著作目次序文(辞典編)

社会問題総覧

本書は、公文書院から大正9年に発売されたもので、「社会問題辞典」のさきがけとなったものである。「総覧」だけあって、表題・奥付ともに高畠素之編となっている。下に掲げた序文にあるように、本書は主として矢部周氏の手になったものである。本書の内容は、各題目ごとに論述を加えるというもので、次に説明する『社会問題辞典』とは異った体裁をとっている。

以下には本書の序文と目次を掲げた。ただし目次については、煩瑣のため小目は省略し、大目と中目のみ記した。なお序文原文は「爰に於いてか公文書院主人」の上に句点(。)がないが、これは補入した。また文末に見える「サンヂカリサム」の文字は原文のままである。

社会問題の研究と解決とを閑却する国家は危険である。単に之を研究した丈ではいけない。その研究の結果を以て、之が解決を敢行しなければならぬ。そうして其の解決に於いても、積極的、徹底的で無ければ、寧ろ之に着手せざるに如かざる場合がある。

本書編者の目的は、社会問題の根本解決を希望する処より、之が研究上好箇の資料に供せんとするに在る。

今春以来、政府の施政方針が改まり、其の取締も頗る寛大になつて、社会問題てふ広汎なる題目中に包含せらるゝ一切の事実と思想との研究が非常に都合よくなつた。爾来労働問題、社会運動などを標榜する著書が盛んに刊行される。其中には、社会問題研究の資料として絶好のものも在る。併し多くは偏実力的著述であつて、一本を以て能く社会問題研究者の希望に添え得るものに至つては、殆んど暁天の星も啻ならぬ有様である。爰に於いてか公文書院主人は私に求むるに前記の希望に添ひ得べき良著の編者を以てせられた。そうして私は之を承諾し、着手後三箇月を費やして茲に漸く脱稿するに至つた次第である。

本書は其の網羅すべきものを悉く網羅せんとして着手したが、遂に予定の紙数を超過する尠からずして、猶且その全部を網羅し尽すことを得なかつた。そこで結局、一面其筋の意嚮も気閊はれ、無政府主義とサンヂカリサムの細説は之を割愛して終つた。是れ固より発行者及び編者の本意とする処に非ず、又必ず後日機会を得て追加する考へであるが暫く諒として戴きたいのである。

本書の内容の大部分は矢部周君の労に成つたものである。爰に記して其謝意を表して置く。

大正九年一月

編者 識


目次

総説

社会問題の意義及由来

一、社会政策の二義/二、工業と労働問題/三、日本の労働問題

第一篇、社会政策

第一章、社会政策の意義及由来/第二章、社会政策の国家的方面/第三章、都市的方面/第四章、社会政策の自助的方面/第五章、各国に於ける社会政策

第二篇、社会主義

第一章、結論/第二章、社会主義の意義及び由来/第三章、社会主義の理論/第四章、各国の社会党

第三編、労働組合

第一章、労働組合意義及由来/第二章、労働組合の組織及職能/第三章、英国労働組合/第四章、仏蘭労働組合/第五章、独逸の労働組合/第六章、露西亜の労働組合/第七章、北米合衆国の労働組合

第四篇、婦人問題

第一章、両性の進化/第二章、日本現時の婦人問題/第三章、各国婦人の選挙権


社会問題辞典

本書は、新潮社から大正14年に発行されたもので、「社会問題辞典」のさきがけとなった。奥付は編輯者・高畠素之となっているが、背表紙と巻頭の頁は高畠素之著になっている。下に掲げる序文からも明らかなように、実質的には奥付の通り、高畠素之編『社会問題辞典』が正しいであろう。構成は序文・凡例の後にA~Zまでの項目索引、本文、人名索引が続く。いまだ本格的な「社会問題辞典」が存在しなかった当時、本書は斯界の識者から概ね好評を以て迎え入れられた。

