著作目次序文(エッセイ編)

幻滅者の社会観

本書は、大正11年に大鐙閣から出版された、高畠素之の最初のエッセイ集である。大鐙閣は大正デモクラシーの始まる頃、諸種の社会主義文献を出版しており、高畠も大鐙閣の下で、『資本論』の翻訳(初訳)の外、『社会主義と進化論』『マルクス学研究』『社会主義的諸研究』などの単行本を出版している。だたし大鐙閣そのものは、後に関東大震災で倒産した。

全四篇で構成された本書は、傍観独語に比較的長文が収められた外は、いずれも短文のエッセイが収められている。「幻滅者」という書名の由来は、序文に云うように、病理的人間の方が社会の病理を理解しやすいということに依るもので、高畠らしい命名になっている。

本書の文体は、後の高畠のものに比べると固めで、多少難解な修飾語が多様されている。また随所に社会主義的(高畠の)言辞を用いているが、正面から社会主義を論じたような研究的論文は収められていない。なお本書収録文章の中、冒頭の幾つかは、後に『自己を語る』(増補版)に再録された。

以下、はしがきと目次を掲げるが、目次題目と本文とに若干の相違が見られる。それらは本文の題目に従った。(本書はテキスト化を了えているので、興味のある人はそちらを見て下さい。)

はしがき

相州茅ケ崎の空気は肺病患者に宜しいさうであるが、健康体の人が東京のマン中から突然茅ケ崎の海岸に放り出されても左程に空気の宜しさを感じない。然るに之れが肺の悪い人になると、急によみがへつたやうに胸のスガスガしさを感じるさうである。病理学の研究資料としては、健康体の人よりも病人の方が有用である。社会病人の心理は世態の真相をより鋭敏により如実に感受する。

私は本書において暫らく社会上の病人に自己を扮裝して見た。私は病人である。健全なる反動主義者や急進論者の目には、尋常ならぬ病人として映ずべきシロ物である。随つて彼等から見れば、私の言ふことは正気の沙汰でないかも知れぬ。病的とも言へやう。ツムヂ曲りとも言へやう。ヘンにこぢれた頭とも言へやう。然し私の言辞を単にさう言つて葬むり去らうとするのは、私の一言一句に依つて自己内心の現実が曝露されることを恐れるのではないか。お世辞とオベンチヤラの並べ合ひを常習とする健康体の社会主義者や反動論者の言ふ事は、社会病理の研究に貢献するところ至つて微々たるものであるとすれば、私のやうな病人の言ふ事は此方面に少なからず裨益する所ないとは断言できぬ。いづれにしても、板のやうな真人間ばかりのさばつてゐる広い日本に、一人ぐらゐ私のやうな奴がゐても悪くはなからう。(著者)


目次

第一篇 局外近視

流行/ゴロ/識者/『要助』/治警/暴利/猫イラズ/綱紀/外国資金/鉄道五十年忌/動物虐待/邪教繁昌/米化/教育費削減

第二篇 犬の近吠

国粋的名物/主義者狩り/外国利用/国家心/思想善導/佩剣/生活改悪/石流葉沈/新聞哲学/刺された原敬

第三篇 傍観独語

虫の善い学者の要求/当然の応報─消費者本位の大衆運動/偏見的インターナショナリズム/西洋人に任せろ/十年後の日本/好機を失する為に/超国家主義の迷妄/議会政策の為に/正当且つ有功/『破壊』序/宮地嘉六君/芸術の顧客として

第四篇 鬼ころし

資本主義の進行と義務教育/労働者と貯金/酬はれざる兵士/ある可らさる事/量か価格か/資本主義の爛熟/隷属の宣伝/友愛会の幻滅/新人の正体/『赤化』騒ぎ/主義者征伐/学者の箝口令/農業労働者の抬頭/処女の貞操/模型市場/消費難/哲学者の情死/二人の殉難者/刺客の新模型/戦術の二側面/勇敢なる海相/白色と有色の争ひ/夢想の罪/これが平和か/子宝勲章/家庭より社会へ/女子教育と社会/観念と現実/泰平無事の三ヶ日/主観過重の弊/客観か独断か/地主の『社会奉仕』/此子、此母/不徳義呼ばり/元老の凋落/道徳の威力/盲と眼明/蒔いた種/閑人の遊戯/泣く子と地頭/労働階級の名/平和の一面/自由の犠牲/近代人の苦悶/人種平等の楽園/平和博の意義/脱税と社会奉仕/未成年者/時代の犠牲/財産と運命


