第2篇 餘剩價値

第9章 分業及び工場的手工業

(1) 工場的手工業の二重起原、其要素たる部分勞働者竝びに彼れの道具

1.閑却せられたる資本論部分

第1篇に於いては、『資本論』のほか特に『經濟學批判』を、一部的には又『賃銀勞働と資本』を、我々の説明の基礎として、利用することが出來た。所で本章及び次章に於いては、分業竝びに工場的手工業、機械竝びに大工業を取扱ふのであるが、其説明に就いては『資本論』のほかに矢張りマルクスの手になつた『哲學の窮乏』(イ)、特に其中の『分業及び機械』と題する第2章第2節が考慮に入る。

註(イ)此書は固と佛蘭西語で書かれたもので其獨逸譯第2版は、1892年ストツトガルトで發行された。以下に掲ぐる引抄及び傍註は、此獨逸譯第2版から採用したものである。

資本制工場的手工業に於ける分業が、勞働者に及ぼす弊害に關する文獻を取扱つた點では、『資本論』よりも『哲學の窮乏』の方が詳細を極めてゐる。『資本論』の中で茲に問題となる兩章は、我々の見る所に依ればマルクスの述作中もつとも素晴らしい部分に屬するものであるが、惜しい哉、今日まで『資本論』を讀んだ大抵の人々からそれに相應した注意を拂はれなかつた(ハ)。所で上記の『哲學の窮乏』第2章第2節は、『資本論』の此等兩章の先驅たるのみでなく、又實に其の補充ともなつてゐるのである。

註(ロ)グスターフ・グロス氏は確かに此等兩章の意義を捕捉した少數人士中の1人である。(同氏著『カール・マルクス』83頁參照)。譯者曰く、福田徳三氏も明かに此點に着眼してゐる。氏は言ふ、――『トコロが茲に一人、アダム・スミスとは大いに違つた着眼點から此問題(分業論)を研究した學者が出ました。其は別人でもありません。カール・マルクス其人であります。マルクスは其資本論に於いて、彼れ獨特の分業論を説いて居ります。……彼が分業其者を見る見方に至つては、殆ど前人未發と申しても差支ないのであります。』(『勞働經濟講話』1101頁)。

2.工場的手工業の二重起原

最初に先づ工場的手工業(Manufaktur)を觀察しなければならない。マルクスは之れを『尚いまだ機械を以つて經營される近世的の大産業には達してをらないが、さりとて最早中世の産業でもなく、又家内工業でもない産業』(『哲學の窮乏』121頁)と言つてゐる。それは資本制生産方法の特徴的形態としては、大體に於いて、16世紀の中頃から18世紀の終りまで支配してゐたものである(ハ)。

註(ハ)Manufakturと言ふ言葉は拉典語のmanus(手)及びfactus(製したる)より成り、纖維工業は其最も重要なる一部門であつた。そこで機織業のことを、直ちにマニユフアクチユーアと呼ぶことになつた。既にマニユフアクチユーアの時代を過ぎて、機械工業に入つた今日でも矢張りさう言つてゐる。今でも機織業の意味でマニユフアクチユーアと言ふ場合が屡々ある。然し此用語法は當を得たものではない。譯者曰く、日本では從來此語を『製造業』と譯して來た。然し手工業及び機械工業に對立させてマニユフアクチユーアと言ふ場合に、製造業では意味を成さぬ。手工業も機械工業も皆な製造業である。そこで私は之れを歴史的に、又原語の意義をも斟酌して『工場的手工業』と譯することにした。甚だ不細工な譯語ではあるが、意味に間違ひはないと信じてゐる。

工場的手工業の起原は二重である。先づ一方に於いて、生産物は其完成前に種々なる手工業者の手を經ねばならぬ。例へば此所に馬車がある。馬車は車匠の手から馬具師、装飾師、塗繪師、硝子細工師等の手を經る。所が茲に資本家が出て來て、今迄これらの獨立した手工業者に依つて占められてゐた各勞働部門の賃銀勞働者を雇入れ、彼等を共同の勞働場で計劃的に協力して馬車製造に從事させるやうになつた。

