第2篇 餘剩價値

第10章 機會及び大工場

(1) 機會の發達

1.工場的手工業の滅亡

工場的手工業に於ける分業は、手工業的勞働を變化せしめることは事實であるが、然しそれを廢除してしまふものではない。手工上の熟練は、工場的手工業についても大體に於いて其基礎を成してゐる。而して偏局的であるとは言へ修練を經てゐる其部分勞働者は、是れに依つて資本家に對する一定の獨立を與へられることになる。彼れは朝改暮變的に代置され得るものでない。而も彼れの勞働給付は、曩に掲げたピン製造の例でも分る通り、資本家の全經營の持續上必要缺く可らざるものとなつてゐるのである。彼れは此強味をよく自覺してゐるので、例へば徒弟制度の如きに於いて出來得る限り手工上の習慣を維持し、これに依つて、工場的手工業の斯かる手工業的特徴を維持しようと懸命に努める。

此努力は今日尚、工場手工業的に經營されてゐる幾多の産業に見られ得る所であつて、勞働組合運動に依つてなし遂げられた多くの成功の祕訣は、此點に存してゐるのである。

一方の人の喜びは他方の人の悲みである。『されば工場的手工業の全期を通じて勞働者の訓練缺乏を訴へる聲が揚つてゐる。而して我々は同一時代に於ける多くの著述家たちの證言を有しないとしても、16世紀以後大工業の時代に至る間、資本が、工場的手工業勞働者の利用し得べき勞働時間の全部を占取することに失敗したと云ふ單純なる事實、竝びに各種の工場的手工業が短命であつて、外國から又外國への勞働者の移住と共に、其所在を本國から他國へ移し換へたと云ふ單純なる事實は、此點に充分の證據を提供するものである。』斯かる事情のもとに、1770年に刊行された一小册子の匿名著者が『勞働者は主人から獨立してゐるものと考へてはならぬ。……秩序は、何等かの方法で立てられねばならぬ』と、悲痛の叫びを揚げたことも、成る程と頷かれるのである。

秩序は立てられた。之れが前提條件は、工場的手工業それ自身に依つて、造り出されたのである。工場的手工業は、複雜なる勞働器具を生産すべき、等級的に組織されたる作業場を出現せしめた。而して『工場手工業的分業の産物たる此作業場は又、機械を造り出したのである。』而して機械は又、手工業的活動の支配に最後の一撃を加へることゝなるのである。

2.機械とは何ぞや

機械は如何なる點に於いて手工器具と區別されるか。勞働要具は何に依つて道具から機械に轉化されるか。それは要するに、適當なる運動に轉置されさへすればいい機械装置が『其道具を以つて、從前勞働者が同樣の道具を以つてなした所と同一の操作をなす』からである。此機械装置の動力が直接人に依つて與へられるか、又はそれ自身一つの機械に依つて與へられるかは、問題の本質の上に何等の影響をも及ぼすものでない。之れは、機械が人間とは異つた自然力(動物や水や風などの如き)に依つて運轉されるといふ點に道具との區別を求める謬想を否定する所の事實として、固く念頭に置く必要がある。斯樣な動力の使用は、機械の使用よりも遙かに古い。早い話が、牛馬に鋤を曳かせるなどは、隨分古くから行はれた事である。人の能く知る如く、水車や、ポンプの動力として、動物や、風や、水などを利用することは早くから行はれてゐたが、これがため生産方法の革命を喚び起すに至らなかつたのである。17世紀末に發明された蒸氣機關でさへ、何等の産業革命をも喚起さなかつた。然るに紡績機械といふ最初の重要なる作業機(Werkzeugmaschine)が發見された時、こゝに産業革命が生じて來たのである。たまたま鐵瓶の沸騰するを見て、蒸氣力が發見されたと云ふお伽噺ほど馬鹿々々しいものはない。蒸氣の力は2000年前のギリシア人にも既に知られてゐたらしく思はれるが、彼等はそれを如何に利用すべきかを知らなかつたのである。後に至り、蒸氣力は種々なる機械玩具に利用された。蒸氣機關の發明は、過去に於ける試みを基礎として、目的を意識せる現實的の心的努力を傾倒した結果である。而して其發明は、之れが製造上の技術的諸條件、就中熟練機械工の充分なる人數が工場的手工業に依つて供給されてゐたからこそ、可能となつたのである。更らに又それは、必要が新たなる動力についての興味を喚び覺ます時、始めて可能となつたものである。作業機の發明された時が、即ちそれであつた。

此作業機を充分利用するには在來のものよりも一層強大にして、且つ規則正しく作用する所の動力が必要である。人間は連續的劃一的なる運動を生ぜしむる器具としては、極めて不完全であり、且つ餘りに微弱である。強壯なる馬は價高く、且つ工場内に於ける使用範圍が局限されてゐるのみでなく、又、時として強情を張るといふ忌はしい性質を持つてゐる。風は餘りに不定で、且つ制御し難い。水力は工場的手工業の時代にも著しく使用されてゐたが、もはや滿足を與へるものではなくなつた。それは隨意に増進せしめ得るものでなく、一定の季節毎に利用し得なくなつて了ひ、別して定まつた場所に拘束されると云ふ缺點を持つてゐるからである。

ジエームズ・ワツトが、其協力者マシアス・ブールトンの大工場に於いて計劃の實行に必要なる技術上の力と財源とを見出した後、苦心慘憺、漸くにして彼れの第2の、謂ゆる複作用蒸氣機關なるものを發明するに及び、茲に始めて『石炭と水とを消費して自己の動力を造り、其力は全く人間の制御の下に立ち、可動的にして且つ他を移動せしむる一機關たり、都市的にして水車の如く田舎的たらず、又水車の如く生産を諸所に分散せしめずして都市に集中することを許し、其工藝上の應用に於いては普遍的なる』發動機が發見されることになつた。而して斯く完成された動力は又、作業機の上に反應作用して益々其發達を促すことは言ふ迄もない。

3.機械の三要素

『總べての發達したる機械は、本質を異にする三つの部分から成る。發動機(Bewegungsmaschine)と配力機(Transmissionsmechanismus)と、作業機(Werkzeugmaschine)とが即ちそれである。』全機械の動力としての發動機については、上に述べた通りである。配力機は節動輪、廻轉軸、齒車、滑車、革條、紐帶小齒輪及び各種の聯動機から成るものであつて、運動を調節し、必要に應じて其形態を變化せしめ(例へば直線形のものを變じて圓形たらしむる如き)又それを配分して作業機に移轉せしめる。『機構の此等兩部分は作業機に運動を傳へ、作業機をして勞働對象(原料)を把掴し目的通りに之れを變化せしめる爲にのみ存在してゐるものである。』

前にも述べた如く、作業機は18世紀に於ける産業革命の出發點となつたものであるが、今日でも在來の手工業的又は工場手工業的經營が機械經營に推移する所に在つては、矢張り其出發點となつてゐる。作業機と云ふ中には、力織機の如く舊來の手工器具から轉化して成つたものもあるし、又紡績機に於ける紡錘、襪編機に於ける針、截斷機に於けるナイフなどの如く、在來の器具を新たなる機體に据ゑ付けて成つたものもある。けれども同一の作業機に依つて同時に運轉せしめられる道具の數は『最初より一勞働者の手工器具に加へられる所の制限から免れてゐる。』

發動機は配力機構の適當なる按排に依つて、多數作業機の全部を同時に運轉せしめ得るものであるから、之れがため個々の作業機は、機械的生産の單なる要素たる地位に引き下げられてしまふ。例へば力織機に於ける如く、同一の作業機に依つて全製品が造り上げられる所に在つては、機械經營に基く作業場たる工場内には、其都度單純なる協業が再現して來る。蓋し多數の同種作業機が(勞働者のことは暫く措き)、同一の場所で、同時に相併んで共同作用するからである。而も其處には技術上の統一が存在してゐる。一つの鼓動が、同一の發動機が、此等の作業機を均等に運轉して行く。此等の作業機は畢竟、同一發動機構の器官機關に過ぎないのである。

4.機械の自動的組織

然るに勞働對象は又、種々異つた段階過程(夫々種類は異なるが然し相互補充する一連の作業機に依つて執り行はれる所の)の相互關聯した一列を通過する場合がある。工場的手工業に特有なる、分業に基く協業は、此場合、種々なる作業機の組合せとなつて再現するのであるが、斯かる現象の行はれる所に始めて、獨立した個々の機械に代つて嚴密の意義に於ける機械組織が現はれて來るのである。即ち各部分機械は、その直後に來たるものに原料を供給するのであつて、工場的手工業のもとに於ける部分勞働者の協業と同樣に、此編成された機械組織のもとに於いても亦、各部分機械相互の間斷なき協力が、夫々の數、範圍竝びに速度間の一定の比率を必要とするやうになるのである。

斯樣な結合作業機は、其全過程が連續的であればある程、即ち原料が最初の形態から最後の形態に推移する間、中絶を受くること少なければ少なき程、隨つてそれが人間の手の代りに機構その者を通して一の生産段階から他の生産段階に送り込まれること多ければ多き程、益々完全なものとなるのである。而して此結合作業機が人間の助力なくして原料の加工に必要なる一切の運動を爲し、たゞ人間の付添のみを要するやうになるとき、茲に機械の自動的組織なるものが生じて來る。此自動的組織も尚、細目に於いて不斷の完成を受くべき餘地を存してゐることは、かの一本の纖維が切れても自然に紡績機の運動を中止させる精巧な機械装置を見ても知られる所である。『近世の製紙工場』こそ、斯かる『生産の連續、竝びに自動原理應用の一例たり得るものである』と、マルクスは言つてゐる。

ワツトの蒸氣機關と同樣に、當時に於ける他の機械發明も亦、工場的手工業が熟練したる多數の機械的勞働者(即ち工場的手工業の部分勞働者、竝びに機械を造り得る相獨立した手工業勞働者)を供給したからこそ實行し得たのである。最初の機械は、手工業勞働者に依つて、又は工場的手工業の下に、造り出されたものである。