自己を語る

本書は、大正15年に人文会出版部から『日本エッセイ叢書』の第二篇として出版された、高畠素之の二番目のエッセイ集である。昭和3年に増補版が出版され、初版の後ろに『幻滅者の社会観』等から幾つかの短文が再録された。人文会出版部は、高畠の友人水守亀之助が運営していた出版部である。

前後両篇から成る本書は、前篇には長文の論文(時事論文)を、後篇には短文のエッセイを収めている。前篇第一の論文が「資本論を了へて」であり、後篇最終エッセイが「資本論の会」であることから、本書は資本論に因縁のある出来となっている。(ただし初版のみ)本書前半に若干の研究的文章を収めるが、総じて気楽な文章が多い。

本書所収のエッセイは、『局外』『随筆』(第2次)などの高畠に近い雑誌から採られたものが多いが、『改造』『解放』『経済往来』『文藝春秋』などの中央雑誌に掲載された文章も少なくない。この時期は、高畠が最もエネルギッシュに文筆活動を展開していた時期だけに、その出来も出色のものが多い。高畠の人となりを知るのに不可欠の書となっている。

以下、目次は増補版を用いたが、便宜上、初版本部分と増補部分との間に句切りを設けた。また本書冒頭に附されてある高畠の短文を加えた。(本書はテキスト化を了えているので、興味のある人はそちらを見て下さい。)

自己を語る

私は短気だから、根気で埋合せる。私は凡骨だから、努力と勤勉で埋合せる。私は人の悪口をいふから、我が身の責任と真実を重んずる。私は短所ばかりだから、何か一つ極端に長所を発揮しようと思つてゐる。

けれども私は、これらの短気や、凡骨や、毒舌や、その他一切の短所を改めようとは思はない。思つても、大方無益だといふことを知つてゐる。短所に手を触れるな。長所を発揮すればいいのだ。


目次

前篇 落書エッセイ

一、資本論を了へて
二、日本の家族制度
三、現代思想界の傾向
四、向ふ三軒両隣り
五、社会主義思想上の観念的傾向と現実主義的傾向
六、無産政党禁止余談
七、文芸素人漫談

後篇 局外道話

一、偏局哲学/二、局外展望/三、十二月八日/四、建国祭/五、相対性效果/六、感じてゐる事/七、ブルヂォアの神殿/八、風貌の鏡/九、免疫/十、車庫的安息/十一、公私混同/十二、商品/十三、カラ馬かたぎ/十四、道楽主義/十五、国家と性格/十六、学問の現実性/十七、デモクラ心理/十八、傾向の使ひわけ/十九、徳望の分業/二十、接吻禁止問題/二十一、かどと丸味/二十二、文相内訓のこと/二十三、戸別訪問/二十四、犬/二十五、官憲曰く/二十六、パラドックス/二十七、商売往来/二十八、普選内閣/二十九、労農党の自由主義/三十、人口問題楽観/三十一、鬼に金棒/三十二、舞台と褌/三十三、民衆に曳き摺られる/三十四、亡国気分/三十五、日本社会主義/三十六、飜訳思想/三十七、男性美の発揮/三十八、資本論の会

三十九、左きき/四十、ゴロ/四十一、識者/四十二、治警/四十三、暴利/四十四、動物虐待/四十五、外国利用/四十六、国粋的名物/四十七、偏見的インターナショナリズム/四十八、国家論に就いて/四十九、贔負役者を見る


論・想・談

本書は、昭和2年に人文会出版部から出版された、高畠素之の第三番目のエッセイ集である。『自己を語る』と同じ出版部であり、内容も類似のものであるが、こちらは『日本エッセイ叢書』の中には入っていない。

