カールマルクスの思想を繞りて

高畠素之


科學發達の跡を見ると、自然對人間の科學から人間對人間の科學に進む傾向がある、即ち天文學は最も早く科學として現はれた。然しながら、往昔の如く直接自然の惠澤の下のみでは人間の生活が行はれず、人と人との間に複雜なる關係を生ずるに至つて所謂社會科學なるものゝ發達を見た譯で、其最も顯著な動機としては彼の十八世紀末から十九世紀にかけて起つた産業革命を見ることが出來る。

此の産業革命を機として、社會思想なるものが吾等の研究對照となつた。然しながら、第一期に現はれた諸派の社會思想は、何れも「人の性は善なり」と云ふ前提の下に立つてゐた。彼等は言ふ、現在の如く、貧富の懸隔を生ずるに至つたのは元來人の本性を無視し天の法則に反するもので、之れあるがためにあらゆる不幸と苦痛が生ずる、我々は社會組織をして天の法則に順應せしむるとき、一切の不幸苦痛を除去し得られると論ずるのであつて、中には「ロバートオウエン」や「カペー」等の如く實物見本を示さうとした者もある。

彼等は當然の順序として天の法則に順應する一つの理想社會を想像した、即ち彼等を稱して「ユートピア」主義と呼ぶ所以である、然しながら、之等の理想社會は實際行つて見た結果總て失敗に歸した、茲に於て現はれたのが「カールマルクス」の思想である。

「マルクス」は曰く、現在の社會的不幸苦痛は決して今日の社會が天の法則に悖るが故に生ずる譯ではない。社會はその時々の總ての必然によつて因果的に生ずるものであり、必然の法則が社會の諸組織を成立せしめ、道徳も法律も其の社會の必要により色々な形に變化するのであると云ふ。此れは私一個としては大體において正しい觀方だと思ふ、或る一部の人々が、我國に於て社會主義施設として見たかの大化の改新に於ける班田収授の法の如き男は二段歩女は三分の二を與へて六年毎に國家へ奉還するのであつたが、六年が十年となり、三十年となつて、遂には奉還が消滅して完全な土地私有制となつたのも、武士道的道徳が次第に其の衰滅を見たのも要はその時々の社會的必然による變遷である。

そこで餘談のやうではあるが、國家主義を高唱するには、やはり今日の如き、利己的自由の強食弱肉の行はれる社會に於ては、國家を必要とする何等かの論據を示さなければ共産主義者等の國家否定論者に對抗するはむづかしいと思ふ。自分は此の意味に於て、國民の生活を保證することを國家の第一任務としたい、其の外に人の天賦能力に應じて報酬に差等を付する必要があると思ふ、武士道の基礎は俸禄制度であつた、禄を與へて士の生活を保證し、俸を與へて各自の能力を發揮せしめたところにあつたと同じ理由である。

例へば今日の状態に於て、國家の主なる要素の一は即ち土地領土であるが故に、一旦緩急のとき「汝等の祖國を守れ」と云ふことは「その領土を保全せよ」と云ふことであるが、今日の如く國土に對し九割五分迄の人口が何等の交渉をも有たない時に於て、國土の保全云々といふ言葉がどれ程の力を國民に感ぜしめるか、「國家は國民全體のものである」と云ふ觀念を國民全體に實際上植付くることが國家主義を鼓吹する唯一の方法であると思ふ。

茲で一寸申し上げて置くが、社會科學と社會思想との區別である、一口に謂へば、社會科學はザイン「Sein」の範圍で、社會思想はゾルレン「Sollen」である、從つて社會科學は何處までもあるものをあるがまゝに見て社會上の法則を闡明するに止まるが、社會思想は其處に價値判斷を伴ひ、從つて一個の運動を生ずるものである。社會科學の研究と云ふ名の下に現在學生間に流行しつゝある社會運動は、すでにその範圍を超えて居ることは明白である。

もう一つ餘談ではあるが、日本位「マルクス」思想にかぶれる國民はないと思ふ、私が飜譯した「マルクス」の「資本論」は難解なるにも拘らず一擧にして十五萬部の讀者を集めた、國家が奬勵して賣らした「ロシア」に於ても出版以來六十年を閲する「ドイツ」に於ても未だ十五萬部は賣れて居ない。假りに一册の書籍が五人の讀者を有したとしても七十五萬人はすでに日本人中資本論を一寸でも見たわけで、かなり深く「マルクス」思想に對する關心が國民の間に浸潤して居ることはこの一事でもわかると思ふ。

