第2篇 餘剩價値

第7章 相對的餘剩價値

1.相對的餘剩價値と絶對的餘剩價値

必要勞働時間(換言すれば、勞働力なる商品の購買に前貸した資本を回収すべき價値を造るに必要な勞働日部分)が一定の大さを有してゐるとすれば、餘剩價値の率は勞働時間を延長することに依つてのみ増進せられ得る。例へば、1日の必要勞働時間が6時間で、且つそれが不變であると假定すれば(之れは生産條件が與へられてゐる場合に言ひ得ることである)餘剩價値率は勞働日を延長することに依つてのみ増進せられ得る。此事實に伴ふ諸結果に就いては、既に第4章の中に述べた通りである。

けれども勞働日なるものは、無限に延長し得るものではない。資本家が勞働日を延長しようとする努力は、先づ勞働者の衰弱といふ點に其自然的制限を見出し、次に勞働者が人間としての自由なる活動を要求するといふ事實の中に其道徳的制限を見出し、最後に種々なる事情の必要上國家に依つて勞働日が制限されるといふ事實の中に、其政治的制限を見出すものである。

假りに、勞働時間がもはや此上延長され得ない限界に達したとする。而して此限界が12時間であり、更らに必要勞働時間が6時間、餘剩價値率が10割であると假定して見る。

然る場合、此餘剩價値率は如何にして増大されるか。至つて單純である。即ち6時間と云ふ必要勞働時間を4時間に切り縮めればいい。さうすれば自然、餘剩勞働時間は6時間から8時間に延長される事になる。勞働日は從前通り12時間であるが、其組成部分たる必要勞働時間と餘剩勞働時間との比率が違つて來たのである。隨つて餘剩價値率も亦變化した。即ち12時間勞働日中の必要勞働時間を6時間から4時間に減縮した結果、餘剩價値率は2倍に増大して10割から20割になつたのである。此過程は、勞働日と其各部分との大さを、長さの一定した線に譬へて見れば、容易に理解される。即ち左の如くである。


                C
         A├┴┴┴┴┴┼┴┴┴┴┴┤B

右の中、A―Bは12時間勞働日、A―Cは必要勞働時間、C―Bは餘剩勞働時間を示すものとする。今、A―Bは其まゝにして置いて、C―Bを2時間延長するには如何にすればいいか。A―Cを2時間切り縮めればいい。即ち次の如くになる。


              C
         A├┴┴┴┼┴┴┴┴┴┴┴┤B

第1圖ではC―BA―Cと同じ大さであつたが、第2圖では2倍になる。

つまり餘剩價値と言ふものは、勞働日の絶對的延長に依つて得られるのみでなく、又必要勞働時間の短縮に依つても得られるのである。

勞働日の延長に依つて造られる餘剩價値を、マルクスは絶對的餘剩價値と名づけ、反對に必要勞働時間の短縮と、それに應じて生ずる兩勞働日部分間の大小比例の變化とに依つて得られる餘剩價値を、彼れは相對的餘剩價値と名づけた。

2.勞働生産力の増進と相對的餘剩價値

必要勞働時間の短縮に依つて餘剩價値を増大しようとする資本家の努力をば蔽ふべからざる形に示すものは、即ち賃銀を引下げようとする彼れの努力である。然るに勞働力の價値なるものは與へられたる事情の下に於いては一定の大さを有してゐるのであるから、賃銀の引下げに依つて餘剩價値を増大しようとする資本家の此努力は、結局、勞働力の價格を價値以下に引き下げようとすることに歸してしまふの外はない。此事實は實際上には極めて重要であるが、茲では之れ以上立ち入つて論議することは出來ない。茲に問題となる事は、經濟上に於ける運動の根柢であつて、その外部的の現象形態は問題となるものでないからである。

そこで我々は今のところ、一切が順當に進行すると云ふ假定から出發しなければならない。即ち價格は價値に合致し、隨つて勞働力の代價として與へられる賃銀は勞働力の價値に合致すると云ふ假定から出發しなければならない。それ故、勞銀が如何にして勞働力の價値以下に切り縮められ得るか、又それに如何なる結果が伴ふかと言ふことも、茲では研究する必要がない。茲に研究を要する所のものは、勞働力の價値が如何にして切り縮められるかといふ問題である。

