政治と文藝を傍觀す

高畠素之

私は生れつき物慾が多いせいか、大抵なものに大して相當の興味を有つてゐる。時には『へえ、あの男がネ』と驚ろかれるくらゐ、まるで縁のなささうな方面にまで、飛んだ造詣(?)を示すこと無きにしも非ずである。敢えて多藝多能だといふ意味でなく、唯だ興味の對象が多元的だといふに止まる。

文藝や政治に對しても、私は昔から同じ程度の興味を抱いて來た。今もむろん抱きつつある。寄贈の雜誌を受け取ると、先づ創作欄に目を通すほどの熱心さは、選擧季節に夕刊を待つ熱心さに比例し、投票日が次第に切迫してくると、人事ならず心臟の鼓動を覺える場合さへある。といつて、私は何も、男子一生の事業として政治家たらんことを夢想してゐる譯ぢやなく、近處近邊の既知未知が出たの退いたのと聞くにつれ不覺にもつひ惹き入れられる程度に過ぎない。その點は、若氣の至りとはいへ、嘗て小説書きを志望した前科もある男ゆゑ(鬼のカクランなどいふ勿れ)、大目に見のがして貰へるだらうと思ふ。三十にして立たず四十にして迷ひ、こんなことぢや困ると思ひながら、大伴黒主に追隨して天下を覗ふ了見にもなり兼ねてゐる。

さて、ところで、御註文の趣きは『政治と文藝』に關する雜文なさうだが、共に齊しく興味を有つてゐるといふだけで、いづれに對しても私はヅブの素人である。尤も政治や文藝に興味を有つことと、政治家たり文藝家たることは自づから別問題で、それは恰も、芝居が好きだから役者になり、相撲が好きだから力士になる、といふ必要も義理もないのと同じ理屈である。文藝の書を繙いて樂しむのも人生なら、政治から人間性の醜惡を發見して喜ぶも人生、人おのおのに道と分とが天から授つてゐる。私はその意味で、文藝は好きだが文藝家たらんとせず、政治は好きだが政治家たらんとせず(してもなれず)、唯だ文藝享樂者乃至政治享樂者としての自分に滿足してゐる。

既に享樂對象としての政治なり文藝なりであるから、私は出來るだけ、私の享樂的慾望を滿足せしめる政治なり文藝作品なりを要求する。隨つて、謂はゆるプロレタリア文藝よりもブルヂオア文藝が面白いから、躊躇なく私はブルヂオア文藝に肩を持つ。有産黨の政治運動が、謂はゆる無産黨のそれより複雜微妙であり、且つそれだけ面白いから、ヨリ多く有産黨に關心を有つのである(但し肩を持つといふ意味ではない)。享樂者の私からいはせれば、それが最も自然にして正當な立場だらうと思ふ。

しかし、粹が身を喰ふといふ俗諺がある通り、世間には往々にして、好きな餘りその道に嵌まり込んでしまふ者もない譯ではない。若旦那あがりの役者や藝人などが、ずゐぶん多いところを見ると、嚴格に享樂者としての限線を守るのは困難な事情もあるらしい。今度の選擧などにも、無産黨候補者と銘打つて出た人達の或る者には、下手の横好きが禍ひして、若旦那の役者氣取りに類した滑稽さを見せた者も少なくなかつた。不幸にして、多くは當選の光榮に浴しなかつたやうであるが、假りに當選の僥倖を羸(ママ。單行本同。贏?)ち得たところで、若旦那は若旦那、役者は役者、氏も育ちも根本から違ふのであるから、果して旦那藝でチヤホヤされた割合に、本職で成功し得るかどうかは疑ひなきを得ない。矢張り餅屋は餅屋である。商賣違ひの方面に手を出して失敗するより、最初から本分を守つて脇目をふらず、神妙に享樂するだけで止めて置いた方が無難である。

とはいふものの、人間の出處進退はさう寸法どほりに行くものでなし、物にはハヅミといふことも作用する。だから、時には限線を踏み外す場合も豫想しなければならぬ。斯くいふ私だつて、いつの日いかなる時に、風の吹きやうと目の出やうとでは、一つ逐鹿場裡を馳驅して見ようか、などと考へないとも限らぬと信じてゐる。だから、餘り幅ツたいことをいふつもりもないが、それにしたところで、勤勞階級の利益伸張だの、著作家の權利擁護だの、そんなことに自分自身の代議士たる意義を求めようとは思はぬつもりである。鬪犬趣味の對象たる犬を自分自身にまで延長し、負けるか勝つか、最後の運だめしに享樂を求めるの外はない。首尾よく參りましたら御喝采、これは見物衆より自分自身にいひ聽かせたい言葉である。

だから、今度の場合のやうに與黨と野黨との勢力に甲乙なく、中立のフラフラ議員の呼び値が十萬圓の十五萬圓のといふ相場になつたら、逸早く身賣りの算段でも勘考し、貧弱ながら十三貫の體躯をツブシ二十萬兩ぐらゐで片づけ、後は野となれ山となれ、をとこ後生樂ねて暮らすのも案外オツだらうと思ふ。堅氣な原稿商賣より、その方がどれだけ呑ン氣か知れまい。