そこで本論に返つて「マルクス」の考へ方であるが、簡單に言へば、すでに述べた如く、社會は各時代の經濟的必要に應じて變遷する、即ち必然の法則に支配される、今日の貧富の懸隔を生じた資本主義經濟組織も必然の法則によつて生じたものである。此の制度の下に行はるゝ勞力の商品化は當然の歸結である。然し勞力の商品化より生ずる勞働の搾取は、勞力の供給者が人間であるから、其の勞力の需要者と供給者との間においては必然的に利害が相反する、即ち需要者は搾取するを利益とし、供給者は搾取に反對する、そこで供給者階級の勞働者と搾取者階級の資本家との間に階級的利害鬪爭を必然に生ずるが、然しその終局に於て勞働者階級は必らず勝利を博する、何となれば、その數が多く且つ勞力なくば生産が生じないからであると云ふのである。

此の「マルクス」をめぐる思想の流れに大體四つの派別があると思ふ、その標準の立て方は、便宜上國家に對する考方から分類して見たいのである。

第一は無政府主義であるが、之は人間のあらゆる不幸は、人の人に對する強制權力にある、そこで人間の不幸を救ふには、此の苦痛不幸の唯一の原因である強制權力を除去するにある、然るに強制權力は國家が之を有する、故に國家を否定すると云ふことになる。勞働搾取の如きも強制權力の一の現れであるから、後者を廢除すれば前者も當然に廢除されると主張する。

第二は「マルキシズム」即ち共産主義であるが、勞働搾取は私有財産制度の下に於ては當然に行はれる、然しながら、勞働搾取をして勝手氣儘に行はしめると云ふことは、搾取者自身にとつても有利なことではない、搾取を有利に行はしむるには一度に搾取するよりも永續的に多く搾取する必要がある、此の搾取を或る程度に止めしめるために一つの秩序を立てる必要がある、その目的を以て成立した權力團體が即ち國家である、國家は搾取をして長く且つ有利に行はしむる權力體である、そこで國家は搾取維持のために出來たものであるから、必ずしも國家を否定する必要はない、搾取を不可能ならしむれば國家は自然に消滅するのであつて、國家破壞を運動の直接目標とする必要はない、その方法として先づ政權を一般無産階級の手に取り然して搾取者をなくすることに目標を置かなければならないと云ふのであるが、「ロシア」の現状は明かに此の思想の誤を示して居る。無産階級の先鋒を以て任ずる共産黨の手に取つたが、國家はなくならない、彼等は此に一種の詭辯的説明をつけて居るが明かに誤を示して居る。

第三は社會民主ゝ義であつて、日本に於ては彼の社會民衆黨が之れに屬すると思ふ、此の一派は現在の國家の壓制は、結局政權が一部小數者の手にあるために生ずる、若し政權を總ての人民に歸屬せしむれば壓制と云ふことはなくなる、然し總ての階級に政權を歸屬せしむることは、利害の爭鬪上到底期待し難い、そこでなるべく壓制を少からしむるにはなるべく多くの人に政權を歸せしむるにある、而して無産階級は最も數が多きが故に、此の階級の手に政權をとることが比較的壓制を少からしむる所以であると云ふのであるが、根本において國家を否定するか、肯定するかは判然しない。

第四は國家社會主義であるが、之れは公然と國家を認める「ドイツ」の「ラツサール」「ロドベルトス」は此の派の人で「ヘーゲル」の流を汲んで居る、「ヘーゲル」は社會と國家とを對立せしめ、社會は弱肉強食であるが國家は綜合意識の表はれである、そこで國家に入るとき人は完全に總合されて弱肉強食が避けられる、「ラツサール」に依れば人類の自由と幸福は國家においてのみ現實される、そこで搾取の經濟制度を排除すれば國家は完全なる國家となり得る。搾取を廢するためにはあらゆる生産手段を國家の手に収め生産を完全に國家の手で行ふと云ふのである。

