新版無産黨談議

高畠素之

團栗の背くらべに類する無産四黨も、相互の惡罵交換に寧日なかつた第二年を無爲に過ごし、今や誕生第三年の新春を迎ふるに至つた。來年は來年はとて暮しける川柳子の嘆息ぢやないが、普選第一次の總選擧を控へて意氣込む今年だつて、大して變り榮えがあらうとも考へられぬ。たゞ、持ち越しの合同問題で幕を開けたゞけ、泥試合の弊害は多少とも緩和されさうにも思へるが、それとて期待を懸ける程度でもあるまい。

合同派の論客が主張するやうに現在の無産四黨は、分裂すべき必然の理由があつて分裂してゐるのではない。その點は既成政黨と同樣、幹部相互間の利害問題や感情問題やを中心とした分裂で、構成要素を甲乙丙丁どれこれも似たか寄つたかの分子である。中でただ一つ、日本農民黨だけは、米價を釣り上げて百姓の利益を助勢しようといふのだから多少變質的な傾向も見受けられるが、ロシヤ共産黨直營の勞働農民黨にしたところで、主義的未練と取締的弱氣との兩面から祟られた日本勞農黨にしたところで、或ひはデモクラを履き損ねて民政黨に埋沒しさうな社會民衆黨にしたところで、いづれを見ても山家そだち、取り立てゝ分裂しなければならなかつたと思はれる本質的理由は發見しがたい。しかもなほ、親の代から敵同士であったかの如く啀み合ふといふのは、淺ましや商賣敵なるが故であつた。觀客を共一してゐるだけ、お互ひの競爭も陰險になり易い道理であつて、對手の商店を惡口雜言することによつて客足を引かうとする根膽のほどは、興文社對アルスの場合と少しも異なるところがない。暴露戰術といへば如何にも尤もらしいが、既成政黨の泥試合を笑へた義理ではないのである。

或る人に取つては、共産黨の金庫番が特に彼れのために財布の紐を締たといふ理由を以つて、反共産主義を標榜するに至らしめた場合もあらう。また或る人に取つては、自分の覘つた椅子を他人に取られた腹癒せに、却つて反對黨に走らしめた事實もあつたであらう。看板とする主義や主張は、さうした不純な動機を修飾するための事後的考案であつた。いはゆる暴露戰術なるものも、戰術のために反對派の醜惡を暴露するのではなく、實は坊主を憎んで袈裟まで憎む心理の直接的表白である〔。〕それを如何にも、主義主張のための戰術であるかに吹聽するのは、天道樣を恐れた(1)巧言令色の仕打ちと評するの外はない。

その意味からいふなら、無産四黨の現在的分裂は、必然の理由がなささうでその實はなはだ必然の理由を有つとも見られる。合同もしくは共同戰線の提唱者が、如何に『社會的階級的』な必然がないことを楯に取つたにしても、別個に『個人的感情的』な必然が有力に作用してゐる限り、一朝一夕に舊惡の翻然たる悔悟を期待し得るはずもあるまい。彼等とてまさか、この簡單な理窟に盲目であるほど素朴純情な御信仰は持ち合はさないであらうが、それを百も二百も承知しながら、何に喰はぬ顏で巧言令色に精勵するといふについては現状維持を不利とする新しい事情が發生したからでなければならない。

先づ右翼の事情を點檢する。

いはゆる右翼は、普選施行を機會に當るも當らぬも八卦なみの打算から、自分達の立場を『現實的』(2)らしく修飾することにおいて有利に展開せんとした。取らぬ狸の皮算用に類しても、その打算が必ずしも失當だつたとは斷言し得ないが、最初の試練たる地方議會の選擧結果は、無慘にもそれが甚だしく『非現實的』だつたことが立證されたのである。これに反して、彼等のいはゆる小兒病的左翼は却つて『現實的』であり、勞農一黨が獲得せる議員數は爾餘三黨の合計を凌ぐ盛況であつた。

現實主義を看板にしながら非現實主義を暴露したのは、皮肉といふよりもむしろ悲慘であつた。が實はそれが理の當然を反映した結果であり、看板の『現實』は實體の甚だしき『非現實』だつたのである。かうした錯覺の由來は、彼等の中途半端な立場に求められる。