これは標題の通り、論と想と談という三篇に分けられている。「論」には長めの研究的論文が収められ、「想」にはやや趣味的傾向の長文が収められ、「談」には趣味的短編と断片語(雑誌の巻頭語のようなもの)が掲載されている。『春秋』や『随筆』に収められたものもあるが、総じて『改造』『中央公論』といった中央雑誌に掲載された文章が多い。

また本書は『自己を語る』とともに、従来高畠を論ずるに於いてよく利用された文献である。特に「談」に収められた「断片語」は高畠の立場をよく著しているといわれている。

本書には序文の代わりに、堤寒三の漫画と題辞があるが、著作権の問題からそれらは省略し、目次のみを掲げておく。(本書はテキスト化を了えているので、興味のある人はそちらを見て下さい。)

目次

人は何故に貧乏するか
労農帝国主義の極東進出
憲政常道の可能性
現代の悪制度
右翼の敗因
軍縮会議側面観
資本主義の長所
議会政治の正体と将来

両性関係の過去・現在・未来
翻訳の東洋主義
文壇社会学
芸術の唯物史観
無政府主義論
マルクスの不滅性
デモクラシーの馬脚
文芸変形時評
最後の鬼面芸術
現代人心浮動の社会的必然性―モガ・モボの跋扈偶然ならず―

侠客
闘犬雑話
議会
無産政党漫談
知友名簿にない彼女―山田順子観―
あばたはあばた―徳田秋声氏への応酬―
断片語

性悪観/軍事教育/看板/顧問/泥合戦/牛後道/代議士/烏の雌雄/子供思ひ/社会時評/ニヒリズム/浪人/それもよしこれもよし


英雄崇拝と看板心理

本書は、高畠素之の死後、忠誠堂から昭和5年に出版された高畠の遺稿集である。所謂高畠門下の出したものの一つである。高畠の既刊本未収録の論文雑文を編集したものである。序文は小栗慶太郎の手になっている。

内容は、標題の「英雄崇拝と看板心理」の外、「社会思想の観念的傾向」、「硬軟傾向交錯の一新現象」などの論評を含む長めの論文が多い。小栗の序文には、高畠の単行本未収録文書から、「現代社会の傾向批判に属する」ものを編集したものであり、二三の例外を除いて、初出の原形を忠実に保ったと云っている。

尤も「現代社会」と関係ある論策を撰んだとは言え、本書は社会進化、看板心理、両性問題、出版分化、資本主義と社会主義、プロレ文芸方面など、高畠素之の主張を鳥瞰し得るように編集されている。そのため、『自己を語る』や『論想談』とならんで、高畠の思想を知るのに不可欠なものの一つとなっている。

本書は、小栗の序文、目次、本文、奥付という構成になっているが、小栗の序文を掲げるわけにもいかないため、以下には目次のみを挙げておく。

目次

(一)欲望の研究
(二)英雄崇拝と看板心理
(三)社会進化に於ける女性の位置
(四)贅沢と虚栄と優越本能
(五)男性的虚栄の代理行使
(六)家族制度はどうなる
(七)家族主義と個人主義
(八)現実の操る夢
(九)資本主義の功罪
(十)資本家の労働
(十一)利潤観さまざま
(十二)大衆主義と資本主義
(十三)資本主義は断末か
(十四)資本主義とその否定
(十五)廉価多売と出版資本主義の確立
(十六)出版戦弱肉強食の弁
(十七)円本全集の運命
(十八)社会思想の観念的傾向
(十九)我れは斯く見る
(二〇)最近思想界の一感
(二一)硬軟傾向交錯の一新現象
(二二)政治と文芸を傍観す
(二三)プロレタリア文芸
(二四)私の眼に映れる現文壇の種々相
(二五)季節おくれの文壇時事
(二六)社会雑感
(二七)是々非々

著作目次序文(一般書編)

ムッソリーニとその思想

本書は、昭和3年に事業之日本社から出版された、高畠素之の啓蒙的著作である。本書表題の通り、ムッソリーニの生涯とファシスト党の機構などを解説した書物で、全書に渉って総ルビとなっている。所収論文は何れも過去に発表したものである。なお本書第二章は津久井龍雄の手に成っている。