所が又一方に、工場的手工業は之れとは全く反對の方向からも發展して來る。即ち資本家は同一の生産物なる例へば針を造る勞働者の幾人かを同じ勞働場の内に集めた。初めの中は、彼等の各は針の完成に必要なる諸作業の全部を順次に行つてゐたが、斯く使用される勞働者の人數が殖えるや否や、其當然の順序として、相異つた各作業が相異つた勞働者間に分割されるやうになつた。工場的手工業なるものは、斯くの如く一方に於いては、各種の獨立した手工業の合同に依り、他方に於いては又、同一の手工業に屬する相異つた各作業が夫々異つた勞働者の間に分割されることに依つて生じたものである。

3.工場的手工業と手工業との異同

然し工場的手工業の勞働者に歸する各作業が、從前特殊手工業の獨立した作業であつたにしろ、又は一手工業の作業分化から生じたものであるにしろ、いづれにしても手工業が工場的手工業の根柢を成してゐることに變りはない。それは單に歴史的に言ひ得るのみでなく、又生産技術の上からも言ひ得る事である。工場的手工業のもとに於いても、凡ゆる作業が人間の手でなされると言ふことは、依然免れ難い條件となつてゐる。手工業の場合に於ける如く、工場的手工業の場合に於いても亦勞働の結果は、本質上各勞働者の熟練と確實と迅速とに基いてゐるのである。

然し又、手工業の勞働者と工場的手工業の勞働者との間には、非常に著しい區別がある。即ち手工業勞働者の作業は複雜多樣のものであつたが、工場的手工業のもとに於いてはそれが非常に單純且つ單調となり、勞働者は毎日々々、年百年中、同じやうな作業ばかりすることになる。彼れは最早、目的を意識した獨立の生産者ではなく、大なる勞働機構の獨立せざる部分であり、謂はゞ總勞働者と言ふ全身の肢體に過ぎなくなる。

之れが爲、勞働者の運動する局限された領域内について見れば、彼れの精巧が著しく増進することは言ふ迄もない。彼れは種々なる妙技を發見して、それを仲間に傳へ、仲間から又他の妙技を教へられる。勞働が多種多樣なる場合には、場所及び道具の變化を伴ふことになり、それが爲、時間及び勞働力の浪費を招く。然るに工場的手工業の部分勞働者は、同一の場所で同一の道具を以つて間斷なく一氣に勞働を續けるのであるから、斯樣な浪費を來たす恐れがない。然し一方から言へば、活動の變化には氣晴しと刺戟とが伴はれるものであるが、部分勞働者にはそれが得られない。

工場的手工業に於ける分業は、斯く勞働者の精巧を増進せしめるのみでなく、又道具の完成をも齎らすものである。種々雜多の作業に役立つべき道具は、此等の作業の何づれにも、完全に適合し得るものでない。專ら一作業にのみ充用される道具は其作業に能く適合し得るものであつて、從前の道具に比ぶればヨリ有效となり得るのである。

此等一切の事情は、工場的手工業の勞働生産力をば、手工業の夫れに比して著しく増進せしめるものである。

(2) 工場的手工業に於ける二つの基本形態

1.時計製造の例

上段に於いては、工場的手工業の二重起原、竝びに工場的手工業の單純要素たる部分勞働者と其道具とを觀察した。之れより、工場的手工業の總姿容に論を轉じよう。

工場的手工業は本質的に異つた二つの基本形態を有してゐる。それは製造品たる生産物の性質の差異に基くものである。即ち工場的手工業の生産物は、一列の獨立した部分生産物に依つて構成されるか、然らずんば、同じ勞働對象の上に相次いで加へられる相互聯絡した一列の作業及び操作に依つて生ずるものである。

此等の基本形態は、各有名なる例解を以つて説明することが出來る。サー・ウヰリアム・ペテーは工場的手工業の分業を説明するに時計製造の例を以つてした。之れは右に言ふ基本形對の第1に算入すべきものである。手工業に於いては、1人の勞働者がピンからキリまで時計の全部を造り上げるのであつたが、時計製造業が資本的經營の下に屬するや否や、時計の各組成分の製造は特殊の部分勞働者に割り當てられるやうになる。此等の組成分を組合せる仕事も亦、同樣である。かくて彈條を造る人、數字盤を造る人、ガワを造る人、龍頭を造る人、そして最後に時計の全體を組立てゝ正しく進行させる仕上人等が生ずることになつたのである。