生え抜きの主義者あがりが、國家と國法とは資本家的搾取の機關だと攻撃した手前を忘れ、急に國家國法と握手したやうな口吻を用ひたところで、誰が本氣の悔悟沙汰と信ずる阿呆があらう。握手させるには握手させるだけの實證を示し、理論と實際との兩面から世間を首肯させなければ効果がない。デモクラなら民政黨で澤山、地方自治なら政友會で澤山、誰が醉狂に、馳け出し無産黨に自轉車税の廢止を盡力して貰ひたいと思うものか。さう安手に世間を踏むあたりが、第一彼等の『非現實的』な證據であるが、見やう見まねの政策に『現實的』らしい粉飾を加へれば加へるほど鵜のまねする烏と同樣の反感を世人に挑發したであらう。けだし慘敗すべきが當然、三人が四人でも出せただけがメツケものであつた。

左翼派の小兒病的口吻に感心すると感心しないとは別問題である〔。〕然し彼等が、思ひ切つて空想的で非現實的であつた點は、そこに一種の愛嬌を印象せしめると同時に彼等の存在を明瞭ならしめ得た所以でもあつた。

世間の多數的眼光には、勞農黨が日農黨であつても、また社民黨が日勞黨であつても、どうせ無産黨の名目に概括さるべき十把一束的存在たるに過ぎない。遠い將來はとにかく、目前の政界を彼等によつて廓清して貰ひたいなどは夢にも思はないばかりでなく〔、〕一擧にして彼等がそんな勢力を有ち得やうとは思はれないから〔、〕彼等が自惚れてゐた如くは誰も本氣で相手にしてゐなかつた。これに對して『現實的』を押し賣りしても、一向に始まらぬのは當然な話しではないか。ハシリを獵(あさ)る好奇心に對しては、既成黨的看板とは思ひ切つて違つた看板が吸引的であり、相違が著るしければ著るしいだけ看板的効果があがらうといふものゝ〔、〕むしろ看板が『空想的』であつた方が本當は『現實的』であり得たのである。

勞農黨の極端的現實無視の看板は、その意味で最も現實的な効果を収め得た。三黨合計の數字を凌駕したのも故なしとはしない。

勿論、さうはいふものゝ、右翼の敗因は單にそればかりでなく、資金の不足、熱心の不足、手腕の不足等をも算へられるであらうが〔、〕最大の原因は看板における旗幟の不鮮明に要約されねばならない。そこの道理を達觀したものかどうか、勞農黨の幹部派は次第に左傾の程度を増大し、幹部派といへば東西古今を通じて穩和派の折紙がつけられてゐるに拘はらず、今や唯一の除外例を獲得するに至つたのである。

閑話休題、如上の經過で慘敗した右翼は、三黨が三黨とも一本立ちが出來がたくなつた。そこで、何とか局面を展開しなければならぬと焦慮し出した結果が、相も變らぬ合同論と共線論のむし返へし〔。〕恰もよし、教師上りの一派に壓倒された主義者上りの非幹部的一味が勞農黨の内部から策應したので〔、〕こゝに昨年末以來の膳立が出來あがつた次第である。

首尾よくまゐるかまゐらぬか、別に他人の疝氣を頭痛にやまねばならぬ義理もないから遠慮するが〔、〕提携派論客が、眞しやかに述べ立てる理窟の筋道には、どうやら腑に落ちかねる箇所もあるので、それに關する限りでは遠慮したくないと思つてゐる。

今もいふ通り、政黨の掲げる主義政策は、それ自體の現實達成を結束する必要のために存在せず、利害的感情的な背馳から齎された分別を、恰も大義名分に由來するかの如く見せかけるための必要に存在してゐる。即ち、主義の相違があるから黨派の相違が決定されるのではなく、何にか知らの原因で黨派的異同が生じたから、惹いて主義的異同を生ぜしめたのである。これは有産黨と無産黨の區別を問はない。

