大學派、浪人派

高畠素之


◇いまの思想界をそれぞれの思想傾向から見て保守派進歩派、右派左派等に横斷することが流行るやうだが、これを縱斷してアカデミツク派と浪人派とに分かつことも一興なきにあらずであらう。思想傾向の源氏たると平家たるとを問はず、大學上りにはそれなりの類型があり、獨學仕込みの浪人群にはまたそれなりの類型がある。

◇獨學派浪人派といつても、普通教育まで受けぬ人はない。中等教育くらいは大抵やつてゐる。官私を問はず大學の門をくづつた人でなければ、アカデミツク派とはいへない。いまの思想界では無論このアカデミツク派が主勢を締めてゐる。しかし、思想界の音頭とりはいつも浪人派が勤めてゐるやうだ。

◇アカデミツク派がどことなくおつとりしていう長なところがあるのは、これは育ちのせいで是非もない。反對に、浪人派はどこかせせこましく我武者羅である。その代り、獨學體驗的の鍛へがあるから、素材のまゝの思想を押賣りするやうな嫌ひが少ない。右は右なりに、左は左なりに、とにかく素材を組立てて多かれ少なかれ實感的の構造に仕あげる力を持つてゐる。

◇浪人派は思想その者の提供によつて口をのりせねばならぬ位置にあり、苦勞してゐるから、出版營業者などに對してもひとりよがりのぜい澤をいはず、思ひやりが深い。浪人派がゐなかつたら、月々の雜誌はもとより、アカデミツク色彩の濃厚な講座式刊行物などにしても、なかなか豫定の進行をたどり得るものでない。

◇主張的傾向を違へても、浪人は浪人と、大學上りは大學上りと、どこか一脈相通ずるものがあるやうに思はれる。それぞれに類型が出來てゐるのだ。この類型を説明するのも唯物史觀であらう。


底本:『東京朝日新聞』昭和二年十月七日(「學界餘談」の一つ)

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公開:2008/02/18
最終更新日:2010/09/12

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