたことは云ふ迄もない。所が此不便は、政府が各貨幣金屬の重量及び純量を保證するに至つて全く救治された。斯くして、金屬地金から國定の金屬鑄貨が生ずるやうになつたのである。

貨幣の鑄貨形態は元來、流通要具としての貨幣の機能から生じたものである。けれども貨幣が一度び其鑄貨形態を採るや否や、此形態は流通内部に於いて其純量を離れた獨立の存在を採るやうになる。一定の鑄貨表徴が一定量の金を含み、又は一定量の金に等しきことを國家から保證されゝば、此表徴はやがて一定事情の下に、充分なる現實的の金量と同樣に流通要具として作用し得る。

然し貨幣の流通それ自體が、既に之れと同じ結果を生ぜしめる。即ち貨幣が流通すること長きに從つて其磨滅は益々甚だしく、斯くて名目上の實質と現實的の内容との開きが益々甚だしくなつて來る。古くから使はれてゐた貨幣は、いま出來たばかりの貨幣よりも遙かに輕い。それでも、一定の事情の下に於いては、此雙方は流通要具として同一の價値を代表し得るのである。

2.補助貨幣

名目上の實質と現實的の内容との此開きは、補助貨幣になると一層甚だしい。下級金屬なる例へば銅が、最初の貨幣であつて、それが後に貴金屬に取つて代はられるといふ場合が屡々生じた。之れがため、銅は(金貨本位實施後は銀も亦)價値尺度たる機能を奪はれて了つた。然し其後と雖も尚、銅貨銀貨は相變らず國内取引上の流通要具として作用してゐた。此場合、銅貨銀貨は一定重量の金と一致するもので、其代表する價値は金の價値と同一の比例を以つて高低し、銅その者、銀その者の價値の變動からは影響を受けない。斯くの如き状態の下に於いては、銅貨銀貨の金屬純量は鑄貨としての其機能に何等の影響をも及ぼさない。斯くて我々は國法に依つて隨意に、幾許の金を銅貨なり銀貨なりで代表せしむべきかを定める事が出來る。此處から、金屬表徴の代りに紙の表徴を以つてするやうになる迄には、即ち無價値の紙券を一定量の金と等位に置くやうになる迄には、ホンノ一歩であつた。

斯くして、國定紙幣が出現した。之れは信用貨幣と混同さるべきものでない。後者は全く別の貨幣機能から生じたものである。

3.紙幣の機能

紙幣は流通要具としてのみ金貨に代用され得るもので、價値尺度としては、金貨に代り得るものでない。それは一定量の金を代表する方面から見た金貨に對してのみ、代用を勤める事が出來る。流通要具としての紙幣については、それに依つて代用された金屬貨幣の場合と同一の法則が當嵌る。紙幣なるものは商品流通が吸収する以上の金量に代る事は出來ない。一國の商品流通が金貨1億マルクを要する場合に、國家が2億マルクの紙幣を流通せしむれば、其結果20マルク紙幣2枚を以つて20マルク金貨1箇に相當する商品しか買へない事になる。即ち此場合紙幣に依つて言ひ現はされた價格は、金貨に依つて言ひ現はされた現實的價格の2倍に相當する。紙幣は濫發の結果下落する。現在(1890年當時)に於ける露西亞が丁度それである。露西亞で濫發された國定紙幣は50年以上も引きつゞいて其代表すべき金屬價値に及ばなかつた。濫發に因る此紙幣下落の最大なる實例は、1790年の佛蘭西大革命當時に發行されたアシニヤー紙幣である。革命政府は同年以降、1797年5月に至る7年間に、無慮455億8100萬フランのアシニヤーを流通せしめた。其結果、これらの紙幣は結局みな無價値のものとなつて了つたのである。

(5)貨幣の其他の機能

1.退藏貨幣としての貨幣

我々は既に單純なる商品流通の發生を究めて、此流通に伴ひ如何にして價値尺度及び流通要具としての貨幣機能が發達し來たつたかを見た。然し貨幣の機能は、單に此二つのみに限られてゐる譯でない。

商品流通それ自體が發達すると共に、貨幣商品たる金を手放さずに貯藏しようと云ふ必要及び熱望が生じて來る。元來、貨幣の特徴は、商品生産の特徴に照應するものである。即ち社會的生産が相互獨立してゐる個々の生産者に依つて營まれると云ふ事が商品生産の特徴であると同樣に、貨幣も亦一つの社會的權力であるが、然しそれは社會の權力ではなく個人の私有たり得るものである。人が多額の貨幣を支配すればする程、彼れの社會的權力、彼れの財貨及び享樂、換言すれば彼れに依つて支配さるべき他人の生産物も亦ますます増大して來る。貨幣は萬能である。それは萬人が使用し、萬人が受入れる唯一の商品である。そこで商品流通に伴ひ、人間の貨幣慾が覺醒され増進して來る。