本書は上に見た『社会問題総覧』と異なり、書名の通りの「辞典」である。ごく一般的な項目ごとに辞書的説明が加えられている。ただ特徴的なのは、文字の配列が「あいうえお」「いろはに」順ではなく、ABC順になっていることである。つまり、A項の「アッベ」「アヴェリング」「アドラー」「鴉片(あへん)」と続き、A項最後の「字(あざな)」までくると、B項の「売買結婚」が始まるというような順序になっている。また日本語の読みも、厳密な仮名遣いによらず、通用の棒読みで取っている。凡例に挙がっている例を用いると、「労働」は「ラウドウ」とせず、「ロードー」で取られている。このような心遣いは却って不便だが、これらは何れも「社会問題辞典」が本邦初という状態であった故であろう。

本書は高畠にとって、3度目の試みの産物である。一度目は大正9年ごろに志したが諸般の事情で中絶し、2度目は11年ごろに佐野学氏と計画したが震災で原稿が焼けて失敗し、漸く14年に至って完成した。本書凡例の最後に「本書の編輯については、第二回の共編者たりし佐野学氏は言ふ迄もなく、知友小栗慶太郎、矢部周、神永文三、宮崎市八諸君の助力を受くること少なくなかつた。此等諸君の労に比すれば、著者の努力の如きは寧ろ至つて鮮少であつたことを明かにして置く」とある。

以上のような径路、特に佐野学氏が関わっているとはいえ、本書は高畠門下の手で最終的に完成した。そのため内容はさぞ高畠色が出ていると思われるのだが、実際には淡々と重要項目を解説するのみで、むしろ編集者の特色が感じられずに拍子抜けするものとなっている。

例えば、国家社会主義の項目を調べると、「国家社会主義なる名称は、今日二様の意義に解釈されてゐる。即ちその一は集産主義(collectivism)を指し、他は独逸の宰相ビスマルクの取つた社会改良主義の謂である。後者がステート・ソシアリズム(state socialism)またはビスマーキアン・ステート・ソシアリズム(Bismarkian state socialism)と呼ばれるに対し、前者をナシヨナル・ソシアリズム(national socialism)と呼ぶ者もある。この条項に論ぜんとするはビスマルクの国家社会主義の謂であつて……」とあり、結局、高畠氏独特の国家社会主義については一語も及んでいない。これは他の部分に於いても同様である。

これは本書に書評を書いた、堺利彦(東京日日)、安部磯雄(東京朝日)、小泉信三(読売)、上杉慎吉(国民)、木蘇穀(万朝報)(他にも報知新聞に掲載されているらしいが未見)諸氏についても同様で、いずれも本書の中立性を指摘している。この理由は、高畠氏の「柄にもなく照れたがる性分」が理由の一つでもあるようだが、氏特有の主義を押し売りしないものであるとも言い得る。なお以上の書評には、横山万之助「批評の批評―社会問題辞典哀話佳話―」(第3次『局外』創刊号,大正14年11日)という、高畠氏の身内からの書評の論評がある。

以下には序文と凡例を挙げるにとどめ、目次は煩瑣に過ぎるので省略した。参考まで「社会主義」の項目でも挙げるべきであるが、5頁にわたり解説されており、長きにすぎるためこれは断念した。代わりに、やや社会主義と離れた項目である「王安石(オーアンセキ)」と、高畠氏のよく利用する「機能社会」の項目を記しておく。


思想の普及といふものは恐ろしいもので、日本に社会問題の思想がやや科学的の意味で萌し初めてから、まだ三十年にもなるかならないのであるが、その当時と今日と比較すると殆んど別世界の感がする。当時一二の先覚者に依り、単なる外来思想として、又は珍奇なる専門思想として主張唱導され、これに対して特殊の興味を抱く少数の共鳴者もただ他動的に先覚専門家の説を聴いて、一般世人に通用しない知識の特権を独占し享楽するといふ有様であつたが、今日ではそれが全く赴きを一変してしまつた。今日、社会問題といふ対象は、もはや少数専門家の特殊研究にのみ属するものではなく、社会的知識の水準となり、常識となつてゐるのである。