與へられたる事情の下に於いて、勞働者は一定の欲望を有してゐる。彼れは自己竝びに一家の生存維持の爲に一定量の使用價値を要する。此使用價値は商品であつて、其價値は生産上社會的に必要なる勞働時間に依つて決定される。之れは我々の既に知る所であつて、更らに立ち入つた説明を要しない。

所で假りに、上記の使用對象の生産上社會的に必要なる勞働時間が低減するとすれば、生産物たる此使用對象の價値も亦低減することになり、隨つて勞働者の勞働力の價値も低減し、斯かる價値の再生産に必要なる勞働日部分も減縮される。而も勞働者の通常の欲望は、之れがため制限を受くることは無いのである。換言すれば、勞働の生産力が増進するとき、一定事情の下に於いて勞働力の價値は低減する。之れは一定事情の下に於いてのみ、即ち勞働生産力が増進して、勞働者の通例の生活必需品の生産に必要なる勞働時間が短縮された場合にのみ、又その限りに於いてのみ、言ひ得る事である。勞働者が跣足で歩かないで、靴を穿くのが習慣であるとして、此場合一足の靴を造るに必要なる勞働時間が12時間から6時間に減ずるとすれば、勞働力の價値も亦低減する。然しダイヤモンド磨き工やレース製造工の勞働生産力が2倍に増進しても、勞働力の價値には影響がない。

然るに勞働生産力の増進なるものは、生産方法の變化、換言すれば勞働要具又は勞働方法の改善に依つてのみ可能である。即ち相對的餘剩價値の産出は、勞働方法の革命を條件とするものである。

生産方法の斯かる革命と不斷の完成とは、資本主義的生産制度にとつて自然的必然的の事實である。勿論、個々の資本家は必ずしも彼れが價安く生産すればする程、勞働力の價値は益々低減し、隨つて他の事情に變化なき限り、餘剩價値は益々増大すると云ふ事實を意識してゐるものでない。けれども彼れは、競爭上、絶えず新たに生産行程を改善しなければならなくなる。競爭者に打克たうとする努力から、平均的に必要なる勞働時間以下を以つて從前と同一量の商品を生産し得せしめる方法を採用するやうになる。而して彼等の競爭者も亦競爭上、改善された生産方法を採用せざるを得なくなる。勿論、此新たなる生産方法が一部の資本家に限られてゐる間は、例外的の利得が得られる譯であるが、一度びそれが各方面に普及するや否や、斯かる例外的の利得は消滅してしまふ。然し此生産方法が生活必需品の生産に影響する程度に從つて、勞働力の價値は或は多く或は少なく低減し、相對的餘剩價値はそれに應じて増大する事となる。而して斯かる結果は、將來に持續してゆくのである。

之れ即ち、資本主義をして不斷に生産方法を革命せしめ、以つて相對的餘剩價値を増大せしむる原因の一つたるものである。

勞働生産力が増進すれば、相對的餘剩價値率も亦増進するが、産出商品の價値はそれに應じて低減する。斯くて我々は、一見矛盾と思はれる現象に逢着する。即ち資本家はヨリ多くの價値を懷ろに入れるため、益々價安く生産し、ますます僅少の價値を商品に附與しようと間斷なく努力すといふ事である。我々は更らに、いま一つの不條理らしく見える現象に逢着する。即ち資本制生産方法の支配下に於いては、勞働の生産力が増進すればする程、餘剩價値、換言すれば勞働者の過剩勞働時間も亦ますます増大するといふ事である。資本制生産方法は、勞働の生産力を著しく増進し、必要勞働時間を最低限まで短縮すると同時に、又勞働日を出來得る限り延長しようと努める。

資本制生産方法が如何にして勞働日を延長したかは、第4章に述べた通りである。我々は之れより、此生産方法が如何にして必要勞働時間を短縮したかを見ることにしよう。

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