5.機械を造る機械

けれども機械の存在が、尚ほ半技術者たる性質を脱しない勞働者の個人的熟練と個人的力能とに基いてゐた間は、單に機械の價が極めて高かつたばかりでなく(此點については、資本家は常に著しく優れた理解を有してゐる)、又其應用の擴大、隨つて大工業の發達が、機械製造工の増殖に依つて左右されることを免れなかつた。而も、此等の機械製造工の仕事は、長期間の練習を要するものであつたから、一朝一夕にして彼等の數を増加せしめることは出來なかつたのである。

尚また生産技術の點に於いても、大工業は一定の發達程度に達するや否や、其手工業的竝びに工業手工業的基礎と衝突した。一切の進歩――機械の範圍を擴張した事も、本來支配してゐた所の手工業原形から機械を解放した事も、ヨリ適當ではあるが取扱ひ憎い材料(例へば木材に代用された鐵の如き)を使用した事も、みな絶大の困難に逢着したのであつて、これに打克つ事は工場的手工業の下に行はれた分業の組織を以つてしても、尚及ばざる所であつた。『例へば近世に於ける水力壓搾機や、力織機や、梳織機の如き諸機械は、工場的手工業に依つては供給し得ざるものであつた。』

他方に又、一つの産業部門に於ける革命は、それと關連した他の諸部門に於ける革命を伴ふものであつて、機械紡績は機械機織を必要ならしめ、更らに此等のものは相合して晒布、捺染、染色等の方面に機械的化學的の革命を喚び起すことになる。次に農工業方面に於ける生産方法の革命は又、交通運搬機關の革命をも必要ならしめる。大工場は生産の熱病的な迅速を特徴とするものであつて、急速に原料を受け入れ、急速に多量の生産物を市場に供給し得なくてはならぬ。又必要に應じて、多數の生産物を吸収したり排出したりすることが可能でなくてはならぬ。斯くして交通運搬機關の方面にも革命が生じ、帆船の代りに汽船が、馬車や荷車の代りに鐵道車が、飛脚の代りに電信が現はれて來る。『然るに今や、鍛錬し、鍛接し、切截し、鑿孔し、形造することを要する驚くべき鐵塊量が又、工場手工業的機械製造の手に餘る巨大の機械を必要とするに至つたのである。』

斯くして大工業なるものは、其本質に合致した、それ自身の基礎を造り出さねばならなくなつた。而して之れは、機械を造る所の機械を占取する事に依って行はれたのである。『生産技術は作業機によつて始めて、機械製造から課された大問題を解決する事が出來る』(『發明誌』)。けれども之れが爲には、個々の機械部分に必要なる、線や、平面形や、圓形や、圓筒形や、圓錐形や球形などの如き嚴密に幾何學的な諸形態を機械で造ることが必要であつた。而して此問題も亦、19世紀の初葉ヘンリイ・モーヅレーが滑臺を發明するに及んで解決されたものである。此滑臺はやがて自動的のものに改造されて、旋盤から他の構造機械に移轉されることゝなつた。斯樣な機械發明に依つて、『最も熟練したる勞働者の如何なる蓄積經驗からも與へられ得なかつた程度の容易と正確と迅速とを以つて』(イ)個々の機械部分の幾何學的形態を造り出すことが出來たのである。

註(イ)『諸國民の産業』第2卷239頁。マルクスは又此書の中から、滑臺の發明に關する次ぎの一句を引用してゐる。――『此旋盤附屬具は單純で又一見重要ならざるもゝ樣に思はれるけれども、それが機械の改善と擴張との上に及ぼした影響は、ワツトに依る蒸氣機關の改良に基く影響と同じく大なるものであつたとするは過言ではないと信ずる。』

然し機械の製造に充用される機械の壯大に就いては、茲に冗々しく述べる必要はない。誰れか我が機械製造場に於ける巨大作業のことを耳にしなかつたであらう。1萬封度もある怪物のやうな大汽槌が、苦もなく花崗岩塊を粉碎するかと思へば、又、1厘1毛の差に至るまで嚴密に秤量された微妙の打撞を與へる。誰れか此壯大なる作業に就いて耳にしなかつたものがあらう。而して又、機械組織の新たなる進歩、其領域の新たなる擴大に就いては、日々何等かの報道が與へられてゐるのである。

工場的手工業のもとに於ける分業は、主として主觀的のものであつた。個々の過程が、勞働者の人格に適合せしめられるのであつた。然るに近世の大工業は、機械組織の中に全く客觀的なる生産組織を有してゐるのであつて、此豫め完成された生産組織が勞働者と對立し、隨つて勞働者の方から是れに自己を適合して行かねばならないことになる。斯くて協業(即ち社會化された勞働者に依る個別的勞働者の驅逐)はもはや偶然的の現象でなく、『勞働要具の性質に依つて命ぜられた技術上の必要』となるのである。

(2) 生産物への機械の價値移轉

1.機械と生産物價値との關係

單純なる道具と同樣に、機械も亦不變資本の一部たるものであつて、それは何等の價値をも造り出すことなく、たゞ自己の價値(個々の場合に就いて言へば、磨滅に依つて失つた價値)を生産物に移轉してゆくに過ぎない。

機械は勞働行程には全部的に入るが、價値増殖行程には常にたゞ斷片的にのみ入るものである。此點は單純なる道具についても同樣である。たゞ異なる所は、本來の總價値と生産物に移轉される價値部分との差が、機械に於いては道具の場合に比し遙かに大きいと言ふ一點のみである。

其理由――第1に、機械は道具よりも堅牢な材料で出來てゐるから、ヨリ長持ちがする。第2に、機械は嚴密に科學的な法則に從ふものであるから、其組成部分の磨滅や、油、石炭等の如き助成材の消費についてヨリ大なる節減を可能ならしめる。第3に、生産上に於ける機械の範圍は道具のそれに比べて不釣合に大きい。

機械の價値と、1日の生産物に移轉される機械の價値部分との差が與へられてゐるとすれば、此價値部分のため生産物の價が高くなる程度は、生産物の量の如何に懸るものである。英國ブラツクバーンのベーネス氏は、1858年に試みた講演の中で『現實の1馬力(イ)を以つて、自動精紡機の紡錘450箇、又はスロツスル紡績機の紡錘200箇、もしくは40吋物を造る織機15臺を動かす事が出來る』と言つた。即ち1蒸氣馬力の1日の費用と、それに依つて運轉される機械の磨滅價値とは、第1の場合には自働精紡機の紡錘450箇、第2の場合にはスロツスル紡績機の紡錘200箇、第3の場合には、力織機15臺に依る1日の生産物の上に配分されて行く。隨つて1ロツトの絲なり、1ヤールの織物なりに移轉される價値部分は極めて微小なものとなる譯である。

註(イ)『資本論』第3版及び第4版の編輯者エンゲルスは、是れについて次の如き脚註を加へてゐる。――『1馬力とは3萬3000封度の重量を1分間に1呎、又は1封度の重量を1分間に3萬3000呎揚げる力に等しい。之れが即ち上記の馬力なるものである。』

次に、作業機の作用範圍、換言すれば作業機に於ける道具の數又は(汽槌に於ける如く力が問題となる場合には)其力の大きさが與へられてゐるとすれば、生産物量の大小は機械の作用する速度の如何に懸るものである。

機械から生産物に移轉される價値部分の大さは、價値移轉の程度が與へられてゐるとすれば、機械自身の價値の大小に懸るものであつて、機械の生産に要する勞働が小なれば小なるほど、それに依つて生産物に附け加へられる價値も亦ますます小となる。機械の生産に要する勞働が、機械の充用によつて省かれる勞働に等しいとすれば、此場合には勞働の位置轉換が行はれるだけで、勞働の生産力は毫も増進するものでない。機械の生産力なるものは、機械が人間勞働力を省く程度によつて秤量される。されば、手工業的又は工場手工業的に生産される商品に比すれば、機械による生産物に於いては、總じて勞働要具に基く價値部分は絶對的には低減しても相對的には(即ち生産物の總價値に比較すれば)増大する、といふ事は決して機械を以つてする生産の原理と衝突するものでない(ロ)。

註(ロ)生産物總價値のうち、勞働要具に基く部分は増大するが、生産力の増進せる結果、生産物全體の分量は尚それ以上の率を以つて増大するが故に、個々の生産物に就いて言へば、勞働要具に基く價値部分は手工業的若しくは工場手工業的生産物に比して減少すべき筈である。(譯者)

2.機械使用の制限

生産物の價を安くする立場から言へば、機械の生産に要する勞働が、機械の充用に依つて省かれる勞働よりも小であるといふことが、機械充用の限界となる。然るに曩にも述べた如く、資本家は充用勞働の代價を支拂ふものではなく、寧ろ、充用勞働力の價値を支拂ふに過ぎない故、資本家の立場から見れば、機械充用の限界は機械の價値と機械を以つて(その持續中)省かれる勞働力の總價値との差に依つて與へられることになる。然るに勞働者の受くる現實的の賃銀は、或時は勞働力の價値以下となり、或時は又勞働力の價値以上となり、國と時代と勞働部門との如何に隨つて種々異なるものであるから、機械充用の限界は機械の價格と、機械を以つて省かるべき勞働力の價格との差に依つて與へられるとも言ひ得る。資本家にとつて決定的となるものは、此後ちの差のみである。此差のみが、競爭といふ手段を以つて資本家の上に迫つて來る。さればこそ、或國では有利なることが明かになつた機械も、他の國では充用されないといふ現象が、時々見受けられるのである。石を碎く機械が米國に發明されたが、それは歐羅巴では充用されない。なぜならば、此勞働をする歐羅巴のプロレタリアは其勞働の一小部分に相當した賃銀しか受けてゐないので、此機械を使用すると資本家のためには却つて高いものにつくからである。

