「西村二郎譯述『政黨心理の研究』」

高畠素之

政治の形式が寡頭主義から民衆主義に、アリストクラシーからデモクラシーに推轉して行く傾向は、何人もこれを否認することが出來ない。然しながらこれは形式についてのみ言ひ得ることであつて、社會心理的の考察は、必ずしも此傾向の現實性を裏書するものではない。

蓋し政治のデモクラシー化といふことは、一面に於いて政治の政黨化を意味する。民衆政治とは政黨政治の別名に過ぎない。然るに政黨なる集團は、それが貴族黨であると民衆黨であるとを問はず、資本家黨であると勞働黨であるとを論ぜず、その組織に於いては必ず官僚的貴族的の傾向に墮する運命を免れないやうである。此傾向は、民衆の味方を以つて任じ、デモクラシーの立場に立つと呼號する政黨に於いて、ことに著しいのである。勿論、如何なる政黨と雖も、最初より意識して故意に斯くあらしめようとしてゐる譯ではなく、殊に貴族官僚を罵倒し、民衆の味方を以つて任ずるデモクラシー黨に在つては、平素の時論に對しても先づ自黨の内部に於いてデモクラシーの主義を實行しなければならない位のことは感じてゐるのであらうが、如何せん事態の必然は彼等自身の主張を、彼等自身の足もとに於いて裏切るの皮肉を現出せしめなければ已まないのである。其必然は寧ろ社會心理的の行程に求むべきであらう。

イタリーの社會學者ロベルト・ミヒヱルスは此見地から、歐米各國の政黨、殊に急進民主的諸政派の内情を解剖して、政黨寡頭主義化の普遍的法則を推論した。彼れに依れば、如何なる政黨も終極に於いて寡頭主義的團體に轉化するを免れぬものであり、ことに民主主義の急先鋒たる社會黨、勞働黨に於いて、此傾向は最も素朴的な形態を採るのである。此斷案の科學的當否は暫く措き、彼れの指摘する如き事實が、我々の眼前にも絶えず展開されてゐることは、何人も拒み得ざる所である。

本書はロベルト・ミヒヱルスの名著『政黨論』(Robert Michels, Political Parties, a sociological study of the oligarchical tendencies of modern democracy)の中から、特に社會黨勞働黨に關する事實的叙述を抄譯したもので、學説的の命題は興味ある事實を叙した此處彼處に散布されてある。西村君の譯筆は平明を期した點に特徴を求められるが、幾分曖昧と思はれる個所に對しては、私の一存を以つて遠慮なく改訂の獨斷を敢てした。譯者の了解を求める所以である。

大正十四年五月十日

高畠素之


底本:ロベルト・ミヒヱルス著、西村二郎譯述『政黨心理の研究』(『社會哲學新學説大系』(7),新潮社,大正十四年)

注記:

※底本、ミヒヱルスのヱは小文字。

改訂履歴:

公開:2006/07/30
最終更新日:2010/09/12

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