十年の野黨生活に雌伏しなければならなかつた憲政會は、反對のための反對を明瞭にする必要上、當時の政友會政府の保守的施設に對して、嫌でも應でも進歩的態度を装はなければならなかつた。普選案の提出の如きは最適の實例で〔、〕彼等は普選の主義のために憲政會へ入黨したのではない。同樣に政友會員が、知事公選の主義に共鳴して結束しつゝあるとは誰も信じないであらう如く、デモクラ的人氣を憲政會に獨占されざらんため〔、〕負けず劣らず進歩的であらねばならなかつたに過ぎない。無産四黨もその通り、第一次勞農黨の中心的勢力から彈き出されたか、或ひは彈き出したかした人々が、それそれ(3)のコボレ的立場においてコボレ的勢力を吸収するため、主義的硬軟性をそれぞれの都合において濃淡づけたと見られる。左黨としての現在的勞農黨、中央黨としての日勞黨、右黨としての社民黨は素より、極右別動隊の日農黨にしたところで、以上の窮餘的一策から考へ出した落穗拾ひに外ならない。隨つて、提携派が『社會的階級的』な見地において再構成を力説する理由も窺はれるが、しかし今更、さうした大義名分論で集合し得るくらゐなら、最初から別個の大義名分論を構へて離散するはずもなかつたであらう。勿論、先般の選擧で慘敗した右翼派と、現在の勢力爭ひに蹴落とされた左翼非幹部派とは、同病相憐れむ心理において共通する限り、合同乃至共線の必要を痛感したであらうことは殆ど疑問の餘地を殘さないのであるが、さはさりながら、窮鼠かへつて極左幹部派の宗派主義攻撃に口角の泡を飛ばすなどは、些か『血まよつたか金藤次』の嘆きなきを得ない。主義主張のヴオランタリチーは先刻承知でも、かう露骨に手の裏を返されると、人情の弱點で一寸唾棄して見たくなるから妙なものである。

宗派主義の張本は、誰あらう現在の勞農非幹部派ではなかつたか。山川主義の稱號は今日でこそ片や福本主義に對して大同團結の代名詞に通用するが、十年五年の昔は敢て問はず、露國總本店の御ン覺えに目出度さを失はぬ直前の過去までは、鉾を逆さにして攻撃する宗派主義の別名だつたのである。勢力誇示の敵本的必要から貸したヒサシの借手に、いつの間にかオモヤまで取られた事情は、なるほど氣の毒にたへない節もあるであらう。だが、忌憚なき直言を使用し得べくんば、それは我が身の迂愚に歸因するといふもの、昨日の我れを今日の彼れに擬したところで始まるまいではないか。第一、傍の見る目がそれを承認しないのである。殷鑑遠からず、嘗て右翼派は現實主義の看板で漁夫の奇利を僥倖し、却つてあらゆる不信と輕蔑を以つて酬ゐられたではないか。顏を洗つて出直さぬ大同團結論である限り、引かれ者の小唄あつかひにされても文句をいへないであらう。

などゝ、いはずもがなの老婆心を暴露したが、彼等の惡びれた態度に比較すれば、如何に七ツ下りの雨を髣髴させたにしても、まだしも教師あがりの幹部派には素朴純情の名殘りが認められる。彼等の小兒病的性癖は、元來が『趣味』として涵養されたものだが、それが却つて看板効果に貢獻し得た意味では、寧ろ『實益』をも同時的に達成し得た所以である。

『ファスシスト黨に顛落しつゝある』といふ右翼諸派が、もし極左主義者の惡口に該當するだけ極右的に硬化し得たなら、或ひは對蹠的勢力として存在の意義を發揮するかも知れない。だが、右せんか左せんか、六道ノ辻を行きつ戻りつ思案ばかりしてゐたのでは、誰れあつて彼等の有力を信用するものがあらう。のみならず、人間萬事が簡單明瞭を好み、赤か黒か、南か北か、山か川か、一見した、板の色合ひで敵味方の判定をなすやうになつては、中途半端の存在にどんな巧妙な理由があつたにしても、それは顧客を吸引する何らの魅力ともなり得ないのである。左翼が小兒病であるなら、右翼も小兒病であつてもよろしい。餘りに夥しき右翼老衰病を蹴倒し、當の敵たる左翼小兒病と抗爭し、民主的弱氣に飽滿したる官憲の心膽を寒からしめたゞけでも痛快である。さもない限り、巧言令色の方だけ如何に尤もらしく平仄を合はせても、看板としての偉大性を發揮する所以ではない〔。〕極左排除といふなら、こゝまで徹底しないと『現實的』たり得ないのである。


底本:『大阪朝日新聞』昭和三年一月四日(朝刊)

注記:

※底本は原則総ルビだが、二三の難読箇所を除き、一切省略した。
※句読点を補訂した場合は〔 〕内に加えた。

(1)恐れた:ママ
(2)『現實的』:底本は『實現的』に作る。
(3)それそれ:ママ

改訂履歴:

公開:不明
改訂:2006/08/08
改訂:2007/10/11
最終更新日:2010/09/12

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