安賃銀は機械採用の妨げとなるものであつて、此點から見ても、それは社會發達上の害惡を意味することになるのである。

資本勞働の對立を廢除した社會に於いて始めて、機械は完全なる發展の作用部面を見出すであらう。

(3) 機械的經營が勞働者に及ぼす直接の影響

1.勞働搾取の増進

『人間の筋力を不要ならしめる方面から觀察すれば、機械は筋力なき勞働者、換言すれば身體の發達未熟にして、而も四肢はヨリたわやかな勞働者を充用すべき手段となるものである。勞働及び勞働者に對する此巨大なる代用具は、忽ちにして男女老幼を問はず、勞働者の一家を擧げて之れを資本の直接的支配の下に編入することに依り賃銀勞働者の數を増大する一手段と化した。』資本家の爲の強制勞働は、單に兒童の遊戲に取つて代るのみではなく、又自家の必要の爲にする自由な家庭的勞働にも取つて代るのである。『婦人及び兒童の勞働は、資本制的機械使用の最初の言葉であつた!』これが反應作用は、經濟上からも社會上からも、又道徳上からも、勞働者階級にとつて等しく不祥の事とならねばならなかつた。

從前に於いては、勞働力の價値を決定するものは、單に成年勞働者一個だけの生存維持に必要なる勞働時間ではなく、寧ろ彼れを扶養者に頂く一家全體の生存維持に必要なる勞働時間であつた。然るに今や、妻も子供も共に勞働市場に引き込まれ、夫たり父たる人と共稼ぎする機會を得るやうになつたので、後者の勞働力の價値はやがて一家全員の間に配分されることになつた。而して勞働力の價値の斯かる運動は、瞬く間に勞働力の價格、換言すれば勞銀のそれに照應した運動を伴ふものである。生きんが爲には、單に父親のみでなく、一家の總員が、今や次第に賃銀を目的として勞働し、資本の爲に勞働のみでなく、餘剩勞働をも供給せねばならなくなる。機械は斯くして、勞働搾取の材料を増殖せしめると同時に又、搾取の率をも高めることになるのである。

2.勞働者の『無慈悲』

勿論この場合、勞働者家族の名目上の収入は、或程度まで増加することがないとは言へない。從前の如く父親1人働くのではなく、母親も2人の子供も共に稼ぐと云ふことになれば、一家全體の賃銀は從來に於ける父親1人の賃銀よりも多くなるのが常である。然しそれと同時に又、一家の生活費用も増大することになる。蓋し機械は工場に於ける節約の増進を意味するものであるが、機械工業は勞働者の家庭に於ける節約に終局を告げしめるからである。女工は、家婦を兼ね得るものでない。家庭に於ける生活資料利用上の節約と合目的性とは不可能となる。

勞働者は從前、自分自身の勞働力を販賣してゐた。此勞働力は、彼れが形式上だけでも自由の人として支配してゐたのであった。然るに今や彼れは奴隷商人となり、自分の妻や子供を工場に賣るのである。資本家的パリサイの徒は公然この『殘忍』について叫ぶのであるが、斯かる殘忍を造り出して利用するもの、又『勞働の自由』なる美名の下に之れを永遠不滅のものにしようとしてゐるものは、即ち彼等自身であることを忘れてゐる。勞働者の兩親が殘忍だと言ふけれども、英國の工場主に對して、婦人及び兒童勞働の制限を行はしめた者は、實に成年男子勞働者ではなかつたか。

3.幼兒死亡率の増進

マルクスは婦人及兒童の工場勞働に基く不具化的影響を立證すべき多數の實例を擧げてゐるが、茲ではそれを指示するに止め、ヨリ最近の一例を掲げることにする。それはジンガー著『北東ベーメンの工場地方に於ける社會状態の研究』(ライプチヒ、1885年刊)から得たものである。ジンガーが此書を書いた當時、北東ベーメンに於いては近世機械工業が著しく發達してゐたが、勞働者保護立法は尚いまだ與へられて居らなかつた。ジンガーは當時に於ける此地方の兒童死亡率を擧げてゐるので、我々はそれを今日尚ほ大工業の實施されてをらぬノルウヱーの状態と對比することが出來る。

ノルウヱーに於いては、生後滿1歳までの男女嬰兒1萬人の中、1866年から1874年に至る平均死亡數は1063人であつた。然るに、工業の發達した各地方に於ける嬰兒1萬人中の死亡數は實に左の通りであつた。

ホーヘンエルベ3026人
ガブロンツ3104人
ブラウナウ3236人
トラウテナウ3475人
ライヒエンベルヒ及び其周圍3805人
フリードランド4130人

即ち工業地の嬰兒死亡率は、『文化』の後れたノルウヱーにおける死亡率に比べると實に3倍乃至4倍に上つてゐる。此等の工業地に於ける死亡率が高いのは、決してマルサス論者の主張するが如き出産過多に基くものではない。出産率は寧ろ著しく低いのである。即ち住民1000人に付き年々35人にも當らない。然るに獨逸の出産率は約42人、墺地利全國の出産率は40人強を示してゐるのである。

4.智能の萎縮

餘剩價値を造り出すため未熟の男女を單なる機械に轉化せしむることは、肉體上及び道徳上の不具化の外に尚、智能の荒廢をも生ぜしむるものである。『之れは精神の發達能力、換言すれば其自然的豐度それ自身を害はずして、精神を休耕状態に置く所の原生的無智とは大いに區別せらるべきものである。』

然し、兒童や婦人が斯く機械に依つて勞働者總員中に引き入られるといふ事實には、一つの『幸ち多き』結果が伴はれる。即ち此事實は、工場的手工業の下に於ける成年男子勞働者が尚、資本の壓迫に對して有してゐた抵抗力をば遂に打破する助けとなるのである。

5.機械の年齡

機械の目的は如何。資本家は何故、機械を採用するか。勞働者の勞苦を輕減せんが爲であるか。決してさうではない。機械なるものは、勞働の生産力を増進することに依つて商品の價を安くし、以つて勞働力の價値に要する勞働日部分をば短縮し、餘剩價値を造り出す勞働日部分をば延長するといふ目的を有してゐる。

然るに機械なるものは、それ自身の價値の中、一定量の生産物に移轉される部分が小なれば小なる程、ますます生産的となることは、我々の既に述べた通りである。而して此價値部分は、機械に依つて造られる生産物の量が大なれば大なる程、ますます小となり、機械に依つて造られる生産物の量は又、機械の運轉される期間が大なれば大なる程、ますます大となるのである。所で此期間が例へば日々8時間づゝ15年に亘るか、それとも日々16時間づゝ7年半に亘るかといふ事は、資本家にとつて區別なきことであらうか。數理的に計算すれば、いづれの利用期間も同一である。然し資本家は、それとは相異つた計算をするのである。

彼れは先づ斯う考へる。――日々16時間づゝ7年半運轉する場合に機械が總生産物に移轉する價値の量は、日々8時間づゝ15年間運轉する場合に比して大ではない。然し前の場合には、機械は2倍の速度を以つて自己の價値を再生産し、且つ15年間に得らるべき餘剩勞働を7年半の間に得せしめるといふ氣持のいい位置に置いてくれる――勞働時間の延長に伴ふ他の諸利益は暫く措くとしても。

更らに機械は、使ふから磨滅するばかりでなく、使はないで、自然の影響に晒らされてゐる時にも磨滅する。機械は休めば錆るものだ。此磨滅は、休止時間を短縮すればするほど、避け得られる所の純粹な損失である。

尚また、今日の如く生産技術の革命が絶えざる時代に於いては、後から後から安價く造られる所の機械、又は技術的に改善された機械が發明されるので、我々の機械は何時これらの競爭者に依つて價値を消滅せしめられないとも限らぬ。我々は絶えず之れを豫期してをらねばならぬ。そこで機械の價値回収を迅速ならしめること多きに從ひ、斯かる運命の犠牲となる危險は益々減じて來る譯である。

ついでに言ふ。――此危險は機械が何等かの生産部門に始めて採用される場合に最も甚しい。斯かる場合には、續々新たなる方法が現はれて來る。隨つて此場合には、勞働時間を延長しようとする努力が極めて強く發動するのである。

資本家は更らに續けて言ふ。――自分の機械、自分の建物その他は、何萬圓何十萬圓と言ふ一資本を代表するものである。そこで機械が休止するとすれば、此全資本は徒らに寢かされることになる。されば機械が久しきに亘つて活動状態にあればあるほど、單に機械の利用が進むばかりでなく、又建物その他の物に投じた資本部分の利用も進む譯である。

6.機械使用の矛盾

以上述べた資本家の打算の外に、尚いま一の動機が加はつて來る。之れは資本家自身の意識にも、また彼れの代辯者たる經濟學者の意識にも上つて來ない事であるが、それでも影響は極めて大きい。元來、資本家は勞銀(即ち可變資本)を節減せんが爲に機械を備へるのであつて、從來1人の勞働者が3時間又は4時間で造つただけの商品を、將來は1時間で生産せしめようとするのである。

機械は勞働の生産力を増進する。斯くすることに依つて又、それは、必要勞働を犠牲として餘剩勞働を擴大し得る。換言すれば、餘剩價値率を増進せしめ得るのである。而るに此結果は、與へられたる一資本に依つて使用される勞働者の數が減じなくては生じ得るものでない。なぜならば機械經營は、從來可變的であつた資本部分、換言すれば生ける勞働者に轉ぜられてゐた資本部分をば、不變資本なる機械に轉化せしめるからである。然るに餘剩價値の量なるものは、第1に餘剩價値の率、第2に被傭勞働者の數に依つて決定されることは、我々の知る所である。資本制大工業に於ける機械の採用は、餘剩價値の此第2の因子を減少せしむることに依つて、第1の因子を増進せしめようとする。即ち餘剩價値の生産を目的とする機械使用には、内部的の一矛盾が含まれてゐる譯である。此矛盾こそ資本家をして、單に相對的餘剩價値の増大のみを以つて滿足する事なく、更らに絶對的餘剩價値をも増大し、勞働時間を出來得る限り延長する事によつて、被搾取勞働者數の相對的減少を補充するに至らしむる所のものである。