以下、序文と目次を掲げる。

社会党、共産党などの謂はゆる赤化勢力に対し、ムツソリーニが国民主義的民衆勢力をでツち上げて対立させたといふのは当らない。でツち上げて対立させたのではなく、敵の地盤をその儘そツくり掻ツさらつたのである。だから、フアスシオ労働組合も、赤化労働組合も、組合員のガン首においては本質的に大した相違がない。イタリヤの組合労働者たちは、数年前インターナショナルを絶叫したその同じ口から、今やフアスシオ万歳を絶叫してゐる。

そこがムツソリーニの偉いところでもあり、面白いところでもある。斯ういふ遣り口は、サイダーに酔ツぱらつて風車につき当るやうな酔いどれ的英雄には迚も望まれない。流石は多年社会主義で叩き上げて失敬した功むなしからず、敵の手くだも、戦術も、陣容も、すツかり呑み込んでの大仕事だからたまらない。

我が上杉博士はムツソリーニを市井一介の無頼漢と罵つて、日本の国家主義者たちが彼れにかぶれんとする傾向を戒められたが、心配御無用、日本には水島の羽音で敵の陣容を夢幻的に過大視したがる愛国者はごろごろしてゐても、敵の戦術と理論に深入りしてそれを味方の武器に運用し得るやうな、そんな気のきいたムツソリーニかぶれは、鉄の草蛙で探し廻つても当分は見当る気づかひがない。

本書第二篇「フアスシオの生誕から組閣まで」は、友人津久井龍雄君の執筆を私が手入れしたものである。


目次

○ムツソリーニ論

一、映画『永遠の都』/二、蛇は寸にして/三、天に聲あり/四、毒を以つて制す/五、水火を辞せず/六、武器を逆用す/七、多面錐體の頂点/八、盲人の象探り

○フアスシオの生誕から組閣まで

一、國乱れて/二、健闘むなし/三、英雄起つ/四、二万の兵兒/五、黒色恐怖!/六、議会的進出/七、七擒八縦の辣手/八、羅馬へ!羅馬へ!/九、栄光の日

○ムツソリーニズムと国家社会主義

一、彼れの稚気と衒気/二、彼れのプラグマチズム/三、歴史の必然的無視/四、人類のエゴイズム/五、支配機能の確立/六、彼れのオポルチユニズム/七、デモクラシーと独裁主義/八、産業上の自由主義/九、ムッソリーニズムの将来

○ムッソリーニ褒貶記

一、世界舞台の三人男/二、誤解されたムッソリーニ/三、国家サンヂカリズム/四、フアスシズムの産業政策/五、ムッソリーニを見る/六、ムッソリーニは非『皇室中心主義』


高畠素之先生の思想と人物

本書は、高畠の死後、昭和5年に茂木実臣によって編纂されたもので、副題に「急進愛国主義の理論的根拠」とある。出版社は、津久井龍雄らが経営していた大衆社である。なお本書は大空社から『伝記叢書』(215)の一冊として復刻された。巻末に田中真人氏の解説がある。

本書の配列順序は、高畠の写真、手紙の写真、茂木実臣の序、目次、本編となっている。本編は、思想篇と人物篇とに分かれている。思想篇は、高畠の講演と『自己を語る』『論想談』などから持ち寄ったものである。人物篇は、高畠の略伝と、知人の人物感想とを併せたものである。その意味から、本書は正確には、高畠素之の著書ではなく、伝記史料である。

冒頭の写真は、高畠の写真の中でも最も有名なもので、本書の外、『新勢力』第12巻第4号(昭和42年5月)と白柳秀湖「哲学者の槍さび」(『改造』第11巻第2号)にも掲載されている。思想篇所収の講演「急進愛国主義の理論的根拠」は、高畠が最晩年に郷里前橋で行った講演の筆記である。これは高畠の国家社会主義を平明簡潔に論じたものとして、『急進』に再掲載され、また『国家社会主義大義』などとして出版された。

本書の目次などは諸般の事情から省略する。

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