勿論、今日でも斯種の問題に殆んど何等の興味を感じない如く見える人々もある。然し少なくとも、多少の教養あり、読書慾を有し、社会、政治、文芸、宗教その他万般の知識的精神的生活部面に幾分の接触を有してゐる人々で、社会問題に全然興味を感じないといふものはなく、この方面に於ける大体の概念を固め、知識資料を貯へずしては、時世の流れに棹して行くことはできない。嘗ては一部少数者の特殊専門的知識であつた社会問題の思想も、今や斯くして社会的知識の常識的水準となるに至つたのである。

尤もこの社会的知識といひ、常識的水準といふものにも、いろいろな意義がある。たとへば嘗て、社会主義者を以つて人も許し、みづからも任じてゐた人たちの間に、アダム・イヴの富国論を云々し、マルクスの人口論を喋々したものがあつて物笑ひの種を蒔いたことがあるが、富国論といへばアダム・スミス、人口論といへばマルサス、資本論がマルクスで、レニンは共産主義――と、いふやうな程度の知識なくしては、今日まともに赤面なしの世渡りは出来ない。この意味に於いて、かかる程度の知識は今日の社会における常識的知識水準となつてゐるといひ得るのである。

然し常識は固定のものではない。知識が常識化すると同様に、常識そのものの知識水準が全体的に絶えず向上してゐることも事実である。富国論から聯想されるものがアダム・イヴではないといふ程度の知識が常識的の水準を成してゐる時代もあつたが、その程度の知識を知識として表白することそれ自身が既に赤面の種となり、進んで富国論とは如何なる内容の書であり、アダム・スミスといふ人は如何なる経歴の人で、社会思想の潮流に対して如何なる位置を占めてゐるかといふやうなことを、専門的でないまでも大体は心得て居らなければならない。それを心得ることが特権でなくて、心得ないものが水準以下であるといふことになる。今日はもう其時代に入りかけてゐるのである。

私が『社会問題辞典』を編纂しようと考へた第一の動機は、社会問題に関する斯種の常識――謂はば高級常識の指針を与へたいといふことであつた。この目的を以つて編纂された本書は、老幼男女を問はず、職の甲乙を論ぜず、学生にも、主婦にも、労働者にも、資本家にも、政治家にも、文芸家にも、僧侶にも、学校教師にも、必らず一読せらるべきものであり、一読して大きな益はないとしても、少なくとも私の謂ふ高級常識の温室となり合財袋となるだけの效力は絶無でないと堅く信ずるものである。

だが、本書の目的は、単にそれだけに止まるものではない。私は本書を以つて更らにいま一歩進んだ目的にも役立だせたいのである。それは専門家の立場にある人が、専門外から専門に関聯した言論をなし、文章を書き、行動を処理するといふやうな必要に迫られた場合、それに対して極めて手軽簡便に参考の用を弁ぜさせることである。議員の立候補演説にも、今日ではもう昔ながらの、既成政党がどうしたの、挙国一致がどうしたのといふ事だけでは通用しない。一切の政治が社会化して来る如く、社会問題も政治の重要な部分を占めるやうになるのである。そこで代議士の演説に於いても、旧来の形式的政論のみでなく、経済問題や、社会問題が可なりに主要な範圍を占めて来なければならない。文芸家が評論を書き、宗教家が青年の間に伝道し、資本家が労働争議の対策する場合についても同様である。

これらの場合に対して、専門的に難解ではなく、軽便簡易にして而も相当根拠ある指針と資料とを提供したいといふのが、本書編纂上の第二の目的である。


本書は私にとつて、第三回の試みである。私は初めて『社会問題辞典』の編纂に志したのは大正九年の頃で、助手も揃ひ或る程度まで起稿にも著手したのであつたが、種々なる事故のため著手後約半年にして中絶するの已むなきに立ち至つた。その後、大正十一年に至り佐野学氏との共同で再び此計画に著手し、約一年間にして原稿も兎にかく整つたのであつたが、震災のため全部烏有に帰してしまつた。茲に刊行するものは、右の第二回のプランを基礎として、更に訂正を施し、その後に生じた新たなる事実をも追加して面目を一新させたものである。

