さよなら辻潤!

高畠素之


貴誌の課題で辻君の洋行を初めて知りました。淋しいことです。辻君とは、豫め打合せて泌々話し合ふ機會を遂に持たなかつた。がときどきヒヨツコリ騷々しい場所で顏を合せたことがありました。そのとき、いつも彼れの印象は淋しかつた。感じのいい人です。ぜんたいの樣子がさうですが、笑ふとき目と鼻の間に湛ふ小皺がとりわけ淋しみを印象する。ああした行き方の人では、僕の知る限り辻君が一番すきです。辻潤といふ活字は、うつかり迂濶と讀ませる。そんなことを辻君に話した記憶がある。その辻君の洋行沙汰をけふが日まで知らなかつたなんで、なんて迂濶なんでせう。が、しかし、辻君よ、足は憧れの異郷に徨つても、愛する祖國の片隅で竊かに君を思ふ一老人のあることを、時々思ひ出してくれ玉へ。


底本:『文藝公論』第二卷第二號(昭和三年二月。「さよなら辻潤!」の中の一つ)

注記:

本論は辻潤のパリ行きに対するもの。

改訂履歴:

公開:2006/03/13
最終更新日:2010/09/12

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