以上四つの流れがあると思ふが、自分は社會主義者としてその何れにも屬しない、自分は大體に於て搾取を排除するとき、國家は完全にその機能を盡すといふ點に於て「ラツサール」等と見解を同じくし國家主義を奉ずるけれども、國家を以て自由の體現と見るは空想であると思ふ。如何なる國家にしろ、國家といふからには必ず強制權力を伴ふ。強制權力なくば國家はない、而して國家は將來なくなることはないと思ふ、「マルクス」の主張の如く、經濟關係に基く勞働搾取の如き簡單なる原因のみで國家は成立したものではない、自分は先づ「人の性は惡なり」と謂ふ前提から出發して、國家の發生は利己心に由來すると思ふ、動物は自己保存の本能を有し、自己保存の方法として牙、爪等の武器を有するものもあるが、此等の武器を有せざるものはその武器として團結を以てする。人間は武器はないが強き團結力を有するが故に、人類に於いては社會的本能が極めて強い、吾々は良心があると云ふが、良心とは即ちこの社會的本能の發動であると思ふ、然しながら利己心を本能とし、一方に社會的本能を有するところに兩者の衝突を生ずる、此の衝突に對しては調節を要する、調節には強制を必要とし、而してこの強制即ち支配の機能が國家の第一の發生原因と思ふ、然し支配の機能が國家となるまでには種々の段階がある、極めて原始的時代に於ては、此の支配の機能は他の機能中に混淆して居つたが、社會の進歩に伴ひ、それが分化獨立する傾向を示し、種族と種族との間に於て征服が行はれたとき、征服者の被征服者に對する支配として、從來分化しつゝあつた支配機能が完全に獨立する。然し此の時に於ても單なる經濟關係に基いてのみ征服が行はるゝ譯ではないから「マルクス」主義者の如く云ふのは誤である、經濟關係による征服が奴隷を發生せしめ、優越的鬪爭慾のための征服が軍卒を生ずるのであるが、要するに此のとき初めて國家が成立すると思ふ。

自分は此の如く考へるが故に「マルクス」の論は信じないが、今日の青年學生が國家を否定せんとするは、國家存在の理論が否定論に於て行はるゝ程普及して居ないこととに原因すると思ふ、今日の青年學生たちにとつては國體どころの騷ぎではない、彼等は國家を否定し、幼稚ながらも一定の理論を以てその否定を根據づけてゐる、それに對して唯國體が有り難いと説くだけでは反應がない、若し國家が「マルクス」の唱へる如き簡單なる理論に因つて片付けられるものでなく、而して「マルクス」の理論が今日の「ロシア」の現状によつて完全に誤れることを證明して居ることを充分に知ることが出來たならば、國家否定の議論が今日の如く流行することはないと思ふ。

自分は國家に對しては此の如く考へるが、今日の社會制度經濟制度に對しては根本的大改革をやらなければならない、明治維新の際行はれた如き政治的大權の奉還と同じ程度の經濟的大權の奉還が行はれねばならないと思ふ、治安維持法につきても國體變革の徒に對しては死刑を以て臨むことは當然だが、私有財産取締の條項は今日の社會制度經濟制度を幾分でも國體に一致するやうに變革するために、何等かの程度において私有制度に制限を加へねばならぬ。

既に申上げたが、國民の生活を保證するため一種の法制を布き、天賦に應じて正當な差別の方法を以てすること、即ち現代的俸禄制度を樹立し而して一面國民をして經濟的壓迫より免れしむることは、何よりの急務である。一方に國家保存を力説し、一方に經濟的大改革を主張するのは、水と油、不自然な新舊混合の如く思はるゝかも知れないが、明治維新のとき、一方に極左として尊王攘夷あり、一方に極右として佐幕開國の旗印があつたが、結局行はれたのは尊王開國である、自分の立場は理論上決して妙ではないと思ふ、所謂左傾でもなければ右傾でもない、急進でもなければ保守でもない、強ていふならば極右的極左保守的急進ともいへやう。要するに國家は國民全體のものなりと云ふ觀念を實質的に感ぜしめることが、國家主義者にとつて唯一有利の方法であると思ふ。


底本:『政友』第三百三十二號(昭和三年七月)

注記:

※本稿冒頭に「本篇は、去る六月四日開催の政友會臨時政務調査會思想問題の對策に關する特別委員會に於て高畠素之氏がカールマルクスの思想竝に其の影響に關して説述せられた要旨である。一資料として此に掲げる。」なる注記がある。
※行末の句読点は適宜補ったが、本文中の句読点は底本の表記に従った。

改訂履歴:

公開:2007/08/19
改訂:2008/08/04
最終更新日:2010/09/12

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