7.勞働日の延長

斯くの如く、機械の資本制的使用は勞働日を無制限に延長せんとする一列の有力なる新動機を造り出すものであるが、それと同時に又勞働日延長の可能をも増進せしむるものである。機械は間斷なく走り續けることが出來るから、之れがため勞働時間を延長しようとする資本の努力は、機械の人間的助手たる勞働者の自然的疲勞と反抗とに基く制限に依つてのみ拘束されることになる。資本家は身心たわやかなる婦人竝びに兒童分子を生産内部に引き入れることに依り、又機械の爲に遊離された勞働者より成る『過剩』の勞働者人口を造り出すことによつて、右に掲ぐる勞働者の反抗を打破してしまふ。機械は斯樣にして勞働日の凡ゆる倫理的竝びに自然的制限を打破してしまふのであつて、本來『勞働時間短縮の強大なる手段』たるべき機械は、却つて、勞働者竝びに其一家の生涯を擧げて餘剩價値の増殖に利用し得べき勞働時間たらしめる所の、誤まらざる手段となるのである。

マルクスは次の言葉を以つて、以上の説明を與へた一節を結んでゐる。――『古代の最大思想家アリストテレースは夢想して言つた。若し總べての道具が、かのデードラス(イ)の作品がおのづから運動し、ヘフエートス(イ)の鼎が自然に其聖き仕事に携つた樣に、命令に依り、或は又みづから豫覺して、其爲すべき仕事を爲し得るとすれば、即ち斯くして梭が自然に機織をするとすれば、熟達した職人は助手を要せず、主君は奴隷を要しないことになるであらう』と。そしてシセロ時代の希臘の一詩人アンチパトロスは、磨穀用水車を――凡ゆる生産機械の成素形態たる此發明を歡迎して、女奴隷の解放者及び黄金時代の挽回者なりとした!「異教徒よ。然り異教徒よ!」彼等は聰明なるバスチア(イ)、否、それより曩すでに一層賢明なるマカロツク(イ)が發見したやうに、經濟學及び基督教に就いては何も知らなかつたのだ。彼等は別して、機械が勞働日延長の最も適確なる手段であることを解しなかつたのだ。彼等は、或1人を奴隷とすることは、即ち他の1人を完全に人間として發達せしむる手段であるなどと辯解してゐた。だが、粗笨な、或は生まなか教育を受けた若干の成上者をば、「卓抜なる紡績業者」「手廣き腸詰業者」及び「有力なる靴墨商」たらしむべく、多衆者の奴隷状態の維持を説教するには、彼等は特殊基督教的の器官を缺いてゐたのだ。』

註(イ)デードラスは希臘神話の美術家。ヘフエートスは同じく希臘神話の神で、金屬細工に長じてゐたもの。バスチアは19世紀前半の英國經濟學者で、有名なるコブテンの門下、自由貿易論を唱道し、熱心なる社會主義反對論者であつた。又マカロツクは、18世紀末より19世紀前半にかけての英國經濟學者であつた。(譯者)

8.勞働能率の増進

機械が發達し、それと共に又經驗ある機械勞働者といふ特殊の一階級が發達するにつれて、勞働の速度、隨つてまた其緊張即ち能率も原生的に益々増進して來る。然し此勞働能率の増進は、勞働日の延長が一定の限界を超えない限りに於いてのみ可能のものである。同樣に生産の發達が一定の段階に達すると、勞働能率の増進は、勞働日がそれに準じて短縮される場合にのみ可能となるのである。毎日規則正しく繰返される勞働が問題となる所に在つては、自然は嚴然たる態度を以つて『此所までだ。之れより先は無用』と命令する。

工場的生産の初期、英國に於いては勞働日の延長と工場勞働の能率増進とが歩調を揃へて進んでゐた。然るに勞働者階級の反抗は勞働日の上に法定制限を課するやうになつたので、爲に資本は勞働日の延長に依つて餘剩價値生産の増進を得べき一切の可能を切斷されることゝなつた。此羽目に立つや否や、資本は方向を一轉して、機械組織の發達の促進と生産工程上に於ける節約の増進とに依り、所期の結果を得ることに全力を傾けるやうになつた。從來に於ける相對的餘剩價値の産出方法は總じて、勞働生産力の増進に依り、同一時間に同一の勞働支出を以つてより多くの生産物を産出し得るやうにするといふ事に存してゐた。然るに今や、同一時間にヨリ多くの勞働支出を以つて、ヨリ多量の勞働を得ようとするやうになつたのである。勞働日の短縮は、之れを勞働者の立場から見れば、勞働力の緊張を高め、『勞働時間の毛孔をヨリ濃密に填たす』ことになる。換言すれば、『勞働の密度』をヨリ大ならしめることになるのである。勞働者は今や、10時間勞働日に於ける1時間を以つて、從前12時間勞働日における1時間を以つてなしたよりもヨリ多く勞働しなければならぬ。即ち與へられたる時間の中に、ヨリ多量の勞働が詰め込まれることになるのである。

9.勞働能率増進の二方法

以上の結果を達成し得る二方法については、既に述べた通りである。即ち勞働工程上の節約を大ならしむることゝ、機械の發達を促進することゝがそれである。此前の方法に於いては、資本家は賃銀支拂の方法に依り、就中後に尚述ぶべき請負賃銀の方法に依つて、從來よりも短時間内にヨリ多くの勞働力を流動せしめようとする。これに依つて、勞働の規性、均性、秩序、精力等は高められることになる。前記第2の方法、即ち動力機の運轉速度を高め、又は監視さるべき機械の範圍を擴大することに依つて、勞働者からヨリ多くの勞働を搾り取ると云ふ方法が、資本家の支配に屬してをらなかつた所に在つても、豫め主張されてゐた一切の疑惑を面詰する所の結果が此方面に擧げられたのである。勞働時間が短縮される殆んど其度毎に、工場主は宣明して言ふ。――自分の工場では周到に勞働を監視し、勞働者の注意も非常に緊張してゐるから、それを更らに緊張せしめる事に依つて著しい結果を得ようと期待するは馬鹿げた話であると。而も之れを實行したかしない中に、早くも彼等は次の事實を自認しなければならなくなる。即ち從前通りの勞働要具を以つてしても、勞働者はヨリ短時間内に、從前と同一量の勞働をなすのみでなく、時としては又、從前よりも多大の勞働を供給すると云ふ事である。

機械の完成を以つてする上記第2の方法についても同樣である。機械の發達は今や、久しきに亘つて達し得る限界に達してゐるとは、從來しばしば主張された所であるが、その都度此限界は少時にして踏み越えられてしまつたのである。

英國の工場監督官は、『1844年及び50年に於ける工場法の好成績を倦む所なく稱揚した』とは言へ、1860年代に至つては早くも、勞働日の短縮が勞働者の健康を破壞する所の勞働能率を喚び起したことを認めてゐる。勞働日の短縮された時、勞働者の能率はそれほど著しく強められたのであつた。

標準勞働日の採用に依つて、資本勞働間の調和が與へられると信ずる人々は、大なる錯誤に囚はれてゐるのである。

マルクスは言ふ。――『勞働時間の延長が法律を以つて終極的に切斷されるや否や、勞働能率の組織的増進に依つて、それを埋合せ、機械の凡らゆる改善をば勞働力をヨリ多く吸ひ盡す手段に轉倒しようとする資本の傾向が生ずるのであるが、此傾向は軈て又勞働時間の再度の短縮が不可避となる一轉向點に迄到達せしめねばならない事は、毫も疑を容れざる所である』と。

10時間勞働日の採用される所に在つては、以上述べたやうな工場主の努力は餘り遠くない將來に於いて、8時間勞働日の採用を必要ならしめることになる。

我々の見る所に依れば、此事實は標準勞働日の採用を否とするものではなく、寧ろ可とするものである。總べての純眞なる社會改良と同樣に、標準勞働日も亦自分自身を越えて進む。それは社會を更らに發展せしむる要素となるものであつて、沈滯せしむる要素となるものではないのである。

(4) 勞働者の『教育者』としての機械

1.機械の主體から機械の客體へ

上段に於いては、機械の採用に伴ふ影響のうち先づ經濟的性質を有するものについて述べたのであるが、之れより機械が勞働者に及ぼす直接道徳的の影響を取扱ふことにする。

機械を以つて經營される近世的生産所たる工場の總體を、工場手工業的又は手工業的の經營と比較するとき、忽ちにして我々の目につくことは、後者に於いては勞働者が道具を使ふのであるが、前者に於いては機械に勞働者が仕へるといふ一點である。工場に於ける勞働者は、彼れから獨立してゐる死んだ機構の『生ける附屬物』である。機械の『哲人』にしてマルクスが機械の抒情詩人と名づけてゐるアンドルー・ユーア博士は、近世の工場を稱して『無數の機械的及び自意識的器官より成る尨大な自動機』と呼んだ。而して此等の器官は『同一の目的物を生産せんがため、相互一致して斷絶することなく作用するものであるから、其總べては一のおのづから運轉される動力に隷屬したものとなる。』彼れは又他の場所で、『蒸氣の慈けある權力』の臣下について語つてゐる。此『慈けある權力』の背後には、其行使者たる、ひとり自分に對してのみ慈けある資本家が立つてゐることは言ふ迄もない。

如何なる工場にも、作業機に於ける多數の勞働者(及び其助手)の外、機械總體の管理及び整頓を掌る所の、數の上から言へば些々たる人々がゐる。斯くの如き、一部分は科學的に教育せられ(技師)、一部分は又手工業的に教育せられたる(機械師、指物師等)勞働者階級は、工場勞働者の範圍外に立つものであつて、此場合我々の考慮に入らないのである。又助手の仕事は單純であるから、大抵は機械を以つて容易に代置し得るものであり(之れは工場法に依つて、此等の助手の中最も價安き兒童の工場使用が禁ぜられた到る處に見られる事實である)又は急速に人の入れ代へをなすことを許すものである。そこで、此等の助手のことも此場合問題外に置く。茲では嚴密の意味に於ける工場勞働者、即ち作業機に關連した勞働者のみが問題となるのである。