本書は成るべく項目を多くし、広い意味での社会問題に関連した事項を出来得る限り多く包括させようとしたため、自然私自身にとつては専門外にわたつた対象にも触れざるを得なくなつた。随つて夫々の専門家から見れば、随分不備な所も多々あるであらうと信じられるが、これについては各方面からの叱正を乞ふのほかはない。

また狭義に於ける私自身の専門に関した範圍内でも、錯誤、不十分、その他の缺点があり、且つ編纂上重要なる項目を逸して比較的重要ならざるものを採用したり、統計的に事実に最近のものを収録し得なかつたといふやうな不手際も決して少くないであらうと懸念されるのであるが、此等の訂正は総べて将来に待つこととし、茲に一先づ現在の形で江湖に見える次第である。

本書の校正進行中、慶大教授小泉信三氏から最近ラッポートなる人の『社会主義辞典』(Dictionary of Socialism by Angelo S.Rapport)がイギリスで発行されたことを教へて下さつたので、参考にもと思ひ早速書肆に取寄せ方を依頼したのであつたが、遂に間に合はなかつた。茲に特記して、小泉氏の厚意を謝する。

大正十四年五月十二日

高畠素之


凡例

一、各項目はアルハベット順に編輯し、厳密の仮名使ひに依らず、通用の棒読みに従つた。例へば『労働』は『ラウドウ』とせず『ロードー』とせる如くである。

二、欧米の地名は成るべく通用の漢字を使用することにしたが、便宜上片仮名を以つてした所もある。

三、原語にてエルの頭字を有するものはアールの部に、ケーと同音のシーはケーの部に、キューはケーの部に、エーと同意のユーはエーの部に包含せしめた。

四、日本人名は故人にのみ局限し、現存の人物は総べて削除した。

五、ヴイの頭字を有する固有名は、大体『ヴ』の言を守つたが、通用のもので『バ』行音に従つた所もある。

六、書き漏らした事項で校正中気づいたものは、アルハベット各部の終末に補遺として附け加へることに努めた。校了後新たに生じた事件や、死亡した人物については、如何ともすることが出来なかつた。普通選挙法や治安維持法が僅少の補遺を除き殆んど全部書き漏らされ、ゴパーズが存命中の人の如く書かれてゐることは是非もない。

七、本書の編輯については、第二回の共編者たりし佐野学氏(序文参照)は言ふ迄もなく、知友小栗慶太郎、矢部周、神永文三、宮崎市八諸君の助力を受くること少なくなかつた。此等諸君の労に比すれば、著者の努力の如きは寧ろ至つて鮮少であつたことを明かにして置く。


王安石(オーアンセキ)】字は介甫、撫州臨川の人、文筆を好くし歐陽脩に知られて、進士上第を振出しに地方官となり判官となり朝官となつたが、英宗に侍することを悦ばずして野に下つた。神宗の立つや挙げられて侍講となつたが、新法を制定して、非難の的となつたので、幾許もなくして再び野に下り、元祐元年四月狂死した。享年六十八。


機能社会(キノーシャカイ)】、機能社会(functional association)とは、宗教上の団体・学会・政党・労働組合等の如く、ある目的の為めに、人々の作り上ぐる社会である。血族的関係によつて自然に出来上つた民族や、地域の共同によつて結合した地方団体国家等も、種々の機能を営むけれども、目的とする機能を営ませる為めに人為的に作つたものではないから、機能社会とは云はれない。機能社会は、政治上経済上宗教上其他の目的を以て作られるから、『目的社会』とも名づけられる。また、人為的有意的に作られるから『人為社会』或は『有意社会』ともいふ。

