唯物史觀の問題及び方法 ―ハンス・ケルゼン―

高畠素之

露、獨、墺、洪諸國の軍隊が崩壞して、政權が社會主義の手に歸した時に當り、この思想的に洗練され科學的に深き準備を與へられてゐた政治體系の奧深くから、明白にして理義一貫した解決を求むること益々急なる一大問題が崛起して來た。それは、完成された社會主義學説の體系を以つてしても尚且つ滿足のゆく解決を與へられない學説上の時事問題、論爭問題を言ふのではなく、寧ろ原理的の或る問題を言ふのである。この問題の實際上の意義は、いくら高く評價しても尚ほ足りない程のものだ。なぜならば、それは政權への第一歩を踏み出した社會黨をして、早くも分裂せしめるといふ不祥な結果を齎らしたからである。その問題といふのは即ち、社會主義の對國家關係についての問題である。原則上國家を否定するか、肯定するかといふことのみではなく、國家なるものは一つの終極的な體制形態であるか、單なる過渡現象であるか、殊に又、社會主義的社會秩序にとつて適當した國家形態、政府形態とは果して如何なるものかといふこと、これが問題となつてゐるのである。

この問題の解決は、プロレタリアが筋書通り政權を掌握した後になすべき積極的な仕事の最重要な前提たるものの如く見えるのであるが、この重大な問題が最も危急な瞬間に及んで、初めて論究されるといふ有樣であつた。かやうな結果を來たすに至つた終極的の原因は、唯物史觀に依つて方向を定められた社會主義的思惟の一種特別な性質の上に存してゐるのである。社會民主黨が現國家の下に行はれる政權爭奪戰のために展開した政治上の綱領は極めて明確なるものであつたが、これに反して、『未來國家』に關する、プロレタリアの政權掌握後の段階に關する一切の事項は極めて不明確なるものであつた。社會民主黨が不斷に大となる所の成績を以つて鬪ひつつあつた社會状態について、立ち入つた説明を與へようとする一切の企圖は、『科學的』社會主義の原理とは一致し難いもの、隨つて又『空想的』なものとして擯斥されてゐた。

一八九三年、リープクネヒトがドイツ國會の所謂『未來國家討議』に於いて、未來國家なるものは『或る意味では』一つの理想であつて、『科學』は未だ曾てこれと關係する所がなかつたと聲明したことは、周知の事實である。彼は曰く、『我黨は、社會民主黨は、未だ曾て未來國家なるもののユトーピアをその政綱中に採用したことがない』そんなものを考へるのは、『幻想であつて、それ以外の何物でもない』と。而してマルクス及びエンゲルスに依つて代表される所の學説こそ、社會民主黨の教義をして斯樣な結論に到らしめるものだとされてゐた。その學説とは左の如きものである。――社會主義的社會秩序は、豫め考へた計劃に基いて造り出され得るものではなく、作用しつゝある生産力に從つて資本制社會の内部から發生し來たるべきものである。それは倫理的理由から追求すべき一つの理想ではなく、合則的に進行する社會的の一行程から自然必然的に到達される所の歸結である。

因果説明的な一考察と規範評價的な一考察との間の、何といふ珍奇な混同であらう!社會的現象を説明する社會學にとつては、現象の合則的な歸結を指示しようとすることは全く當を得た企圖であり、推し詰めて考へるならば寧ろ自明の企圖であるかも知れない。否、その認識が專ら因果上の諸形態についてのみ行はれる限り、社會學は如何なる状態をも自然的必然的に決定された以外のものとしては認識し得ないのである(尤も自然必然的に生成した所のものに對する説明を超えて、更らに將來生成する所のものにつき一つの豫言を敢てするといふことには原則上の疑惧が存してゐる。殊に、天文學などの場合ほどに容易に決定要素の觀測を許さない此領域に於いては尚更らさうなのである)けれども若し政治家たる者がその意慾及び行爲上の政綱につき、何をなすべきかといふ問題、自己の努力の目的に關する問題につき、專ら説明科學が實有及び生成上の問題の解答として與へた所のものを以つて意を安んじてゐるとすれば、これ即ち一つの悲劇的なる方法混合主義であつて、現實と價値、因果的試問と規範的試問との限界の最も急進的なる拂拭を意味するものである。人間行爲の正しき目標は何かといふ問が、實際行はれる事實、又は多分行はれるであらうとされる事實の認識に依つて、答へられ得ることは決してない。倫理的又は政治的價値認識の見地から立てられた目標が、現實認識の立場から因果的に決定されたものとして假定される所の、將來にわたつた自然必然的發展の結果と内容上十分に一致することがあるとしても、それは一つの偶然的一致に過ぎない。人類の至高な價値が、觀念の上では現實の衣裳をつけるといふこと、而して目に見え手に捉え得る現在との矛盾の外觀を避けるため、この主張上の現實を過去又は未來の領域に移轉せしめるといふこと、それは屡々目撃せられ得る所の事實である。