代議士に成り度いといふ心的準備も出來ないうちに、身賣りの方ばかり先きを急いでも始まらぬ。自分が成り度くとも、他人樣が成らして呉れるかどうかも判らず、假りに成り得たところで、イザとなれば案外野暮な了見を出さぬとも限らぬ。そこで善くも惡くも、露命の方は今後とも原稿の方で繋いで行かなければなるまいと覺悟してゐる。唯だ當分のさうした覺悟が、先方の都合で成立しなくなつた(1)ら、その時こそ本氣で政治家稼業に憂き身をやつすべく努力を傾注し、四十幾歳か五十幾歳を以つて『而立』の年に逆轉させるかも知れぬ。それもこれも、先方と同時に當方の都合次第、我れながら甚だ頼りにならぬ話しだが、要するにメシの喰へる間は、今の商賣に專念しようといふ微意の現はれに過ぎない。

『政治と文藝』に關する問題が、いつの間にか、身の上ばなしに落ちたことを恐縮する。が、要するに、私のいはうとするところは、政治も文藝も共に門外漢であつて、興味は有つが門外漢たらんとする野心は、さう大して無きにしも非ずといつた程度の、極めて曖昧模糊たる心理を表白したものと御承知を願ひたい。

自己一身に關する太平樂は、先づこの邊を以つて打ち切りとし、事の序に最近の社會的傾向として、政治青年と文學青年との異同が私の心理状態と同樣、甚だ曖昧模糊となりし一事に就いて卑見を開陳して置きたい。

十年前までの政治青年と文學青年とは、相互に輕蔑し合ふ磁針の兩極として對峙してゐた。片や衣肝人種、片は星菫人種、一方は他方の軟弱を笑ひ、他方は一方の粗雜を笑ふ。これでは水と油との關係、しよせん融合の機會はあるまいと考へられてゐた。しかし、乞食の子も三年たてば三ツである。政治青年だつて、いつまで立憲自由を題目としてばかりゐず、マルクス主義の左翼小兒病の、テーゼのコンミンテルンのと、新しい皮袋に古酒を盛ることに依つて大分知識的になつて來た。これ取りも直さず、それだけ文學青年の實體に接近した證據であるが、他方また文學青年にも、例のプロレタリア文學運動以來、著しく社會主義的興味を注入したので、象牙の塔の人種たるべく餘りに街頭の空氣を吸ひ過ぎ〔、〕それだけ政治青年の實體に接近したのも事實である。斯くて、政治青年と文學青年との舊來の區別は著しく曖昧となり、蓬頭垢顏は共に兩者の外貌的特色ともなつてしまつたのである。

殊に、唯物辯證法の流行が左翼の陣營を席捲してからといふものは、マルクス主義の本態が『止揚』や『克服』で解釋できるかの如き安心を與へ、その方面では先人たる文學青年や哲學青年の流入を甚だしく助長した〔。〕政治青年と文學青年とは、今や書記局的形態に於いて、完全なる一致を發見するのである。

これを反面から見れば、政治と文學との漸次的接近とも言ひ得よう。同時に、政治に於いても文學に於いても、容易に素人の流入を許容する時勢になつたとも言ひ得る。つまり政治ギルドや文學ギルドが倒れ、素人的不熟練的大衆の出現を可能ならしめたからである。以上の經緯を詳述する餘白はないが、玄人的熟練的專門分野は斯くして次第に狹められ〔、〕單り政治といはず、文學といはず、凡ゆる方面に素人が跳梁跋扈する時勢となつたのも資本主義の世なれば(2)こそ、即ち『平均化の法則』が作用したればこそである。斯く論じ來たり(もしないが)、無産黨的素人候補者の現代的意義を考へれば、必らずも『旦那藝』を以つて葬り去れぬ一面もある。けだし、文學的乃至思想的興味の普及といふ見地からすれば、彼等の方がヘツポコ陣笠よりもヂヤーナリズム的には有名であり、それだけ有象無象の投票を掻き集めるには有效だからである。凡ゆる方面に玄人の存在餘地を狹める傾向は、政治的分野に於いても、本業的政治家の存在を次第に狹少ならしめ、副業的政治家の出現を次第に助長するであらう。政治上の技術的手腕は、素より本職に比して内職のそれは比較になるまいが、さうした手腕や技倆が素人の關心を刺撃せざる以上、ヂヤーナリズムに惠まれること最も多き文藝家などは、愈々選擧戰などに於いては、幸運を惠まれる機會を増進することと思はれる。

だが、それが嚴密な意味に於いて、政治と文學との接近であるかどうかは知らない。


底本:『新潮』第二十五年第四號(昭和三年四月)
『英雄崇拝と看板心理』(忠誠堂,昭和五年)に再録。

注記:

※句読点を増補した場合は〔 〕内に入れた。
(1)た:底本は「な」に作る。『英雄崇拝と看板心理』によって改めた。
(2)ば:底本は「ど」に作る。『英雄崇拝と看板心理』によって改めた。

改訂履歴:

公開:2007/12/02
最終更新日:2010/09/12

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