著作目次序文(編纂物編)

社会経済思想叢書

高畠素之編纂で事業之日本社から出版された。高畠の手になる『マルクスの余剰価値説』の巻末広告に、「社会経済思想叢書、高畠素之先生編纂」「各冊、四六判二〇〇頁上製美本」「各冊、定価金壱円弐拾銭(送料六銭)」とある。

本章書は、二三の書物しか実見できなかったため、巻末広告と書誌を参考にして、叢書の目録を挙げておく。なお書名は完成品と巻末広告とに若干の変更がある。また第2巻は出版されたか否か不詳である。

マルクスの余情価値説(第1巻、高畠素之、1925年)
クロポトキンの倫理学説(第2巻、安倍浩):不詳
リカルドの地代論(第3巻、鷲野隼太郎、1925年)
マルサスの人口論(第4巻、神永文三、1925年)
ルボンの群衆心理説(第5巻、矢部周、1926年)
ダーウインの種の起源(第6巻、沢泰二、1925年)
コントの実証哲学(第7巻、津久井龍雄、1926年)
ラサルの国家労働説(第8巻、鷲野隼太郎、1926年)
マルクスの唯物史観(第9巻、井原糺、1926年)
ワグナーの社会政策論(第10巻、松下芳男、1926年)
タルドの模倣論(第11巻、小栗慶太郎、1926年)
ヴントの民族心理論(第12巻、秋田六郎、1926年)


経済学説体系

高畠素之と安倍浩が共同で而立社から出版したものである。正確には編纂物ではなく翻訳書である。全10巻12冊。後述のように、本体系はほとんど安倍が翻訳しており、高畠の翻訳部分は至って少ない。しかし本体系の表表紙、背表紙、内題(表紙の次の頁)には高畠と安倍の名が見え、やや実質に偽りのある感を拭えない。ただ奥付は、共訳の場合は二人の名が、安倍の単独訳の場合は安倍の名のみが記されており、正式には書き分けられている。

本体系を調べるため、筆者も全12冊を実見したが、本体系には底本らしきものが挙げられていなかった。ただし筆者確認の本体系は、いずれも裸本であり、箱やカバーは存在しなかった。当時の出版事情は不明であるが、本体系の底本がカバーや箱に記載されていたとも考えられ、底本明記の有無については今のところ不明である。

もっとも、底本の明記とは異なるが、第10巻の『社会政策論』冒頭の凡例には、「底本たるカール・ヂール及びパウル・モンベルト編纂の『経済学研究選集』」とあるので、本体系の全てに目を通したならば、その底本も自ずと明らかになる。さらに、高畠著『地代思想史』の「参考文献」にも、本体系の一つである『地代論』が挙げられているが、そこには原書名とともに「カール・ディール編『経済学選集』」と明記されており、ここからも本体系の底本の正体は明らかである。即ち、底本はAusgewählte Lesestücke zum Studium der politischen Ökonomieであり、編者はディール(herausgegeben von Karl Diehl)とモンベルト(Paul Mombert)である。

本体系は上に記したように、カール・ディールとパウル・モンベルトの共編になる叢書で、高畠らの翻訳時にはいまだ刊行中のものであった。そのためディールの原叢書全20巻の中、8巻7冊が未刊行の状態であった。原叢書と本体系翻訳との時間上のズレから、本体系最終段階で出版された第10巻『社会政策論』の冒頭にには、ドイツで刊行された「社会種意義、共産主義、無政府主義」(上中下)、「資本及資本主義論」、「国債論」を継続して翻訳する旨が記されている。ただしこの三種が出版された形跡はない。