これについて、理想が、黄金時代が過去に在つたと見るか、又は未來に到來すると見るかは、推し詰めていふと氣質上の一問題に過ぎない。即ちそれは、厭世的人生觀か樂天的人生觀かの問題に過ぎないのである。或る事の實現不可能が明かにされた場合にも、尚且つそれが價値多きもの、追求に値するものとなり得ると同樣に、一つの目標の價値と正當さとにとつては、その實現が不可避的のものとして現はれるか否かといふことは何うでも可い問題である。一つの社會主義的社會秩序への極めて著しい發展傾向が現はれてゐることを目撃したとしても(誰れか、この傾向を否認し得るであらう。だが又、これに拮抗した反對力も作用して居り、且つ豫測し難き社會的の力が將來尚現象に上り得るといふ認識を、誰れか拒み得るであらう)それは社會主義をば政治的綱領として、意慾及び行爲の目標として是とする所の理由となり得るものでなく、社會主義をば政治的學説として成立せしめる所の論據となり得るものではない。一つの政治的學説とは、各種判斷の一體系であり、當爲的のものとして主張される限りでの一定の目標追求的な意慾及び行爲を是とする所の『教義』であつて、それは何等かの政治的學説に從つて方向を定められた此等の意慾及び行爲をば、事實上與へられたものとして、その原因結果につき研究する所の、語を換へていへばこれを因果的に説明する所の一學説とは、本質的に相異なるものである。若し後者を以つて『社會學』と名づけるとすれば、社會主義者たる人々も斯樣な社會學を攻究し得るものであり、且つ又、この方面の研究に依つて獲られる社會學的認識が彼等の目標の實現に適當した手段を供給し得ることも事實である。けれどもそれは、この目標その者を供給し得るものではない。この目的を供給し得るものは、政治的學説にのみ限られる。蓋し政治的學説は、與へられたる何等かの内容をば當爲的のものとして、追求に値するものとして、正當なるものとして主張するからだ。語を換へていへば、これを至高の價値に歸せしめて是正するからである。規範的な、特殊倫理政治的な學説と、因果科學的な、特殊自然科學的な、又は自然科學的な方向を定められた『社會學的』學説との間の、この原則的區劃は、當爲及び實有を以つて相互連接せしめ得るものでないとする二元論の歸結に過ぎず、實有からは一つの當爲を結論し得るものでなく、當爲からは一つの實有を結論し得るものでないとする爭ふべからざる認識の歸結に過ぎない。