2.ピン製造の例

第2の基本形態の一例は、アダム・スミスが當時行はれたるピン製造について與へた有名な説明の中に求められる。彼れは言ふ。――『1人が針金を引き、他の1人がそれを延ばし、第3の1人がそれを切り刻み、第4の1人がそれに尖を付け、第5の1人が其頭を付ける方の一端を磨く。其頭を造るのにも、相異つた2,3の操作を要する。それを又針に付けるのが、特殊の一仕事である。更らに計を晒白することや、又出來上つたピンを紙に刺すことまでが、各特殊の勞働部門となるのである。斯くして1本のピンを造り上げる勞働は、相分離された18の作業――斯種の若干の工場に於いて、18人の勞働者の手でなされる所の――に分かたれるのである』(『富國論』第1章)。

3.工場的手工業の制限

箇々の針金は順次に相異つた部分勞働者の手を通過するが、然し此等の勞働者はいづれも同時に活動してゐるのである。一つのピン製造所に於いて、同時に針金を引いたり、延ばしたり、切つたり、尖をつけたりする。約して言へば、手工業勞働者の場合には相次いでなされねばならなかつた各種の作業が、工場的手工業に於いては、同時に相竝んで行はれることになるのである。之れがため、同一時間内にヨリ多くの商品を造り得るやうになる。又、手工業に比べると工場的手工業に於いては生産力の方面にも得る所があるのであるが、之れは其協業的性質に基く一利得である。然し工場的手工業にも尚一つの制限が固着してゐる。即ち曩に時計製造の例を以つて説明した第1部類に屬するものにしろ、又はピン製造の例を以つて説明した第2部類に屬するものにしろ、いづれにしても工場的手工業における製造品なり其各組成部分なりは、甲なる人の手から乙なる人の手への、運搬を通過せねばならぬ。それには、時間と勞働とが要る。此制限は、大工業のもとに始めて除去されるものである。

甲なる人の手から乙なる人の手への斯かる運搬に依つて、前者は後者に原料を供給する。斯くして一の勞働者は他の勞働者の勞働を可能ならしめることになるのである。例へばピンの頭をつける勞働者は、適當に調製された針金の斷片が充分に供給されなければ其仕事をする事が出來ない。そこで總勞働が停滯する事なく絶えず流暢に進行するやうにするには、各勞働部門に於ける一定生産物の製造に必要なる勞働時間を確定し、各勞働部門に使用される勞働者の數をば適當な比率に按排せねばならぬ。假りに、斷針工は1時間に1000本の針を造り得るが、それに頭を着ける勞働者は同1時間に200本しか仕上げ得ないとすれば、10人の着頭工を充分に働かせ得る爲には、2人の斷針工が活動せねばならないことになる。他方に又、1人の斷針工を雇つてゐる資本家は、彼れの勞働力をば充分目的に一致させて利用しようとすれば、5人の着頭工を使用せねばならぬ。企業を擴張しようとする場合、單に勞働者を増傭するだけでは仕方がない。彼等の勞働力を出來得る限り利用しようと思へば、適當の比率を以つて之れを増傭せねばならぬ。前の例に就いて言へば、斷針工が1人殖えた場合、着頭工を3人又は4人ではなく5人増すことに依つてのみ、資本家は充分の利益を得るのである。

我々の既に知る如く、社會的に必要なる勞働時間を以つて商品を生産することは商品生産一般の必要とする所であつて、競爭上勢ひさうせざるを得なくなるのである。然るに資本制工場的手工業の發達につれて、社會的に必要なる勞働時間内に一定量の生産物を造ることは又生産技術上の必要事項となつて來る。手工業勞働者が社會的に必要なる程度よりも迅速又は緩慢に勞働した所で、それは彼れの勞働の結果に影響を及ぼすことになるが、決して彼れの勞働を不可能ならしむるものでない。所が、資本制工場的手工業の場合になると、部分勞働の一部門に於いて生産が常規を逸するや否や、延いて勞働行程の全部が頓挫を來たすことになる。然るに多數の勞働者を同時に同じ作業に使用する時、彼等の勞働が平均勞働に化することは、曩に述べた通りである。單純なる協業に伴ふ此利益は、工場的手工業に於ける生産の必要條件となるものである。