從前に於ける勞働者の道具(針、紡錘、鑿など)と共に、それを取扱ふ彼れの特殊の熟練も亦作業機に移轉された。彼れは最早、自己の運動をば機械の均齊的に不斷なる運動に適合させると云ふ一つの熟練を要するのみである。此熟練は年の若い時こそ最も迅速に得られる。勞働者は早くから勞働を始めねばならぬ。工場主は最早、專ら機械勞働の訓練のみを受けた勞働者部類をたよりにするものではなく、速かに編入し得べき代表者をば、つねに勞働者階級の若盛りの人々の中に見出すのである。

2.機械工業に於ける分業

プルドーンは其著『窮乏の哲學』の中で、機械とは『微細に分割された殺人的の分業に對して産業上の才能が向けた抗議』であり、『勞働者の復興』であると言つた。事實に於いて、機械は舊來の分業組織も其技術上の前提條件も、共に押し倒してしまふのであるが、それにも拘はらず、分業は依然工場内に存在してをり、而も從前に比しヨリ屈辱的な形態を以つて存續してゐるのである。勿論、勞働者が一生に亘つて部分道具を取扱ふと云ふことは最早なくなつた。其代りに勞働搾取を増進させるため、勞働者をば幼時から部分機械の一部に轉化させるといふ目的に、機械が惡用されることゝなつた。斯くて工場全體に對する、換言すれば資本家に對する、勞働者の如何ともする事なき倚存が完成されるのである。彼れの勞働は一切の精神的内容を剥脱される。それは今や、單なる機械的な、神經錯亂的な苦役に過ぎなくなる。彼れの有する特殊の熟練の如きは、之れを機械組織に體化されてゐる科學や、巨大なる自然力や、社會的の衆合勞働に比すれば、眇たる附帶物となつてしまふ。而して彼れは機械の自動的進行に唯々諾々として服從せねばならぬと同時に、又工場主に依つて課された訓練一般に對しても默從することを餘儀なくされるのである。

3.工場の刑法

社會組織の形態の如何を問はず、斯種の大規模なる協業と共同的勞働要具殊に機械の使用とは常に、勞働行程を統制して之れを個々の勞働者のムラ氣から獨立せしむることを必要とするものである。機械に依る生産の利益を斷念しまいとすれば、總べての人々の服從せねばならぬ訓練の實施といふ事が、缺くべからざる條件となる。然し訓練には、二つの種類がある。それが萬人に行きわたる自由共同體に於いては、何人も之れが壓迫を受けないのであるが、一部の人々の利益のために課せられる訓練は寧ろ奴隷制度を意味する。それは一切の反抗の徒勞に歸すべきことが明かになつたとき、耐え難き壓迫の桎梏としてたゞ厭々ながら辛抱されるものに過ぎなくなるであらう。さればこそ、機械に依つて課された強制勞働に對する勞働者の反抗を打破し得る所まで漕ぎつけるには、非常なる惡戰苦鬪を要したのである。ユーア博士は上記の著書の中で、アークライトよりも久しき以前、すでにワヰアルトに依つて人造紡指の發明された事實を指摘したが、これについての主なる困難は自動機構の發明と云ふよりも、寧ろ自動組織の上に必要とされる訓練規則の發明及び勵行に存したる事を強調してゐる。さればこそ勝利の榮冠は、此『竝々ならぬ』大事業を完成した『氣高い』床屋(イ)の頭上に落ちることゝなつたのである。

註(イ)アークライトは1732年英國プレストンに生れ床屋を業とした。彼れは紡績機に深き興味を有し、後ち或時計師の助けを得て撚紡機を發明した。(譯者)

近世資本家の訓練規則たる工場條例は、ブルヂオアに依つて貴重とされてゐる憲法上の三權分立についても、また更らに貴重とされてゐる代議制度についても、何等關知する所なきものであつて、勞働者に對する企業家の專制獨裁主義を言ひ現はしたものである。マルクスは言ふ。――『奴隷驅使者の鞭に代つて監督者の刑法典が現はれる。一切の刑罰が、結局は罰金と勞銀値下げとに歸するものであることは論を俟たない。而して工場立法者たちの立法的聰明は、彼等の造つた法律の遵守よりも寧ろ違反の方が、出來るなら自己にとつてヨリ有利のものとなるやうに仕組むのである』と。斯樣にして勞働者の反抗と自覺とは打破されることになる。加ふるに、彼等は絶えず一局部の筋肉のみを活動させてゐるため身體不具となり、工場内の不良なる空氣と、勞働の際に於ける耳を聾せんばかりの喧騷とに依つて衰頽してしまふ。機械の高貴なる教育的影響は、實に斯くの如きものである。

4.機械に對する勞働者の反抗

機械の採用に對する勞働者の反抗に關しては曩に語つた所であるが、これに就いては機械が勞働者の自由に致命的打撃を與へると云ふ感情が寧ろ本能的に決定力となつてゐる。此反抗は先づ人間勞働を不用ならしむる一手段としての機械に向けられる。しかのみならず、ダンチヒの市會も亦此見地から、16世紀の中頃始めて同地に發明されたと言はれてゐるリボン機械の採用を禁止した。其後更らに、此機械はバイエルン及びケールンに於いても採用を禁止され、1685年には勅令を以つて獨逸全國に亘り之れが採用を禁止した。機械の採用に對する英國勞働者の反抗は19世紀までも續いた。而して同一の現象は他國にも繰り返されたのである。佛蘭西に於いては19世紀の30年代に、又獨逸に於いては1848年に及んでも尚、此反抗が現はれてゐた。

近世の最大進歩を妨げようとする此亂暴な反抗について僞善的に哀嘆するは、如何さま御尤もなことである。だが事實は斯うなつてゐるのである。即ち機械は何處に於いても先づ勞働者の敵として、勞働者を驅逐すべく定められた敵として現はれて來る。工場的手工業時代の分業及び協業の上に於いては、被傭勞働者をヨリ生産的にしようとする積極的方面が寧ろ先きに立つてゐた。然るに機械は忽ちにして、勞働者の敵といふ形を採つたのである。機械に依つて驅逐された勞働者から見れば、一方に於いて彼等の苦痛がホンノ『一時的』のものであるといふ事實、他方に於いて又、機械はたゞ漸次的にのみ生産部面の全體に侵入するものであるから、其破壞的影響の範圍及び強度は融和されることになるといふ事實こそ、大なる慰安となるべきであると言はれてゐる。マルクスは答へて言ふ。――『一方の慰安は他方の慰安を無効にする』と。後の場合には、機械は自己の競爭者たる勞働者に慢性的の窮乏を與へるが、推轉の急激なる前の場合には、一括して急性的に作用するのである。

『イギリスに於ける木綿手織工等の壞滅は荏苒數10年間に亘り、1838年に及んで遂に封印されたのであるが、此徐々たる壞滅以上に凄慘なる悲劇は、世界史上いまだ曾て見ざる所である。彼等の中には、或は餓死したる者、或は日に2片半の賃銀を以つて、久しい間其一家と共に貧しく糊口してゐた者が數多あつたのである。反對に英國の木綿製造機械は東印度に於いては急性的に作用した。1834年乃至35年に東印度總督は斷言して曰く、斯種の窮乏は商業史上滅多に類例がない。木綿職工の骨は印度の野を漂白してゐると。』マルクスは皮肉の一語を加へて言ふ。――『寔に機械は此「一時的」の娑婆から、此等の織工を驅逐することに依つて、彼等に「一時的」不便のほか何物をも與へなかつた』と。

勞働要具は勞働者を打殺す。此事實は、新たに採用された機械が舊來の手工業的又は工場手工業的經營と競爭する所に最も明かに認められる。然し大工業の内部に於いても、機械の間斷なき改善は同一の結果を生ぜしめるやうに作用してゐる。マルクスは之れを論證するため、英國に於ける工場監督官の報告中から幾多の例證を引用してゐるが、茲ではそれを立ち入つて述べる必要はない。右の事實は最早、到底否認し得ざるものとなつてゐるからである。

それより寧ろ、勞働者の競爭者としての機械から目を轉じて、いま一度勞働者の『教育者』としての機械を見ることにしよう。資本家の見る所に依れば、勞働者階級は事實の示す通り幾多の『惡徳』(茲には我儘、懶惰、不節制だけを擧げて置かう)に心を傾けてゐるのであるが、此等の『惡徳』にとつて機械ほど有力な敵はないのである。勞働者が資本の專制に逆ふとき、資本の同意した賃銀、資本に依つて課された勞働時間に滿足しないとき、ストライキ其他の方法を以つて資本に對する反抗を敢てしようとするとき――此等の如何なる場合に於いても、機械は勞働者に對する資本の最も有力な武器となるのである。マルクスは言ふ。――『勞働者の陰謀を抑壓すべき資本の武器といふだけの意味で出現した1830年以降に於ける發明については、一つの完全なる歴史を綴ることが出來るであらう』と。然し産業上に於ける『科學の補助源泉』の新たなる應用換言すれば機械の發達は、總べて望ましい進歩であるから、隨つて右の『惡徳』は勞働者を進歩の心ならぬ助長者たらしめんがため特に與へられたものであるやうに見えて來る。要するに資本主義的世界に於いては、一切の事物が、勞働者の惡徳でさへもが、結局は最上の利益に轉ぜられることゝなるのである。

(5) 機械及び勞働市場

1.機械の使用と不變資本の増大

機械は勞働者を驅逐する。これは否認し得ざる事實である。けれどもそれは、現存生産方法の中に凡ゆる世界の最善なるものを見る人々にとつては、極めて不愉快な事實である。そこで、此不愉快なる事實を紛らかさうとする幾多の企てが試みられた。

例へば、次の如く主張する一列の國民經濟學者がある。即ち勞働者を驅逐する一切の機械は、必然に又同一の勞働者を雇傭するに相當した資本を遊離せしめることが常であると。此見地に依ると、勞働者が機械に依つて驅逐されなかつたとした場合消費したであらう所の生活資料が、即ち右の資本であるといふ事になる。