然し、商品流通の發達した社會に於いては、貨幣蓄積なるものは單に一つの熱慾であるばかりでなく、又一つの必要となつて來る。生産物の商品化が進み、使用價値のための生産が減ずれば減ずる程、生活上に貨幣を所有する必要が益々増大して來る。我々は生きんがためには、絶えず物を買はねばならぬ。けれども物を買ふには、豫め物を賣つて居らねばならぬ。所が、此賣る物を造るには相當の時間が要る。而も其造つた物が賣れるのは偶然の結果である。そこで商品生産の進行を維持し、其生産の持續中生活し得るためには、貨幣貯藏を持つことが必要になつて來る。斯かる貨幣貯藏は、流通の停滯を融和する上にも必要なものである。蓋し流通貨幣の大小は前にも言ふ通り、一般物價、一般商品の分量及び循環の速度に依つて、決定されるからである。而も此等の各因子は、不斷に變動しつゝあるもので、隨つて流通貨幣の分量も不斷の變動を免れる事が出來ぬ。然らば有り餘つた貨幣は何處へ流れて行き、不足の貨幣は又何處から流れて來るか。それは即ち退藏貨幣である。退藏貨幣なるものは謂はゞ貯水池の如きもので、貨幣を受け入れては又放出し、斯くして流通行程上の停滯を融和させる。

2.支拂要具としての貨幣

商品流通の初期に於いては、物々交換の場合に於ける如く、常に二種の商品が直接交換される。たゞ商品流通の場合には、一方の商品が必らず一般的等價即ち貨幣商品でなければならぬと云ふ一點が違ふだけである。所が商品流通が發達すると共に、商品の引渡しと商品の價格に相當する貨幣の受領とを、時間的に全く分離せしむる事情が生じて來る。斯くて今や豫め支拂を濟して置いて後に商品を受取るか、又は――それよりも屡々行はれる事だが――商品を先に受け取つて置いて、代價を後から支拂ふやうにさせる事情が生じて來る。

此説明の一例として13世紀における伊太利の絹織業者を擧げる。彼れは其原料品たる絹絲を最寄りの絹紡業者から供給されるが、其成品たる絹織物は獨逸へ持ち込まれる。而してそれが獨逸で賣れて、其賣上げが彼れの手に届く迄には34ケ月を要する。扨て、絹織業者が絹織物を仕上げたと同時に又、絹紡業者の方では絹絲を仕上げた。そこで後者は直ちに、其絹絲を絹織業者に賣る。所が絹織業者はそれから4ケ月後でなくては、其製品の賣上げを手に入れる事が出來ない。そこで何うなるか。即ち絹織業者は取敢えず絹絲を買つて、4ケ月後に其代金を支拂ふことにする。

茲に於いて、買手と賣手とは從前とは異つた外觀を呈する事になる。即ち賣手は債權者となり買手は債務者となる。然しそれと同時に、貨幣も亦從前とは異つた機能を與へられる。即ち從前の如く商品流通を媒介するのではなく、個別的に商品の循環を結了させることになる。此機能から見た貨幣は、最早流通要具ではなく支拂要具となる。即ち、一定量の價値の引渡しに對する契約義務を履行すべき要具となるのである。

然し斯くの如き義務は、必らずしも商品の流通行程から生ずることを要しない。商品生産が發達するに從つて、一定の使用價値の引渡しを、一般的價値の形態たる貨幣の引渡しに轉化せしめようとする努力が益々著しくなる。例へば國家に對する現物税が貨幣税となり、官吏に對する現物給付が貨幣俸給となるが如きである。茲に於いて、支拂要具としての貨幣の機能は商品流通の領域を超える。

3.信用要具としての貨幣

我々は更らに絹織業者の例に論を戻さう。彼れは其場で代價を支拂ふことが出來ずに、絹紡業者から絹絲を買ふ。けれども金錢問題に情愛は禁物である。絹紡業者は素手では家に歸らぬ。彼れは證書ならば安心して持ち歸へれると考へる。そこで彼れは、4ケ月後には必らず代價を支拂ふと云ふ證書を受け取つて來る。所が彼れも亦、同じ4ケ月以内に他に支拂をしなければならぬ。けれども現金を持ち合せないため、右の證書で支拂ふ。そこで此證書が貨幣の機能を盡すやうになる。こゝに於いて又、一種の貨幣が生じた。信用貨幣(手形、小切手等)が即ちそれである。