要するに生産が資本制的となるとき始めて個々の商品生産者(資本家)は通常、社會的に必要なる平均勞働を以つて生産するやうになり、又さうしなければならなくなる。商品價値の法則なるものは、資本制生産方法のもとに始めて完全なる發展を見るのである。

4.勞働力の等級制

工場的手工業の開始と共に、又、機械の使用が此處彼處に始まつて來る。然し、此時代には、機械はまだ副役を演じてゐるに過ぎない。工場的手工業のもとに於いては、總勞働者が主たる機械となつてゐるのであつて、個々の部分勞働者は總勞働者の相互に組み合はされた齒車を成してゐるのである。工場的手工業制度の下に於ける勞働者は、實際のところ機械の一部に過ぎず、機械部分と同樣に規則正しく不斷に作用せねばならぬ。機械にはヨリ複雜な部分と然らざる部分とがある如く、各種の部分勞働も亦異つた程度に修練された勞働者を必要とする。此修練程度に應じて、勞働者の勞働力に價値の差等がついて來るのである。ピン製造が尚いまだ手工業の段階を脱しなかつた當時にあつては、各針工の修練には差異がなかつた。隨つて各針工の勞働力の價値は大體に於いて同一であり、且つ比較的高かつたのである。然るに工場的手工業制の下に立つやうになつたとき、ピン製造は大なる修練を要する部分勞働と、容易に習得し得る部分勞働とに分割された。而して必要なる大修練を得る爲に長時間を費した勞働者の勞働力は、平易なる手工に向けられた勞働者の勞働力に比して遙かに高き價値を有することは言ふ迄もない。斯くて『勞銀階梯の標準たる勞働力の等級制』が生ずる事になつた(ニ)。これの最下段に立つ者は、即ち特別の修練や準備なくして何人にも行ひ得る作業を爲す所の勞働者である。斯樣な單純作業は如何なる生産行程にも存するもので、手工業のもとに於いては、それは複雜なる活動と交代に行はれたものである。工場的手工業のもとに於いては、それは無知なる勞働者として、知識ある勞働者から區別される特殊の勞働者部類に依つて、不斷に營まれる所の作業となる。

註(ニ)左表はバツベーヂの『機械及び工場的手工業の經濟に就いて』から採つたもので、勞銀の等級的組織と、各作業に於ける勞働者の數を相互按排して平均的に必要なる勞働時間を實現すべき技術上の必要とを極めてよく説明してゐる。此表は、19世紀初期に於ける英國の或る小規模なピン製造所の状況を示したものである。

作業種類職 工1日の勞銀
針金引キ成年男子1人3志3片
針金延シ婦 人1人1志
少 女1人6片
着 尖成年男子1人5志3片
針頭製造成年男子1人5志4.5片
少 年1人4.5片
着 頭婦 人1人1志3片
晒 白成年男子1人6志
婦 人1人3志
紙刺シ婦 人1人1志6片

即ち賃銀は4片半より6志に及んでゐる。

5.相對的餘剩價値の増大

工場的手工業に於ける各勞働者の通過すべき修練期間は、同じ産業部門に屬する手工業勞働者の通過すべき修練期間に比すれば概して短小である。後者は、其産業に於ける生産物の完成に必要な一切の作業を修得せねばならぬ。然るに、工場的手工業の勞働者は、此等の作業の中、わづか一乃至若干を學べばいいのである。無知識の勞働者に在つては、教育上の費用が全く省かれることになる。

されば工場的手工業に於いては、勞働力の價値が低減して勞働者の生存維持に必要なる勞働時間は縮小され、隨つて勞働日に變化がないとすれば、餘剩勞働の持續時間は延長され、相對的餘剩價値は増大することになる。同時に又、勞働者は身心不具となり、勞働は彼れにとつて一切の内容、一切の興味を失つてしまふ。彼れ自身が資本の附屬物となるのである。

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