本体系の中、高畠の翻訳した部分は至って少ない。安倍の凡例から高畠の担当部分を挙げておくと、(1)第1巻の緒論の大半、(2)第3巻第8篇(カール・マルクス「資本の組成と余剰価値」の部分)、(3)第9巻第5篇(カール・マルクス「利潤率低減の傾向の法則」の部分)に限られる。なお第1巻第2分冊の凡例で、安倍は「本巻も亦その飜訳は私が担当した。向後完成まで私独りが飜訳を継続するであらう。」と指摘しており、早い段階で高畠は飜訳を離脱したことになる。

原叢書はいうまでもなく経済学名著の選集であるから、マルクス経済学のみならず、メンガーやバヴェルク、マーシャルなどの学説も含んでいる。安倍氏が、これらの学説をどれほど正確に翻訳できたのかは筆者には不明だが、各巻凡例に必らずと言っていいほど、安倍自ら不備のある旨や難解であったことを断っている。

以下には、まず体系全10巻12冊の書目を挙げ、次に原叢書のタイトルとそれに対応する本体系本、及び未完の原叢書を挙げておく。また各巻冒頭の序文は、安倍浩の手になるものが多いので(無記名のものもある)、これは省略する。


第一巻「価値及価格論〔上〕」(1924.6)
第一巻「価値及価格論〔下〕」(1924.8)
第二巻「賃銀論」(1923.6)
第三巻「資本利子及企業利得論」(1923.7)
第四巻「地代論」(1924.3)
第五巻「人口論」(1924.10)
第六巻「租税論」(1924.11)
第七巻「貨幣論〔上〕」(1925.1)
第七巻「貨幣論〔下〕」(1925.5)
第八巻「自由貿易及保護関税論」(1924.9)
第九巻「経済恐慌論」(1923.8)
第十巻「社会政策論」(1924.12)


体系本体

1 : Zur Lehre vom Geld/第七巻「貨幣論〔上〕」
2 : Der Arbeitslohn/第二巻「賃銀論」
3 : Von der Grundrente/第四巻「地代論」
4-5 : Wert und Preis/第一巻「価値及価格論〔上下〕」
6 : Bevolkerungslehre/第五巻「人口論」
7 : Wirtschaftskrisen/第九巻「経済恐慌論」
8 : Kapitalzins und Unternehmergewinn/第三巻「資本利子及企業利得論」
9 : Freihandel und Schutzzoll/第八巻「自由貿易及保護関税論」
10: Zur Lehre vom Geld ; 2/第七巻「貨幣論〔下〕」
13: Grundsätze der Besteuerung/第六巻「租税論」
14: Sozial-Politik/第十巻「社会政策論」

体系追加予定分

11-12: Sozialismus, Kommunismus, Anarchismus ; 1-2/(予定)「社会主義、共産主義、無政府主義」(上中下)
15: Kapital und Kapitalismus/(予定)「資本及資本主義論」
16: Das Staatsschuldenproblem/(予定)「国債論」

底本のみ存在部分

17: Das Eigentum
18-19 : Valuta
20: Arbeiter und Maschine


社会哲学新学説大系

本大系は、高畠素之が北昤吉とともに新潮社から出版したものである。全21冊。著明な学術書の抄訳であるが、逐次訳ではなく意訳、あるいは解説風の飜訳という形のものが多い。なお「社会哲学新学説大系」というのは、「社会・哲学」の「新」らしい「学説」の「体系」という意味である。

本大系の中、高畠は第1編『唯物史観の改造』、第10編『社会学思想の人生的価値』、第12編『財産の進化』の3書を出版している。飜訳を担当した人物は、高畠の関係者が多い。高畠の翻訳書については、別に説明を加えた。また本大系所収のもので、別に単行出版されたものもいくつか存在する。