要するに、生活資料なるものは勞働者の解傭に依つて遊離されると同時に又、此等の勞働者によつて消費せられんがため、彼等の再雇傭を喚び起さんとしてゐる事になるのである。けれども勞働者が消費を目的として購買する生活資料は、現實について言へば資本としてゞなく、寧ろ單純なる商品として勞働者に對立するものである。資本として勞働者に對立するものは、彼れに依つて販賣される勞働力の代價たるべき貨幣なのであるが、此貨幣は機械の採用に依つて遊離されるものでなく、寧ろ、機械の購買に役立つものであつて、拘束されることになるのである。機械の採用に依つて驅逐される勞働者の賃銀支拂に役立つ可變資本の全部が遊離されるのではなく、少なくとも其一部分は不變資本に轉化される。隨つて新たなる機械の採用は、充用資本の額に變化がないとすれば、不變資本の増大、可變資本の減少を意味することになる。

一例を以つて、之れを説明しよう。

或る資本家が20萬マルクの資本を充用するとして、其中10萬マルクは可變的資本として役立つものと假定する。彼れは此10萬マルクを以つて500人の勞働者を雇傭してゐたのであるが、今や200人の勞働者を以つて從前500人を以つてしたと同一の生産物を造ることを可能ならしむる一機械を採用する。此機械を得るには、5萬マルクを要するものとする。

從前には各10萬マルクづゝの可變資本と不變資本とが充用されたのであるが、今や不變資本は15萬マルクとなり、可變資本は4萬マルクに過ぎないものとなる。遊離された資本は1萬マルクに過ぎない。而も此1萬マルクは、驅逐された300人の勞働者の雇傭に役立つものではなく、それが他の19萬マルクに於けると同一なる條件の下に充用されるとすれば、僅か10人足らずの者を雇傭するに役立つだけとなるであらう。なぜならば、此1萬マルクの中、概算8000マルクは機械及び其他の物の購買に投ぜられ、可變資本として遊離されるものは2000マルクに過ぎないからである。

驅逐された勞働者の雇傭に相當した資本が決して遊離されるものでないことは、これで明かとなつたであらう。

2.マルクス説を曲解す

機械が勞働者を驅逐すると同時に又勞働者の雇傭に相當した資本を遊離せしめると言ふ所説は、マルクスに依つて全く根據なきものであることを論證された。此致命的論證を鈍らす唯一の可能は、マルクスの言ひもしない、同樣に根據ない主張をば、マルクスのものとして言ひ觸らすことにある。

我々は嘗て、マルクスを『科學的』に片づけたと言ふ教授レールの一文を讀んでゐるとき、次の一齣に逢着した。

『マルクスに依れば、機械は單純に勞働の位置に代るだけのものである。けれども機械は又同時に、ヨリ多くの勞働を利用すべき機會を與へ得るものであり、事實に於いても屡々斯かる機會を與へたのである。生産がヨリ多くなるからと言つて、必ずしも後來の社會主義者が屡々斷定的に主張する如く世界の他の方面に於ける勞働が遊離されて過剩となることを要するものではない。過剩の生産物は、全生産力が、隨つて又消費の擴張力が、増進する結果、容易に其ハケ場を見出し得るものである』(『國民經濟四季刊行誌』第23年輯、第2卷、114頁所載)。

教授ユリウス・ヴヲルフは、マルクス説の僞造曲解に充滿した一書『社會主義と資本主義社會制度』(ストットガルト、1892年刊、258頁)の中で次の如くマルクスに言はせてゐる。――『一國に於ける總資本が増大しても、高々從前位ゐの數の勞働者が職を見出し得るに過ぎない。なぜならば、人間は益々機械に依つて代置されることになるからである。』

けれども茲にマルクスの主張として言はれてゐるやうな事が、現實に於いて彼れの考へに浮んだことは決して無いのである。彼れは『機械が單純に勞働の位置に代るだけのものである』などとは主張しないどころか、寧ろ我々の知る限りでは、先人未發と目される組織的且つ根本的な論法を以つて、機械が『ヨリ多くの勞働を利用すべき機會を與へ得るものであり、事實に於いても屡々斯かる機會を與へた』事情を説明したのである。これは機械が勞働者を驅逐すると云ふ主張と毫も衝突するものでない。

3.マルクスは被傭勞働者の絶對的増殖を否認せず

機械は充用資本の量に比して被傭勞働者の數を減少せしめ、而して機械組織の發達につれて可變資本は相對的に減少し、不變資本は増大するとは、マルクスの主張する所である。然し機械の採用、増大又は改善が行はれても、充用資本の總額が充分に増加するとすれば、一定の勞働部門に於ける可變資本、隨つて被傭勞働者の數も同時に増大し得るのである(イ)。斯かる場合、被傭勞働者の數が減少しないとしても其原因は機械に依る資本遊離に歸すべきでなく、新たなる追加資本の流入に歸すべきである。勞働者を驅逐しようとする資本の努力は、これに依つて阻止せられ、一時は打ち勝たれることになるとは言へ、決して廢除されるものでない。新たなる追加資本の流入が緩慢となり、一定の水準以下に降るや否や、右の努力は再び公然と作用し始め、勞働者の相對的減少は轉じて絶對的減少となるのである。

註(イ)生産の増進が、それに相應した販路の擴大を前提することは言ふ迄もない。然し此極めて重要なる因子に就いて、茲にヨリ立ち入つた考察を與へることは出來ない。

これを説明するため、いま一度上例を採らう。總資本は20萬マルク、その中10萬マルクは可變資本であつた。之れは500人の勞働者を使用することに役立つたものである。然るに新たなる機械が採用された結果、不變資本の高は15萬8000マルクに増大し、可變資本の高は4萬2000マルクに低減して、被傭勞働者の數は500人から210人に減少した。今、それと同時に40萬マルクの新資本が此企業に流入して來ると假定する。然る場合には、此企業それ自身が擴大されることになるのであつて、被傭勞働者の數は630人となり、從前に比して130人の増加を來たす譯である。若し此機械が採用されないとすれば、資本が斯く3倍に増大する結果、勞働者の數も勿論3倍となつて、500人から1500人に増加するであらう。

4.機械が勞働者を増加させる場合

機械は其採用された勞働部門の勞働者數をば常に相對的に、時としては絶對的にも減少せしめるとは言へ、それと同時に又此勞働部門に依つて影響される他の勞働部門に於ける勞働者數を増加せしめ得るものである。

機械は先づ、機械製造工といふ新たなる種類の勞働者を必要ならしめる。

次に機械が一つの産業に採用されると、其處に造り出される生産物の總量は増大することになり、それに應じて又、原料も増大せねばならなくなつて來る。隨つて他の事情に變化なき限り、此原料の生産上に使用される勞働者の數も増加する事になるのである。從來100ヤールの絲を紡ぐに要した所よりも少數の勞働者を以つて、恐らく1000ヤールの絲を同じ速度で造る紡績機械が採用されたとすれば、紡績工の數は多分減少することになるであらうが、同時に、綿花栽培勞働者の數は増大するであらう。英國に於ける紡績機械の發達は、亞米利加合衆國に於ける黒人奴隷増殖の主要原因となつたものである。

絲の價が安くなるとすれば、機織業者(彼れは尚、手織業者であると假定する)は原料購買上の支出を増加することなくしてヨリ多く生産することができ、彼れの収入は増加する。そこで、ヨリ多くの人々が機織業に轉ずる事となる。『一つの勞働對象が其最終の形態に達する迄の間に通過せねばならぬ豫備的又は中間的段階に、機械が使用されるやうになると、勞働材料の供給が増大するのであるが、それと同時に又、依然手工業的又は工場手工業的に經營され機械製品の供給を受けてゐる工業方面の勞働需要が増大して來る。』

機械組織の發達につれて、餘剩價値、竝びにそれを代表する生産物の量が増大する。それと共に又、資本家階級及び其附屬者たちの奢侈が増進し、斯くして奢侈品製造上の勞働者や奴婢や、從僕などに對する需要も増大することになる。1861年、英國の機織工業に從事する人々の數は64萬2607人であつたが、奴婢階級に屬するものは120萬8648人であつた。

機械の採用に勞働需要の増加を伴はしむる以上諸因子の外に、尚いま一つの因子をマルクスは擧げてゐる。瓦斯設備や鐵道などの如き新たなる勞働部面の出現が即ちそれである。

マルクスの説明から生ずる以上の結論に對して、教授先生たちがマルクスの主張なりとしてゐる所のもの(彼等自身の學識は暫く措き)を比較せよ。

マルクスは斯く、機械の採用なるものが如何にして勞働需要の増加を伴ひ得るかを研究したとは言へ、それは工場制度が勞働民の上に齎らす苦痛を曖昧にすることを目的としてなされたものでないことは勿論である。工場は勞働者の家族を破壞し子女を奪ひ去ると同時に、彼等の勞働を増大して、其一切の内容を奪つてしまふ。斯くて勞働者は心身とも破壞されて資本家の無意志的な道具と化する。然るにブルヂオア經濟學者たちは、機械の採用に伴ひ工場に於ける賃銀勞働者の數が増加することを論證すれば、それで、機械の資本主義的使用を華々しく讚美したことになるものと信じてゐる。

宛ら此増加が、勞働の窮乏の増加を意味するものでないかの如く! 而も勞働の窮乏と相併んで、更らに失業の窮乏が増加して來るのである。

5.絶對的増大も絶對ならず

機械組織の進歩につれて可變資本は絶對的に増大し得るものであるが、必らずしもさうでなければならぬとは限らない。不變資本が増大すると同時に可變資本は絶對的に減少し、隨つて又、被傭勞働者の數も減少し得ることは、大工業の種々なる部面に於いて屡々確證された所である。(此問題に就いては、第3篇に於ける過剩人口を取扱つた章の中で若干の事實を擧げることにする)。大工業の競爭が手工業的に經營されてゐる同一の勞働部面(國内及び國外に於ける)に與へる失業竝びに窮乏のことは、此場合全く問題外に置く。英國及び東印度の手織工について與へた前節の叙述を想起せよ。彼等は英國の機械職工が何千人か増殖してゐる時、何十萬人となく餓死して行つたのである。遊離された勞働者の爲に機械が新たなる就職を與へるといふ教をば、勞働者に信ぜしめようとしてゐる俗學的經濟學者たちは、此何千人かの新たなる勞働者のみを眺め、失業して行く幾十萬人の勞働者については狡獪に沈默を守つてゐるのである。