教義としての社會主義の意義は、一つの政治的大衆運動を是とし、大衆の意慾及び行爲の目標として定められた所のものに論據を與へるといふ一點に存してゐる。それ故、教義としての社會主義は、先づ第一に政治的の一學説である。で、この事は若し、マルキシズムとして現はれ來たつた社會主義が、それ自身を以つて社會的現象の因果科學的説明以外の、隨つて又單なる『社會學』以外の何ものでもないとする所のパラドキシカルも甚だしい態度に憧れることが無かつたとすれば、自明の一事實となつてゐたであらう。所謂マルキシストの中には、マルクス及びエンゲルスが本質に於いて、事物の原因結果を究める所の冷靜な學者に過ぎず、決して虚僞なる社會的價値と鬪ひ眞實の價値を樹立する所の政治家ではなかつたといふことを眞面目に信ぜしめようとしてゐる人々もあるが、斯ういふ主張は、我々が今尚おまけ的に取り容れ得る所であらう。蓋しマルクスは、この意味の『社會學者』であつたことも屡々あるからだ。けれども、マルクス派社會主義が教義體系として資本主義の體系に對立する所の思想戰には、虚僞の『社會學』に眞實のそれを對立せしめるといふ以外には、何等の内在的意義も含まるべきでないとすること(而してマルキシズムは『社會學』としても、たゞ因果科學的の社會學にのみ對立し得るものであらう!)マルキシズムの凱旋には、ダーサン説の勝利の如きに於けると何等異つた意義も含まれて居らないとすること、マルキシズムは特に適切なる社會學的研究方法なるが故に、幾百萬の勞働者がそれに參加するのであつて、若しさうでないとすれば彼等はこのマルキシズムの内在的意義を全く誤解したものだとすること――これ實に、從來一つの政治的體系が使用した假面のうち最も奇異なるものである。だが、この事は如何に説明せらるべきであるか?

マルクス派社會主義學説は、自然科學がその成績の絶頂に立つ時代に出現したものである。この社會主義學説の研究方法は、科學一般の、否、一切の眞理及び正當その者の研究方法だとされた。なかんづく自然科學的進化思想が社會科學の上に及ぼした反應作用は、十九世紀初葉に於いても既に極めて著しい程度に達してゐた。それ以前に在つては、社會に關する學説上の問題といへば、全く倫理政治的意義に試問されたものであつた。社會教義なるものは、たゞ倫理政治的學説としてのみ現はれて來たに過ぎなかつた。この規範的方法を最も鋭く言ひ現はしたものは、自然權の研究方法であつた。

然るに『自然的秩序』の前提に立つて、物理的法則と社會的法則とが一に歸することを認めたフヰジオクラツト派の教義になると、其處には既に自然科學の社會科學的認識に近づかんとする傾向が現はれてゐる。十九世紀初葉に始まつた歴史派に於いては、社會も自然と同じく因果的發達律の下に立つものと見做された、この學派は自然權の倫理政治的思辯とそのユトーピア的傾向とに對して、意識的に批評の尖端を向けた。ヘーゲルの歴史哲學に於いて、この學派は絶頂に達した譯である。

ヘーゲルは一切の倫理政治的推論の本質的條件たる當爲實有間の對立を否認して、價値の實現は事實上の發展に内在する所のものと見た。斯くして彼れは勢ひ、一切の革命に反對せる全く保守的な傾向を追うことになつた譯である。この意識的に強調された漸進主義は、反革命的のものだ。マルクスがこの現實對價値二元論の否認をヘーゲルから引繼いで、自己の革命的な倫理政治的主張をば自然必然的に實現される所の發展律として表現したことは一つのアイロニーである。尤もこれには、彼れの主張に一定の有難味をつけようとする動機も少なからず働いてゐたかも知れない。

宗教上の形式は彼れの意に添はなかつた。且つ又、十九世紀前半中、キリスト教は種々なる批評の爲にしたたか威信を失墜するといふ状態にあつた。そこで彼は『科學』に頼よつた譯であつて、この『科學』が他の方面にもいろいろな點で彼の爲に宗教の代用を勤めることになつたのである。而して當時に於いては科學と因果科學とが同一視されるといふ有樣であつたから、百年前には恐らく神の意志として主張されたであらう所のマルキシズムも、今や『自然』の意志として、又は自然の特殊部分たる資格を與へられた社會の意志として、語を換へていへば社會的法則として現はれて來ることになつた。

マルクスが經濟學説の上に向けて功績を納めたその批判をば、若し同じ筆法で彼れ自身の社會説に向けたとするならば、彼れの主張する因果的自然律性なるものは、倫理政治的主張の歴史的に説明せらるべき觀念論的な假装に過ぎぬことが明かとなるであらう。尤も、これはマルクスに限つたことでない。十九世紀全體を通じて、いろいろな『社會學者』が自己の倫理政治的主張に因果的發展律を使用した。この全『社會學』が、メンツエルも既に述べてゐる如く一つの假装された自然權であつて、ただ『自然必然的發達』なるものが或る場合には共産主義的價値の、他の場合には又(例へば、スペンサーに於ける如く)自由主義的價値の實現に到らしめたといふ一點に區別があるだけだ。