第一編『唯物史観の改造』(ツガン・バラノヴスキイ、高畠素之、1924年)
第二編『社会学的認識論』(ラッツンホーファー、宮崎市八、1924年)
第三編『時間と自由意志』(ベルグソン、北昤吉、1925年)
第四編『田園・工場・仕事場』(クロポトキン、中山啓、1925年)
第五編『富国論』(アダム・スミス、神永文三、1925年)
第六編『社会生活と精神生活』(オイツケン、高橋正熊、1925年)
第七編『政党心理の研究』(ロベルト・ミヒェルス、西村二郎、1925年)
第八編『社会学通俗教科書』(ギッヂングス、神永文三、1925年)
第九編『マルクス経済学入門』(カール・カウツキー、石川準十郎、1925年)
第十編『社会学思想の人生的価値』(アルピォン・ウヱ・スモール、高畠素之、1925年)
第十一編『プラトーン理想国』(プラトーン、津久井龍雄、1925年)
第十二編『財産の進化』(ポール・ラファルグ、高畠素之、1925年)
第十三編『実践理性批判』(カント、高井篤、1926年)
第十四編『科学と臆説』(ポアンカレー、村上正己、1926年)
第十五編『メンデル遺伝法則論』(ベートソン、西村二郎、1926年)
第十六編『機能的社会国家論』(ジー・デー・エッチ・コール、石川準十郎、1926年)
第十七編『判断力批判』(カント、斎藤要、1926年)
第十八編『社会主義の新解釈』(ツガン・バラノフスキー、矢部周、1926年)
第十九編『宗教哲学』(ヘフディング、河合讓、1926年)
第二十編『人口問題研究』(カル・サウンダァス、米山正美、1927年)
第二一編『宗教と功利主義』(ジョン・スチュワート・ミル、津久井龍雄、1927年)


マルクス思想叢書

本叢書は、高畠素之編輯で新潮社から出版したものである。同じ新潮社の『哲学の窮乏』(高畠素之訳『マルクス著作集』第2編)の巻末広告によると、全10編を予定している。高畠自身は、第3編『マルキシズムの国家論』(ケルゼン)の担当を予定していたようだが、結局出版されなかった。他にも高畠の死亡に関係してか、出版されなかった本が多い。

高畠はその死の半年ほど前、『読売新聞』の質問に答えて、「『ケルゼン国家論』『アドラー国家論』はいづれも反訳であるが、今かかつてゐる。『マルクス、エンゲルス全集』の中の『資本論第三巻補遺』と『資本論批評』も近くかかるつもりである」(昭和3年5月5日(朝)、仕事場では今何が蒔かれてゐる?)と云っており、最後の時に至るまで、第3編出版のための努力を続けていたことが確認できる。またこれにより改造版『マルクス・エンゲルス全集』の『資本論補遺』なども、本来高畠の担当であったことが確認できる。アドラー『国家論』は、『マルクス主義の国家観』として井原糺が『世界大思想全集』第42巻(春秋社,1931年)に飜訳しているが、その序文に於いて本来高畠の担当であった旨断られている。

広告に依って予定の目録を掲げると以下の通り。また新潮社の『新潮社100年図書総目録』によって、実際に出版されたものには○印を附した。なおバヴェルクの『マルクス価値説の終焉』は、広告では第12編とされているが、理窟では第10編でないとおかしい。現物を確かめたところ、本書の扉は12編となっているが、同巻の附録には10編になっている。12は10の誤りであろうが、あるいは当初別の構想があったのかも知れない。


エンゲルス『マルキシズムの根柢』(第一編,石川準十郎、1927年)○
アドラー『マルキシズムの哲学』(第二編,小栗慶太郎)
ケルゼン『マルキシズムの国家論』(第三編,高畠素之)
ヘルマン・カーン『マルクス資本論の展開』(第四編,小栗慶太郎、1926年)○
カウツキー『マルキシズムの人口論』(第五編,松下芳男、1927年)○
クローチエ『マルクスの唯物史観』(第六編,矢部周)
ケルゼン『マルクスの歴史哲学』(第七編,堀真琴)
カウツキー『マルキシズムの擁護』(第八編,安倍浩、1927年)○
シンコヴィッチ『マルキシズムの崩壊』(第九編,神永文三、1926年)○
バヴェルク『マルクス価値説の終焉』(第十編,神永文三、1927年)○

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