一つの勞働部門に於いて勞働者が遊離されると同時に、他の勞働部門に於いては勞働需要が増大するとしても、そこには失業者にとつて儚い慰安があるばかりだ。終生一定の勞働部門に活動してゐた勞働者が、一朝にして他の勞働部門に躍轉するといふことが果して可能であらうか。

6.過度の勞働と失業

不變資本の増大に比して、可變資本が絶えず相對的に減少するといふ事實に基く勞働市場の上の運動以外に、尚、大工業の發達につれて、此運動と交錯する所の、勞働市場に影響する一種特別の作用が生じて來る。

大工業に相應した一般的の生産條件が成立するや否や、換言すれば、石炭及び鐵の獲得や、運輸機關や其他のものが一定の發達程度に達するや否や、此大工業なる經營方法は信ずべからざるほど急激の擴張(原料と販路との上にのみ制限を見出す所の)を遂げ得る力を與へられて來る。製造品の爲に原料と購買者とを供給する新市場の開發を目的として、不斷の右往左往が行はれる所以は茲にある。市場の本質的擴張が行はれる毎に、熱病的の生産がそれに伴はれて市場は過充する事になり、續いて産業不振の時期が生じて來る。『産業の一生涯は適度の活氣期と、好景氣期と、過剩生産期と、恐慌期と、沈衰期との一連に轉化される。』

此循環は之れを勞働者から見れば過度なる勞働と失業との間の不斷の變動、就職と勞銀高との(總じて又全生活状態の)完全なる不安を意味するものである。

斯かる運動は、技術上の進歩に基く可變資本の相對的(又しばしば絶對的)減少と錯交するものであつて、此兩者は好景氣の時期には相互對抗して作用し、技術上の進歩をして勞働需要の増加に制限を加へしめるが、恐慌期には互ひに協力して同一の方向に作用する。此時期には、失業と相竝んで競爭戰が無制限の状態に達し、物價低落の要求は凶暴を極める。而して此物價低落は一部的には勞働を省く機械の採用に依り、一部的には又勞働時間の延長に依り、更らに一部的には勞銀の低落に依つて生ずるものであるが、いづれの場合にも勞働者の利益を犠牲として行はれるのである。

(6) 革命的要素としての機械

1.小工業の運命

我々が若し調和の使徒の一人に向つて資本制工場制度の眞相を描き、これでも尚、君は我々が最善の世界に住むと信ずるかと問へば、彼れは次の言明を以つて之れが回答を誤魔化さうとするであらう。――然り、我々は尚いまだ過渡期的状態を脱しないのだ。資本制大工業は今尚中世的の殘屑に依つて、發達を妨げられてゐるため、その祝福を充分に發揮することが出來ない。然し工場勞働者の境遇を同一方面の家内工業的又は手工業的經營に於ける勞働者の境遇と比較すれば前者の方が遙かに優つてゐることが知られるであらう。即ち大工業は勞働者の地位を本質的に高めたのであつて、決して不良にしたのでないことが見出されるであらうと。

資本制大工業が行はれるやうになつた所にも尚、在來の家内工業や、手工業や、工場的手工業やが、殘存してゐるとすれば、其處に使用されてゐる勞働者は工場に於ける勞働者に比して遙か哀むべき状態にあることは拒まれない。此事實は資本制大工業を辯護する事になるであらうか。さうは信ぜられない。寧ろ斯う言ふ事實が明かになつて來るのである。即ち工場制度が行はれるやうになつた産業部門に於いては、單に工場内に引き入れられた勞働者の境遇が惡化されるばかりでなく、依然工場以外の所に働いてゐる勞働者の境遇に至つては、尚更ら惡化されるといふ事である。資本制大工業に基く『進歩』とは要するに、工場勞働者の上に課する一切の苦痛及び缺乏をば2倍にも3倍にもして、家内工業や、手工業や、工場的手工業に於ける勞働者を苦しめるといふ事に存してゐるのである。

『廉價未成熟な勞働力の搾取は、近世の工場的手工業に於いては嚴密なる工場に於けるよりも更らに破廉恥的となる。なぜならば、機械を以つて筋力に代用する事と勞働の輕易なる事とは、嚴密なる工場に於ける技術上の基礎となつてゐるのであるが、近世の工場的手工業に於いては、斯くの如き技術上の基礎は大抵は存在することなく、同時に又婦人もしくは未成熟者の身體は、此上なく無法な仕方で有毒物質その他の物の影響に委せられてゐるからである。更らに家内勞働と稱するものに於いては、右の搾取は工場的手工業に於けるよりも尚一層破廉恥的となる。蓋し、勞働者たちの反抗能力は、彼等が分散するにつれて減少し、幾多の盗賊的寄生蟲が眞の雇主と勞働者との中間に介在し來たり、家内勞働は到るところ同一の生産部門に於ける機械又は少なくとも工場的手工業經營と抗爭し、勞働者は貧困の爲に、最必要の勞働條件なる勞働場所や、日光や換氣などを奪はれ、就業は益々不規則的となり、而して又最後に、大工業及び農業に依つて「過剩」となつた人々の斯かる最終避難所に於いては、勞働者の競爭が必然、最高限度に達することを免れないからである。機械經營に依つて始めて組織的に完成された生産機關の節約は、同時に又勞働力の此上なき無鐵砲な浪費と、勞働機能の通例の前提條件に對する盗掠とを最初から意味してゐるものであるが、今や此矛盾的にして殺人的なる一面は、一つの生産部門に於ける勞働の社會的生産力と、結合勞働行程の技術的基礎とが發達すること少なければ少なき程、ますます表面に現はれて來るのである。』

凡そ、人が立どころに死んではならないといふ條件のもとに忍ばねばならぬ一切の苦痛――それを家内工業に於ける勞働者は、耐え忍ばねばならぬのである。彼等は機械と廉價上の競爭をしようとする努力のため、榮養、衣服、日光、空氣、休息等に對する要求をますます節減し、遂にはそれが我々の想像し得る最低の水準まで落ち込んでしまふやうになる。マルクスは2歳の幼兒を使用した『レース學校』(イ)について報道してゐる。英國の麥藁編工場には、3歳からの兒童が時々夜なか迄も使役され、其場席といへば1人當り12乃至17立方呎に過ぎないものがある。これに就いて、英國議會に於ける兒童勞働調査委員の1人ホアイトは報告して言つた。――『此等の場席の中、小なるものになると、一人の子供が3呎立方の箱の中に押込められた場合に占むべき場席の半分よりも尚狹いのである』と。

註(イ)英國の農業勞働者が其豚小屋の如き住宅内に設けたレース製造場のこと。(譯者)

然し人間の性質が如何ばかりナマ殺し的の苦痛に耐え得るとしても、それには之れ以上忍び切れないといふ限界がある。而して一度び此限界に達した時、機械の採用に伴つて家内勞働が急激に滅亡すべき時の鐘が鳴るのである。家内勞働者は今や、進んで他の職業を求めるか、または從來よりも尚急速に餓死することになる。これは在來の手工業及び工場的手工業に就いても、同樣に言ひ得るところである。

工場的手工業から大工業への推轉は、工場法の實施に依つて促進される。家内工業は法律上の制限の下に置かれるや否や、忽ちにして其地盤を失つてしまひ、婦人及び兒童の勞働力の極度な搾取に依つてのみ存在を保つに過ぎなくなる。

2.農業上に及ぼす機械の影響

機械は其支配の下に立つ凡ゆる工業方面に全く革命的の影響を及ぼすことは以上説く通りであるが、それが農業を侵すに至つた場合に於ける影響は更らに革命的である。機械は農業上に採用された時、單に勞働者をば相對的に過剩ならしめるのみでなく、又絶對的にも過剩ならしめることが常である。尤も、亞米利加合衆國に行はれたる如く、機械の採用と同時に、新たに開墾される地積が著しく増大する場合は例外である。

機械が農業に侵入した所に在つては、獨立の農民も亦工業方面に於ける在來の手工業經營と同一の運命に依つて脅威される。而して此農民の滅亡と共に、舊社會の最も堅固なる堡砦が倒壞することになるのである。平野に於いて『過剩』となつた農民及び賃銀勞働者は都市に流れ込んで行く。斯くて平野の人口が稀薄になるとき、大都市は異常に擴大されることゝなるのである。尨大なる人口が都市に密集する結果、工業勞働者の身體は衰弱して來る。平野の寂寞化は、農業勞働者の精神的刺戟を減殺し、彼等の精神的生活を擾亂し、資本に對する彼等の反抗力を破壞する。大都市の發達につれて、土地豐度の濫耗が著しくなる。即ち榮養資料として土地から搾取された成分は、土地に返還されず、糞尿や芥塵となつて土地を肥さずに都市を汚毒するのである。尚また、近世工藝が農業上に應用される結果、土地から最大の作物を取り収める手段が發達して來る。土地から搾り取られるものは益々多くなるが、土地に返還されるものは益々少なくなる。斯くの如く、機械の資本制的使用は人間勞働力の濫耕を助長すると同時に、又土地の濫耕をも助長するものであつて、之れがために土地は荒廢し、勞働者は心身ともに頽敗してしまふのである。