所が更らに異つた事情が生じて來る。絹織業者は絹紡業者から、價格500圓の絹を買つた。然るに絹紡業者は又其妻のために、600圓の腕環を飾屋から買つた。同時に又此飾屋は、先きの絹織業者から價格400圓の絹物を受け取つた。今假りに、此三つが何づれも同時に滿期となるものとして見る。すると絹紡業者は飾屋に600圓支拂はねばならぬ譯であるが、同時に又絹織業者から500圓請求する權利を持つてゐる。そこで彼れは100圓だけ飾屋に支拂つて、殘りの500圓は絹織業者に指圖して、同人の手から飾屋に支拂はしめる。所が絹織業者は又、飾屋から400圓請求すべき權利を有してゐるので、結局100圓拂へばいいことになる。かくて總計1500圓なる三つの支拂取引は、相互清算の結果、200圓だけで全うされることになる。

勿論、此等の過程は、現實上には茲に言ふ程單純に進行するものではない。然し商品販賣の支拂が實際、或程度まで相互清算されることは疑ひを容れぬ所である。而して此現象は商品流通の發達と共に益々著しくなつて來る。斯くて多數の支拂が僅少の場所及び一定の時間に集中する結果、茲に清算上特殊の施設及び方法が現はれて來る。例へば中世に於ける佛國リオンのヴイルマン(清算所)がそれである。其他同じ目的に使用される爲替銀行、手形交換所、金融同盟等は人のよく知る所である。斯くて清算せざる支拂のみが、貨幣で履行されねばならないことになる。

信用制度が斯く發達すると共に、貨幣の退藏は最早從來の如く獨立した致富方法ではなくなる。信用制度が發達するにつれて、富を保存しようとする人は、昔の如く貨幣を地中に埋めたり、錢箱の中に祕藏したりする必要がない。それを他人に貸付けることが出來る。と、同時に又、信用制度は暫行的の貨幣退藏を必要ならしめる。債務滿期の當日支拂に使用すべき貨幣高を蓄積して置くことが、即ちそれである。

4.金融恐慌の可能

けれども斯くの如き蓄積は、必ず成功するものとは限らない。前の例について言へば、絹織業者は4ケ月後に必らず代價を支拂ひませうと約束した。其時までに、自分の商品が賣れることを當てにしてゐるからである。然し其當てがハヅレて、支拂が出來ないと假定しよう。絹紡業者の方は此支拂を當てにしてゐる。それを當てにして彼れは飾屋から腕環を買つたのだ。そして飾屋も亦、恐らく絹紡業者からの支拂を當てにして、他から物を買つたかも知れぬ。斯くて一人の支拂不能は、多人數の支拂不能を招致することになる。而して此傾向は、連續的竝びに斷續的なる支拂と其清算との制度が發達するに從つて、益々著しくなる。

そこで假りに一般的過剩生産の結果として、一人ではなく多數の生産者が其商品を販賣し得なくなつたとして見る。彼等の支拂不能は又、既に商品を販賣した他の多數生産者の支拂不能を伴ふことになる。斯くて信用證券は全く其價値を失ひ、誰れも彼れも一樣に現金即ち一般的等價を要求するやうになる。茲に於いて、一般的の貨幣逼迫即ち金融恐慌が出現する。之れは社會の信用制度が或程度まで發達すると、生産上又は商業上の恐慌に必然免れ難き隨伴現象となる。そして此金融恐慌こそ、商品生産制度の下に於いては、貨幣は商品についての單なる信用證券に依つて代用せられ得るものではないと云ふ事實を最も明瞭に示すものである。

5.世界貨幣

貨幣には二種の流通領域がある。一つの國内市場、他は世界市場である。貨幣が鑄貨及び紙幣の形を採るのは、國内市場にのみ見られる所であつて、國際取引に於いてはさうでない。世界市場の舞臺に出ると、貨幣は本來の姿に返つて、貴金屬地金即ち金銀と云ふ形態を採る。國内市場では、單一の貨幣商品のみが現實的に價値尺度として作用し得るが、世界市場に於いては、今日に至る迄金銀の雙方が價値尺度として役立つてゐたのである。

然しマルクスが『資本論』を書いてから後、世界市場に於いても、金が唯一の貨幣商品たらんとする紛れなき傾向が生じて來たと言ひ得る。

世界貨幣の主要機能は、貨幣が支拂要具として國際的貿易差額(輸出入過不足)の清算に使用されるといふ事にある。

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