以上説く所から、次の事實が説明される。即ち、現實に對立した價値を中心に樹立し、且つ資本主義的社會秩序の恥づべき不正に對する道義的叛逆から生じた一つの政治的體系が、深き倫理的源泉から不斷に膨大する所の巨流を汲みとり、且つ稀有の倫理的感奮に充たされたマルクス及びエンゲルスの如き人物を創始者に頂く一つの精神的運動が、何故一つの『科學的』な、換言すれば自然科學的な、隨つて又價値から獨立した術語の衣裳を着けて現はれて來たかといふ事である。又、かういふ事も説明される。即ち、追求すべき未來状態をば願はしきものとして(又は理想としても)示すことを出來得る限り避けて、これに對する一切の價値判斷を氣遣はしげに遠慮してゐる社會主義文獻が、何故現存状態に對する憚る所なき破壞的な批判を以つて、否定的な價値判斷を以つて浸潤されてゐるかといふ事である。積極的價値標準を暗默の間にも前提することなくしては、斯かる否定的價値判斷の存在は決して考へ得るものでない。勞働者階級は『現實すべき何等の理想をも有たない』とは、マルクスの有名な言葉であるが、彼れの最も忠實な通譯者カール・カウツキーは、その著『エルフールト綱領』中『未來國家』を取扱つた一章を結ぶに『この光輝ある理想の實現戰に力を致すことを天職とする者は幸なる哉!』といふ熱烈な言葉を以つてしてゐる。だが、これは矛盾ではなく、寧ろ無内容になつたマルキシズムの術語がたまたま茲に破裂したといふだけのことに過ぎないのである。

マルキシズムは、その政治的目標をば因果律的に進行する一發展の自然必然的歸結として表現するに當り、宗教的倫理學が善の終極的實現をば神の全能力の必然的歸結として主張する場合と同樣な擬制を使用するものである。兩者いづれの場合にも、一つの絶對的に確實な力に對する信頼が人類の目標追求を強めるものとされ、最終の勝利に對する希望が追求價値の實現戰を煽るものとされてゐる。兩者いづれの場合にも、豫め確保されたものとして表現される所の(實は成すべく期待された所の事を爲すといふ條件の下にのみ生じ得るに過ぎないのであるが)一結果に對して、信者がその意慾及び行動を適合するやうに導かれるといふ事實のため、パラドキシカルな状況が造り出されることになる。だが又、兩者いづれの場合にも、この状況は最高の能動に代つて一定の盲信的縮命主義を生ぜしめるといふ危險を藏するものである。

が、社會主義への自然必然的發展といふ觀念に伴ふ被動主義の危險のため、政治運動が害を受けた所よりも、寧ろ此觀念に立脚する、プロレタリア的憧憬が何時かは必らず實現されるといふ不動の確信のため、政治運動が益を受けた所の方が多いか否かを穿鑿することは、無益な詮議立である。確かなことは、社會主義の『科學性』が行動政綱の上に極めて過敏な空隙を殘こしてゐたといふ一點だ。社會的の發達は、その學理的考察が假定した所よりもヨリ早い時期に、『未來國家』設定上の創造勞働を必要ならしめた。社會主義は今や事實の上から、國家の價値を承認するか、然らずんばこれを無價値として排斥するかの外はなくなつてゐる。且つこれを承認するとしても、その場合には、國家が提供する各種價値可能中の果していづれを選ぶべきかを決定せねばならなくされてゐるのである。


底本:『文化生活』第五巻第五号(昭和二年五月)

注記:

※明白な誤植は随時訂正した。
※本論の直接基づいた文献は不明であるが、『社会主義と国家』序章の「一 史的唯物論の問題と方法」(ハンス・ケルゼン著,長尾龍一訳,木鐸社,1976年)と同趣旨のものである。

改訂履歴:

公開:2007/09/16
最終更新日:2010/09/12

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