3.新社會の胚種

然し機械の資本制的使用は同時に又、ヨリ高級なる新文化の胚種と之れが發芽を助ける所の動力とを發展せしめる。マルクスは窮乏の中に單なる窮乏を見たのみでなく、又其胎内に孕まれてゐるヨリよき將來の胚種をも見たのである。彼れは工場制度を非難し彈劾するものではなく、寧ろそれを理解しようとしてゐるのであつて、其善し惡しを論ずることは彼れの目的ではない。彼れはそれを研究するのである。而して彼れは此研究に際し、近世工場制度の革命的方面を始めて認識したる先驅者ロバート・オーヱンに對して我々の注意を促してゐる。

大工業は、從前に於ける如何なる生産方法に依つても造り出されたることなき驚くべき窮乏を造り出した。勿論、かの羅馬帝制時代に於ける如き、社會を徐々に目立つことなく溺沒せしむる窮乏の常設的泥沼は今日我々の見ざる所である。近世の生産方法は寧ろ、社會の凡ゆる部層を攪亂混淆して不斷の運動状態に保持する所の渦に似てゐる。一切の傳來的生産事情、隨つて又傳來の先入的觀念は破壞される。然し次いで起る所の新たなる生産事情それ自體も亦、固定的のものではなく、不斷の轉變に委せられてゐるのである。

後から後から新たなる發明、新たなる勞働方法が現はれて來て、資本や勞働者の大量が絶えず一つの生産部門から他の生産部門へ、一の國から他の國へ投げ遣られる。斯くして社會事情の一切の固定性と、それに對する一切の信仰とは消滅することになるのである。保守的要素は取り除かれる。獨立の農民は、今や歴史的動力の中心たるに至つた大都市に押し遣られ、彼處に於いて斯種の運動を阻止することなく、寧ろ増進せしめる助けとなるのである。婦人や兒童は工場に引き込まれる。市民的家族形態の保守的要素は分解され、家事に携はるべき婦人は生存の爲に苦鬪する所の職業的勞働婦人となつてしまふのである。

而して我々の眼前に進行しつゝある舊事物の斯くの如き完全なる解體の裡には、來たるべき新事物の胚種が既に現はれてゐるのである。

4.教育的革命

餘りに長時間に亘つて一部局の勞働にのみ携はる結果、若き勞働者の痴鈍化が益々甚しくなつた爲、各工業國は何等かの形で普通教育をば勞働の強制條件なりとすることを餘儀なくされた。其時以來、工場兒童も亦普通の晝間通學兒童と同樣に、否寧ろヨリ優良敏速に、學課を覺えるといふ事實が見出された。これに就いて或る工場監督は言ふ。――『これは彼等が半日しか學校にをらない爲、常に鮮かであつて、教育を受け入れることに殆んど絶えず準備が出來てをり、絶えずそれを望んでゐるといふ單純な事實に依つて説明し得る所である。半勞半學の制度は、勞働と教育とを交互に休息及び慰安たらしめる。斯くして此等のものは、兒童が絶えず其一方のみを爲さしめられる場合に比べると、彼等にとつて遙かに適合したものとなるのである』と。マルクスは附け加へて言ふ。――『ロバート・オーヱンに依つても詳細を確め得る如く、單に社會的生産を増進する方法としてのみでなく、又全般的に發達した人間を生産する唯一の方法としても、一定の年齡を超えた凡ゆる兒童の爲に生産的勞働をば知育及び體操と兩立せしめる所の、將來に於ける教育の種子は、工場制度の中から發芽して來たのである』と。

此教育上の革命に、尚いま一つの革命が結合されねばならないであらう。元來、社會の内部に夫々分離した職業及び特殊勞働が行はれるといふ意味の分業(之れは手工業の時代に特有のものであつた)、及び個々の經營の内部に行はれる分業(之れは工場的手工業の時代に前記の分業と合體せしめられたものである)は、勞働に從事する個々人にとり極めて不利な結果を齎らしたのである。當時、生産條件の發達は極めて緩慢で、時には宛として化骨したやうな状態に陷つたこともある。人は其全身を以つて終生一定の部分作業に縛ばられた。彼れは此作業に於いて驚くべき熟練に達したが、それと同時に又一局部のみ發達した不具者となり、かの古代希臘羅馬に於ける理想的な美の源泉となつてゐた調和的發達を失ふに至つたのである。

然るに機械が使用されるやうになつた産業部門に於いては、勞働者は最早、其特殊勞働上の生産的行程を高むるため長年月に亘つて持續する所の修練を積む必要がなくなる。それと同時に又、彼れを終生一定の部分作業に縛つて置くことが不可能となる。なぜならば、機械は絶えず生産條件を革命し、勞働者は一つの勞働部門から引き裂かれて、他の勞働部門に投げ込まれることゝなるからである。

然し絶えず幾十萬のプロレタリアが失業した豫備軍(當てがはれたものならば、どんな仕事にでも躍り掛らうと渇望してゐる所の)を形成してゐる今日、上記の如き不斷の運動は、如何なる苦痛をか齎らさないであらう! 而して勞働者が種々多樣なる活動に順應して行く力は、今日に於いては如何に僅少であることよ! 蓋し今日の賃銀勞働者は幼にして既に心身不具の状態に陷り、近世大工業の基礎となつてゐる各種の機械的及び技術的過程を洞察することが出來ず、此等各種の過程に適合すべき伸縮性を缺いてゐるからである。而して又最後に、大工業のもとに於ける勞働者は必らずしも終生一定の部分作業に縛ばられるものではないとしても、それでも何ケ月何ケ年の間、失業と飢餓との間斷を置いて、日々それに縛ばられてゐるのである。

そこで若し各種の部分作業が1日毎に、進んでは1時間毎に相互交代されて、もはや疲勞と痴愚化とを齎らすことなく、寧ろ鼓舞と快活化とを生ぜしめるやうになり、而して壞敗的なる失業は消滅し、技術上の革命が勞働者の利益を犠牲としないで行はれるやうになるとすれば、其とき事態は如何に面目を一新するであらう!

斯樣な變化を生ぜしむる多くの豫備條件の中には、教育に關したものもある。元來勞働者階級は、生産方法の進行については科學的の理解を與へられ、種々なる生産器具の操縱については實際上の熟練を與へられねばならないのであつて、之れは今日でも、徒弟學校、其他類似の機關に依つて試みられてゐる所であるが、然し極めて不充分なものである。『資本の手からモギ取つた最初の貧弱な讓歩としての工場立法なるものは、普通教育を工場的勞働と兩立せしめるといふ結果を齎らすに過ぎぬのであるが、勞働者階級が不可避的に政權を占むるに至つた時、學理と實際との兩面から見た工藝教育も亦、勞働者學校の内部に其位置を得る事は、毫も疑を容れざる所である。』

5.舊家族の解體、新家族の萌芽

最後に又、近世の大工業は家族の點についても、何といふ大革命を包有してゐることであらう! それは今日でも既に、賃銀勞働者に對し傳來の家族形態を解體せしめてゐるのであつて、單に夫婦の關係のみでなく、又親子の關係も、工業上に於ける婦人及び兒童勞働の制度に依つて、趣きを一變するに至つたのである。兩親は嘗て子女の保護者であり扶養者であつたが、今や却つて其搾取者となることは屡々見られる所である。我々は曩に、英國の麥藁編工場に於ける、3歳の時から既に悲慘極まる状態の下に屡々夜なかまでも勞働せねばならぬ哀れな兒童について述べた。マルクスは言ふ。――『窮乏頽廢せる兩親たちはたゞ兒童等から出來得る限り多くを贏得しようとする事以外には何も考へないのだ。成長後、兒童等が兩親のことなど、爪の垢ほども懸念しないで之れを棄て去るのは、蓋し已むを得ざる所である』と。

マルクスは又他の場所で言ふ。――『然しながら資本に依る未成熟勞働力の直接又は間接の搾取を生ぜしめたものは親權の濫用ではなく、寧ろ反對に、親權をばそれに照應した經濟的基礎を廢除することに依つて一つの濫用たらしめたものこそ、資本制搾取方法なのである。資本制度の内部に行はれる舊來の家族制度の分解は、如何に恐ろしく厭なものであらうとも、大工業なるものはそれが家庭の範圍外に在る社會的に組織された生産行程の内部に於いて、婦人や、青年男女や幼兒などに割り當てる極めて重大な役割を以つて、家族及び男女關係のヨリ高級な一形態の依つて立つべき新たなる經濟的基礎を造り出すのである。基督教的チユートン的家族形態を絶對視するは、古羅馬的、古希臘的又は東洋的家族形態(此等の家族形態は又、相互に一つの歴史的發展系列を成すものであるが)を絶對視すると同じく、迂愚の沙汰であることは言ふ迄もない。又、男女及び樣々なる年齡の個々人を以つてする結合勞働總員の組成は、勞働者をば生産行程の爲に存在せしめて、生産行程をば勞働者の爲に存在せしむることなき原生的に粗暴なる資本制形態の下に於いては、腐敗と奴隷状態との害毒の源泉たるとはいへ、適當なる事情の下に置かれる時、それは寧ろ人間味ある發達の源泉とならねばならないことも、明白な事實である』と。

6.新社會の曙光

マルクスが將來に對する斯樣な希望を開いて呉れたので、我々は眞に打ちとけた氣持を以つて機械及び大工業の制度と相對することが出來る。それが勞働階級の上に課した苦痛は如何ばかり量り知れぬものであるとはいへ、此苦痛が少なくとも無益のものでないことは事實である。蓋し幾百萬といふプロレタリアの屍を以つて肥された勞働の畑には、新たなる種子が、ヨリ高級なる社會形態が發芽し來たるのであつて、機械生産は新たなる人類の依つて生ずべき基礎となるからである。而して機械生産に基く此新たなる人類は、手工業及び工場的手工業の偏局的な制限から免かれてゐるものであり、原始共産體のもとに於ける人類の如く自然の奴隷たるものではなく、さりとて又古代希臘羅馬時代の人類の如く、權利なき奴隷の壓迫を以つて身心の力と美とを購はんとするものでもない。それは實に總べてが調和的に發達した、生の歡喜に滿ち、享樂能力ある人類であり、地球竝びに自然力の支配者であつて、同胞的平等の位置に在る社會の全成員を抱擁する所のものである。

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